其のにほひ 桃より白し 水仙花


「おかえりなさい」
「あぁ」

祖父の野暮用を済ませて帰宅した大地に、庭から母親の乙女が声をかけた。リビングの窓が開かれっぱなしになっていた。

「ん?」

先程嗅いだ匂いと同じものだと気がついて、大地はリビングの窓に近づき、庭を覗き込んだ。そこには、乙女が庭の草花の手入れをしていた。猫の額ほどしかない庭ではあるが、亡くなった祖母が生前、色々な草木や花を育てていた。日頃、乙女は仕事が忙しいので、こまめに手入れしてやれない故に、庭はやや荒れ放題気味ではあるが、時々、こうして乙女の気遣いで、どうにか四季を感じることが出来る程度には保たれていた。その乙女の足元に咲いている花が、静かに風に揺れいて、微かな良い芳香は、そこからの来ているものであることが分かった。

「あらっ?、何?、大ちゃん?」

乙女はくるりと振り返った。その手には、黄色い水仙の花が握られていた。

「それは...」

先程、藤ヶ瀬に教えてもらった花とは違って見えたので、つい指差してしまうと、

「これ?、日本水仙よ。白いほうが有名だけど、これも綺麗よねぇ」

乙女はおっとりと答えながら、さらに「お仏壇にあげようと思って」と付け加えた。

「意外と...」
「えっ?」
「良い香りがする花だな」
「そうねぇ、この季節だと梅や桃の方が気がつくけど、この花もいい香りがするわよね」

手にした水仙の花びらにそっと顔を近づけて、乙女は息を吸い込んだ。

「澄んだ香りよね...そうそう、この花、『雪中花(せっちゅうか)』って呼ばれることもあるのよ」
「ふむ」
「雪の中でも春の訪れを告げる花なんですって」
「そうか」

乙女の言葉に素っ気無く答えて、大地はくるりと回れ右して自室へ戻ろうとすると、

「この花瓶でええの?」

突然、奥座敷から現れた人物に、大地は目を丸くした。

「あらま、おかえり♪、先にあがらせて、待たせてもろうてたんや」

シゲはけろりとそう答えると、手に持っていた花瓶を庭先に立つ乙女に手渡した。乙女は「ありがとうね」と言って、それを受け取り、花を生けた。そして、さらに大地に向かってそれを差し出した。

「大ちゃん、これにお水入れて、お仏壇に飾っておいてくれる?」
「この花を、か?」
「そう、おばあちゃんの好きだったお花だから」

大地は乙女の言いつけに逆らえずに仕方なく、それを受け取ってキッチンへと向かった。花瓶に水をいれてやると、花が揺れて、微かな良い芳香が辺りに漂った。

「春はええなぁ」
「!?」

いつの間のか、シゲが大地の背後に立っていた。驚いて振り返ったので、急接近になってしまい、思わず大地は頬を赤く染めてしまった。


想うは貴方一人。


また思い出してしまったのだ。シゲはそれに気がついているのかいないのか、わからないような様子で、大地の肩越しから水仙の花を覗き込んでいた。

「暖かいし、綺麗な花も咲くし。あっ、和尚から教わったんやけど、この花って「仙人」みたいやから、そう呼ばれとるんやて」
「『仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙』...であろう」
「さすが、物知り♪」

シゲはにかっと笑うと、指先をそっと大地の顎に伸ばしてきた。触れた指先から、シゲのぬくもりが感じ取られて、気恥ずかしさから、大地は咄嗟にそれを振り払おうとした。しかし、両手に花瓶を持っていたので、手では振り払えない。顔だけ背けようと首を回そうとしたが、今度はしっかり顎を指先で掴まれてしまった。

「花言葉知っとる?」
「...」
「オレも、あれから少し気にするようになったんや」

あれから...大地が口走ってしまった彼岸花の花言葉からであろう。そう...『想うは貴方一人』と。

「水仙いうてもいろんな種類があって、それぞれ言葉も違うんやけど、これは...」

シゲは大地の耳元に口唇を寄せた。微かに動いたシゲの口唇。その瞬間、大地の頬がさっと赤く染まった。そして、花瓶を片手に持ちかえて、自由になった片方の腕で、シゲの鳩尾に肘鉄を食らわした。

「あいたぁ〜!、そないに恥ずかしがらんでもええやん。もう、そーいう仲なんやしぃ」
「おまえはぁっ!!」
「春はやっぱりええなぁ♪」

シゲは鳩尾を摩りながら、にんまりと笑った。大地はそっぽを向いて、そのまま乙女に言いつけられたとおり、花瓶を仏壇に置こうとして、キッチンから出て行った。窓が開いているせいか、廊下にも微かな花の芳香が漂っている。その中で、大地は先程のシゲの言葉を思い起こして、また頬が赤くなるのを抑えられなかった。深呼吸して動揺を鎮めようとしたが、漂う芳香のせいで、シゲの囁きが大地の頭の中で反芻させる。


『私の愛にこたえてください』と。




おしまい


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桜前線北上中ですが、ウチの地方ではまだまだ...水仙の方が満開です。


date:2004.03.22


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