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日曜日の夕方、街の中はかえって人通りが少なくなる。それは、何故か? まず、明日は月曜日である(これは当然)。 ということは、明日からまた、学校や会社がある、ということだ。つまり、遅くならない程度に、家に帰り、明日の準備する必要がある。さらに、土曜日から日曜日にかけて、それなり遊んだわけであるから、大人しく帰るのが得策である。 金も体力も、使ったのだから、明日に備えて、休養することも必要だ。 しかし。 今夜は、何故か、賑やかだった。 夕方、7時を過ぎたにも関わらず、街の中は、浮き足だっている。 何故だ? 不破大地は、駅に向かいながら、得意の考察を始めていた。 クリスマスや年末大晦日ほどではないが、街のイルミネーションが眩しい。人混みも、いつもより多い。 何気なく、デパートのショーウィンドウを見れば、其処に飾られているオブジェは、ピンクのハートばかり。 「???」 立ち止まって、それをしげしげと眺めていると、後ろから、ぽんと肩を叩かれた。 振り返れば、其処には、見覚えのある少女が数名。その中の一人が、風祭によく似た笑顔で話しかけてきた。 「こんばんは!不破先輩! 何、見てるんですか?」 彼女の問いかけに、不破が、目をぱくちりしていると、 「まっさか、不破センセーが、今日は何の日か、知らないなんて、事はないはよねぇ!!」 もう一人の少女が、口を開いた。 「小島に...桜井か?」 桜上水女子サッカー部。まだ5名しかいないが、彼女たちは、毎日、不破たちに混ざって練習をしている。 そのメンツが全員揃って、こんな時間に何をしているというのか? 「おまえ達、こんな時間に、何をしている?」 口煩い生活指導の教師のような口調で、不破が喋ると、桜井がにこにこ笑い出した。 「明日の準備をしていたんです! それが終わって、これから帰るところなんです!!」 「明日の準備???」 不破が怪訝そうな声をだすと、上條が腕を組んで、ぐいっと近づいてきた。 「あんたみたいなヤツでも、貰えるから、有り難く思いなさいよね!!」 上條に言い寄られて、不破は仰け反りながら、「?」顔でいると、小島が溜息まじりに囁いた。 「あんた、バレンタインって知らないの?」 「バレンタイン...」 オウムのように呟いて、不破はきょとんとしている。しかし、視界の中に入ってきた、デパートの電光掲示板が映し出す、その日付に気がついて、思わず、ポンと手を叩く。 「なるほど! そうか、それで、今夜は騒がしいのか!」 がっくりと、肩を落とす女子サッカー部員たち。こういった行事に疎い不破に、呆れ返る。しかし、この方がかえって不破らしいと思えて、彼女たちは、一斉に笑い出した。 「何が可笑しい?」 不破が腕を組んで、彼女たちにそう言った。首を傾げて、むっとする顔は、意外と可愛いらしく見える。 彼女たちは、ますます笑った。はしが転げても可笑しい年頃、とは、よく言ったものだ。 「不破らしいよね!」 「むっ?」 小島に指さされて、不破はますますむっとしている。 「明日、楽しみにしてなって、ねっ!」 「楽しみ? 何をだ?」 ますます、不破は怪訝そうな顔をする。 だが、彼女たちは、いっこう喋ってくれない。笑っているだけである。 その時だった。 「ねぇ!、やっぱり、用意する?」 小島たちの背後から、急に声が聞こえたので、不破だけはなく小島たちも驚いて振り返った。 往来の人混みの中、小島たちのうしろを通りかかった、二人の女性の話し声であった。 見た目、若いOL風の女性である。彼女たちは、辺り構わず、大きな声で会話をしながら歩いている。 「そうね、ウチの課ばっかり、あげてたら、隣の課の男どもが煩そうよね」 「隣の課って、男の人ばかりで、女の人いないからね。やっぱ、いちおーあげとく?」 「うん、用意しておこうか。どーせ『義理チョコ』だから、お徳用袋のチョコでもいいんじゃない?」 「なんか可哀相。でも、まっ、いいか? 気持ちよね、気持ち! 『いつも、お世話になってます!』ってとこかな?」 「そーそー、それに、大袋のチョコなら、自分たちも食べれるしぃ!」 二人の会話を、黙って聞いていた、不破と小島たち。