「おい、渋沢」
「えっ!?」

急に後ろから名前を呼ばれて、渋沢は顔を、窓の外から部屋の中へと向けた。
其処には、不破が立っていた。如何にも、風呂上がりといった格好で。

「どうした? 来ないから、先に上がってきてしまったぞ」
「す、すまない、近江さんの話がなかなか終わらなくてね」

...というのはウソである。風呂に入ろうと、二人で部屋を出ようとした時、近江から呼ばれたのは事実だが、彼の話は、渋沢の母への贈り物をひとつ届けて欲しい、と頼まれただけで、すぐに終わってしまった。だから、不破の後を追いかけようと思えば、すぐに行けたのだが、やはり...疚しい気持ちが邪魔をした。

今だって、そうだ。

浴衣の襟元から覗かせている、艶やかな白い首筋。やや赤く蒸気した頬に、濡れた髪がしっとりと張り付いている。
それをタオルで拭き取っている不破の仕種は、渋沢の中にくすぶっている劣情に火をつけるには、十分過ぎた。

これくらいで、暴走しかけるのだ。一緒に風呂になど入ったら...正直、近江からの呼び出しは、渋沢にとって好都合だった。不破に気付かれないように、上手く逃げ仰せた。否、逃げるのではなく、醜態を曝してしまうことを避けたかっただけだ。どうにか、理性を保てる距離を...。

しかし。

部屋の中には、すでに、二組の床がのべてある。部屋は八畳程度の和室だから、余裕がないといえば、余裕がない。二組の布団は、ほぼぴったりと、くっつけられている。それを見ただけでも、渋沢、くらくらと目眩を起こしかけているのだ。

まだ早い、落ち着け...落ち着けっ! と、必死に自分を叱咤する、押さえ込む。
焦ることはないのだから、しかし...自然と、肩に力が入ってしまう、気合いが入ってしまう。

それは、そうです、仕方ないです。

だって、ようやく、念願の...『初夜』ですから。

「うっ」
「どうした、渋沢?」

髪についた水滴を拭き取っていた不破は、渋沢の呻き声に驚いて、振り向いた。
渋沢が、右手で鼻を押さえている格好が、目に入った。

「渋沢?」

きょとんとしている不破に、渋沢は何も答えない。そっと右手を顔から離したかと思うと、今度は掌をじっと見つめている。そして、盛大に溜息を漏らした。

(良かった...鼻血、出てない...)

これくらいで、みっともない。こんな調子では、一晩、もたないかも...。

「おい、渋沢っ!」
「へっ?」

無視されたと思った不破は、ぬっと顔を渋沢の前に突きだした。急接近されて、渋沢、激しく動揺する。

「一体、どうしたというのだ、おまえは...っ!」
「な、なんでもないっ! そうだっ! 俺も風呂に行って来るからっ!!」

焦りまくって、渋沢は、用意して置いた着替えとタオルを抱えると、一目散に部屋を出ていった。身体のわりには素早い動作に、不破は呆然と、その背中を見送ってしまった。そして、今度は、不破の方が、盛大に溜息を吐いた。

「まったく、何だと言うのだ...」

ぶつぶつと、考察ならぬ文句のような独り言を言いながら、不破は渋沢が座っていた場所に、自分もぺたりと座り込んだ。
窓際の、その場所には、ぼんやりとした月の明かりが差し込んできている。不破は、それをじっと見つめていた。

「ふむ?」

首を軽く傾げて、部屋の中を見渡す。布団が二組、並べられていることに、はっとする。そして....ぽんと手を打った。

「なるほど、この状況は...」

其処まで言いかけて、不破も頬を真っ赤に染めた。渋沢の動揺ぶりに、ようやく気がついた不破であった。
右手で口元を押さえると、不破は、さらに深い溜息を漏らした。今日は、これで何度目であろうか...。

(しかし、これは、つまり...『初夜』?)

『初夜』とは、最初の夜。特に、新婚の夫婦が迎える最初の夜のことである。
しかし、自分たちの場合、新婚ではないが...渋沢とは、これで初めて夜を迎えるワケだ。

初めての夜。

不破の身体がびくりと震えた。

(初めて...か)

自分にとって、こういった夜を迎えるのは、初めてではない。初めてではないが、あれも、たった一度っきりだった。
あの後、彼は黙って転校して、そして...。

死んでしまったのだ、呆気なく交通事故で。

彼から告げられた言葉を信じないで、其れに応えることをしなかった。彼の後を追いかけることもしなかった。
彼に身を任せた、あの夜のことさえも、曖昧なままにしていた時だった...彼の死を知らされたのは。

後悔した、とても。

もう二度と、あんな思いはしたくない。後悔は、したくない。だから...今夜こそは...っ!

