桜の咲く庭


抜けるように青い空を、ぼけっと眺めていた。
 転校初日にして、遅刻はちょっとまずいやろか。
 いやいや、こんな天気の良い日に部屋の中にいるほうが間違うとるわなあ。
 空に向って伸びをすると、大きくひとつ、あくびをした。
「あー、眠た…」
 縞模様のネクタイ。アイロンのきいたシャツ。ぴかぴかに磨かれたローファー。
『ニコ兄ちゃん!お勉強、がんばってね!』
『お休みには帰ってきてね』
 泣き出しそうなのをガマンして、送り出してくれた可愛い弟妹たちに悪いとは思いながらも、学校に行く気にはなれなかった。
「ま…とりあえず学校には来たで、かまへんやろ」
 職員室には行ってはいないけど、学校の門は潜った。現に今、学校の裏庭に来ているのだから。
 1限目の始業チャイムが鳴っている。慌てて教室に入る生徒がちらほらと窓から見える。
(あー…もう始まってもうたか…ま、ええか)
まだ、夏というには少し早い季節で、夏の足音が微かに聞こえる晩春の気候と花の甘い香りに、心地よい眠りに身を落としていった。

 眠りから呼び覚まされたのは、それから一時間ほど後のことだった。どうも一限目の休み時間らしく、裏庭に誰か来た気配を感じたからだ。ウルフウッドは反射的に身を隠した。
(誰や、こんな時間に…ん?あれは…たしか同部屋の…風紀委員やってるとか…)