騒々しい彼女たちが通り過ぎると、突然、不破がポンと手を叩いた。 「そうか! 『義理チョコ』のことか!」 「「「「「はぁっ?」」」」」 小島たちは一斉に、素っ頓狂な声を上げた。しかし、目の前の男は、顎に手をあてて、一人こくこくと頷いている。 「納得できた?」 小島が呆れながら、不破に話しかけると、「あぁ、理解した」と、満足げな表情だった。小島は盛大な溜息を一つ吐くと、 「あのねぇ、男子、全員分、用意するのって、ホント大変だったんだからね! ようやく、これから私たち、家に帰って、本命の分、用意するのに取りかかるのよ! だから、あんたも、へ理屈こねないで、明日、黙って受け取りなさいよね!!」 「へ理屈?」 「そっ! あんたの場合、何かにつけて、一言も二言も、三言も、多いんだから!!」 「むっ?」 (そういう小島の方が、多いと思うのだが)と、言いかけた口を、不破は閉じた。 彼女と口論(?)しても負けるはずない不破であるが、隣に控えている女子たち全員を敵に回してまで、言い争う気は起きなかった。不破も、それなりに処世術を身につけはじめているようである。 「さっ、帰ろっか?」 小島の合図で、桜井たち1年生は、「失礼します」と礼儀正しく、不破にペコリと頭を下げた。 「じゃあねぇ!!」 不破に手を振って、彼女たちはその場を立ち去っていった。 のこされたのは不破ひとり。彼女たちを見送りながら、さかんに考察を開始した。 考察のキーワードは、『義理チョコ』、『いつも、お世話になってます!』。 「バレンタイン、か...」 この行事の意味を知らない、不破ではない。但し、これが今のご時世に適しているのか、疑問である。 単純に、菓子メーカーの策略ではないか?、と思っていたからだ。正直に言えば、くだらない、この一言に尽きる。 「ふむ?」 だが、人混みに目を向ければ、其処には、集団の女性達、もしくは、不破とそれ程変わらない年頃の男女二人組が連れだって歩いている。不破は、咄嗟に、がりがりと頭を掻く。 彼らの心理が理解できない。 だが、不破とて、10代の少年である。 この浮き足立つ、街の雰囲気に、何となく気持ちが落ち着かない。 「あっ、すみません」 往来の中で、ぼんやり立っていた不破は、通行人の邪魔らしい。 誰かの肩がぶつかって、不破が手にしていたものが、かたっと地面に倒れた。 不破にぶつかってきた相手は、其れを拾い上げて、手渡してくれた。 「あっ、どうも」 ぶっきらぼうながらも、不破が答えると、相手の男性は苦笑している。(良い天気なのに、どうして、こんなもの、持ってるのかな、この子は?)、彼の目は、そう言ってるようだった。 渡された其れを、不破は手にすると、もう一度、駅へと足を向けた。そうだ、今から、これを返しに行くところだったのだ。不破は、ようやく、自分の目的とやらを思い出していた。 スタスタと歩いていると、何の宣伝だろうか、『ウサギ』の着ぐるみに出会った。看板を背中に背負い込んで、道行く人達に、誰かまわずチョコレートを配っている。通り過ぎようとした不破の目の前にも、「はい!」と其れを差し出した。 躊躇いながらも、不破は其れを受け取った。 「ふむ?」 歩きながら、其れを観察する。ピンク色の銀紙に包まれたハート型のチョコレート。そして、宣伝用のメッセージカード。どうやら、駅前のケーキ屋の宣伝らしい。 『♪大好きなあの人へ、心をこめて などと、面白くもない宣伝文句が書かれている。 「う〜む」 歩きながら、思いっきり首を捻る。そして、「『ありがとう』か...」とポツリと呟いた。 右手にチョコレート、左手には、今日の天気に不似合いなモノ。 「よし」 突然、不破は、何を思ったのか、駅へと猛然とダッシュした、道行く人達の間をすり抜けて。そして、駅を目前にして、急ブレーキをかけると、その場で不破は、珍しく、深呼吸する。辺りをきょろきょろと、見渡している。顔見知りに、見られることを、怖がるような仕種だった。どうやら不破は、何か、やらかそうとしているらしい。軽く、咳払いをして、不破は、そっと、とある店の中へと入っていった。不破には、全く不似合いな場所。それでも、不破は意を決して、入っていった。