肩に引っかけたタオルを、ぽいっと、部屋の隅に置いてあるハンガーに投げた。そして、部屋の電気を消して、再び、窓の外を見つめた。暗闇になった部屋の中に、差し込んでくる、朧気な春の月、その光を反射させている川面の鈍い輝き。それらが、不破の目の中に映し出される。暫し、その景色を見つめた後で、不破は、静かに目を閉じて、窓によりかかった。

微かな風の音と、川の流れる音、そして、車の走る音。
聞こえてくる、俗世界の音に、耳を済ましている時だった。

渋沢の帰りを待とう、そして...『覚悟』にも似た想いを巡らせている時だった。


ぴちゃん...


「ん?」

ふい聞こえきた水の音に、不破は目を開けた。まるで、蛇口から水滴が落ちたような音だったが...不破は、やや眠そうに、目を開けて、部屋の中を見渡した。部屋に据え付けられた、洗面台からの音ではなかった。では、一体、どこから、あの水音は聞こえてきたのだろうか?、不破は、暫し、暗くなった部屋の中を、じっと見つめていた。


びゅっ!


ふいに、風が部屋の中を吹き抜けた。一陣の冷たいつむじ風。だが、其れは、窓の外からではない。これは...。
不破の額に、汗が滲んでくる。風が吹いた方向を、じっと見つめる。そこはあるのは...不破は、ごくりと唾を呑み込んだ。

まさか...

見つめる先にあるのは、床の間にかけられた山水画の掛け軸。よく見れば、その中に、小さな人影が描かれている。
風が吹き抜けた時、揺れた掛け軸の中、描かれた人影が動いたように見えたのだ。

どれくらいの時間、其れを見つめていただろうか。

風は吹かない。動いたと思えた人影は、じっとしたままだった。当然だ、やはり『絵』なのだから。
不破は大きく深呼吸して、視線を、部屋の中から窓の外へと向けようと、くるりと首を回した時だった。

「今晩は」
「!?」

不破の瞳は、窓の外を見ることは出来なかった。それ以前に、自分の目の前に座り込む、金色の髪の彼に、目が釘付けになっていたから。部屋の中に向かって、全神経を使っていたから、細心の注意をはらっていたから、身近な、それも目の前に現れていた、彼の姿に全く気がつかなったのだ。

距離的には数十センチの場所に、彼は不破と同じように座り込んでいる。窓に頬杖をつきながら、大きな瞳をくるくる動かしながら、微かに口元に笑みを浮かべながら...彼は、不破をじっと見つめていた。

「もうかってまっか?」

愛嬌のある笑顔、間違いなく彼だった。不破の瞳が、ふいに大きく揺れた。彼がそれに気がついて、微かに眉を顰めた。

「ごめん」

彼の手が、不破の頬に伸びてきて、そっと触れた。けれども、それは...触れたと思えただけだった。

実体がない。

1週間前に、不破の目の前に現れた時は、確かに実体があったのに、温かかったのに。それが、今は、全くない。
それでも、不破の目には、彼の顔が、姿が映し出されていて、触れたと思える感覚も、微かな気配にしか感じられない。

気配。

実体はなくても、彼は確かに、いる。今、不破の前にいる。不破を見つめている。

不破の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「諦め悪いっちゅうか...やっぱ、あかんわ」

指先が、頬から口唇へと、ゆっくりと撫でていく。それは、微かな風の動きのようだった。

「ごめん...せっかく、『決心』したんやろ?、それなのに...ごめんな、彼処が出入り口になってたもんやから」
「なにっ?」

彼の指先が、不破の口唇から離れて、部屋の中を指さした。指さした方向にあるのは、先程、不破が怪訝に思った掛け軸。まさか...、不破が瞠目すると、彼はくすりと笑った。

「気がついたんやろ? 彼処な、あの世と、この世を繋いでる、出入り口みたいなもんやねん」
「なっ...」
「出やすい場所って、ホンマにあるんやで?」

驚いた不破の表情に、彼は、けらけら、声をあげて笑った。

「科学では実証できへんことやろ?」
「...」
「けど、ホンマのことやねん。それに、死んだはずのオレが、此処におるんやから...」
「...死後の世界が存在しているということか?」
「へっ?...まぁ、そーいうことになるんやけど...」
「では、オレが死ねば、おまえと同じ世界に行けるということだな?」
「不破...」
「そうだな?」

今度は、彼の方が目を見開いた。しかし、すぐに、ふっと細められて、くすくす笑い出した。

「そうやけど、不破は、まだ死なへんねん」
「なにっ?」
「不破は、まだまだ...」
「死なないというのか?...寿命というものか?」
「そっ! そーいうことっ!」
「つまり、どんなことをしても、オレは死なないのか?」
「いや、そんなことはあらへんけど...せっかく、長生きできるっちゅうに、わざわざ死ぬこともあらへんやろ?」

