YES−NO




再会は、本当に偶然だった。


台風が関東地方を直撃するという天気予報は、見事にあたって、渋沢は慌てて練習場をあとにした。
明日のグランド整備が大変だろうな...などと考えつつ、いつもの電車に乗っていた。それが...。

突然の突風により、電車は渋沢の、目的地よりあと一駅手前で停まってしまった。
此処から折り返し運転が行われると、駅構内のアナウンスが無常に流れる。

困った...渋沢のアパートまで、あと一駅だというのに。

仕方なく、途中下車した渋沢は、強風と時折強くなる雨足に、ふぅっと溜息を漏らした。
さて、どうしたものか? 此処からバスは無い。とすれば、タクシーか...徒歩か...。

まだ、学生の渋沢である。高校二年生で、アパート暮らしは贅沢な方だ。それだけに、できるだけ余計な出費は避けたい。
そう考えた末の結論は...歩いて、アパートまで帰ることである。

どうせ、びしょ濡れの状態である。この先、濡れてもそれほど大したコトはない。只、体調さえ崩さなければ...。
渋沢は台風特有の怪しい雲行きを見上げながら、意を決し、傘をさして駅から離れようとした時だった。

(えっ...?)

改札口の一番隅っこで、俯いている一人の青年の横顔に、釘付けになった。見覚えがあるからだ。
否、見覚えがあるところではない、それこそ、忘れられない人だったから。
彼の横顔、雨に濡れて堅そうに見えた髪が、真っ直ぐに額に肩に、伸びている。

「不破くん?」

渋沢は見えない糸にでも引かれるように、いつの間にか、よろよろと彼に近づいていた。

「渋沢か?」

俯いた顔を上げた彼の瞳は、昔のような鋭さは無くて、むしろ弱々しくて、思わず抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られた。

「どうしたの? こんなところで...」

改札口とはいえ、強風のため、雨風が容赦なく吹き込んでくる。

「傘が...」
「えっ?」
「この強風で壊れてしまったのだ」

彼が差し出した傘は、柄がぼろぼろに砕けて、とても使い物になりそうにない。

「売店で買おうとしたのだが、すでに売り切れで...さて、どうしたものか、と思案していたのだ」
「...」
「此処から通常20分程度の道のりであるが、この雨と風では、どれくらい時間がかかるか、また傘がないので、その場合を想定して...と考察中であった」


くすっ...


渋沢の微かな笑い声に、不破がむっとした表情で見上げてきた。

「ご、ごめんね、つい...」

昔と変わらぬ不破の言葉使いに、渋沢は嬉しくなってしまったのだ。思わず渋沢が、ぽりぽりと頬を掻きながら微笑むと、その笑みに、不破の頬が微かに赤くなった。渋沢の心臓が、どきりと跳ねた。

風祭と同じ笑顔だ...

昔、彼はそう言った。だから、渋沢の笑顔も好きなのだと。臆面もなく、そう答えた不破に、渋沢は心ときめかせていた、いつも、いつも...。

けれど、彼が選んだのは、自分でも、風祭でもなかった。渋沢の脳裏に浮かんで消えた、金色の髪の持ち主。ふいに、渋沢の表情が曇った。

「....なのだが...どうした、渋沢?」
「えっ!?」

不破が渋沢に話しかけていたらしい。上の空だった渋沢は、不破の話を聞いていなかった。

「ご、ごめん! あの...ぼんやりしてて...」

不破がふっと息を漏らした。その瞳は、やや疲れたような様子だった。

「不破くん?」
「おまえは今、何処に住んでいるのだ?」
「えっ?、この隣の駅からなら、歩いて5分は、かからない場所だけど」
「そうか...しかし此処からでは、オレ以上に時間がかかるであろうな」
「う〜ん、どうかなぁ、線路沿いを歩いていけば、それほどかからないと思うよ」
「ふむ、では気をつけて」
「えっ?」

突然、不破は雨の中を走り出そうとした。思わず、渋沢はその腕を捕まえてしまった。

「何だ?」
「何だって...走って帰るの? この雨の中、傘もささずにっ?」
「ふむ、この雨では、傘も役には立たないであろう」
「けど...」

不破の身体は、渋沢以上に濡れているように見えた。華奢な身体が、夏とはいえ、寒そうに見えた。微かに震えているようにも思えた。不破の腕を掴んだ渋沢の手に、力が込められる。その強さに、不破はきょとんと驚いた表情をした。

「ウチに来ないか?」
「なに?」

意外な渋沢の申し出に、不破は、ますます分からん、といった表情で首を傾げて見せた。その仕種がとても可愛いらしくて、渋沢は彼の腕を、決して離したくないと思ってしまった。


そう...最初から離す気など無かったのに...最初から、誰にも渡す気など無かったのに...


