「ねえ、約束だよ」
彼女は僕の方を向きながら言った。
「うん、約束だ」
僕は愛しそうに彼女の頬を撫ぜると言った。
彼女は続けていう。
「ずっと、ずっと一緒だよ」
「うん、ずっと一緒だ」
僕の言葉に彼女は微笑む。
まぶしい、太陽のような笑顔で………
それは、約束、遠い、遠い、昔に交わした約束、忘れ得ぬ黄金時代の思い出。護る事の出来なかった、約束。彼女の笑顔を見ながら、声を聞きながら僕の意識はゆっくりと覚醒してゆく。最後に聞いたのは、茜色の残照と共に響く、彼女の最後の言葉。
「絶対、どんなに時が経とうとも、生まれ変わってでも、貴方を見つけてみせるから、世界で、たった一人の貴方を、ね、約束、よ」
僕の頬を撫ぜながら、彼女が言い、僕が誓う、新たなる約束。
夢を見た。
ずっと、ずっと、昔の夢を。
それは優しい夢。だからこそ、その夢は残酷だ。
なぜならば、夢の中でしか、僕は彼女と逢えない事を知っているから。
そう、彼女はもう居ない。たった一つの約束を残して、彼女は逝った。
その約束を信じて、僕は生きている。
永遠とも言えるほど、長い時を……
弐/遠き過去の肖像、或いは地球衰退の歴史
西暦2015年、その災厄は巻き起こった。自我境界線強制融解事件。人はそれをサードインパクトと呼んだ。極東の島国で発生した、強力なアンチATフィールドが瞬く間に世界中に広がってゆき、世界中の人間の自我境界線、ATフィールドを融解させたのだ。結果、一時的にとはいえ、人間は強制的に"一つ"にされたのだ。だが、それも長くは続かなかった、触媒となった、一人の少年の呼びかけにより、自我境界線は再度形成される事となったのだ。
だが、それでも、一つになる心地よさを忘れられず、還って来る事を拒む者たちもいた、その数、全人口の三分の一ほど。先の災厄、セカンドインパクトにより人口の半分を失っていた人類にとっては大きすぎる痛手であった。
後に西欧圏の人々はその日のことをジャッジメントデイ,そう呼んだ。それはあまりに運命的な出来事であり、そして、その日以降、エンゼルチルドレン、そう呼ばれる種の人類が生まれるようになったが所以に。
だが、ここから人類の歴史の歩みはその速度を増す。皮肉にも、この人類史上未曾有の出来事が各国間の協調を余儀なきものとし、その事が人類初の統合政体の世界連邦政府の誕生を招く。そして、それからも歴史は、時は流れてゆく、そのうちに様々な悲喜劇を巻き起こしながら。
もはや、国家と言う物の垣根を越えねば人類に未来が無かった故の苦肉の策であったが、それは人類に災厄の前よりの更なる発展を促す事になった。
そして、初の統合政体を抱いた人類は、新たなるフロンティアを開拓すべく、星の海へと乗り出してゆく事になる。手始めに行われたのが、月面都市の建造、そして、太陽系各惑星、衛星の惑星改造と、移住。そして、恒星間飛行を可能にする、超空間航法の開発。そのうちに様々な悲喜劇を抱え込みながらも、それらは実行され、確かな恩恵を人類へと帰す事になる。中でも最も大きな成果は、超空間航法の開発と、そして、無改造で植民可能な惑星の発見であろう。その惑星は、発見者の名を取り、リュカーンと命名される事になる。そして、それを記念し、人類はこれまで使ってきた暦、西暦を捨て、新たな暦を導入する事になる。連邦暦の使用の開始である。そして、世界連邦政府は名を変え新たなる存在として生まれ変わる事になる、地球連邦政府の成立である。そして、数年後、恒星間移民船が完成し、初の恒星間移民が行われる事になる。だが、それは新たなる問題の始まりであった。初の移民船が多数の歓呼と共に送り出されたその時、当時の地球の為政者たちは、植民星にどれほどの自治権を与えてよいか既に、考え、話し合いをはじめていたのであった。