彼は、再び、にかっと笑った。その笑顔に、不破の眉が顰められた。

「どう頑張っても、オレは、おまえのもとへは行けないのか?」

不破が苦しそうに呟いた。

「不破...」
「おれは、どうすれば良い?」
「どうって...」
「死ぬことが、かなわないならば、オレはどうすれば良いのだ! このまま、渋沢と...っ!!」

不破の瞳から、再び、大粒の涙が流れ落ちた。

「オレは...不破に『幸せ』になってもらいたいねん」
「!?」
「なのに、あかんな...オレは、不破のこと、そうできひんのに、な」
「...」
「渋沢しか、できひんのに、な...」

彼が、ふっと息を漏らした。部屋の空気が揺れたように思えた。

「めちゃ、悔しい...」

不破の口が、大きく開かれた。けれども、それは言葉にならなかった。口唇を、微かに震わせて、声にならない声をはりあげる。そして不破は、首を左右に激しく振った。その度に、頬を流れ落ちる涙が、握りしめた拳の上に振り落とされた。

「オレは...っ!!」

自分の存在を見失いかけていて、けれども、それを、渋沢に支えてもらって。
意味のある存在なのだと、とても大切な存在なのだと、そう伝えられて、不破は嬉しかった。

渋沢がいるから、もう大丈夫。

大丈夫だ。

「おまえも、そう言ったではないか...」
「不破?」
「大丈夫だと...そう言ったではないかっ! だから、覚悟を決めたのにっ!!」
「...」
「今夜こそと...それなのに、何故だ...どうして...オレの心を掻き乱すのだ...」

止まることを忘れたかのように、不破の瞳から涙が溢れ落ちてくる。肩が激しく震えて、不破は、今にも、泣き崩れてしまいそうだった。その、不破の身体を、そっと、優しい風が包み込んだ。彼が、不破の身体を抱きしめたのだ。

不破は目を閉じた。

感じられる、彼の気配。実体はなくても、確かに、彼がいる。
幻ではない、自分が作り出した妄想ではない。確かに、彼だ。

彼の匂いがする、彼の...。

その時だった。かちゃりと、ドアが開かれる音がしたのは。

不破は、はっと目を開けた。その視界には、薄暗闇の中、月の光に照らされた彼が、不破のことを苦しそうに見ていた。

「不破くん?」

渋沢だった。渋沢が、部屋に戻ってきたのだった。

「あれっ? いないの?」

渋沢は、電気が消された部屋の中に入ってくると、灯りをつけようとして、壁のスイッチに手をかけた。

「つけるなっ!」
「えっ!?」

不破は、咄嗟に叫んでしまった。

彼が、まだいるから。渋沢が戻ってきても、彼は、不破の目の前から消えなかった。
このままでは、渋沢に、彼の事を勘付かれてしまう。


自分が、未だ、彼に想いを残していることに気付かれてしまう。


「不破くん、どうしたんだい? あの...」

先程まで、差し込んでいた月の光が、ふいに陰った。夜空に流れる離れ雲に、一瞬、覆われたようだった。
暗くなった室内で、暫しの沈黙が流れた。不破と、渋沢の静かな呼吸音だけが聞こえてくる。

...どうして、灯りをつけることを、拒絶するのだろうか?

渋沢は、暗闇の中、不破の姿を探した。次第に、暗闇に目が慣れてきて、不破が窓際に座り込んでいるのが見えた。
月の明かりはなくても、窓から見える河川敷の街灯が、不破の姿を浮かび上がらせている。

どきり...

渋沢の心臓が高鳴った。

(もしかして、これは...)

ばくばく言い始める心臓の音に、渋沢の身体は熱くなる。目眩をおこしかけて、必死に、自分の巨体を両足で支える。


誘われている


渋沢は、そう思った。部屋の灯りをつけるな、とは、そういう事だろう。渋沢が誤解しても仕方ないことだった。

恥ずかしいのだろうか?、否、自分だって、もはや理性の限界で、爆発寸前なのだから。どんな醜態を曝してしまうか、分からない。不破も、そう思っているのだろうか?、だから、灯りをつけるな、と言っているのだろうか...そうだ、そうに違いない。

彼の気配に、全く気がつかない渋沢。不破のことしか頭にないから、当然と言えば当然だ。

渋沢は、深呼吸をすると、ゆっくりと不破に近づいてきた。そして...

