君が好き



もしもまだ願いが一つ叶うとしたら...そんな空想を広げて見上げた東京の夜空には、濁った月が浮かんでいた。

「今晩、泊めてもらえないだろうか?」

突然の彼からの電話に、嬉しさと戸惑いと...それでも二つ返事で、渋沢は答えた。そして、今、渋沢の傍らには彼がいる。同じように、月をぼんやりと見上げる彼の横顔。其れを、盗み見ながら、渋沢は軽い溜息を吐いた。

あの男と何かあったのだろう。

それくらいは、すぐに察しがつく。そうでなければ、此処に来るはずがない、渋沢の部屋に来るはずが...。
彼の長い睫毛が微かに揺れて、その瞳の中に、悲しみの色が見え隠れしている。

今なら、多分...。

渋沢は手にした缶コーヒーを一口、飲んだ。今なら、彼を口説き落とせるかもしれない、そんな邪な想いに、渋沢は内心、苦笑いをしていた。虚しい想いだ、空回り続ける、哀れな自分。それでも、それでも....君が好きだ。

「すまない、渋沢」
「不破くん?」

彼が急に口を開いた。

「おまえは、いつでも優しいから、オレは...」

渋沢に向けた彼の瞳には、いつもの鋭さは全く無かった。弱々しくて、彼らしくない。
それほど、思い詰めている?、あの男の事を?、渋沢の心がずきりと痛んだ。

このまま抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られる。手を伸ばせば、それは瞬く間に叶うのだ。けれども、それは出来ないことだ。其処まで、彼の中に踏み込むことが出来なかったから。あの男の事を想う彼を抱くなど、とても出来はしない。

渋沢は心を静めようと、また一口、缶コーヒーを飲んだ。
すると、渋沢の事を静かに見つめていた彼が、ぽつりとまた呟いた。

「おまえなら、良かったのにな...」
「えっ?」

彼は軽く溜息を漏らして、また、濁った月を見上げた。
その横顔に、月の光が微妙な陰影を映し出していて...それは、とても綺麗だった。

「!?」

我慢していたのに、じっと耐えてきたのに...これ以上は、渋沢自身、限界だった。
両腕で彼の華奢な身体を抱きしめれば、其れはいとも簡単に、渋沢の腕の中に収まってしまって、まるで此処が、彼の在るべき場所であるかのように思えた。渋沢がさらに力を込めて抱きしめると、彼も黙って、渋沢の背中に両腕を回してきた。

「不破...くん?」

拒絶されるかと思っていた渋沢は、少し動揺した。まるで、彼が待ち侘びているかのように思えたからだ。そのまま静かに、抱きしめたまま、彼の身体を横たえて、そっと、その口唇にキスをした。彼は抵抗しなかった。さらに、口腔に舌を差し込んで、彼の其れに絡みついて吸い上げると、彼は、その動きにあわせるかのように、絡みついてきた。互いの息が乱れてくる。彼のシャツのボタンを外して、月の明かりの下、露わにされた彼の白い胸に、掌を這わせると、一瞬だけ、彼の身体がびくりと震えた。其れに気付かぬフリをして、渋沢は、さらに、胸の飾りを指先で摘んで弾く。彼の背中が微かに仰け反った。左腕で彼の細い腰を抱え込んで、口唇を首筋から左胸の飾りへと這わせて、其れを口に含んで転がせば、自由になった彼の口唇から、微かな喘ぎ声が漏れ聞こえてきた。其れに触発されるかのように、渋沢は彼の身体を押し開こうとした。

その時だった。

濁っていた月が、一瞬だけ輝きを増したような気がした。その月明かりの下、彼の顔がはっきりと見えたのだ。
泣いていた、声も出さずに。彼のうつろに開いた瞳からは、只ひたすら、大粒の涙が流れ落ちていたのだ。

渋沢の動きがとまった。とても神聖な彼の涙に、これ以上、渋沢は邪な行為を続ける気力が萎えたのだ。
これ程までに、他の男を想っている彼を、組み敷く事など出来はしない。

「渋沢...?」

彼のシャツのボタンをゆっくりとかけてやる。彼は驚いたように、泣き濡れた瞳で渋沢を見つめていた。

「あてつけで、こんな事しちゃいけないよ」
「!?」

さらに目を見開く彼に、渋沢はくすりと笑った。

「けど、君が、本当に僕のことを好きになってくれたのなら、大歓迎だけどね」

彼の顔を覗き込んで微笑めば、彼の瞳からまた、大粒に涙が溢れ零れた。

「す、すまな...ぃっ!!」

泣きじゃくる彼の身体をそっと抱きしめてやった。いつからだろう、彼がこんなに弱くなってしまったのは。
否、彼をここまで変えた、あの男の存在が羨ましくもあり...憎かった。