もし、知り合いにでも見つかったら、間違いなく、笑われることを、覚悟しながら。 「早かったな」 「み、三上?」 部屋へ入った渋沢は、三上が在室していることに驚いたように目を見開いた。 「なぁんだよ! その顔は! オレがいちゃあ、まずかったのかよ!」 「い、いや、その...今日は日曜日だから、てっきり出掛けているのかと...」 此処は、武蔵野森の寮内。渋沢克郎と三上亮は、同級生でもあり、寮では同室でもある。さらに、サッカー部に所属して、共に、去年の夏まではレギュラーとして頑張っていた。だが、二人の、同じサイクルでの生活は、其処までだった。今では卒業を控え、サッカー部は引退。三上は、進学するまでの期間を後輩の指導、そして渋沢は、東京都選抜で多忙な日々を送っている。都選抜に、三上は選ばれなかった。親友の気持ちを思いやれば、渋沢は、都選抜の話を、できるだけ避けるようにしている。 今日は、その都選抜が、韓国へ遠征して、帰国したきた日である。出発前、三上に「留守を頼む」と挨拶した時、彼は渋沢に、背を向けていた。「気をつけてな」と、たった一言だけ呟いて。受けた傷は、未だに、癒えてないのかもしれない。自分が選ばれなかったことに、武蔵野森の10番を背負っていた彼だからこそ、そのプライドにつけられた傷は、深い。 しかし、今、こうして目の前にいる彼は、ベットに寝転んで、ゆったりとくつろいでいる。 「どうだった? 遠征は?」 「あ? あぁ、引き分けだったよ」 「ふ〜ん、やっぱ、そう簡単に勝たせて貰えなかったか?」 「あぁ、強かった。予想以上に」 「へぇ、そっか」 三上はひろげた雑誌を見ながら、渋沢に話しかけてくる。三上らしい、いつもの無愛想な口調。その態度が、出発前とは全然違う。刺々しさがない。落ち着きを取り戻している。 (何故だ? 何があったんだ?) 渋沢は、拍子抜けしてしまった。まるで憑き物が落ちてしまったかのような三上に、かえって渋沢は戸惑っている。 とりあえず、机の上にカバンを置こうとして、ふと、イスの上に大きな紙袋が乗せられていることに、気がついた。不思議そうに、袋の中身を覗き込めば、その中には、色とりどりにラッピングされた箱が沢山詰まっていた。カレンダーを見て、渋沢は、はっと気がついた。そうか、今日は...、呆然としている渋沢の背中に、 「そんだけ預かるのに、一日かかりだぜ」 「えっ?」 三上が顔をあげて、渋沢のことをじっと見ていた。 「おまえに渡して下さい、って、そりゃしつこいくらい、あっちこっちから来て、面倒くせぇったらなかったぜ!」 「あっ、それは、どーも」 鼻息荒い三上に、渋沢は苦笑いして答える。そして、三上の机の上にも、大きな紙袋がのせられていることに、やれやれといった顔をした。おそらく、渋沢と同じ中身だろう。二人合わせると、チョコレート売場並みの品揃え、かもしれない。毎年恒例行事とはいえ、こんな貰っても、と渋沢は眉を顰める。甘いモノは嫌いではないが...渋沢は、盛大に溜息を吐いた。 「オレのも、やるよ」 「へっ!?」 三上は寝転んだ体勢のまま、頬杖をつきながら、自分の机の上の紙袋を指さした。渋沢に、自分が貰ったチョコレートをやる、と言っているのだ。 「いや、その」 「おまえ、甘いもの、好きだろーが? 遠慮なく、受け取れ」 「ははははは...」 三上は甘いモノが大嫌いである。三上ファンなら誰でも知っていることだが、今日はバレンタインである。当然、贈られてくるものは、チョコレート。中には気を遣って、別なものが混じっていることもあるが、やはりチョコレートが断然多い。渋沢とて、これほどの量は、さばききれないのに、三上にとっては、嫌がらせ以外の、何ものでもないらしい。従って、三上は、絶対、チョコレートは食べないのだ。 (どうする? 他の連中にもやるか?) 全国にその名を轟かす、武蔵野森サッカー部。つまり、全国に、自分たちのファンがいるのだ。ということは、他の連中も、量に差こそあれど、おそらく渋沢同様、チョコレート攻めにあって、持て余しているだろう。 「う〜ん」 渋沢は顎に手をあて、考え込む。 「得意の、料理でも、菓子でも、何にでも、使えばいいだろーがぁ?」 三上が雑誌をめくりがら、ふてくされたように喋る。 「えっ? 