| sweet heart |
| その夜、牧師は己の務めに勤しんでいた。 「あのね、ウルフウッド。お願いがあるんだけど・・・・・・」 「・・・・・・」 控えめな、けれど甘ったれた口調で声をかけられて、黒服の男は思わず眉間にしわを寄せた。それを隠すように、手にしていた聖書を顔に近づける。そのまま呼びかけには気づかなかった振りをして無視してやろうかという考えが、一瞬男の脳裏をよぎる。 しかし。 「ねえ、ウルフウッドぉ」 無視されたヴァッシュは猫なで声で再び名を呼びながら、背後からしなだれかかってくる。これでは無視なんてできない。 大きな溜め息をを一つ。持っていた聖書を机において、肩口に顔をのせる男のトンガリ頭をポンポンと叩く。 「―なんや、トンガリ」 秋レと溜め息が混ざった声。そして微かに疲れもにじむ。 やっと返事を返してもらえて、ヴァッシュは嬉しそうに笑みをうかべた。大好きな黒髪の男を腕の中に捕らえて、抱きしめる力を強くする。 今度はいったい何なんや?妙に可愛く甘えてくるヴァッシュに、愛しさ半分鬱陶しさ半分、といつ複雑な感情を抱きながら、ウルフウッドはヴァッシュの答えを待つ。 「あのね、お腹空いたんだけど」 一般的に、日常的に、常識的に考えたならば。時間や二人の活動内容から考察するに、このヴァッシュの台詞におかしなところなどない。 「それで、お願いっていうのは・・・・・・」 言いかけて、ためらうように言葉を濁す。 ウルフウッドは再び身権威しわを寄せて、ヴァッシュの顔を横目で見やった。 「ワイに作れゆうとんのか?」 言い淀んだその先を、イヤな予感というよりも確信でもって訊くと、ヴァッシュは勢いよく頷く。 「アホ。下の食堂で食うてこい」 すげなく返して、机の上の聖書を手にとる。首にまわされていた腕も外してしまう。 とたんにヴァッシュは頬を膨らませた。 「何で?作ってよー、ウルフウッド」 「あんなあ、何で宿に泊まっとんのにワイが料理せなあかんのや?食堂に行ったら美味いもんぎょうさんあるやろ?」 無理矢理口の端を持ち上げて笑みをつくり、まるで子供に言い聞かせるような口調でウルフウッドはヴァッシュを説き伏せる。 「でも、もう五日も泊まってたらいいかげん飽きてくるよ。だから・・・」 「それにな、ワイは明日の結婚式の準備で忙しいねん。邪魔せんといてんか?」 ヴァッシュの言葉を遮って、左手にもった聖書を指さしながら重ねて言う。 その事を持ち出されては、ヴァッシュはもう何も言えない。 そう、簡単なキッチンまでついているようなこの部屋に二人が五日も滞在している理由は、明日町で行われる結婚式だ。偶然立ち寄った辛うじて地図に載る程度の小さな町に聖職者はおらず、ウルフウッドが牧師とわかると、是非式を執り行ってくれと依頼されたのだ。 「それじゃあ、一緒に食べに行こう?それならいいだろ?」 「嫌や」 すっかりヴァッシュの事は無視して再び聖書に集中しているウルフウッドに妥協案を出したが、ウルフウッドはあっさりと拒否した。 「何で?お腹空いてないの?」 信じられないと言わんばかりにヴァッシュは声をあげる。 「式の段取り確認しに行ったときに、茶ぁよばれてん。せやからまだ腹空いとらんのや。腹空いとるなら、一人で行ってきぃ」 まるで犬猫にするように手を振ってヴァッシュを追い払う。 がっくり 音がしそうなほど大きく肩をおとして、赤いコートの男はウルフウッドの傍らからすごすごと退散する。いいナリした大の男が、失望もあらわに背を丸めて離れていく様を聖書の影から盗み見て、ウルフウッドは苦笑をうかべた。 予想に違わないヴァッシュの反応は、ウルフウッドの笑いを誘う。本当は一緒に食事に行くくらいしてやってもいいのだけれど。あまりに可愛い反応を返してくれるので、ついつい意地悪してみたくなる。 もっとも、明日の結婚式の準備で忙しいのは事実だったので、ウルフウッドはすぐにヴァッシュから聖書へと意識の先を切り替えた。 