渋沢は、軽く咳払いをして、徐に口を開いた。

「タクシー使えば、それほどかからないから」
「何故?」
「何故って...」


このまま、君を帰したくない。離れたくない。せっかく出会えたのだから。
切れたと思った赤い糸、否、強引に、切られてしまったのかもしれない、あの男に。

それとも、最初から繋がれていなかっただろうか? けれど、もしかしたら...。
繋ぎ直せるかもしれない、取り戻せるかもしれない。

しかし、渋沢の脳裏には、金色の髪が揺れている...やはり彼には...勝てないのだろうか?

ふぅっと漏らした渋沢の溜め息、その表情。不破が、じっと見つめていた。だが、すぐに、ぷいっと空を見上げた。暫しの沈黙が、二人の濡れた体を包み込む。いつしか、渋沢の手は、不破の腕ではなく手を握り締めていた。繋がれた互いの掌から、温もりがじんわりと伝わってくる。

「不破くん?」

急に不安になった渋沢は、不破の横顔を見つめた。不破は、何か考察中のようだった。

「では、行くか?」
「へっ?」

不破は視線を、空から渋沢へと移した。不破の瞳の奥に、何かが静かに燃え上がるような炎が、見え隠れしているように思えた。それは、渋沢の気のせいだろうか?、それとも...逆に考え込んでしまった渋沢に、今度は不破が、強く手を握り返した。


その力の強さに、渋沢はある決心をした。


渋沢は無言で不破の手を引いて、タクシー乗り場へと向かった。乗り場には、並んでいる人が意外と少なく、ほどなく、渋沢と不破はタクシーに乗り込めた。行き先は...渋沢のアパート。其れを、不破は黙って聞いていた。口答えも、抵抗もしない。只ひたすら黙り込んで、窓の外の景色をじっと見つめていた。渋沢の手に繋がれたままで。

道路事情は良くなかったが、間もなく、二人を乗せたタクシーは、渋沢のアパートの前に着いた。料金を精算し、さっさと渋沢は不破の手を引いて、車を降りた。不破も黙って、其れに従った。

渋沢の部屋は2階の一番端の部屋だった。その分、窓が一つ多い。東側の窓だ、その窓ガラスに、雨風が雨風が叩き付けているのが、タクシーを降りた途端、見えた。

「ヒドイ天気だな」
「そうだね」

階段を駆け上がり、渋沢は部屋のカギを取りだすと、すぐに玄関を開けた。一秒でも早く、彼のこの悪天候から安全な場所へ隠したい、そう思ったから、不破の手をやや強引気味に引っぱりこんだ。

「あっ..」

微かに彼が、声を上げた。渋沢も玄関の中に飛び込んだ途端、自分の取った行動に、思わず頬を赤らめてしまった。


そう、まるで...彼を誘っているような...


渋沢は、その気配を悟られまいと、不破から顔を俯けて、びしょ濡れになったクツと靴下を脱いで、下駄箱の上にあったタオルで自分の足を拭いた。そのまま、身体に付いたいた水滴を軽く拭き取りながら、

「あ、あの」
「ん?」
「ちょっ!、ちょっと、待っててね!」

自分が使ったタオルを、不破に使わせるワケにはいかない。渋沢は、洗面所へ走り込んで、すぐにゲスト用のタオルを不破に手渡した。

「早く拭いた方がいいね...」

渋沢以上に濡れている彼の身体。出来れば着替えをさせてあげたい、暖かい風呂にでも入れてやりたいが...どうしたものかと思案している渋沢に、彼の口から意外な申し出が飛び出した。

「....シャワーを借りられないか?」

(ええっっ!!!?)

