「お疲れぇ!!」
「また、明日な!」

片付け終えて、部員達がそれぞれの家路へと散らばっていく。市立南中学サッカー部は、前回の大会で意外な好成績を残した。今は、夏の大会に向けて練習に明け暮れる毎日である。だが、それも思わぬアクシデント、GKが体育の授業中に大怪我をしてしまって、控えのGKがいないことから大ピンチに見舞われた。がっくりしていたところに、救済の手が差し伸べられた。というよりは、捨てる神あれば拾う神あり、といったところか? この時期には珍しい転校生の出現で、サッカー部は大会への夢を繋げることができた。

この転校生、不破大地は、サッカー歴が無いにも関わらず、その高い運動能力からGKとして充分な素質があった。にわかGKながらも、部員達の期待は大きい。他の運動部を差し置いて、不破を獲得したサッカー部は、干上がりかけたサカナが大量の水を補給された状態になった。練習に熱が入るのは無理も無い。

「どうや、調子は?」
「あぁ、悪くはないが、やはり疲れるな。」
「さよか、まぁ、今まで運動らしいことしとらんから、しゃあないな。毎日、ちゃんとメシ食ってるか?ちゃんと寝とるか?」

シゲこと佐藤茂樹がしつこく聞くので、不破はほんの少し、むっとした表情になる。

「食事は、毎日、届けられるから、心配ない。睡眠も普段より多めに取るように心がけている。何も問題ない。」
「へっ?メシが届くんか?」
「今はそういったサービスがあるらしい。もっとも、金はかかるようだが。」
「あっそ、さすがお金持ちの『はとこ』の兄ちゃんやね。けど、あの家には住んでないんやろ?」
「あぁ、だが、昨日は久しぶりに会った。...そうか、今日、身体がいつもよりだるく感じられるのは、そのせいか。」
「ん?」
「昨夜、久しぶりだったので、はとこと夜中まで話し込んでしまったのだ。従って、今日はいつもより寝不足気味だ。」
「そやろ?今日は身体のキレが悪かったでぇ。」
「?分かるのか?」
「あぁ、不破のことなら何でもな♪」
「???」

ますますムッとする不破。だが、シゲは楽しそうだった。
練習の帰り道。途中まで帰る方向が一緒だ。わずかな時間だが、二人だけになれる。

「なぁ、不破?」
「なんだ?」
「何で、もう一回PK勝負せぇへんかった?」
「...」
「せっかく...って、オレは得した気分やけど♪」
「!!」

不破が真っ赤になる。そんな不破を横目でみて、シゲは満足げに笑う。急に、不破が立ち止まった。

「どないしたん? 具合わるいんか? やっぱ、練習キツイんか?」
「...もう一度、PKをしても結果は同じだと思ったからだ。」
「へっ?」
「オレはコピーだからな。おまえには、まだ勝てない。」
「...結構、ネに持つ性格やな、不破は。」
「なに?」
「うっかり口がすべっただけやろが。まぁったく、もう...」

今度はシゲが、むっとした表情になる。不破が微かに笑った。瞠目するシゲ。不破がシゲに腕を伸ばしてきた。

どきり。

シゲの心臓が跳ね上がる。
そんなシゲの様子に気が付かないのか、不破はシゲの髪にゆっくりと触れてきた。
指を絡めて、シゲの髪をじっと見つめる。不破の吐息が、シゲの頬に微かにかかる。

「奇麗な色だな。陽の光によく映える。それに柔らかくて、触り心地が良いな。」

不破はシゲの髪が気に入っているようだった。陽の光に映える金色の髪。
実際には脱色を繰り返して、かなり痛んでいるのだが。
不破はシゲの髪を引っ張ったり、透かしてみている。まるで、小さな子供が珍しい物を観察しているかのようだった。
そんな不破を、シゲが息をひそめて見つめている。
これは意外なほど急接近だった。シゲの鼓動が一気に高鳴る。じっとりと身体が汗ばむ。
焦りはじめて、息苦しくなって、咄嗟に、気になっていること、一番知りたいことを口にだす。