部屋の中には、ウルフウッドがペンを走らせる音と聖書のページを繰る音、それからヴァッシュが思い出したかのように身じろぎする音だけがする。 背後にヴァッシュの気配を感じながら、ウルフウッドは牧師の仕事に励む。そういえば、ヴァッシュと旅をするようになってから、結婚式を執り行うのはこれが初めてだなと、さして意味のない事を思い出したりしながら。 その間、ヴァッシュはずっと部屋にいた。空腹を訴えながらも、一人で食事に行くつもりはないようだ。ウルフウッドの仕事が終わって手が空くのを、待っているのかも知れない。その証拠に、時折振り返ってはウルフウッドの様子を伺っている。 やっと一段落ついてペンを置き、ウルフウッドは小さく伸びをした。首をならして、振り返る。 「何や、そないにワイと一緒に飯食いたかったんか?」 ベッドに座り背を向けて黙り込むヴァッシュに声をかけた。答えは分かりきっているのに敢えて疑問形で訊いたのは、ちょっとした嫌がらせだ。 「・・・・・・・」 「・・・・返事がないって事は、別にかまわんのやな」 突き放すように告げる。びくんとヴァッシュの肩が跳ねた。けれど返事はない。 ―拗ねたんか?信じがたいことだが、ヴァッシュならありえる。これはちょっと苛めすぎたかも知れない。 このまま放っておいて更に臍をまげられてはたまらない。 なので、溜め息を一つついて椅子から立ち上がった。 「おいトンガリ、メシ食いに行くで」 背を向けたままのヴァッシュの肩を軽く叩く。しかしヴァッシュは振り返らない。仕方ないので正面に回りこんで、腰を折るようにしてヴァッシュの顔を覗きこんだ。避けるように視線をそらされる。子供じみたその仕草。 こいつホンマに人間台風なんか?思わず疑ってしまう。 「いつまで拗ねとんのや。ええかげんにせいよ」 頬をめいっぱい膨らませて唇を尖らせて、上目使いで睨みつけてくる。本当に子供のようだ。 「なんでや、ワイは自分の仕事こなしとっただけや」 「それは、そうだけど・・・・。だってウルフウッドってば最近忙しくて、ろくに話もしてないんだよ」 「せやからそれは、仕方ないやん」 「だから、それはわかってるんだって!!」 顔を上げて瞳に力を込め、頬を膨らませたままウルフウッドを睨み付ける。 「僕が怒ってるのは、君がわざと僕を避けておもしろがってたって事だよ!」 知ってるんだよ、と、ヴァッシュはますます目付きを厳しくする。 その様に呆気にとられ目を瞠る。何やこいつ、ワイにかまってほしかっただけか。唐突に、その事に気づいてしまい拍子抜けした。 「君!何、笑ってるのさ!!」 まるでかんしゃくを起こした子供のように、声を荒げて噛み付いてくる。言われて初めて、ウルフウッドは自分が笑っていたことに気づいた。いつものからかうものでも、皮肉るものでもない、自然とうかんだ笑み。 「あー、分かった分かった。ワイが悪かった」 半ば投げやりな口調で、不毛な会話を断ち切る。 「誠意が感じられない」 「したら、どないせえっちゅうねん」 未だ唇を尖らせたままのヴァッシュに、思わずそう訊いてしまっていた。途端にヴァッシュは瞳を輝かせた。 「ウルフウッドがご飯作ってくれたら許してあげる」 「―材料ないんやけど」 「あ、それなら大丈夫。僕が買って来ておいたから」 にっこり、としてやったりとばかりに満面の笑みをうかべる。その笑顔に計画犯ということを知る。こいつ、悪魔や。 「あ、材料はね、こっちに用意してあるんだ」 ウルフウッドの手を引き、いそいそとキッチンにつづくドアを開ける。ウルフウッドはというと抵抗する気も失せて、ずるずると引きずられて行く。 「で、何作ったらええんや?」 「ウルフウッドが作ってくれるなら、何でもいいよ」 そう可愛いことを言ってくれるが。材料を一瞥して、ウルフウッドは溜め息をつきたくなった。ヴァッシュが用意した材料ではスパゲティー以外に作れない。