声に出さなかったが、渋沢は思わず赤面した。しかし、彼は其れに気がつかないのか、言葉を続けた。

「練習がある度に、念のため、新しい着替えは、もう一組持合わせているのだ。だから、シャワーだけ借りられれば良いのだか...ダメか?」

上目遣いで、渋沢を見つめる彼の瞳は、哀願するかのようにも思えた。否、雨で濡れた前髪が額に張りついているから、そう見えるだけである。それでも、渋沢の激しく動揺した。しかし、その同様とは裏腹に、渋沢はいつもの穏やかな笑顔で彼に答えていた。

「あぁ、かまわないよ、その方がいいよね、風邪でもひいたら大変だから...」

どうぞ、と言わんばかりに、彼を風呂場へと案内する。

「シャワーを浴びているうちに、風呂のお湯を汲んでおくよ」
「いや、そこまでは...」
「けど、寒いだろ?」

渋沢は、自分の邪まな想いを悟られまいと笑顔を絶やさない。できぱきと、風呂の準備をして、真新しいバスタオルと浴用タオルを用意する。その間、不破は、濡れたシャツを脱いでいた。日焼けした腕と首筋以外は、目を奪うほどの真っ白い素肌だった。渋沢のは自分の劣情を悟られまいと必死に、目を中空へと泳がせた。

「じゃあ、ごゆっくり」
「すまない、おまえも濡れているのだから...」

ふいに、彼が顔をあげて渋沢のことをみた。

「一緒に入るか?」
「なっ!?」

さすがに、これには大声をあげてしまった。この状況下で、必死に堪えているのに、さらに一緒に風呂に入るなどとは...。

「い、いや、オレはあとにするから、不破くんだけで、ごゆっくりっ!!!」

どうにか、それだけ叫んで、渋沢は風呂場を後にした。ドキマギする心臓を落ち着かせようとして、後ろ手で閉めたドアに背もたれていると、


ざぁぁ・・・・・・


中から、シャワーの音が聞こえてきた。その音だけで、渋沢の心拍数はイッキに跳ね上がった。慌てて、その場を離れて、キッチンへと向かう。まだ蒸し暑さの残る室内、渋沢は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、一息に飲み干した。ようやく、ほっとすると、窓の外はまだ雨が止む気配がない。

着替えを、もう一組、持っていて...

彼の言葉を反芻して、さすがに用心深いのだと、今更ながらに彼の性格に思い起こす。いつも、そうだった。年上の自分の方が、彼から教えてもらうほうが多かった。だが、それも、高校が別になれば、出会う機会は滅多に無い。只、唯一、彼がU−16に選ばれたおかげで、辛うじて接点がある。しかし、年代が違えば、それまでだ。それは、あの男だって同じであろう...にも関わらず、あの男には勝てない、何故だ?それは...

彼の気持ちが、心が、あの男に向いているから。

渋沢は窓辺に立ち、止まない雨を見つめていた。空を覆う暗雲は、この頭上から流れていく気配がない。

「おい」
「えぇっ!?」

急に声をかけられて、渋沢は手にしたコップを落としそうになる。それを彼が素早く受け止めて、

「ありがとう」
「へっ?」
「とても、さっぱりした。おまえも浴びてくると良い。風呂も、いい湯加減だったゾ」

渋沢のコップを手にして、彼が微かに微笑む。その笑顔に、またしても心臓をばくばくさせてしまう。濡れた髪から、身体から、ほのかに石鹸とシャンプーに匂いがする。渋沢が使っているものとは違う匂いだ。おそらく、彼が持参していたものだろう。やや蒸気した頬は紅く、口唇さえも艶やかだった。

そこまで観察して、渋沢は、はっとした。このままでは、マズイ。大慌てて、「じゃ、じゃあ、行って来る!」と、荷物を持つのもそこそこに、渋沢は風呂場へと向った。だが、

「冷蔵庫に飲み物があるから、適当に飲んでいて!」

と、一言付け加えるのを忘れなかった。律儀な渋沢に、不破は一人で、くすりと笑った。その表情を見たら、今度こそ渋沢の理性はぶっとんでしまうだろう。外の天気とは裏腹な、不破の表情だった。

どうにか、風呂を終えて、一段落つけば、渋沢も落ち着きを取り戻した。風呂場から、リビングへやってくれば、外の天気は、まだ大雨だった。その光景を、ソファーに座って、一人、不破が見つめていた。その横顔に、愛おしさと、言い知れぬ戸惑いに、渋沢は複雑な表情になった。

あの男のものなのに、こんなにも、まだ彼のことが...好きだ。

思わず吐いた吐息に、不破が気がついた。

「渋沢、どうした?」
「えっ?、いや、その...」

渋沢は、しどろもどろになりながらも、不破の前に座った。

「外は大荒れだけど、部屋の中は静かだなぁって思って」
「...」
「こうして、二人で向き合うのって久しぶり...」

「渋沢には、付き合っているヤツがいるのか?」

世間話でも、と喋りかけた渋沢に対して、不破がとんでもない言葉で遮った。突然、何を言われたのか、渋沢自身、ワケがわからなくて、きょとんとしていると、不破がクスリと笑った。