「なぁ、不破?」
「何だ?」
「渋沢とは上手くやってるんか?」

不破の手がぴくりと止まった。絡めていた指先を離して、顎にその指を当てると、不破は俯いてしまった。

「??」

シゲが不破の顔を覗き込む。泣いてはいない。けれど、不破の瞳が曇っているように見えた。

「もう...二度と無理強いはしない、と約束してくれた。だから、許した...今まで、どおりだ。」
「さよか...そりゃ、良かったな。」

不破の声が震えているような気がした。気まずい沈黙。
シゲは他に言うべき言葉が見つからなくて、軽く口唇を噛む。

「佐藤には世話になった。」
「不破?」
「今日は疲れたので、これで失礼する。」

不破は軽くて手を上げると、小走りに自分の家へと駆け出していった。
突然、走り出した不破。まるでシゲから逃げ出したようにもみえる。
一人ぽつんと取り残されたシゲは、呆然と不破の後姿を見送っていた。
身体が動けるようになったのは、しばらく時間が経ってからだった。
軽く溜息を吐き、背伸びをする。見上げた空は、今は陽も隠れ、しっかり夕闇が迫っていた。

「やっぱ、あかんのかな...」

シゲの独り言は、夕闇に紛れ込むように消えていった。



「きゃべつ、にんじん、ピーマン、たまねぎ...って、今日は何でっか?」
「聞いて喜べ、焼き肉だ!」
「へっ!?そやったら、肉の方から買いに...」
「肉はトシが買い出しに行っているから、いーんだよ。」
「トシさんやったら、あそこの角の肉屋でしか買ってきぃへんよ!あそこの肉、マズイからイヤじゃ!!」
「まずくても量はあるからな。」
「けど、イヤじゃ!...って、ところで前から思っとんやけど、トシさんもしぃさんも、一応、仏道ってもんに帰依してんのやろ?」
「一応、な。」
「せやったら、肉食ったらあかんとちゃうか?」
「今時の坊主は許されてるんだよ。」
「ホンマか? なんか、ウソくさいでぇ?」
「...さっさと、買い物、済ませて帰るぞ、シゲ。」

夕方の商店街は、さすがに混み合って賑やかだった。
シゲは下宿先の寺の兄(あに)さん達と一緒に、夕飯の買い物に来ていたところだった。

「ホンマ、生臭ボーズやなぁ...」
「育ち盛りのシゲのことを考えてだゾ。」
「へいへい、そりゃどーも!!」

二人の会話を聞いてた八百屋のおじさんは、「相変わらず、あんた達のトコは仲良くていいねぇ!そーしてると兄弟に見えるよ!」と笑っている。(どこがじゃ!全然、似てへんやろがぁ!!)シゲは軽く舌打ちして、辺りを何気なく見渡す。商店街には、かなりの人が集まってきたようだった。いろんな人達が行き交っている。

兄さんと八百屋のおじさんの世間話を聞きながら、シゲは欠伸を一つする。うっすらと涙目になって、ふと、すれ違う人達の中、見覚えのある顔にはっとする。時間が、人の流れが、そこだけスローモーションみたいにゆっくりと見えた。呼吸することを忘れるくらい、シゲはその二人から目が離せなくなっていた。

「おい、シゲ?」

兄さんに呼ばれて、ようやく気が付いた。かなりの時間、ぼんやりしていたらしい。

「どうしたんだ? 何、見ているだ?」

シゲの見ている方向を、兄さんもゆっくり首を回して見ている。

「友達か?」
「あっ? あぁ、サッカー部のヤツ。」
「ふ〜ん、二人とも?」
「いや、片方は違う学校のヤツやけど。」

シゲの歯切れの悪い返事に、兄さんが不思議そうな顔をしている。

「兄弟みたいに見えるんだけど、違うのか?」
「...違う。」
「ん〜、でも仲良さそうだね。二人揃って、夕飯の買い出しかな?」
「...」

大きなビニール袋を持った背の高い方は、本当に楽しそうに笑っている。もう一人のやや背の低い方も、小さなビニール袋を持っていて、シゲ同様、買い出しにやってきたように見えた。ふと、シゲの顔が曇る。目を逸らしたくなる。けれど、逸らすことが出来ない。

彼の雰囲気がいつもの彼じゃない。シゲの知っている彼じゃない。
かすかだが、笑っている。彼の笑顔。はじめて見た、心からの笑顔。微笑み。

彼の笑顔が、シゲの心を捕らえて離さない。そして凍り付かせる。
二人が仲良く連れ立って歩いていくのを、ぼんやりと見過ごした。
人混みの中に消えていくまで、シゲは動くことができなかった。



「なんか降りそうだよね。」

ドリンクを飲んでいた新太郎が空を見上げて、ぽつりと呟く。シゲは新太郎の隣で汗を拭いているが、返事がない。シゲに振り返ると、視線が宙に浮いているように見えた。しかし、良く見ると、シゲの視線の先にあるのは...