「!?」

不破の両肩を、しっかりと掴んだ。

「不破くん...」
「し、渋沢っ!?」

暗闇の中でも、不破の動揺ぶりが分かる。渋沢の手を振り払おうとする。
けれども、不破の身体は、呆気なく、そのまま、渋沢の腕の中に抱き込まれてしまう。

「不破くん...好きだよ...」
「し、渋沢っ!!、待て...っ!!」

渋沢の行動を制止しようと、不破は藻掻くが、それはかえって、渋沢に火をつけた。

微かな抵抗が、渋沢の征服欲に、火をつけたのだった。

暗闇の部屋の中、渋沢は、とうとう不破の身体を押し倒す。

強引に重ねられる口唇に、不破の両手が、渋沢の両肩を鷲掴みにした。爪を立てた。
吸い上げられ、絡め取られる舌先に、不破が抵抗しようと、顔を大きく背けた。
けれども、背けた不破の首筋に、渋沢の口唇が押しあてられた。

「あっ...駄目だ...」

渋沢の手が、不破が着ている夜着の襟を掴んだ。荒々しく、前をはだけさせる。

「!!」

露わになった不破の胸に、不破の素肌に、渋沢の口唇が滑り落ちてくる。赤い印をつけながら。

「だ、駄目だ...渋沢...駄目...っ!」

不破の抵抗を、恥ずかしさゆえのものと勘違いしている渋沢は、さらに、不破の胸の飾りを口に含んで吸い上げた。

「あっ...駄目...ん...駄目...しぶさ...あっ...!」


彼が見ている。


不破の瞳から、涙が流れ落ちた。

はっきり、見えているわけではない。けれども、不破には分かるのだ。
彼が、まだ、部屋の中にいる。そして、闇を通して、彼が不破のことを見ていることも。

淫らな自分の姿を、彼が見ている。

不破は、渋沢に組み敷かれた身体を、引き離そうと抵抗した。だが、渋沢の身体はびくりもしない。
ますます、力を加えられて、押さえ込まれる。はだけた夜着の、膝を割って、渋沢の身体が入り込んでくる。

「だ、駄目だっ!...渋沢! 駄目....あっ...い、いやぁ...いやぁっ!!」

ついに、拒絶の言葉を出してしまった。

すると...不破の耳元に、くすくす笑い声が聞こえてきた。
渋沢の声だった、しかし...。

「いやなこと、あらへんやろ?」

涙に濡れた不破の瞳が、見開かれる。そして、薄暗闇の中、渋沢の顔を見上げた。
その時、ふいに陰っていた月が顔を出して、部屋の中に、その光が射し込んできた。

不破の目の前には、渋沢がいる。微かに微笑みながら。だが...。
不破は、抵抗するどころか、身動き一つ出来なくなった。
渋沢に間違いないのに、渋沢から感じられる、この気配は...まさか....。

「反則ワザ、使こうてしもうた」
「!?」

渋沢が笑った。その笑顔と、彼の笑顔が、重なって見えた。

「まさか...」
「はい、そのまさかですぅ♪」

不破の口唇が、わなわなと震えた。


何という事だ...渋沢の身体に...彼が乗り移ってしまったのだ!!


「し、渋沢はっ!?」
「んーっ?、ちょっと、眠ってもろうた」

懐かしい関西弁だが、渋沢の声で喋られているので、不破は思いっきりマヌケな顔をしてしまう。
だが、組み敷いている渋沢の身体から、彼の気配が、はっきりと感じられるのだ。


信じられない...


「どないしたん?」

じっと見上げてくる不破の顔を覗き込んで、彼が、渋沢の顔で笑った。

「なんか...ヘンだぞ」
「そりゃ、まぁ、そうや。渋沢の身体やけど、中身はオレやし」
「...身体があれば良いのか?」
「あん?」
「身体があれば、おまえは...生き返るのか?」
「それはあかん」
「何故?」
「せやから、さっき、反則ワザって言うたやろ?」
「反則?」
「そーそー、一時的なもんとは違ごうて、生身の身体、手に入れるちゅうことは、他の誰かに、死んでもらわなあかんから」
「!?」
「死体じゃあかん、生きてる人間のもんやないと。そのまま、そいつの人生ごと、貰わないとあかんねん」
「...」
「渋沢に、死んでもらうわけにはいかへんやろ?」

彼が笑った、とても哀しそうに。思わず不破は、彼の背中を、ぎゅっと抱きしめた。彼も、渋沢の腕を使って、不破の身体を抱きしめ返してくれた。温かい。この体温は、紛れもなく渋沢のものだった。けれども、抱きしめられながら、目を静かに閉じれば、聞こえてくる心音に、彼の気配を感じ取れる。彼の匂いがする。彼がいる、間違いなく此処に。