最初の問題は、移民者の数であった。連邦政府の成立、それによる主権国家の消滅、そして、科学技術の進歩、これらは人に様々な恩恵を与えた。主権国家の消滅は、世界から大規模な戦争を消し、科学技術の進歩は医療技術の進歩を生み人類の平均寿命は飛躍的に延びた。世界連邦政府が成立してから、五十年の月日が流れると、世界の人口は、ジャッジメントデイ以前の人口をはるかに超えるものとなっていたのだ。そして、母星である地球は、その人口を支えるには、あまりにも小さすぎたのである。太陽系内の各惑星の開発、月面都市の建造も、所詮は急場しのぎの焼け石に水にしかならなかったのだ。そこに都合よく起きたのが植民星の発見であった、リュカーンの発見に続き、他にも二つの無改造で植民可能な惑星が発見されていた。当時の地球の為政者たちは、この植民星に、増えすぎた地球の人口を押し付けることを決定したのである。
三つの惑星は、地球の増えすぎた人口を埋めるだけのキャパシティは充分に有していた、だが、それは充分に開発され、食料の自給自足が出来るようになれば、という事を、大前提としてである。
リュカーンの例をあげれば、この星には充分な量の土地も資源も存在した。そして、最初の移民は一万人、彼らはリュカーンの大陸の一つに入植し、開発を開始していた所だった。彼らは無論、人口一万人が、数年は暮らしてゆけるだけの食料を持ち、移民していた。リュカーンにおいて農業プラントが充分に稼動し、地球から持ち込んだ農作物が根付けば、より多くの人口を支えることが出来るようになったであろう。だが、連邦政府は、時を置かずして、十分な食料を持たせぬまま、更なる移民船を次々とリュカーンへと送り込んだ。人間は食べなければ生きていくことは出来ない、結果、始まったばかりのリュカーンへの植民は、危うく頓挫する所であった。
他の植民星においても、似たような状況が起こり、地球政府側と植民星側は深刻な対立を抱えることとなる。そして、両者の緊張が高まり、暴発するかと思われたとき、新たな植民惑星が三つ発見され、決定的な破局が起こることは無かった。だがこの一件は、植民星と地球政府側の間に不和と不信の種を蒔く事となった。
そして、もう一つ、問題が存在した。地球と、各植民星の経済格差の問題である。これは特に太陽系内の植民星、木星各衛星都市、火星、金星、月面都市と地球の間に顕著にあらわれる事になる。太陽系内の植民星の主な地球への輸出物資は、資源である。木星本星で取れるヘリウムV、金星、火星、月面都市で取れるレアメタルは各惑星の重要な輸出資源であった。そして、地球はその資源を元に工業製品を作り、各惑星へと輸出した。即ち、連邦成立以前の、第三世界各国と先進諸国との間柄と同じような関係がそこには存在した。地球は、植民星を食い物にして、大きく成長していったのである。地球と、太陽系各惑星の経済格差は広がるばかりであった。更なる不和と、不信の種が、蒔かれてゆく事になる。
と、ある研究者は、木星衛星都市群のスラム街で、一つの言葉を聞き、絶望をその胸へと抱く事になる。
『俺たちに、失うものは何も無い』
と。この言葉ほど、悲しい言葉は無く。そして、その言葉はテロリズムの温床となり、更なる災厄を人々へと撒く事になる。
かくして、反地球連邦運動と、地球からの独立運動が、太陽系各惑星、特に木星衛星都市群で激しく行われる事になる。そして、地球連邦政府は、武力でもってこれらの運動を弾圧することを決定する。それが、更なる悲劇を巻き起こすことを、歴史から学ぶことなく。
また一つ、戦争への種が蒔かれ、そして、それは木星衛星都市群で、一人の人物が表舞台に立つ事により萌芽する事になる。
その人物の名はルデナ・デルファス。
木星の衛星都市国家群の独立。ルデナ=デルファスにより、統一された、木星=エウロパ連合は、すぐさま、それを宣言する。そして、同時に彼らは、木星の衛星軌道上にあった連邦軍の基地を襲撃する。