「シゲさん?」
「は、はい!何でっか!?...って、新太郎やないか...」
「どうしたんです? なんか、すっごくヘンですよ、今日のシゲさん。」
「う〜ん、何でやろね?」

いつものシゲらしくない。新太郎が首を傾げる。そして気が付く。やっぱり、シゲが見ているのは...。
シゲがひょいっと歩き出す。新太郎が目をぱちくりしていると、シゲは「不破」そう呼びかけて、彼に近付いた。

「なんだ?」

今は、練習の合間、休憩中だった。各自、水分を補給したり、日陰で休んだりしている。
不破は、皆より少し離れたところで、ドリンクを飲みながら一人休んでいた。

「どや? 調子は?」
「あ、あぁ、昨日とそれほどかわりない。」
「さよか? 昨日よりつらそうに見えるんやけど?」
「...」
「無理強いはせんけど、合意の上やったら、問題ないやろから...」
「なに?」
「ツライんとちゃうか?」

意味ありげに不破の顔を覗き込むと、途端に真っ赤になる。

「えっ!? 不破!?」

不破は勢い良く立ち上がると、スタスタと校舎裏へと歩いていった。
慌てて、シゲが不破の後を追いかける。どうやら、怒らせてしまったようだった。
校舎裏、人気の無い場所まで追いかけて、ようやく不破を捕まえた。

「不破!?」
「離せ! おまえというヤツはぁ!!」
「せやけど、ホンマのことやろ!?」
「違う!! 克郎とは、あれ以来、何も...ない!!」

ぎろりと睨まれる。だが、不破の肩が震えている。まずいことを言ったと思った。
けれども、今日のシゲはどこかヘンだった。多分、それは、昨日の不破の笑顔を見てしまったから。

「渋沢って、料理が上手いんやってな?」
「...何故、知っている?」
「ウチの学校でも、渋沢は結構、人気あんねん。それくらいの情報は知っとるわ。」
「それが...」
「毎日、料理作りに来てくれてんか? 渋沢は?」
「!? 違う! 昨日は偶然、会って...何故、知っている?」
「二人で仲良く買い出しに来てたのを、ぐーぜん、見てしもうたんで。」
「...」
「知らん人が見たら、えらく仲のええ兄弟に見えるわ。顔は全然似てへんけどな。」
「佐藤...」
「不破が笑ってるの、はじめて見たわ。」
「えっ?」
「自分でも気付いてへんやろ? 渋沢となら、笑うことができるんやな。」
「笑う? 多分、克郎につられていただけだと思うのだが。克郎は...よく笑うから。」
「そうか? 愛想笑いには見えへんかった。」
「佐藤、何が言いたい?」
「んー? 何やろね? 何が言いたいんでしょうね?」

わざとらしく含みのある言い方をする。不破が考え込んでしまう。
けれど、特別何かあるワケではない。ただ、シゲは素直になれなかっただけ。

「ホンマ、仲良く、元に戻って良かったやないの?」
「...」
「けど、渋沢も大変やな。『おあずけ』食らってるみたいで。」
「!!」

不破がシゲの腕を振り払う。ぎっと睨み付けてくる。

「克郎とは...そうではない!!」
「じゃあ、何なんや? 『克郎』は不破の何なんや?」
「...」
「ん?」

意地悪く聞いてくるシゲに、不破の瞳が潤み出した。

(よく泣くやっちゃな...)シゲが苦笑いする。

不破は口唇を噛み締めて、握り締めた拳を震わしている。血が滲むのではないかと思えるくらい、強く握り絞めている。シゲは溜息を吐くと、不破の拳をそっと緩めてやる。手に触れる時、不破の身体がぴくりと震えた。でも、それ以上は抵抗しなかった。

「わからない。」
「??」
「克郎のことより、オレはおまえのことがわからない。」
「不破?」
「どうしてオレにかまう? 何故だ?」

不破が深呼吸する。緩んだ瞳は、少し収まったようだった。シゲをじっと見つめてくる。

「何故だろう...」
「ん?」
「オレはおまえと一緒にいる時は、克郎の話はしたくない。」
「不破?」
「克郎のこと、考えたくない...忘れていたい。」


――――― おまえのことだけ考えていたい...