「あたし…ヴァッシュ先輩のこと好きなんです!ずっと好きでした!」
 女のコが真っ赤に頬を染めながら、告白する。男は困ったような笑顔で、返事をした。
「あー、ゴメンね…僕…好きな人がいるから」
 大男ながらも、優しい笑顔に甘い声。綺麗なブロンドがよりいっそう彼の上品さを醸し出す。目もとの泣きぼくろがかわいいのだと、皆はいう。
(こいつ、何考えてんのかあんまりわからんよなあ…しかしホンマにモテる奴やったんやなあ)
 同室の彼の背中を眺めながら、こんなところを見られたことが判れば彼女も恥ずかしいだろうということで、この場を早々に退散することにした。
(あいつにもバレたら何言われるかわからんでなー。せやな、もう今日はその辺のゲーセンにでも行くか…)
 裏庭を抜けると、一年生の昇降口に出てくる。休み時間とはいえせいぜい10分ほどだから、誰もこんなところを通る生徒はいなかった。………はずだった。
 ぱたぱたぱた。
「あー!ウルフウッド君!何してたの?」
「え」
 なんでコイツとよりによってこんなとこで会うねん!
「もしかして教室がわかんなかった?やっぱり一緒に行けばよかったね」
「いや、あの」
 あ、もしかして…裏庭から同じ道抜けてココへ来たんか…?せやったらワイめっちゃ間抜けやないか…。
「もう時間ないから!先生も心配してたよ!さ、いこっ」
 ヴァッシュはウルフウッドの手をとると、走り出した。
「あ、おい、ちょっと…ちょっと?」
「わからないならそう言ってくれればよかったのに。あ、僕がそういう事気が付かなきゃ駄目だったんだね、ごめんねー」
「いや、ワイは今日は…」
 帰るから、という言葉を発する隙もなく、そのまま教室の前まで引っ張ってこられてしまった。どうも彼といると調子が狂う。相手のペースにはまっているようだ。
「君のクラスは1組だよ。僕と一緒だね」
 一緒…一緒ってことは…寮でも学校でもおんなじ顔を突き合わすっちゅうことか。ウルフウッドが思いをめぐらせているとそこへ、小柄でショートヘアの女の子がヴァッシュに話し掛けてきた。
「あら、珍しく帰ってくるのが遅いと思ってたらお客様つきだったんですの?」
 ウルフウッドを見てにこりと微笑む。。
「私はメリル・ストライフですわ。えーと…」
「彼は今度転校してきたウルフウッド君だよ。ほら、朝先生が遅刻してる転入生がいるって言ってたでしょ?彼がそうだよ。それにねー、寮の部屋も僕と一緒なんだ」
 メリルはウルフウッドの方に向き変わり、ほうと大きなため息をついた。
「?」
「ウルフウッドさん…苦労しますわよ。同情しますわ…」
 心底同情する、といったふうな顔をして、肩に手をぽんぽんと置いた。 
「は?なんやそれ」
「そうだよ、それどういう意味さ」
「そのうち、わたくしの言った言葉が真実だとわかる時がきますわよ。さ、もう先生が来られますわ。席につきなさいな、ヴァッシュさん」
 なんなんや。あんな意味深なセリフ、気になってしゃーないやんけ。ウルフウッドは、メリルのいった言葉の意味を量りかねていた。あの同情を含んだ表情に嘘はないように思える。根拠があるわけではない。ただの直感だが、そういう第六感に頼るほうが案外良い結果が得られたりするものだ。
「ウルフウッドさんはわたくしと一緒に職員室へ行きましょう。先生もきっとあなたのことを探しておられるはずですから」
 ―職員室。その響きだけでなんとなく避けて通りたい場所だ。いや、今日はもうすでに遅刻とサボリという叱られるべき理由がすでに発生しているのもあるのだが。
「あー…職員室ね…」
「随分といやそうな顔してますわね。職員室はお嫌いなのかしら?ウルフウッドさんは」
「そんなん好きな奴いーひんやろ?ねえちゃんは好きなんか?」
「好きではないですけど…。わざわざ避けて通るほど苦手でもないですわ。」
 メリルはかすかに微笑むと、廊下をすたすたと歩き始めたので、ウルフウッドもその後をついて歩きはじめた。
「また後で会おうねーウルフウッドくーん!」
 脳天気な声が背中から聞こえる。見たらあかん、相手のペースにはまったらあかん、とぶつぶつ唱えながらメリルの後姿だけを見つめて歩を進めた。
「よっぽど気に入られてしまったようですわね」
「気に入られた…ねぇ…ワイはええ迷惑や」
「彼は…ヴァッシュさんはいい人ですわよ。誰にでもやさしくて、気が付く、クラスの人気者ですわよ」
「ああいう脳天気なタイプは苦手やねん」
「みかけは脳天気ですけど、ね。」
 また意味深なセリフを聞いた。
「さっきからなんかゆうてるけど、一体どういう意味やねん。あいつなんかあるんか?」
「彼は有名人ですもの。それにウルフウッドさん。口で説明してもあなたはきっと納得なさらないわ。一日一緒にいたらすぐわかりますわよ。論より証拠、ですわ」
 この口調からいくとどうあっても教えるつもりはないらしいので、ここで大人しく引き下がった。
「さ、職員室はここですわ。先生!お探しの転校生を連れてきました」
 メリルの声に反応した教師が、安堵と怒りの混じった顔でこちらに猛スピードでやってきた。
「あとはおまかせしますわ、先生。」
「ストライフくん、迷惑かけてすまなかったねぇ」
「ちょ、ちょっとねえちゃん?こんなとこワイだけ残していくんかいな」
 救いを求めるべく耳元でささやいてみたのだが。返ってきた返事は素っ気無いものだった。
「自分で蒔いた種は自分でなんとかなさいな、ウルフウッドさん」
 最大級の笑顔がひとつ。優しい笑顔がかえって取り付く島もない、そんな感じであった。
 あさっての方向を見ていたからなのか、遅刻とサボリのせいなのか、はたまた両方の理由なのかは不明だが、我慢の限界だと言わんばかりの形相でにらむ教師の怒声が学園にこだました。