料理って...作ったら、三上、食べてくれるのか?」 「...おまえ、殺されたいのか?」 「いや、遠慮しておく」 以前と変わらない三上の態度に、渋沢は苦笑いしながらも、自然と顔がほころんでくる。 良かった、親友が元通りに戻ってくれて。渋沢はカバンの中身を整理しだしていると、 「三上先輩!」 勢い良く、部屋のドアが開かれた。顔を覗かせたのは、笠井竹巳。真っ黒い髪に、真っ黒い瞳。悪戯好きの猫のようだ。 「お客さんですよ! 喜んで...うわぁっ!!」 笠井が大きな声をあげて驚いていたので、三上も渋沢も、きょとんとしている。 「し、渋沢先輩! どうして此処に!?」 どうやら、渋沢がいた事に、驚いたらしい。何をそんなに、驚くことがあろうか? 此処は、渋沢の部屋でもあるのだから。 「いま、帰ってきたところなんだが...あぁ、藤代は、ちょっと寄り道すると言ってたな。もうじき帰ってくるだろう 」 笠井と藤代誠二は、同室である。藤代も、渋沢と同じ、都選抜のメンバーに選ばれた。一緒に韓国へ、遠征に行っていたのだ。その藤代が、まだ帰ってこない。笠井としては、渋沢もまだ帰っていないだろう、そう思っていたのかもしれない。しかし...それにしては、この驚きかたは不自然だ。 「お客さんって、三上にか?」 訝しいと思いながらも、渋沢は、いつものキャプテンスマイルで、笠井に訊ねる。笠井は、 「あっ! そうです!! そうなんですけどぉ...」 と、何故か、口籠もっている。 「誰だよ、こんな時間に。また、くだらねぇヤツじゃ、ないだろうな?」 「ち、ちがいますよ! 今度は...あっ、その...」 ベットから起きあがって睨み付ける三上に、笠井はしどろもどろである。ますます、様子がヘンだ。 渋沢が軽く眉を顰めていると、急に、三上が立ち上がった。 「玄関か?」 ぶっきらぼうに、三上が聞くと、笠井は、「あっ! それがその...」と、今にも泣き出しそうな顔をする。 三上が、何かピンときたらしい。「おい! まさか!!」、笠井を突き飛ばして、部屋を出ようと、ドアを全開した。 しかし..三上は部屋から出ることは出来なかった。笠井の影に隠れるように、半開きだったドアに隠れるように、其処に立っていた人物に気がついて、三上の足は、止まってしまったのだ。 「不破くんっ!!」 その三上の背後から聞こえてきた、象の雄叫び...いや、渋沢の声に、三上の前に立つ不破が、驚いて目を見開いた。 不破の横にいる笠井は、おろおろしている。三上は、といえば、不破を見つめながら、背筋に走る、恐ろしいほどの寒気に、軽い目眩を起こしかけていた。 「どうしたんだい? こんな時間に」 満面の笑顔で近づいてくる渋沢に、不破は「渋沢、帰っていたのか?」と、笠井と似たような驚きを示した。 やはり、渋沢の帰国を知らなかったようだ。さかんに目を、ぱしぱしと瞬きしている。 「この時間には、帰ってくる予定だったんだけどね」 「そうか、では風祭や水野も、帰ってきている頃だな」 「うん、多分ね、藤代と違って、寄り道なんてしてないだろうから」 三上の肩越しに、渋沢は不破と会話をする。今にも、「三上、邪魔だ」と言わんばかりに、渋沢は不破への接近を計っているのだ。三上にも、それが分かる。渋沢の、やや殺気立つ気配に、今度は額から、冷や汗が流れ落ちそうだった。 しかし、だ。 三上も、不破のそばから、離れる気はない。こうして、不破から訊ねてきてくれたのだから。 そう、不破の方から...三上は、はっとする。 「おい! 何で、来るんだよ!!」 突然、三上に怒鳴られて、不破は数回、瞬きを繰り返した。そして、不破には珍しく、妙におどおどしながら、三上の前に、腕に引っかけていた其れを、差し出した。 「先週の日曜日、借りたものだ」 「あん?」 「昨日、持ってくるのを忘れたから。明日は月曜日だ、学校がある。此処には、来れない。そうしたら、来週の休みまで、また、三上に会えない。だから、今日、返しに来た」 「...」 「今日は、三上が用事があると言っていたから、昼間はダメだと思った。けれど、夜なら逢えるかも知れないと思って、来たのだ。」 「コレを返しに、わざわざ、か?」 不破は、こくりと頷いた。不破が差しだすものを、三上は震える指先で指し示す。 