突然、シゲが不破の肩を勢い良く掴んだ。その拍子に不破の身体がよろめいて、校舎裏の壁にぶつかった。

「痛い...何をする...」

痛さで、不破の顔が歪んだ。壁際に押さえつけられているような格好になった。

「佐藤?」

不破がシゲを見上げる。シゲは黙っている。シゲの瞳が冷たい。

「佐藤!?」

もう一度叫ぶ。シゲがようやく口を開いた。

「どういうことや?」
「えっ?」
「忘れたいって、どういうことや!? 考えたくないって、どういうことや!?」
「佐藤?」
「オレと一緒にいる時は、なんて、一体、どういうつもりなんや!?」
「...」
「渋沢のこと忘れたいんか? 忘れさせて欲しいんか?」
「...」
「オレのこと、誘ってるんか?」
「!?」

シゲに押さえつけられたまま、不破の身体がびくりと震える。
咄嗟に頭を振る。動揺する。

「違う...」

絞り出すような不破の声。

「そうではない。ただ、オレは...」
「同じや。」
「佐藤...」
「オレからすれば同じことや!」

押さえつけられていた身体を、ぐいっと上に引き上げられた瞬間、不破の口唇にシゲのそれが重なってきた。
瞠目する不破。シゲが侵入してくる。絡み付かれて、息が出来なくなる。

「ん...!」

シゲの腕に爪を立てる。苦しくなって、涙が滲んでくる。
不破がシゲから逃げようと必死に抵抗する。藻掻く。けれど、容易にその腕から逃げられない。

「!!」

シゲの掌が不破のTシャツの中へと侵入してきた。脇腹を撫で上げ、上へと、胸の飾りへと指を滑らせてくる。

「いやだぁ!!」

思いっきり身を捩ったので、塞がれた口唇は離れることが出来た。しかし、シゲの愛撫は止めることが出来ない。
胸の飾りを弄られ、首筋をきつく吸われる。不破の身体が、がくがくと震え出す。立っていられなくなる。

「違う...違ぅ..駄目だ...さとぅ..あっ...あぁ...いやだぁ!!」


がりっ!


気味の悪い音が聞こえた。指先に嫌な感触。微かな、血の匂い。
はっとして、不破はシゲを見る。シゲのこめかみには、数本の引っ掻き傷。血が滲んでいる。

「あ...あぁ...」

震えが止まらなくなる。抵抗のあまり、咄嗟にシゲのこめかみを引っ掻いてしまったのだ。
シゲの愛撫の手が止まる。ゆっくりとシゲの身体が離れていく。支えを失って、不破の身体はその場へと、へたり込む。

かさり。

枯れ葉を踏む音。シゲが離れていく。行ってしまう!
けれども、追いかけることが出来なかった。声も出すことも出来なかった。
シゲの後ろ姿が遠ざかる。小さくなる。とうとう、涙で滲んだ視界から消えてしまった。
それでも、不破は動くことが出来なかった。立ち上がることが出来なかった。
ただひたすら、声も出さずに泣くだけだった。



「おかえり!大地!!...どうしたんだ!?」

玄関を開けて雪崩れ込むように入ると、渋沢の笑顔にぶつかった。けれども、すぐにその笑顔が曇った。

「大地、一体、何があったんだ!?」
「克郎...おまえこそ、どうして此処に?」

不破は辛うじて玄関の壁にもたれながら、渋沢のことを見上げる。渋沢が思わず出した手を振り払って。

「今日も...練習が早く終わったんだよ。だから、大地に美味しいものを食べさせてあげたくてね。」

毎日、ディリーサービスじゃ飽きるだろ?、と付け加えながら、渋沢が笑う。
渋沢の笑顔が眩しい。けれども、今はその笑顔が見たくない。一番、見たくない。
よろめきながら、不破がゆっくりと家の中へ入る。無言のまま、自室へと向かう。