不破の瞳からは、また、大粒の涙が溢れ出した。

「オレと渋沢、両方、欲しがるなんて、贅沢やで?」

彼が乾いた笑い声をあげた。

「ならば...」
「ん?」
「何故、渋沢の身体に入り込んだのだ?」
「んーっ、悔しかったから」
「おまえ...」
「オレの目の前で、こーんなオイシイことされたら、たまらんやろ?」
「なっ!?」

彼が再び、渋沢の身体を使って、不破の素肌に指を滑らした。びくりと、不破の身体が震えた。指先は、ゆっくりと滑り落ちて、不破の中心部分にそっと触れてくる。不破は目を閉じた。心臓の鼓動が強くなり、熱いものがせりあがってくる。

「あっ...」

不破が微かな声を上げた。彼の舌が、滑り落ちた指先の後をなぞるように、不破の素肌の上を這いずって、そして、不破の中心部分を口の中に含み込んだ。不破の背中が、弓のように仰け反った。けれども彼の腕が、不破の細い腰をしっかりと抱え込んで、離さない。絡みついて、舐められて、背筋を這い上がってくる感覚に、不破の其れが、形を変えていく。

思わず、切ないような声が、不破の口から漏れた。這いずり回る舌と、柔らかい口唇の刺激に混乱させられて、まともな思考がきかなくなる。不破の頭の中に、白いスパークが弾け飛ぶ。

「あっ...駄目...あ...んっ...駄目っ!! もうっ!! ああっ!!」

不破は、呆気なく、渋沢の口腔に、白濁した液体を放出してしまった。力が抜けて沈んでいく不破の身体を、柔らかく抱きしめながら、ごくりと喉を鳴らして、彼が其れを呑み込んだ。そして、不破の耳元に、そっと囁いた。

「不破が欲しい...」





差し込む月の光の中。あの夜と同じように、不破は彼に揺さぶられている。
迸る汗を滴らしながら、不破は、渋沢の身体に、彼に、揺さぶり続けられている。

「あ....あああ ――――― っ!」

肉塊を押し込まれた瞬間、不破の口から悲鳴があがった。快感にとろけかけていた身体は、いっきに高みから突き落とされたのだ。繰り返された、優しい愛撫の後にもかかわらず、押し開かれて貫かれた激痛に、不破は何度も意識を手放しそうになる。不破は涙をぼろぼろ零しながら、シーツを握り、奥歯をぐっと噛みしめて、身を引き裂かれる痛みに、必死に耐えている。

あの夜と同じだ。

けれども、同じでありながら、大切な何かが違う。明らかに違っている。
今の不破の身体を貫いている彼は、彼ではない。渋沢の身体を使っているだけ。

彼は...死んでしまったのだから。

「ん...はぁ...ん...あぁ...」

股を伝う血液の赤さ。痛みの鋭さが、現実のものだと証明する。
不破は、自分が生きていることを、思い知らされる。

彼は死んだのだ。けれども、自分は生きているのだと。

叫びすぎて喉がかれた。前を宥められ、痛みは微かに和らいだが、腰が自分のものではないように思えた。深く穿たれた其処に、全神経が集中する。自分の肉壁で、渋沢の熱を感じ取る。うっすらと目を開けば、微かな月光の中、渋沢の瞳と、視線がぶつかった。

「あ...あ...あぁっ!」

揺すぶられ、再び、目を閉じる。視界にうつっていたのは、紛れもなく渋沢だったが、こうして、目を閉じて、相手の熱を、匂いを、気配を感じ取れば、そこにはあるのは、彼のものだ。渋沢だけではない、彼の匂いが感じられるのだ。

「くぅ....は...あ...あぁ!」

まるで、二人の男に犯されているかのようだ。

きつく閉じた不破の瞳から、涙が溢れ零れた。それを、彼の口唇が受け止める。受け止めながら彼は、渋沢の声で、譫言のように、不破の名を呼び続けた。揺すぶられる痛みを、奥歯で噛み殺すうちに、次第に昂揚へと変化する。そのまま、一緒にのぼりつめる。

「はぁ...あ...ああ...あぁっ!! はぁ...あぁっ!!」

シーツを握りしめて耐えていた不破が、背をしならせて、顎を宙へと突き上げた。
最後の一深が、渋沢の口からも叫び声を押しだした。強く顎を突き上げて、宙をあおいだ。

想いの全てを、この身に受け取って...粉々になりながら、花火のように堕ちていく。

不破の身体が、シーツの上に深く沈み込んだ。異物が抜き去られる感触を、意識の向こうで感じながら、不破は乱れた呼吸を整えようとする。彼が上から覆い被さってきた。不破と同じように乱れている、彼の呼吸。そして、彼の肌の熱さと、身体の重みを感じ取る。これは、渋沢のものだろうか、それとも、彼のものだろうか...目を閉じている不破の耳元に、熱い吐息がかけられる。囁かれる声は、渋沢のもの。けれども、これは彼の言葉だ。不破は、黙って、それを聞いていた。繰り返される、その睦言を...只ひたすら、耳を傾けていた。


愛してる...