それは『傘』だった。先週末、突然、降り出した雨に、困っていた不破に、貸してやったものだった。 不破は、『はとこ』の家からの帰り道だった。詳しい場所は、その『はとこ』から口止めされていて、教えて貰えなかったが、武蔵野森の近くに、あるらしい。其処からの帰る途中、降り出した雨を凌ごうとして、不破が雨宿りしていたのが、武蔵野森の寮だった。こっそり、隠れるようにいたから、寮内にいた人間には見つからなかった。 その時、偶然、帰寮してきた、三上に見つかるまでは。 親友の想い人。 三上にとっての、不破の印象は、それしかない。 他校生の彼とは逢う時間が少ない分、渋沢が、それはそれは、毎日のように煩く、携帯電話で喋っている相手。 もっとも、不破は、渋沢の想いなど、全く知らないようだった。 図体のでかさに比べると、随分と、小心者の恋、といった、ところだろうか? 渋沢のことを、そう言って、三上は時折からかうが、「まだ、時期が早いから」と、これまた、余裕を見せる辺りが、憎たらしい。 「そんな事、言ってると、横からかっさらわれるぜ?」と、悪態をついてやったが、渋沢には堪えなかった。 余程、自信があるらしい。 薄暗闇の、雨の中。水滴を纏って佇んでいる、不破の姿には、三上も息を呑んだ。 確かに、渋沢が『熱』をあげるのも、無理はない、のだと。 不破は三上を一瞥しただけ、すぐに、その横顔を、空へと向けた。雨は、まだ止む気配がない。 三上は、傘をたたんで、数回、水滴をはらうように、傘を振り上げた。地面に、ぴしゃぴしゃと、水滴が落ちていく。 「おい」 「ん?」 不破の目の前に、三上から差し出される其れを、不破はきょとんと見ている。そして、次には、三上の顔を、ぱっと見あげる。繰り返される瞬き。不破は、驚いている。 「貸してやるってんだよ」 怒っているような三上の声に、不破は、ますます瞬きを、忙しく繰り返す。その表情が可笑しくて、可愛いらしくて、三上の口元が、ふと緩んだ。 「それとも、渋沢のこと、待ってるのか? だったら、今日は、選抜の練習で、帰ってくるのは、もっと遅くなるぜ」 「いや、違う。渋沢とは、逢う約束はしていない。それに、渋沢が選抜に行っている事は知っている。此処には、雨宿りをしているだけだ。」 「だったら、其れ、貸してやる。トットと、帰れ。風邪、引かねーうちに」 不破は思案顔だ。三上が差し出す傘を、凝視しながら、ぽつりと呟いた。 「返しに来れるのは、来週になってしまうぞ? それでも大丈夫なのか?」 三上がくすりと笑った。 「他にもあるから、大丈夫だ。ヘンな気をまわすなよ」 「そうか、では、借りていくことにしよう。すまないな、三上」 そう言って、不破は三上から傘を受け取った。 「では、また、来週」 「あぁ、またな」 思えば、妙な約束だった。渋沢抜きで、不破と会話をしたことが無かった三上だった。 それが、次に逢う約束をしてしまったのだから、実に不思議な約束だったのだ。 次の週末。つまり昨日。不破は三上を訪ねてやってきた。ところが、彼は、意外とぬけている一面があるようだ。傘を返しに来たはずの、その傘を忘れてきたのだ。不破は、慌てて引き返そうとした。しかし、三上がそれをとめた。 「まだ、使わない」とか、何だとか、せっかく訪れてきた不破を返すのを、三上はためらったのだ。 何故、ためらったのか、三上は自分でも不思議だった。それに、無愛想な自分が、不破に傘を貸した事自体も珍しかった。 (渋沢の病気がうつったか?)、三上は苦笑いした。だが、今週末は、その同室者が遠征でいない。これなら気楽にくつろげる。 特に何をすることもなく、二人はゆったりと此処で過ごした。雑誌を読んだり、近況を話したりと、他愛もないことで時間を潰したのだ。しかし、それが、三上には、不思議なほど、心にゆとりをもたらした。 不破が持つ不思議な空気が、乾いた三上の心の中に、じわりじわりと潤いを与えていたのだった。 こうして、三上は渋沢に内緒で、彼の想い人と、誰に邪魔されることもなく、週末の時間を過ごしたのだ。 だが、渋沢に、いや、彼だけではない、藤代にだって、不破を独り占めにしていたなどと、バレたら、恐ろしいことになる。