「大地!? どうしたんだ? 疲れたにしては...!! 何かあったのか!?」

不破は答えない。そのまま部屋に入ってしまった。

「大地!?」

部屋のカギがかけられた。渋沢は不安になって、ドアを叩く。

「大地!? どうした...」
「ほっといてくれ!!」

拒絶。あからさまに厭がっている。何故? まさか...!?
渋沢の脳裏をかすめる金髪の彼。
咄嗟に、ドアを激しく叩く。

「開けなさい!!大地!!」
「イヤだ!!今はイヤだ!!...頼む、考えさせてくれ。時間をくれ...頼む...」
「大地...」

渋沢はドアを叩くのを止めた。
無理強いはしない。それが大地との約束だから。

「分かった...もうすぐ夕飯出来るから、それまでゆっくり休んでなさい。」
「...」

渋沢は、不破の部屋から離れて、またキッチンへと立った。
部屋に籠もった不破にも、その音が聞こえてきた。渋沢が離れてくれたことに、思わずほっとする。
何故? 克郎を拒む?
不破はドアにもたれながら、そのままずるずると床に身体を滑り落とした。
ぼんやりと部屋の天井をみつめ、自問する。けれども答えが出てこない。
佐藤茂樹。彼の立ち去る後ろ姿。苦しそうだった。悲しそうだった。声がかけられなかった。引き止めることも出来なかった。

だけど、自分だって傷ついたのだ。彼に無理矢理キスされた。それ以上のことも要求された。ショックだった。
でもそれ以上に、彼の顔にキズを付けたことの方が衝撃を受けた。
綺麗な彼の顔。大きなくるくる輝く瞳。すっと通った鼻筋。にかっと笑うと、小さな子供のように可愛いらしくて。

「佐藤...」

息苦しくなって、彼のことを呼んでみる。

「オレのこと、誘ってるんか?」

シゲの冷たい言葉が耳に残る。「違う!」そう否定しても、彼は認めてくれなかった。だから...。
(違う!そうではない!!...けれど、本当に違うのか? そうなのか? )
頭を振る。答えが出ない。自分はどうしてしまったのか? 彼に...佐藤茂樹に何を求めているのか?

「オレは...」

答えが出てこない。



今にも降り出しそうな空模様を見上げて、シゲは家路を急ぐ。
今日も、和尚に頼まれものされて、『使いっぱ』になっていたシゲだった。

(こなくそっ!って、ホンマ、オレって貧乏くじ引きやすいんやなぁ...)

シゲは小走りだが、かなりの速さで走っている。そんなシゲの背後から、真っ黒な雲が接近してくるのが見える。

(早よ、帰らんと! ホンマに降られるわぁ!)

猛然とダッシュをかける。いつもの公園を通り抜けようとした時、ばったりと出くわす。
今、会ったら一番気まずい思いをする相手に、だ。
一瞬の戸惑い。でも、声をかけない方がかえって気まずい。

「不破? どうしたん? こんなところで?」

とりあえず社交辞令みたいなものを喋ってみる。視線はあっち方向を向いたままで。

「あぁ、忘れ物があったので、それを取りに...」

不破もあさっての方向を見ている。

(やっぱりな...)

シゲは、がっくりする。不破が怒っている。当たり前だ。難癖つけて無理矢理キスしたのだから。

「さよか。」
「では。」
「あ、あのなぁ...」
「渋沢が、今日も来ている。」
「!?」
「今日も練習が早く終わったらしい。渋沢が待っているから...では、また。」

不破が立ち去ろうとする。咄嗟に、不破の腕を掴まえると、身体がピクリと震える。
抱きしめたくなる感情を必死に押さえる。だが、今はとりあえず...

「今日のこと、ごめん!」
「!!」
「すまなかった。反省しとる!」
「...」
「もう...しないから...」

捕まえた不破の腕を、シゲが離す。不破がシゲのことを振り返る。
寂しそうなシゲの笑顔。額にバンダナを巻いていて、それは、不破のつけた傷痕を隠すかのように思えた。
胸の真ん中がずきりと痛む。苦しくなる。

「あ、あぁ、いや、別に...」

不破は視線を落とすと、シゲのことを見ないで答える。
シゲのかすかな溜息が聞こえた。

「ほな、また明日。」

シゲが走り去る。はっとして、不破はシゲの腕を掴まえようとする。けれども、シゲの方が早かった。
不破の指をかすめて、走って行ってしまった。逃げてしまった。振り返りもしない。
取り残される不破。

(佐藤...!)