「部屋が綺麗に片付いているし、造花だが飾りつけも施されている...彼女でも出来たのであろう、違うか?」

不破が手にした缶を一口、飲み込んだ。其れを見て、渋沢はさらに、目を丸くした。

「適当に、と言われたので、これにしたのだが...まだ、何本か残っていたぞ」

不破が片手で軽く持ち上げる缶...ビール。先日、三上が置いていったものだった。確か、4,5本、冷蔵庫に残っていた。

「おまえも、アイツとそれほど変わらないのだな」
「えっ?」

また一口飲み込んで、不破は窓の外を見た。その横顔は綺麗だったが、どこか哀しそうにも見えた。

「不破くん?」
「アイツとは別れた」
「えっ?」

一瞬、何を言われたのか、渋沢はまたしても理解不能な状況に陥った。窓の外は雨。ガラスに叩きつけるほどの大雨。

「アイツは、サッカーで駄目になれば、即座に実家に戻らねばならぬ身だ。ある意味、恵まれている。サッカー選手の寿命は短い。その寿命を全うして、さらに第二の人生とやらが用意されているのだ。贅沢だとは思わないか?」
「...」
「その第二の人生に、オレについて来い、などと平然と言えるのだ、アイツは」

不破は、さらに缶ビールを一口飲んだ。

「オレの考えなど、アイツには理解できないようだ。オレは...品物ではない」

雨足が強くなったのだろう、さらに、稲光まで微かに見えた。

「アイツに抵抗したら、呆気なく、ヤツは日頃、出入りしている女の部屋へ転がり込んだ...それで終わりだ」

不破は缶ビールを飲み干した。そして、軽く溜息を漏らした。

「おまえの彼女は...」
「そんなものいないよ」

渋沢は、両手の拳を膝の上に乗せて、即答した。

「部屋の片付けも、装飾も、母親の趣味だよ。今のオレには、そんなものいない」

窓ガラスに叩きつける雨の音。それを聞きながら、不破がふぅっと、また息を漏らした。

「そうか...では、互いに....独り者ということになるのだな...」

渋沢の拳が、さらに強く握り締められた。不破は、微かに微笑んでいる。そして、「もう1本、貰っても良いか?」と言いながら、席を立とうとした。その不破の腕を捕まえて、渋沢は自分の腕の中へと引きずり込んで、彼の身体をすっぽりと包み込んでしまった。

「渋沢?」

酔いがまわったのだろうか、不破の瞳には、いつもの鋭さが全く無い。微かに目のふちが、頬が朱色を帯びている。

「不破くん...」

渋沢は、抱きしめた腕を緩めることも出来ずに、しかし、これからどうすれば良いのか、考えあぐねていた。すると、不破が、すっと渋沢の頬に右手を伸ばしてきた。笑いながら、ふざけているみたいに。渋沢は、言うべき言葉が見つからなくて、けれども全てがもどかしくて、思わず、渋沢の瞳から一筋の涙が流れ落ちた。それを見た不破は、はっとして、渋沢の腕から離れようとした。だが、渋沢の腕の力は、ますます強くなって、不破の華奢な身体を抱きしめた。

そして、ようやく渋沢の口から、小さな声で聞こえた。


君を抱いていいの?...このまま、好きになっていいの?


その言葉に、不破は微かに微笑むだけだった。


君の心は、今、どこにあるの?


不破は、何も答えない。渋沢の腕に、自分の身体を預けている。
部屋の中の静けさと対照的に、外の天気は、ますます荒れ狂うばかりだった。



君を抱いていいの 心は今 何処にあるの
君を抱いていいの 好きになってもいいの

君を抱いていいの 夏が通りすぎてゆく


今 君の匂いがしてる...









FIN


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まさむね様


すみません!! リク頂いてから、早幾年....(卒業式モード?)、話の内容からお分かりのように、書き始めたのは、夏が終わる頃の、そう、台風が日本に上陸しまくっていた季節です。それから、書き上げるまで、これほどの時間を要してしまいました。

本当に、本当に、申し訳ありませんでした!

まさむね様のご希望されていたモノとは、かけ離れてしまったかもしれませんが、未だ修行中の身でございますので、何卒、ご容赦くださいませ。

拙い駄文ではございますが、ご笑納頂けたら幸いでございます。どうぞ、宜しくお願い致します。


2002.03.12

佐藤 圭大 拝


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