わざわざ自分が作る必要性があるのかと問うてみたくなるが、誠意を見せると言った手前作らないわけにはいかない。 包丁片手に渋々と言った風でキッチンに立ち、ウルフウッドは恨めしげに背後のヴァッシュを振り返った。ヴァッシュは部屋から椅子を持ち込んで、料理をするウルフウッドの姿を眺めている。実に嬉しそうに。 その様を見ているとまんまとはめられた自分が情けなくなってくるので、一度舌打ちして不機嫌をアピールしてから、まな板に向き直った。 「おどれ、甘えたい放題甘えとるやろ」 苦々しく思いながら、呟くように愚痴をこぼす。包丁を使う手は動かしながら。 「いいじゃない、僕が甘えるのは君だけなんだから」 「・・・・・・」 何の抵抗もなくさらりと真顔で告げられた台詞に、ウルフウッドは無言のまま眉根を寄せた。振り向けば、邪気のない笑顔でもって自分を見つめてくるヴァッシュがいる。 最高の殺し文句や、と思う。―不覚にも。 他人から感情を向けられるのは何よりも嫌いで、鬱陶しいはずなのに。ヴァッシュに甘えられることを、自分に向けられるあからさまな好意を、喜んでいる自分がいる。 ―本当に、不本意だけれど。 「だからね、ウルフウッドも僕に甘えてくれていいんだよ」 君に比べたら、何もできないけどね。―苦笑いしながら付け足された台詞。 「ほんまや」 それには皮肉った言葉を返す。我ながら素直じゃないと思うけれど、性分なのだから仕方ない。それに、素直な自分なんて想像するのもおぞましい。それはきっとヴァッシュも同じだろう。 ウルフウッドの台詞に軽く溜め息をついて、ヴァッシュは苦笑をうかべる。 「相変わらず、口悪いねぇ、君」 「性格悪いおどれよりはマシや」 「うっわ、ひどい言われよう」 何げない軽口の叩き合い。久しぶりの。それを心のどこかで楽しんでいる自分に気づいて、ウルフウッドはふと思った。 こういう他愛もないやり取りを望んでいるのは、自分もなのかも知れない。 ―ヴァッシュだけでなく。 「ほんと、おいしかったー」 ウルフウッド昨の山盛りスパゲティーを一人で殆ど平らげたヴァッシュは、口の端にトマトソースをつけたまま感嘆の声をあげる。かなりの量のスパゲティーを作ったはずなのにすっかりヴァッシュの胃の中に消えてしまい、ウルフウッドは半ば呆れ返りながらヴァッシュの食べっぷりを見ていた。 しかし、こうも嬉しそうに食べられると作ったほうも悪い気はしない。 「さよか」 満面の笑みをみせるヴァッシュの正面では、ウルフウッドが煙草片手にウイスキーの入ったグラスを傾けている。その首筋が微かに赤く上気しているのは、既に軽く酔っているからなのか、ヴァッシュの賛辞に照れているからなのか。 「トンガリ、おどれもやるか?」 食器をキッチンに下げてきたヴァッシュにウルフウッドはグラスをかかげた。迷わず頷き、再び席についてそれを受け取ると、酌をうける。 「あ、これ、いいやつだね」 一口、なめるように味わってヴァッシュは呟いた。 「新婦んとこの親父さんがくれたんや」 旨そうに飲んで、本当に嬉しそうに笑う。酒に酔っているせいだろうか、いつもと違いストレートに感情がおもてにでる。素直に、といった方が正しいかもしれない。 アルコールが解きほぐした心。 ―今なら。ウルフウッドが自分の我がままを聞いてくれた今日なら、リラックスしている今なら、ずっと言いたかった一番の我がままを言っても許されるかも知れない。 そんな打算的で、狡い考えがヴァッシュの中で頭をもたげる。この機会を逃せばまたしばらく口に出せないだろうという弱気な確信も手伝って。 グラスのウイスキーを、景気づけに一気にあおる。さして酒に強くもないのにそんな事をしたものだから、激しくむせ返ってしまう。 「何やっとんのや、トンガリ。いけるか?」 咳き込むヴァッシュを気遣うウルフウッドを片手で制して、呼吸を整える。 「ホンマに大丈夫なんか?」 