その一言だけを、何万回も。





「う...ん...」

窓から差し込んだ、眩しい光に、目が覚めた。ぼんやりと視界に入ってきた部屋の様相が、いつもと違うので、渋沢は、ぱっと目を開けた。そして、思い出した。

(確か...不破くんと一緒に...)

一泊二日の小旅行へ来たはずだ。今は、朝なのか?、では、昨晩は...

「うわっ!?」

渋沢は布団から飛び起きた。記憶の糸を辿れば...ある時点から、ぷっつりと途切れている。

「渋沢...」
「へっ?」

声のする方向に、顔を向ければ、其処に横たわるのは、愛おしい彼。うっすらと目を開けて、渋沢を見つめている。

「あ、あの...」

不破がくすりと笑った。その瞬間、渋沢は互いの状況に気がついた。渋沢は、夜着を着ていない。布団から覗かせている不破の両肩も、何も着ていないようにみえる。それに、二人は同じ布団に寝ているのだ。

互いに一糸纏わぬ姿...ということは、つまり...

渋沢の額に汗が流れ落ちる。覚えていない。そんなバカな...渋沢、只ひたすら、顔を青ざめて、言葉をなくしていると、不破が軽く上半身を起こした。白い胸元が、はっきりと見えて、そこには夥しい数の...赤い痕。

「うっ...」

不破が眉を顰めた。おろおろする渋沢の前で、不破はゆっくりと座り直して、深呼吸した。とても辛そうだった。

「あの...その...」
「ん?」

前髪を掻き上げている不破。その艶っぽさに、くらくらしながらも、渋沢は昨夜の出来事を、必死に思い出そうとしている。
暴走していたとはいえ、せっかくの彼との一夜を覚えていないなんて...あまりにも情けなさすぎるっ!!
渋沢が、青くなったり赤くなったりしているのを見て、不破はまた、クスリと笑った。

珍しい不破の笑顔。これは明らかに...一晩をともに過ごしたゆえの、満足そうな笑顔。

何て事だ...覚えていない...それも全然...。

しかし、渋沢の身体には、だるさが残っている。記憶はなくても、身体はしっかりと覚えているようだ。それだけに、渋沢は、ますます自分で自分を追い込んでしまう。口をぱくぱくさせていると、不破が、ふっと息を漏らした。

「風呂に入ってくる」
「えっ?」
「このままでは...ちょっと、な」

身体に残る倦怠感から考えてみると、これは、かなりの...回数をこなしたような気がする。それに、

「あっ..」

シーツに迸った滲み、そして....血。渋沢が、ぎょっとして、それを見つけた。不破の身体に、相当な無理をさせたようだ。渋沢は、さらに言葉を無くして、唖然としている。

「おまえも風呂に入った方が良いゾ」

不破は、そう言って、布団から起きあがった。素早く身体に浴衣を羽織ると、タオルを持って部屋から出ていった。
一人取り残された渋沢は、何としても、記憶を取り戻そうと必死になっていた。しかし、どう頑張っても思い出せない。

その途端、渋沢は、がっくりと肩を落とす。

眩しい朝の光の中。渋沢克郎、一生の不覚。
後悔してもしきれない、朝を迎えてしまった...そう思った。






「あれでは、渋沢が可哀相だゾ?」
「んー? そーやねぇ」

観光地の朝風呂は、混み合うのかと思いきや、意外と他に客がいなかった。不破は思いっきりのんびりと、湯に浸かりながら手足を伸ばしていた。朝日が大きな窓から射し込んできて、気持ちの良いこと、この上ない。不破は、珍しく大きな欠伸をひとつした。

「不破」
「なんだ?」

不破以外には、客はいない。それでも、不破に話しかけるのは...彼しかいない。
湯に浸かっている不破のすぐ近くにしゃがみ込んで、彼は大きな瞳をくるくる動かしている。

「おれ、そろそろ、行くわ」
「そうか...また、逢えるか?」

すると、彼は目をぱちくりさせて、くすっと笑った。

「せやから、両方、欲しがったらあかんて」
「...そうだな...」


ぴちゃん...


不破は彼の頬を撫でようと、そっと指先を差し伸べた。けれども、其処には、何も手応えを感じられなかった。指先から、水滴が滴り落ちるだけだった。不破の瞳が、ふっと細められた。


消えかかっている...今度こそ、本当に


「もう、泣かへんな」
「あぁ、もう...大丈夫だ」


大丈夫


本当に?


