★このページにはネタバレが含まれています

>2004年1月、昔書いた文章を改定して再度UPしました

先日、ようやくPS版ソウルハッカーズをクリアした。
購入してから実に半年以上経過していた(要するにほったらかしにしておいた)。
SSで2周していたから、やる気があまり出なかったのが大きな理由。
でも、ヴァルキリープロファイルの延期のせいでやることが無くなったついで、
と思い再びプレイし始めると・・・
ハマったね。これが。
ストーリーの再確認をしていくことがこれほど楽しいとは思わなかった。

そしてSS版では気付かなかった色々な点がやっと私にも見えてきた。
なんとストーリーを理解するのに1年以上もかかってしまったというわけだ(;´Д`)
PS版の2周目をクリアして、初めてネミッサについて、理解できたような気がした。

ハッカーズというゲームは、”若者が誰しも通る挫折”をテーマに
そこからの前進=大人への成長、という流れを描いた非常にすばらしい作品である。
もしネミッサが居なくても、いい作品になっていたことだろう。

ただその場合、プレイヤーへの語り手はヒトミの役割になる。
ヒトミは良くも悪くも優等生すぎる…いわゆる「ゲームのヒロイン」すぎるきらいがある。
たとえばリーダーの苦悩、たとえばランチの屈折した思い、
そんなものをヒトミは疑問に思うこと無く理解することができる。
そしてそれをすんなりとプレイヤーに語ってくれるだろう。

そうしてみるとネミッサという存在は、
プレイヤーがスプーキーズのメンバーの思いを受け止めるのに最適の存在ではないか。
だって彼女は「思い」というものを知らずに現実世界に現れる。
色々な人のさまざまな思い、全てがネミッサにとって新鮮であり発見だ。
ネミッサが相手の思いに触れて、それらを理解しようとする姿があるから
メンバー達の気持ちを一緒に理解していくようなかたちになり、
それがこのゲームをより面白くしていると思う。

はじめは我侭放題、自分勝手な振る舞いが多く見られるネミッサだが
それが自分の存在の謎を追いながら、同時に彼らの喜びや悲しみを吸収して、
ついには慈悲の心まで手に入れることになった。

このゲームは全編通してネミッサの成長記録なのだ。

いや、むしろ
ネミッサの人生そのものであった、と言ったほうがよいのかもしれない。

そこがこのゲームの面白さであり、悲しみであり……

こればかりは、実際にゲームをやってみてもらわないと
わかってもらえないだろうなあ。


今現在、ネミッサは私の中でナンバーワンヒロインだ。
以下はセリフを引用しながらネミッサのことを徒然と語ってみたので、激しいネタばれでも構わない人はお読みください。




「もう、うるさいなあ、ヒトミは!」

当初ネミッサは自分の事を「ネミッサ」と呼んでおり、ヒトミも呼び捨てだった。
いつから「アタシ」「ヒトミちゃん」になるかというと、厳密な区分はないが
およそムーウィスが消滅する時・・・つまりレオン自工クリア後あたりからだ。

「…そんな事、ありえない。あたしはあたしだもの。」

これはムーウィスがネミッサの記憶が失われている、と指摘したことを質したヒトミへの台詞。
なんとなく象徴的な台詞、なような気がする。
ネミッサはそれまで、自分が記憶を失っていることに気付いていなかった。
自分は何者なのか?ネミッサの中に、初めて生まれた陰であったろう。
また、レオン自工の一つ前のエピソードに当たるトモコ救出の際には
ネミッサは「面倒だ」「おもしろそう」と発言し、ヒトミに不謹慎と窘められているが、
Disc2冒頭のあかねモールでの父親救出の際には
「大丈夫よ、気を失っただけだから」等、落ち着いた台詞に変化している
(・・・というか、ここではヒトミの台詞が多いからそう感じるだけかもしれないが)
どちらにしても、レオン自工を一つの契機として、ネミッサは少しずつ精神的に「成長」していくのが分かる。

「あんたらこそ一緒に戦ってきた人間、信じらんないの!?」

アルゴン精工クリア後の、「スプーキーズ解散」イベントでの台詞である。
序盤のネミッサからは考えられないような台詞が、ここで出る。
この台詞から、ネミッサがスプーキーズのメンバーを「共に戦っている仲間」と認識していることが読み取れる。
その後のアルゴン本社でのマルスム戦の後のヒトミの異変も同様である。
当初は邪魔だったヒトミの意識が、ネミッサにとって大事なものに変わっていたのだ。
自分とは何か、他者とは何か、仲間とは何か?ネミッサは実感を持って、その答えを感じている。

「起きてよヒトミちゃん!リーダーが…リーダーが死んじゃう!」

そして、これこそがレッドマンがネミッサに学ばせたかったことだったのだろう。
決して話を盛り上げるためにスプーキーは死んだ訳ではない。
全てはネミッサに「死」を伝えるためのものだったのだ。
「出会い」「別れ」「悲しみ」「再生」全ての意味をネミッサが知った時、レッドマンがネミッサに全ての真実を齎す。
そしてネミッサは、マニトゥを救いに二神門へと向かうことになるのだ。
それが皆との別れを、自らの消滅を意味することを自覚して、である。
それは、あまりに悲しい決意ではないだろうか。

今日がアタシの……最初の誕生日かも知れない。

マニトゥを破ったあと、淡々と進むED。
生きている者には明日があり、未来へ踏み出す道がある。
無くしたものは思いとなり、前へと進む勇気となる。
受け継ぐ者がある限り、それは永遠になるのだ。
ネミッサと一緒だった時間をヒトミは忘れないだろう。
勿論、主人公である私も。
明日という日に、ネミッサと出会うために。





余談になるのだが、考えてみれば、ネミッサと主人公の出会いを橋渡ししたのは他ならぬスプーキーだ。
そのスプーキーが、ネミッサに死のメッセージを伝えることになるわけである。
「スプーキー」とは、「ネミッサ」などと同じくネイティブアメリカンの伝承に登場する精霊の名前であるらしい。
この設定から、スプーキーという人物の一生さえ、
レッドマンの意志によるものだったのではないか、と勘繰ってしまうのだが・・・
どちらにしても、ゲームの設定上スプーキーがそのような役割を持たされていたことには間違いはないだろう。



ところでPS版では、2周目になると選択肢次第でスプーキーを助けることができる。
そうなると何が違うのかというと、EDで届くメールの送り主が違ってくるのだ。
ふつうこういったおまけはシナリオを破壊するのであまり好まれないが
はっきり言う。これを見ずして、ハッカーズは語れないぞ!
PS版持ってる人は今すぐやれ!!


2004年1月現在でも、ネミッサは私のNO1ヒロインです。
いまだ彼女を越えるヒロインには出会いません。