「うん、平気だから」 いつもだったら、笑うだけで気遣ってなんかもらえないはずなのに、今日のウルフウッドは優しい。甘いというほうが適切かも知れない。やっぱり今しかないと、思い切る。 「あのね、ウルフウッド。我がままついでにもう一つお願いしてもいいかな」 「嫌や」 きりだしたものの、ウルフウッドの反応が怖くて俯いてしまっていたヴァッシュは、即答された返事に弾かれたように顔をあげた。不安げな、その表情。悲壮感すら滲ませた。 けれど、上げた視線の先にはあったのは予想していたような表情ではなく。 「―ってゆうたら、どないする?」 からかいまじりの、笑いまじりの口調。笑顔を浮かべて。 そんなウルフウッドの表情を見て、一気に体の力が抜けてしまった。テーブル上で腕を組んで顔を埋める。 「ウルフウッド、苛めないでよ・・・」 安心してしまったせいで、泣きそうになる。 「ちょーっとした茶目っ気やん。何でそんなに拗ねるんや?」 呆れを滲ませながら尋ね、腕に顔を埋めたままのヴァッシュのトンガリ頭をウルフウッドはぽんぽんと叩く。促されてヴァッシュは一度大きく深呼吸した。 「この際や、何でも我がままきいたるわ」 片肘をついてあごをのせて。にっ、と、よく見せる人好きのする笑みを浮かべる。その笑顔に背を押されるように心を決めて、ヴァッシュは一度大きく深呼吸した。 真剣な表情で、真摯な瞳をして、正面のウルフウッドを見つめる。 「あの・・・・ね、資格が欲しいんだ」 「資格?」 何の事だか分からず、オウム返しに訊く。 「うん、ウルフウッドの傍にいられる資格。ずっと傍にいてもいいんだって資格」 ヴァッシュが口にしたのは、そんな望み。 ウルフウッドは暫し何かを考えて、そして口を開いた。 「―おどれが傍におる資格だけでええんか?」 「うん。―ってウルフウッド、何で機嫌悪くなってるのさ」 「べつに」 言葉とは裏腹に不機嫌さを隠さない表情。 「べつにって態度かい、それが」 「おどれには関係あらへん」 背もたれに腕をかけそっぽを向いて、グラスのウイスキーを一気にあおる。 絶対に、怒っている。さっきまで笑っていてくれたのにいきなり態度を変えられて、ヴァッシュはどうしたらいいのか分からずうろたえる。 自分の不用意な何かがウルフウッドの機嫌を損ねたらしい事は分かる。けれど、その「何か」が何なのか分からない。 いや、全く心あたりがないというわけではない。ただ、それを認めるのが恐いだけで。 「・・・あー、やっぱり、迷惑だったね。ごめんねー・・・」 にへら、と、いつもの作り笑いをうかべて。 それはウルフウッドに怒られるものだけれど、他にどんな表情をすればいいのか分からない。でも今回ばかりは、それすらもうまくいった自信がない。 言わなきゃよかった。今更後悔しても遅いけれど。 「忘れて−うん。さっき言った事はなかった事にして」 「やっぱり、おどれはアホンダラや」 顔をそむけたままぼそりと、ウルフウッドが呟く。それを聞いて、やっぱり泣きたくなってしまう。情けないと自分でも思うけれど。今日のウルフウッドの優しさに、思い上がった自分が悪い。 空っぽの愛想笑いを顔に張り付けたままのヴァッシュを横目で睨め付けて、ウルフウッドはますます表情を険しくした。 空いたグラスにこれみよがしに乱暴な手つきでウイスキーを注いで、ボトルを叩きつけるように机に置く。衝撃で、飲みかけのヴァッシュのグラスからウイスキーが零れる。 「おどれにとってのワイは、その程度のもんなんやな」 「え?」 言われた台詞の意味を掴みそこねて訊き返す。 理解していないらしいヴァッシュの様子に、ウルフウッドはグラス片手に自嘲に唇を歪める。そしてどこか投げやりな口調で更に言葉を放つ。 「どうでもええ存在っちゅうわけや」 「何で、どうしてそうなるんだよ!!ウルフウッドの事がどうでもいいなんて、あるわけないだろ!!」 