 この学校にはあらゆるところに桜が植えられている。裏庭にもしかり、だ。春になると一面が淡いピンクで染まるのだ。ある有名な画家がこの学園の桜を絵に描いたおかげで、全国的に有名となった。ウルフウッドも、この有名な桜の話を聞いたことがある。今はもう葉桜となっているものの、枝ぶりからみて満開の時期は相当見事に花が咲き乱れることが見てとれた。
 こんなとこで花見できたら…チビどももよろこぶやろなあ。
 桜ははかなく散る花だ。そのあまりのはかなさがいまいち好きになれない理由でもある。
「もう葉桜だけど、それはそれで綺麗だよね。今日はここでお昼寝かい?」
 不意に、頭の上から声がした。
「なんか用か」
 不機嫌そうな声で返す。ヴァッシュは苦笑いしながら、隣に腰をおろした。
「なんか用か、はひどいなぁ。ウルフウッド君、あの後の授業もサボったからさ。ここにいるかなって思って見に来たのに。それにしても、君ここが好きなの?」
「…知ってたんか」
「一時間目の休み時間のこと?知ってたよ。そのくらい気が付くよ」
 知ってて偶然出会ったように装って、教室まで連れて行ったってことか…。考えようによっては、かなり食わせ者な男やなぁ…。
「あんまり初日からサボったら駄目だよ、って言いたいけど…今日はこんないい天気なんだし、部屋の中にいるなんてもったいないよね」
 ひとつ伸びをして、こちらに向いて笑顔を見せた。なにかどこかで聞いたようなフレーズだ。
 やわらかい光が亜麻色の髪に反射する。ヴァッシュのネクタイを緩めた首もとが、妙に艶めかしく映る。
 艶めかしい?
 自分の頭によぎった想いに、信じられないといわんばかりに驚く。
「どうかした?何変なカオしてんのさ」
「いや…あぁ…」
 うまく言葉が出て来ずに、適当に言葉を濁すのが精一杯だった。
 艶めかしく映る?一体、何にそんなことを考えた?
 ふいに風が吹き、残り少ない桜の花を散らせ、積もった花びらを舞い起こさせた。あたり一面ピンクに染まる。
「ははっ、花びらだらけだ」
 無邪気な笑顔を向けて花びらと戯れる姿はあどけなく、ほほえましいといえばほほえましい。
「全く…頭が桜だらけやで」
 もともと子供の世話をすることに慣れているためか、世話を焼いてしまうのはいつもの癖だった。ヴァッシュの髪に絡む花びらを払ってやると、照れくさそうに彼は微笑んだ。
「ありがとう」
 ふと沸き起こった衝動から、ヴァッシュの頬についた花びらに手を伸ばす。やわらかい頬に触れた指が、動かせなかった。
「ウルフウッド君?どうかした?」
 ヴァッシュの声にはっと我に返った。これではまるで少女漫画の世界だ。だいたい、相手は男ではないか。まあ男にしては可愛らしい顔をしているといえばそうなのだが…やはり彼は男である。
 桜は魔力を秘めた花であるという。昔から愛されてきたこの花には、色々といわれがある。昔話と笑ってしまえばそれまでだが、今まで伝え続けてこられたからにはそれなりの理由があるのだ。例え作り話だとしても、桜がもつ妖しい力がそれを伝説としてきたのかもしれない。はかなく散る命だからこそ、強い力を発揮するのだろうか。
「桜のせいや」
「?なに、それ」
「今日はもう寮に帰るわ…。ちょっと気分悪いから」
 そういうが早いか遅いか、さっさと立ち上がると一目散に裏庭を後にした。
「あ、ちょっと待ってよ!ウルフウッド君?」
 ヴァッシュの声を背中に聞きながら、どうかしてしまった自分を制御できないでいた。 どないしたっちゅうんや。いつものワイやないで、こんなん…。