「やっぱり、帰った方が良さそうだね」

渋沢がそう言うと、彼は微かにこくりと頷いた。しかし、すぐにぱっと顔を上げて、

「帰らない」
「えっ?」
「今夜は帰らない、渋沢のところへ行く、とメールして来たのだ」
「不破くん...」
「だから...」

渋沢はくすくす笑い出した。

「それじゃ、今頃、大慌ててで此方に向かっているかもね」

ゆっくりと、渋沢は立ち上がった。

「さ、行こうか」
「えっ?」
「送っていくよ」
「...」
「もし彼が、迎えに来る様子がないなら、此処に戻ってくればいいわけだし」
「渋沢...」
「その時は、今度こそ...ねっ?」

つまり、これは賭けだ。あの男が、このまま彼を迎えに来なければ、今度こそ彼を....絶対、帰さない。
彼も、こくりと頷いた。どうやら、覚悟を決めたらしい。二人は、部屋から出て、夜道をゆっくりと歩き出した。
夜中の12時を過ぎれば、人通りだけでなく、車もほとんど通らなくなる。人気のない道を、二人は無言で歩き続けた。
途中、歩道橋に差し掛かった時だった。ふいに、渋沢が口を開いた。

「ケンカの原因、聞いてもいいかな?」
「ん?」

渋沢にそう聞かれて、一瞬、彼は戸惑った表情をした。大方の予想はついているのだが...わざと聞いてみたくなったのだ。彼は軽く息を漏らしながら、ぽつりと告げた。

「別にケンカをしたワケではない」
「じゃあ、なに?」
「...近頃、彼方此方で...『種まき』ばかりしてくるから...」
「へっ?」

彼がむっとしながらも、頬をほんのりと赤く染める。思わず、渋沢は吹き出してしまった。つまり、自分一人で身勝手に遊んでくるあの男に腹を立てた、妬きもちをやいたのだ、彼は。渋沢は、くくっと喉を鳴らしながら、

「それでも、最後には不破くんのところに戻って来るんだろ?」
「あぁ、だから、余計に腹が立つ」
「えっ?」
「何喰わぬ顔で帰ってくるのだ。一度、懲らしめてやりたかった」

腕を組んでむっとする彼の横顔に、渋沢はまた笑い出した。

「すまない、渋沢」
「ん?」
「こんな事にまきこんでしまって」
「ううん、気にしてないよ、けど...」
「?」
「もし、本当に、愛想が尽きたら、この次こそは、オレのところに来て欲しいと思う」
「渋沢...」
「待ってるから、ね?」


いつまでも、いつまでも、待ち続けているよ、君のことを...だって、君が好きだから。


「どうやら、迎えが来たようだね」

渋沢がゆっくりと、歩道橋の向こう側を指さした。彼がはっとして振り向いた。遙か彼方、金色の長い髪を振り乱しながら、駆けてくる一人の男の姿が目に映った。

「じゃあ、ね」

渋沢は軽く手を上げて、彼に別れを告げた。踵を返そうとした瞬間、彼が渋沢の腕を掴んだ。

「ありがとう」

彼は微かに微笑んだ。そして...渋沢の頬に軽く口づけた。

「大地っ!!」

あの男が、必死に走ってくるのが、目に入った。憎まれ口の一つも叩いてやろうかと思ったが、彼からの優しいキスに、渋沢は、そんな気も失せてしまった。所詮、あの男には敵わないのかもしれない、渋沢は微かに微笑んで、彼から離れた。

「大地っ! ごめんっ! ごめんなっ、大地っ!!」

渋沢が歩道橋を降りた時、あの男の大きな声が聞こえてきた。振り返れば、歩道橋の中央で、抱き合う二つのシルエットが見えた。彼らの頭上には、濁った月がぽっかりと浮かんでいた。ほんの少しだけ、渋沢の心が軋んだ。

そして、二度と振り返ることなく、渋沢は歩き出した、自分の部屋と。


もしもまだ願いが一つ叶うとしたら...それは君が幸せになれますように。




君が好き
僕が生きるうえでこれ以上の意味はなくたっていい
夜の淵 君を待ち
行き場のない 想いがまた夜空に浮かんで
君が好き 君が好き
煮え切らないメロディに添って 思いを焦がして

繰り返し 繰り返し....君が好き









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すんません、そのまんまです(殴)。けど、これを聞いた時、不破←渋沢がぽっかりと浮かんでしまったモノですから。
ウチの渋沢は、とことん報われないみたいです、はははは...(合掌)。


date:2002.06.09(Sun)

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