ウルフウッドの発言に身を乗り出して言い返して、ヴァッシュは凍りついたように動きを止めた。眼前でウルフウッドが剣呑な光を目に宿すのに気づいたからだ。 「せやったら、なんでワイの傍におる資格が我がままなんや」 低い、低い声。ともすれば何の感情もよみとれないような。真っすぐに自分を見つめてくる闇を思わせるウルフウッドの漆黒の瞳に、何とか感情を見つけようと目をこらすヴァッシュだが叶わず、逃げるように瞳をふせた。 「そんなん、我がままでも何でもないわ」 苛つきから舌打ちし、吐き捨てるように言って再び顔を背けるウルフウッドの横顔を呆然と見つめて、ヴァッシュは唇を噛み締めた。 いったい、ウルフウッドは何を怒っているのだろう。分からない。だって、ヴァッシュが口にした望みは、やっぱり我がままだから。誰かの傍にずっといるなんて事は我がままでしかないから。 人間ではない自分が、人間のウルフウッドの傍に居る。それがどんな未来をもたらすか、ヴァッシュは知っている。 ―流れる時間が違う。 その事実がヴァッシュに重くのしかかる。だから、ウルフウッドの傍にいられるだけで充分なのだ。それで満たされる。だって、ウルフウッドに求めてはいけない。求めてしまったら、抑えが利かなくなる。今だって危うい均衡のうえに辛うじてバランスをとっているのに。 それなのに、ウルフウッドは更にヴァッシュの心をかき乱す事を言ってくる。 「傍におるんなんか、勝手にできるわ。一方的にな」 口を閉ざしたままのヴァッシュに、冷ややかな言葉を継ぐウルフウッド。口調は冷めているくせに、感情は昂ぶっている。自分でもらしくな事を口走っているという自覚があった。けれど、一度堰を切ってしまった感情は吐き出すまで止められない。これ以上の言葉はヴァッシュを傷つける。いや、もう傷つけている。だから止めなければならない、分かっているのに、止まらない。止められない。 アルコールがいつもは働くはずの自制心を緩くしているのだという事まで分かっているのに。 「せやから、離れるんも一方的や。おどれは勝手にワイの傍におって、飽きたら勝手に離れていくんや」 「離れるわけない!!」 「せやったら何で、ワイに何も望まん!?何でワイに、傍におれゆわんのや!」 思わず叫んで、はっとして口を手で覆う。己の失言に顔を紅潮させて口を噤むウルフウッドを呆然と見つめて、ヴァッシュは告げられた競り具の意味を理解しようと必死に頭を働かせる。 思いついたのは、一つの可能性。 でも、それって・・・その言葉の意味は−。 「―もしかして君、僕の傍にいてほしいって、言葉がほしかったの?」 「―」 「本当―に?」 沈黙は肯定と同じだ。しかも顔を背けて耳まで真っ赤にしていては、たとえ否定した所で説得力などなかっただろうが。 はじめ驚愕に見開かれていたヴァッシュの目が、ゆっくりと細められる。うかんだのは柔らかな笑みだった。幸せそうな。 もっとも、掌で顔を覆ってヴァッシュから表情を隠すウルフウッドには、その笑顔に気づく余裕もなかったが。 やがてヴァッシュの笑みは違うものへと変わった。自分の間抜けさを嘲笑うための。我ながら、本当に救いようのない馬鹿だ。込み上げてくる嘲い。押さえきれない。 「笑うなや、ワイ自身が一番アホや思とんのやから」 声をあげて笑うヴァッシュを睨みつけ、ふてくされた口調で文句を言う。自分の事を笑っているのだと、ヴァッシュの笑いの理由を勘違いしているウルフウッドは赤らめた顔はそのままに、大きな溜め息一つつく。 「ホンマ、なんでこんな難儀な奴に惚れてしもたんやか・・」 ぼやく声も心なしか弱々しい。それが妙に可愛くて、ヴァッシュは収まりかけていた笑いがまた込み上げてきた。今度はウルフウッドに対しての。 「いい加減、笑うのやめたらどうや」 どこか拗ねた口調で、ふてくされた表情で、ウルフウッドはヴァッシュの額を指で弾いた。しかも、かなり本気で。 