こっそり、不破を帰そうとした時、偶然、玄関で笠井に出会ってしまった。驚く笠井に、「この事は、誰にも黙っていろ」と、三上は慌てて耳打ちした。 三上としては、かなり凄んで見せたのだが、笠井は瞳をぱぁっと見開くと、にこにこ笑い出した。 そして、「だいじょーぶです! 渋沢先輩にも、藤代にも言いませんから!」と、小声で囁き返すと、さらに笠井は、両手の拳をぐっと握りしめて、三上にこういった。 「三上先輩の、そんなトコ、見たの初めてです! 応援しますからね! 頑張って下さい!」と。 思いっきり誤解されたような気がしたが、あたらずとも遠からず、である。 協力者の一人や二人、いないと、これから先、大変かもしれない。 其処まで考えて、三上は、頭をがりがり掻いた。 横から、かっさらうのは、自分かもしれない、と。 「急に来て、悪かった。コレが返せれば良いと思っていたのだが、いきなり訊ねてきて、本当にすまなかった。」 不破は傘を三上に、ぐいっと差し出す。条件反射か、三上は其れを黙って受け取った。三上に手渡すことが出来て、ほっとしたらしい。不破が、微かに笑った。 「昨日は、楽しかった。三上と一日、過ごせて良かったと思う。三上とは、ゆっくり話したことがなかったから、とても有意義だった」 不破は、軽く吐息を漏らした。 「渋沢の、言っていたとおりだと思った」 「えっ?」 渋沢が、軽く声を上げた。しかし、不破は三上を、見つめている。 「三上は、本当に良いヤツだな。言葉遣いが悪いから、誤解されやすいと聞いたが、それは照れ隠しであろう? 本当のおまえは、とても優しくて...とても好きだ」 不破の頬が、微かに赤くなったように見えた。これは、もしかして、告白というヤツだろうか? もし、三上が、天然お子様の藤代のような性格の持ち主だったら、この状況では、ガッツポーズしまくって、小躍りしていたかもしれない。だが、三上の性格では、それは到底、出来ない事だった。しかしながら、内心は、これに近いことを、三上はやっていたのだ。今まで、いろいろな相手から様々な告白をされてきたが、不破から言われた事が、一番、嬉しかった。 そして、気がつく。すでに、自分は、落ちていたのだと、いうことを。 しかし。 三上は、同時に気がついていた。 背筋が凍り付くような、鋭い視線に。 三上の背中に、其れは投げかけられていて、あまりの恐ろしさに、三上は身動きが出来ない。 人を視線で殺すことが出来るなら、今まさに、三上は渋沢に殺された。それも、メッタ殺し、というものであろうか? 不破の横に立っている笠井も、同様である。つまり、笠井も同罪。 顔面蒼白で、口をぱくぱくさせている笠井と、同じく真っ青な顔で、黙り込んでいる三上。 二人の顔を交互に見ながら、不破は不思議そうにしていたが、急に何を思いだしたのか、そわそわと落ち着かない表情になった。そして、 「三上、その...」 ためらいがちに、不破は、ポケットから小さな包みを取りだした。黒っぽい包み紙に、銀色で文字が書かれている。さらに、銀色のリボンがかけられていて、其処には、小さなカードが挟んである。 「世話になったから、その...ありがとう」 差し出された、その包みは、明らかに...バレンタインチョコレートである。 カードには、「三上へ ありがとう」と、たった一言だが、綺麗な文字で書かれていた。 不破としては、傘を借りた礼のつもりなのだろう。しかし、男から男へ、つまり同性へ渡すなど、バレンタインの主旨に反している。それを知らない不破ではないが、偶然、此処へ来る途中の出来事が、不破の、この突飛な行動を引き起こしのだ。 『義理チョコ』 『いつも、お世話になってます』 『お世話になっているあの人へ、ありがとうの気持ちをこめて』 これらのキーワードを、不破は思いっきり、取り違えてしまったようだ。やはり、天然ボケだ、それも、筋金いりの。 肝心の『大好きなあの人へ、心をこめて』『本命』だけが、欠落している。これに気がついていれば、これほど、オマヌケな事を、しでかさなかっただろう。 「三上?」 左手に、チョコの包みを持ちながら、右手で、くいくいっと、三上の腕を軽く引っぱる。やや上目遣いの、不破の視線。 夏の頃は、不破の方が、三上より背は高かった。