自問自答...その答えは...


不破の口元が、微かに緩んだ。


「おまえと出会えて...良かった」


「オレもや」


彼も笑った。


そして


「もし、生まれ変わることができたら、オレ、やっぱ、不破に逢いたいな」


いつか、きっと...見つけてな..


地上に息づく命の全て、生まれ変わっても出会える確率は...『皆無』。
もし出会うことがあれば、それは...『奇跡』。





だからこそ、おまえと出会えて良かった





ほな、さいなら、ほんまに...なっ?


そう呟いた、彼


今度こそ...





消えた







煌めく朝日の中、彼の気配は、今度こそ、本当に消えてしまった。

取り残されたのは、自分一人。

不破は、軽く目を閉じた。ふっと息を漏らした。



がらっ!



「んっ?」

誰かが入ってきたようだ。不破が振り返ると、

「不破くんっ!!」
「渋沢?」

ざばざばっと、湯をかき分けて、渋沢が不破に近づいてきた。
その姿はまるで...ゾウアザラシか?...現実に引き戻された不破は、急にくすくすと笑い出した。

不破の笑顔に、渋沢はまた顔を真っ赤にして、しかし、不破の両肩をがしっと掴んできた。

「不破くんっ!」
「なんだ?」
「ゆ、昨夜の事なんだけど...っ!」
「あぁ、気にするな、覚えていないのだろう?」
「へっ?」

思いっきりマヌケな顔をする渋沢に、不破は声をあげて笑った。そして、渋沢の頬にそっと手を当てた。
手応えのある渋沢の肌に、不破の瞳がふっと緩んだ。

「この次は...覚えていてくれ」

本当の事は言えなかった。言っても信じて貰えないだろうし、それに怒りだすだろう。
自分の身体を使われた挙げ句に、彼が不破を抱いたなどとは...でも。

「渋沢、ありがとう」
「えっ? あの...」
「オレは生きている」
「不破くん...」
「消えないで良かった」
「...」
「渋沢がいてくれて、本当に良かった...」

不破の口唇が、自分から渋沢の其れに重なった。ほんの一瞬だったが、渋沢の身体を硬直させるには十分だった。

「では、先に...」

不破は、そのまま渋沢を残して、風呂から出ようとしたが、

「不破くんっ!!」
「なっ!?」

渋沢の腕に阻まれて、再び、湯の中に沈められてしまった。そして、背後から、渋沢の腕の中にすっぽりと抱きしめられてしまった不破の首筋に、昨夜の感触が蘇る。まさか...瞠目する不破。渋沢の指が、口唇が、昨夜と同じように、不破の素肌の上を滑っていく。

「し、渋沢、な、何をするっ!! 此処では...っ!」

渋沢の腕を振り解こうとするが、力では圧倒的に劣勢である。不破は、後ろから渋沢に『抱っこ』されているような格好になった。つまり、この体勢は...渋沢の堅くそそり立つ其れが、不破の双方の丘の間に滑り込んでくる。

「待てっ! 渋沢っ!! だ、駄目だっ! 此処では...あ...あぁっ!!」
「不破くん、ごめん...もう...」
「あ..はぁ...んっ!!」

昨晩、散々、弛められていた蕾は、湯のぬめりも手伝って、難無く其れを呑み込んでしまった。スムーズに事が進んでしまった事と、他に人が全く入ってこなかった事もあって、不破は、昨晩同様、意識を何度も失う結果となった。そして、気がついた時は、渋沢によって部屋に運び込まれていたのだ。不破の枕元、頭を垂れて、しゅんとしている渋沢に、不破は力無く笑いかけてやった。

彼同様、手のかかる大きな子供だ...と。





あれから、何度目かの春。あの日と同じように、桜が咲き誇る季節になった。

不破は、渋沢と一緒に暮らすようになった。互いに高校を卒業して、渋沢はプロのサッカー選手に、不破は医大生になっていた。

昨日から、渋沢が遠征で留守だった。それゆえ、不破は珍しく寝坊していたのだが、隣の部屋の物音に気がついて、目を覚ました。隣人は、先月、引っ越して、空き部屋になっていたハズだが...眠い目を擦りながら、不破が窓を開けると、道路に大きなトラックが停まっているのが見えた。どうやら、誰かが引っ越してきたらしい。荷物が運び込まれているのを、ぼんやりと見ていると、忙しなく動き回る大人達の間を、小さな子供がよちよちと歩いているのに気がついた。