「痛っ」 デコピンをくらわされた額を押さえ目には涙まで溜めて、ヴァッシュはようやく笑いを収めて、正面のウルフウッドの顔を真摯な眼差しをして見つめ返した。 黒い髪と黒い瞳と。安らぎをもたらす夜の色を持つウルフウッドの姿だけを瞳に映して、ヴァッシュは密かに淋しげな表情を見せる。 「だけど、本当に僕でいいの?」 「何やおどれ、ワイじゃ嫌なんか」 途端に目つきを鋭くして詰め寄るウルフウッド。 「嫌じゃない!絶対に嫌じゃない!―だけど、不安なんだ」 力いっぱいウルフウッドの言葉を否定して、けれどヴァッシュはすぐに表情を曇らせる。付け足した言葉そのままに。 「不安って、何がや?」 顔を顰めて問うてくるウルフウッドにヴァッシュは困ったように微笑んでみせた。それはいつもうかべる愛想笑いに、とても近い笑い。この状況でそんな表情をされて、ウルフウッドは不快感にますます眉間のしわを深くした。 「何が不安なんかゆうてみい」 答えないヴァッシュに重ねて訊く。どうせ、くだらない事で悩んでいるのだろうとあたりをつけて。 「だって、ウルフウッドは絶対後悔するよ」 「後悔って何をや?」 言うか言うまいかほんの少しためらった後、ヴァッシュは観念したように口を開く。揺るぎない視線で自分を見つめてくるこの男の瞳にだけは絶対勝てないと分かっているので。 「ウルフウッドはもう知ってると思うけど。僕は、人間じゃないから」 「別に構へんわ。それが、トンガリなんやろ」 さらりと、ウルフウッドはヴァッシュが予想だにしなかった言葉を返した。そう答える事に抵抗がないわけではなかったけれど、それでも、それを本心といえる自分がいるのを知っているウルフウッドは黙ってヴァッシュからの返事を待つ。 「それは、そうなんだけど・・・」 けれど、返ってきたのは煮え切らない呟きでしかなく。ウルフウッドは苛々と舌打ちする。 「あーもうっ、うざったい奴やな!!」 怒鳴って、机の上に身を乗り出して正面の男の後頭部に手を伸ばす。反応の遅れたヴァッシュの唇に、うるさい口は塞いでしまうにかぎると言わんばかりに、ヴァッシュは呆然と目を見開いたままされるがままになっている。 「・・・ふっ・・」 ようやく口づけをとかれて、ヴァッシュは詰めていた息を漏らした。 「なん・・・・で、こんな・・・」 いきなりのウルフウッドの行為に動揺を隠しきれない。呟いた言葉に、ウルフウッドの方が不満げな顔をする。被害者はヴァッシュのほうなのに。 「それをワイに言わせるつもりか、おどれは」 椅子を立ってヴァッシュの横に歩み寄り、腰を折って椅子に座ったままのヴァッシュの額に口づける。不意打ちのキスにまたもや顔を赤くする、不器用にしか生きられない男。 「ずっと、傍におったるわ」 ヴァッシュを抱きしめて、耳元で望んでいる台詞を囁いてやる。背に腕が回される。抱き返されて、ウルフウッドはほっと息を吐いた。 「いいの?嫌だって言っても、もう離さないよ」 震える声で確認する。 「そんなん、おどれに惚れとるて自覚したときから腹括っとるわ」 視線を外さず言うウルフウッドに対して、ヴァッシュは逃げるように視線をそらした。それにウルフウッドが片眉をあげた事には気づかずに。 「でも、やっぱり不安だよ」 ここまでウルフウッドに言わせておきながら、まだヴァッシュは確証がない事を気にしていた。翡翠色をした瞳に、言葉どおり不安を滲ませウルフウッドを見つめてくる。 ホンマに、手のかかる奴やで。せっかく言葉をやっても、これでは意味がないではないか。信用されてないことを改めて突き付けられて、ウルフウッドは溜め息をつきたくなってしまう。 まあ、そういうところも含めたヴァッシュを好きになったのだから、自業自得というところか。それに、そんな簡単に思い切れるものなら、ヴァッシュはとっくの昔にもっと楽な生き方を選んでいるだろう。自分と出会うこともなく。 −そんなに確証がほしいなら。 「したら、結婚でもするか?」 さらりと、笑いながら言う。