彼の名前を心の中で呼んでみる。これは一体...? 答えがまだ出ない。



「よっ!おかえりぃ!ご苦労さんだったな。」
「あっ!やっぱ、雨に降られたんだな? 風呂湧いてるぞ! 入っといで!」
「夕飯は? シゲの分は残っているから、安心しろ!」

口々に声をかけてくる兄(あに)さん達。
シゲは束の間の安らぎを覚える。家族がないシゲにとって、彼らが実の兄以上なのかもしれない。

「夕飯、要らない。風呂はあとで入るから...」

シゲは、帰宅途中、降り出した雨に濡れたままの身体で、自室へと戻っていった。
呆然とシゲの後ろ姿を見送った兄さん達。雨はまだ、しとしと、降り続いている。

「夕飯要らないって...どうしたんだ? シゲのヤツ??

不思議がる兄さん達。大飯食らいのシゲが、夕飯をいらないだと!?
かなりの珍事件だ。階下で騒ぎ立てる兄さん達の声を聞きながら、シゲは自室をドアを閉めた。
タオルで乱暴に髪を拭く。濡れた服を着替ると、そのままごろりと畳の上に寝転んだ。
ぼんやりと天上をみつめる。寺の瓦屋根にあたってはねる、規則正しい雨音が聞こえてくる。

「失恋...かなぁ...」

ぽつりと呟く。こんな気持ちになったのは、初めてだった。
今までにも、好きになった女の子は何人かいたし、実際に、ふられたことだってあるのに。
こんなに苦しくなったことはない。落ちこんだって一時的なものだった。
それとも、この気持ちも一時的なのか? すぐに忘れられるものなのか?

「忘れられるやろか...」

いますぐは無理でも、時間が経てば...。
ごろりと寝返りをうって、窓の外を見る。まだ、雨は止む気配がない。しとしと降り続く雨をみながら、ぼんやりと思い出す。
初めて会った時の不破の事。キスした時の事。渋沢に傷つけられてぼろぼろになった不破を介抱した時の事。
たった1週間分の出来事だった。けれども、シゲが今まで経験したことの無い出来事ばかりだった。
今まで知らなかった、こんな感情は。
最初に感じた『どきどき』は、いつのまにか苦しいものに変わってきていた。胸の奥深くが、きりきりと痛む。
今なら、渋沢の気持ちがよく分かる。

(あいつは、十数年間もこんな気持ちを抱えて、不破の傍にいたんやろな...)

ある意味、尊敬に値するヤツだ。たった一週間で、ギブアップする自分とでは、差が有り過ぎる。

(ギブアップ...って、なんやそれ?)

「負けへんでぇ」宣言を渋沢にしてから、まだ一週間。
あの時、本当は、負けると分かっていた。けど、絶対負けないという気持ちの方が強かった。
負けると分かっていても、闘いたかった。あの春の試合の時のように。
勝てるだろうか? 勝てないかも...いや、絶対、勝つ!! そう思って挑んだ、あの勝負。
お手上げだと思った瞬間、新太郎のサポートで、死ぬ気になって、ボールをゴールへと蹴り入れたあの時。
めちゃくちゃ、楽しかった。どきどきした。わくわくした。
あの試合は偶然勝ったようなもの。もう一度、試合したら絶対負ける。
けど、負けると分かっていても、闘う。勝ちたいと思う。望みがゼロだとしても。自分に負けたくないから。
むくりと身体を起こして、シゲは窓を開ける。まだ、雨は降っているけど、空が明るくなってきた。多分、もうすぐこの雨は止む。

「よし。」

まだや。まだ終了のホイッスは鳴っていない。
まだ闘える、まだ...。


けれど、すぐに止むと思った雨は、その後、丸二日間も降り続いてしまった。



FIN



☆ ―――――――――― ☆

あとがき

自分で書いていて、その...昼メロっぽいなぁ、って笑っちゃいました。
ダンナがいるのに他に男を作っちゃう、っていうおきまりのドラマっぽいカンジがして...うぅ、情けない。
不破の心情と、シゲの心情をもっと絡ませて書きたかったのですが、文才の無さ故、これ以上書けないんです。
でもって、まだ続きます、この話。こんなもん続けるなよ〜!って、自分で自分を叱りながら、次回こそはちゃんと書くぞ! などと
出来もしない誓いを立てて、今日はもう寝ます。(_ _)...ZZZ...

読んで頂いて、有り難うございました。

☆ ―――――――――― ☆

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