「あっ!」

不破は大きな声を上げてしまった。その子供が、大人の足に引っかけられて、転んでしまったからだ。子供の泣き声が聞こえてくる。母親らしい人が大慌てで、その子供を抱きかかえると、「よしよし」とあやしながら、アパートの中に入ってきた。不破は慌てて、着替えをした。すると、間もなく、不破の部屋の呼び鈴が鳴らされた。玄関を開けると、先程の親子が立っていた。母親に抱かれた子供は、泣きやんでいたが、まだぐずっていた。

「おはようございます! 朝早くから、すみません! 隣に引っ越してきました鈴木と申します。宜しくお願いします!」
「は、はぁ...こちらこそ...」

見ず知らずの相手に、ぶっきらぼうなことが言えず、困りながらも挨拶を返すと、小さな子供が、不破の顔をじっと見ているのに気がついた。すると、母親が、にこにこ笑いながら、

「もうじき1歳になります。お誕生日前に、もう歩き出して、困ってるんですよ」
「はぁ、そうですか...」
「男の子は歩き出すのが遅いってよく言われるんですけど、ウチの子は、もうちょこまかと落ち着きがなくて...ほら!、お兄ちゃんに、こんにちは!って出来る?」

不破の事をじっと見つめていた子供は、母親に促されて、ちょっと首を傾げたが、すぐに、にっこり笑ってくれた。

(あっ...)

その子の笑顔に、不破は、一瞬、戸惑った。懐かしい何かを、思い出しかけたからだ。

「にーにー!」
「えっ?」

突然、片言の言葉で、その子は不破に向かって、両手を広げた。
不破の両目が見開かれた。


(まさか...)


「あらあら、お兄ちゃんのこと、気に入ったの?」

母親は、呑気に笑っている。

「おーいぃ!!」

階段下から、男の声が聞こえてきた。どうやら、父親らしい。手伝いを呼んでいるようだった。

「あの..手伝いましょうか?」

不破がやや動揺しながら、そう申し出ると、母親は嬉しそうに笑って、

「じゃあ、すみませんが、この子、お願いします!」
「へっ?」

てっきり荷物を運ぶことを手伝わされるかと思いきや、母親は腕に抱えた小さな子供を、不破に手渡した。

「すみません、ちょっとの間、宜しくお願いしますっ!」
「!?」

瞠目する不破に気付かないのか、母親は子供を不破に預けると、くるりと踵を返して階段を下りていった。そして、荷物を運び込む手配する声が聞こえてきた。不破は、子供を抱きかかえたまま、暫し、呆然としていたが、

「いてっ!」

頬を抓る小さな指に、びっくりして、不破は子供の顔をじっと見た。不破の腕の中、無邪気笑う、小さな彼の笑顔。
ふい、暖かい風が吹いた。その笑顔に、懐かしい人の面影が重なって見えた。間違い、多分...

「...シゲか?」

子供は、にこにこ笑っている。不破は微かに笑いながら、溜息を漏らした。

「まったく、おまえというやつは...」

子供は、大きな瞳をくるくる動かして、不破の頬をそっと触ってきた。その温もりに、不破は目を細めると、ちょっと困ったような顔をした。そして、もう一度、盛大に溜息を吐いた。

「渋沢に何と言えばいいのだ、おまえは...?」

前世の記憶を持っているとは思えないが...此方が困ってしまうゾ?、否、もう迷うことはないハズなのだが...。

不破は笑った。腕の中の子供は、きょとんとして、不破の顔を見上げていた。その表情に、不破はさらに声をあげて笑い出した。




渋沢に、また隠し事が一つ、増えてしまったではないかと。






おしまい


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この十数年後、渋沢と彼との間で、不破争奪戦が繰り広げられたか否かは...ご想像におまかせします(殴)。

プロットでは、もっと明るく、脳天気になるハズだったんですが、書いているウチに、エライ変わり様です(爆笑)。
ラストの部分は、プロットには無かったんですから。単純に、乗り移ったシゲが、渋沢の身体を使って、あーんなことも、こーんなことも、やっちまう、というのが主軸でした(おいおい...)。生まれ変わる部分もなくて、また来るからなっ!、とカンタンに終わらせるだけだったんですけどね、随分とまぁ、違ってしまいました(溜息)。

大昔、観た映画『居酒屋ユーレイ』を、何故か、ふと思い出して...懐かしい邦画の一つです。

でもって、勝手に、シゲを殺してしまって、シゲファンに大変なお叱りを受けそうです。では、次回は、不破を...って、ますます怒られてしまいそう。渋沢も、情けなさでは、ウチのが一番っ!!...なんて、自慢できることではありませんね。(苦笑)

最後までお読み頂きまして、本当にありがとうございました。


date:2002.04.30(Tue)


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