まるで、お腹がすいたからご飯を食べようとでも言うように。 「けっ・・こん?」 我ながら間抜けな声だと自覚するくらい惚けた声で、ヴァッシュは音だけを繰り返した。「そや、結婚」 「え、で、でも、僕達男同士だしっ」 「別に、方に認めてもらわんでもかまへんやん。おどれが確証のうて不安やゆうから、結婚でもせえへんかて、ゆうただけや」 うろたえて至極常識的な返事を返すヴァッシュをウルフウッドは感情のこもらない目で見る。 「ああ、けど、おどれはワイのこと好きやないみたいやしなあ・・・。したら、結婚なんかでけへんな」 「好きじゃないって・・」 横をむいておもしろくなさそうに呟いて、ウルフウッドは身を起こした。顔を赤くしたまま自分を見上げてくるヴァッシュを見下ろす。 「せやかてワイ、好きやてゆうてもろてないし」 「ウルフウッドだって言ってくれてないじゃないか!! 」 「おどれがゆうたら、ワイもゆうたるわ」 淡々と告げられる理不尽な要求に、ヴァッシュは唇を噛み締めた。ここで要求されるまま言うのは、なんだかウルフウッドに負かされたような気がするのだけれど。 「・・・・」 「好きってゆえや?」 ニヤリと人の悪い笑みをうかべて、いけしゃあしゃあと言ってくる。眼前の男の図々しさに目眩を覚えながら、それでもヴァッシュは観念して閉ざしていた口を開く。ある言葉を紡ぐために。 「・・・好き・・・だよ、ウルフウッド」 瞬間のウルフウッドの表情をヴァッシュは絶対に一生忘れない。 「ワイも、好きやで」 ヴァッシュの顔を両手で挟んで上向かせ、額を合わせるように顔を近づけて、ヴァッシュの瞳を覗きこむようにしてウルフウッドは囁く。とても優しい声音で。 「・・・・・・ふっ・・・」 「って、なんでおどれ泣くんやっ」 ワイ何か泣かすような事したかっ、と、俯いて泣き始めるヴァッシュをどうしたらいいのかわからず、ウルフウッドはただうるたえる。既に頭はパニック状態だ。 「そんなにワイと結婚するの嫌か!?」 動揺のあまり、全くもって見当はずれ名事をいうウルフウッド。 「ちっ違うよ」 「したら何で・・・」 「嬉しくて・・ウルフウッドがあんまり優しいから・・・」 こんなに、望んだとおりになるとは思わなかった。ウルフウッドが自分を好きだと言ってくれるなんて。ずっと傍にいてくれるなんて。手に入れた幸せに涙が止まらない。 「本当に、嬉しいだけなんだよ」 泣き顔で無理矢理笑おうとするヴァッシュを思わず力いっぱい抱き締めて、ウルフウッドは心の中で誓う。絶対、こいつを離さへん。こんな危なっかしい奴ほっとけるか。 おとなしく腕の中に抱かれるヴァッシュ。孤独で愛しい存在。 抱き返される事をどんなにワイが喜んどるか、こいつはわかってへんのやろなあ。それには少し悲しくなってしまうけれど。与える喜びも、自分は知っているから。 一人くらい無条件で甘やかしてやる存在があってもいいだろう。 一人で抱え込みすぎるヴァッシュには、それくらいでちょうどいい。 「明日の結婚式の後に、二人で結婚式しよな?」 涙で濡れたこの顔にこの上なく優しい囁きとともに降りてくる、唇に触れるだけの、優しいキス。 闇に沈む部屋。 一つのベッドの上で、一枚の毛布に二人で包まって。伝わるウルフウッドの体温に、ヴァッシュはゆっくりと瞼をあけた。間近で規則正しい寝息を漏らす、男の寝顔を見つめる。以外と幼いそれに込み上げてくる愛しさに目を細めて。 くつろげだシャツの間にのぞく男の胸に埋めるように顔を寄せて、聞こえる鼓動に安心して再び目を閉じる。 ウルフウッドの体温を感じながら、ゆっくりと微睡みの中に落ちていく。 レムの夢をみよう。眠りの淵に沈む意識の端でそう思う。 明日は、レムの夢をみても幸せな気持ちで目覚められるだろうから。ウルフウッドの腕の中で、レムに言おう。自分は大切な人を得たのだと。 甘い、甘い夢をみよう。 ウルフウッドの腕に抱かれて。 |