 寮に戻ったのは門限ぎりぎりの時間だった。部屋に戻ればヴァッシュがいるだろう。そう思うと部屋への足取りが重くなる。とりあえず休憩室の椅子に座り、缶ジュースのキャップを開けた。
 こうしてても、いつかは部屋に戻らんとあかんねんな…どんな顔してあいつに会えばええんや?大体自分がなんであないな行動とったのかもわからんのに、他人に説明なんぞできるわけあらへん…。
 そのとき、廊下の奥から争う声が聞こえた。
「待てよヴァッシュ!」
「もうっ、僕のことはほっといてくれよ!」
 ヴァッシュ?あかん、まずい!
 声の様子からしてこちらへとやってくるようだ。どこかへ隠れるか寮を出るか―
「こんな夜から街に出るだなんて駄目だ!いいから部屋に戻れ」
「だって、ウルフウッド君が帰ってきてないじゃないか!ナイブスは心配じゃないの?」
「お前は自覚がなさ過ぎるんだ。そんな危ない奴を外になんか出せるか。いいから、後は俺に任せて部屋に戻れ」
「ナイブスはいつだってそうだ!そんな無理やりな理由で納得なんかできないよ!」
 じわり、と涙ぐんでナイブスに反抗する。
「泣けばいいとでも思ってるんだろ?全く、まだ子供だな。その涙がいい証拠だ」
「ッ…」
 痛いところをつかれて、ヴァッシュは返答に詰まった。実際泣いているのは事実だから、言い返せなかったのだ。
 それにしても…きっついにいちゃんやなー。言うてることはごもっともやけど、もうちっとやわらかい言い方してもええんとちゃうんやろか…?
「ほら、だいたいもう帰ってきたぞ」
「え?」
 なに?
 ヴァッシュはナイブスの指差す先に視線を移し、見つけるべき目標を確認した。
「ウルフウッド君!」
 花が咲いたような笑顔でこちらへ走ってくるヴァッシュの無邪気さに、心がずきんとした。
「今探しに行こうかと思ってたんだ!」
 ぽふん。
 ウルフウッドに思い切り抱きつくヴァッシュは、まるで母親に会えた子供のようだった。
「ちょ、ちょっと…やめ…」
「すごく心配したんだから!家に帰ったかと思ったじゃない〜!」
 そんな風に言われて泣かれては何も言えないではないか。抱きつかれたまま、その腕を振り払うことも、さりとて抱きしめ返すこともできずに、次の言葉を捜していた。
「さて、部屋に戻るとするか」
 ナイブスは何もなかったかのように部屋へ戻ろうとしている。あわててウルフウッドは彼に救いの手を求めた。
「ちょお待て!こいつなんとかしてくれや!」
 無言で立ち止まったナイブスは、ゆっくりと顔をこちらへ向けてこう言い放った。
「ヴァッシュを不幸にしたら、俺が許さん」
 は?不幸?
「不幸って…なんの…」
「いいか!ヴァッシュは俺の大切な弟だ!また泣かすようなことがあったら、俺が黙ってはいないからそう覚悟しておくんだな」
 背筋が凍るような目つきでにらまれ、何も返すこともできずにその場に立ち尽くす。ヴァッシュは相変わらず自分の胸で泣きつづけている。
「すごく、心配したんだよ…」
「そりゃ、すまんかったな」
 とりあえず、謝っておくことにしよう。泣く子と地頭には勝てぬというし、こちらが下手に出るほうが得策というものだ。
 それに、こうまで心配してくれたのがちょっとうれしくないわけでもない。ほんの少しこそばゆい気持ちで、彼の頭をそっとなでてみた。
 ふんわり、気持ちいいなでごこちだった。
(ま…今日のところはあんまり深く考えんとこ…そのうち色々わかってくるやろ)

 その考えが吉とでるか凶と出るか。それはまだ誰にもわからないのである。


 さて、この辺でほかの寮生の話をちょっと聞いてみよう。

「これでナイブス寮長の怒りの矛先があの転校生ひとりに向いたって事か」
「ああ、これで俺らも安心して学園生活を送れるってもんだよ」
「あの人、できる人なんだけどさぁ。すっげーブラコンなんだもんなぁ」  
 三人は顔を見合わせて、ほう、とため息をついた。
「でも、まあ、ヴァッシュと一緒の部屋ってのはうらやましいかなぁ」
「えー?ナイブス寮長の監視付きだぜ?学校でもどこでもきっと見張られてるって」
「それにあのヴァッシュと一緒ってことは、ナイブス寮長以外にも色々大変だって。体もたねーんじゃねーの?俺ら一般人には無理だって。こうやって傍から眺めてるのがお似合いだよ」
「それが一番平和だよなぁ…」
「そうだなぁ…」



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