それが、ここ数ヶ月の間で、三上の方が僅かながらも、不破の身長を追い越していた。見上げるほどの身長差ではないものの、首を傾げている不破にとっては、三上のことを見るのに、自然と、上目遣いになる。その仕種は、三上でなくとも可愛いと思ってしまう。ましてや、三上の背後から、この光景を睨み付けている、渋沢からすれば...。 可愛い、可愛い、自分の想い人。大切にしてきたのに、大事に守ってきたのに。 まだ、何も伝えていないのに...呆気なく、横取りされた、それも、自分の親友に。 選抜落ちして、さぞかし傷ついただろうと、心配してやっていたのに、これは一体、どういうことだ?、三上。 渋沢の殺気を孕んだ気配に、三上は振り返るところか、動けない。せっかく、不破が、自分にチョコレートを持ってきてくれたのに、三上は指一本、動かすことができない。 不破が軽く息を吐いた。 「やはり『義理チョコ』でも、オレからでは、受け取れないか」 「!?」 「すまない、何か礼をしたかったのだが...気を悪くさせて、すまなかった」 三上のトレーナの袖を、掴んでいた不破の右手が、離れようとした時、 「三上?」 三上の右手が、不破の右手を掴んだ。その手を、きつく握りしめた。驚く不破に、三上は何も言わない。言えない。 これが精一杯だったからだ。背後に控えた、親友が投げつけてくる殺気の中で、三上には、これが精一杯の行動だった。 もし、渋沢がいなければ、「オレは甘いモノが嫌いなんだよ、このタコ!」とでも言って、不破の背中に、軽くケリの一つのいれただろう。そして、「嫌いだけど、せっかくだから、受け取ってやるよ! 有り難く思え!!」と、これまた、かわいげのない台詞を吐いていただろう。不破の言うように、照れ隠しをしながら。 しかし、今は、しっかりと渋沢が、この一部始終を見ているのだ。下手な事は出来ない。いや、もうすでに、渋沢にはバレバレなのだが、それでも、(どーすりゃいいんだ!)と、三上は、不破の手を握りしめながら、必死に、頭をフル回転させている。今更、言い訳など出来ないが、三上だって、渋沢にゆずる気など、さらさら持っていないのだから。 その時だった。 「そう、『義理チョコ』なんだ?」 「ん?」 チョコの包みを持った、不破の左手をそっと掴んだのは、渋沢の大きな掌だった。 これには、不破だけではなく、三上も驚いた。笠井は、部屋の壁に、ぺたりと背中をつけて、じっと様子を伺っている。 「不破くん、今日がバレンタインだって、知ってるんだよね?」 「あぁ、だから、コレを買ってきたのだが」 「何処で?」 「うっ...駅前のケーキ屋で...」 「くすくす...もしかして、物凄く恥ずかしくなかった?」 「...あぁ、かなり...」 「じゃあ、バレンタインの意味は当然、知っているよね?」 不破は、こくこくと頷いた。身長180cmを越えている渋沢が相手では、不破の視線は、当然、上目遣いになる。 何とも可愛いらしいものである。渋沢の瞳が、より一層細められた。しかし、その瞳の中に、とんでもないドス黒い影が潜んでいることに、不破は気がついていない。呆れるほど、純粋なのだ、不破は。 「いくら、『義理チョコ』でも、不破くんから三上に渡すのは、ちょっと...ねっ?」 「あぁ、やはり、可笑しい事か?」 「うん、けど、気持ちだからね。それに、三上は、甘いモノが好きだから、丁度いいんじゃないかな?」 なんですと? 今、なんと仰いましたか? 渋沢さん...? 三上の瞳が、これでもかと、見開かれた。何を突然、言い出すのか、この男は!? 三上が、甘いモノが大嫌い、ということは、武蔵野森でも有名な事である。まさか、渋沢、おまえってヤツは...。 「当然、受け取るし、それに、綺麗に残さず、食べれるよな?」 にっこりと、三上に微笑む渋沢。その笑顔は、いつものキャプテンスマイル。しかし、三上には、背中に生えた白い翼の影に、真っ黒いシッポが、つまり、さきっぽに尖った三角形がくっついた、悪魔のしっぽが、動いているのが見えた。顔面蒼白の三上に、渋沢はさらに追い打ちをかける。 「そうそう!実は、他にも貰ったチョコレートが、沢山あってね。これから、三上に食べて貰おうと思っていたんだよ!」 そう言って、渋沢は、もう片方の手で、机の上を指さした。其処には、いつの間にか、大きな紙袋が二つ。 つまり、三上と渋沢が、貰ったチョコレートの山である。 「あんなに、か?」 不破が驚いて、目を何回も、ぱちくりさせる。 「うん! さすがに、今日中には食べきれないから、不破くんも良かったら、どう?」 「いや、それは...」 「遠慮しないで! 貰いものだけど、三上ひとりじゃ、食べきれないから!」 (おまえ一人だって、食べきれないだろうが...) 甘いモノ好きの渋沢だって、うんざりしていた程の量である。 これを、オレに食べさせるのか? それも、不破の目の前で!? がっくりと項垂れる三上。やはり、コイツは腹黒いヤツだった。 まさか、このような『暴挙』に出てくるとは!? 「さっ! どうぞ!!」 不破と三上、さらに笠井まで、部屋の真ん中にしつらえてあるテーブルに丸く座らせると、渋沢は手際よく、三人の前に、湯気の立つカップを置いた。中身は、ホットココアだった。それも、砂糖がしこたま入った、激甘である。 せめて、ブラックか水にしてもらえないだろうか?、などと、言えるはずもなく、三上の前には、さらに、チョコレートの包みが並べられていく。 「三上? どうした? 顔が青いゾ?」 三上の隣に座っている不破が、また、くいくいっと、三上のトレーナの袖を引っぱる。 「本当は、チョコレートが苦手なのではないのか? だったら...」 そう言って不破は、三上が手にしている、自分が持ってきたチョコレートの箱を、取ろうとする。だが、三上がそれを拒んだ。不破の手を、逆に引っぱり返したので、不破の身体は三上の肩口に、そっと寄り添うような格好になってしまった。 (三上、貴様というヤツは...) 殺気立つ怒りのオーラを大噴出させている渋沢に、いっこうに気付く気配のない不破。 「三上? どうした? 三上?」 と、不破は三上しか見ていない。三上の名前しか呼ばない。 さすがに、三上も腹を決めたようである。 「食う! 食ってやるよ!! おまえがくれたモン、ちゃんと全部、食ってやる!!」 (エライ! 三上先輩!!)と、内心、大喝采の笠井であったが、すぐさま、10億万光年の彼方に吹っ飛ばされてしまった。怒り狂った巨大ナウマンゾウの、血走った眼光は、笠井を簡単に吹き飛ばす程の、凄まじい威力があったのだ。 「三上、ムリするな! 三上、三上!!」 不破は、三上を止めようと懸命だ。その横顔が、あまりにも健気で、可愛いらしくもある。渋沢の劣情をそそるには十分すぎたが、その瞳が向けられているのは、三上だ。気に入らない。ますますもって、腹立たしい。しかも、自分の留守中に、こそこそ隠れて逢っていたなど、言語道断である。 食えるものなら、食ってみろ!、と言わんばかりの、渋沢。 もう、こうなったら、何でも来い!、とヤケくその、三上。 ど、どうしたら、いいんですかぁ!?、と半泣きの、笠井。 果たして、三上は全部、食べることができたのだろうか? 翌日、三上は学校を休んだ。理由は病欠。吐き気がヒドイから。 これから推測するに、愛しい人を前に、相当、意固地になっていたようである。 何はともあれ....Happy Valentine Day!! おしまい ☆ ―――――――――― ☆ あとがき かなり強引(苦笑)。不破が三上に手渡すとき、三上の背後からひしひしと伝わってくる渋沢の殺気、それが書きたかっただけでした。不破にしてみれば、渋沢が見えているハズなんですけどね。恋は盲目?(爆笑)、全然、気付かないようです。途中で、右手は三上、左手は渋沢に、掴まれている不破の姿は、結構、自分なりに気に入ってます。 やっぱ、ウチの渋沢って、横取りされちゃう、ちょっとヌケてる人みたいです(殴)。 此処では、三上に、トレセンでは、シゲに...と、まぁ、いつになったら、彼は不破を手中におさめる事ができるのでしょうか? いやはや、道は険しいようです。 くだらない作品でした(恥)。しかも、バレンタインはとっくに過ぎてる!? でも、楽しんで貰えたら、幸いです。(感謝!!) 最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。 date:2002.02.16 ☆ ―――――――――― ☆ |