それが後の歴史でいう、汎太陽系戦争の始まりであった。
戦争は、はじめの内、木星側優位のうちに進められる。連邦の艦隊は次々と撃破され、地球連邦の運命も風前の灯火かと思われたとき、それは起こった。地球側残存艦隊との最終決戦において、圧倒的な指導力と、戦略眼を持った指揮官、ルデナ=デルファスが行方不明となったのだ。彼の魔術的な指導力に支えられてきた、木星側艦隊は、何とか瓦解を押さえ込みながらも撤退を開始する。こうなれば、戦局は大量の資源と資金を持つ連邦が有利になるかと思われた。しかし、時をおかずして、太陽系の諸惑星が次々に独立を宣言する。ついで、太陽系外の植民星も独立を宣言し、太陽系は泥沼の戦争状態に引き込まれる事になる。事態が終結するまでに十年の時を要し、人類は人口の半分と、数千兆クレジットの損害をこうむる事となる。そして、戦争の引鉄ともなった惑星、地球はその国力のほとんどを失うこととなった。
そして、時は連邦暦163年、あの絶望的な汎太陽系戦争終結より半世紀の時が流れた年、それがこの物語の始まりである。
参/ハジマリ
『恒星間移民船ラフィールの出立は11:30となっております、御搭乗予定の方は搭乗受付をお願いします』
搭乗受付の締め切りが迫っている事を、続けて放送は告げる。
そんな、声を耳にしながら、少年はガラスの向こうに聳え立つ宇宙船の姿を見つめやった。
それが彼が乗る予定の恒星間移民船である。名前はラフィール。言葉の意味は良く知らない、何でも設計者の愛読する古典SF小説のヒロインの名前だと言う話をちらりと、聞いたような覚えがある。ラフィールは約半世紀前の汎太陽系戦争により国力のほとんどを失った地球政府により作られた、最後の恒星間移民船である。
最早この星、地球にかつての栄光の輝きはない。連邦の首都を惑星リュカーンのカーンシティに奪われ、行政上の主導権も、ほとんど奪われたこの星は最早、辺境の一惑星に過ぎなくなりつつあるのだ。かつては首都の宇宙港であった、ここプリスベーンの宇宙港"天照"にもかつての賑わいはない。
だけれども、少年にはそんな事は関係なかった。彼は楽しそうに笑っていた。はじめての宇宙旅行、はじめての恒星間移民船。全てが彼の瞳には眩しく写った。それが、この星の最後の煌きだったとしても。
「フェニス、フェニス」
背後から聞こえた声に、彼は振り返る。
そこには大量の荷物を前に途方に暮れた顔の母の姿があった。
「搭乗手続きは終ったから、荷物を積みこむのを手伝って」
「は〜い、かぁさん」
フェニスは素直にそう、返事をすると母の元へ駆け寄り、荷物を幾つか受け取り、搭乗口へ向かい駆け出した。そんな息子の背を見ながら、母親は小さく呟いたのだった。
「ほんと、あんな所は、あの人そっくり」
と。親子は、自分達が一つの歴史の岐路に居る事を未だ知らない。
そして、また、ラフィールに乗る数千人の同乗者もまた、それを知る者は居ない。ただ一人の青年と、今、親子を物陰からじっと見つめていた、二人の男達を除いては……
青い美しい星がゆっくりとだが遠ざかっていく。
はじめて、自分の住んでいた星の姿を外部から眺めてみたが、想像以上にそれは美しかった。
だけれども、その美しい星を見つめる者は、彼以外、ほとんど誰も居なかった。展望ラウンジを見回してみても彼以外に居るのは、黒い瞳と瞳と同色の髪を持った、年の頃十代後半くらいの青年が一人居るだけ。他の乗客達はこれからの目標の惑星まで、一週間の旅の準備の為か、こんな所には来ていない。来るという気さえ起こさないだろう。
だからかもしれない、フェニスが自分以外、只一人の展望室に居る青年に好感を抱いたのは。そして、その青年に声をかけてみたのも。
「あの……」
フェニスの声に、青年は振り向き、彼の方を向いた。黒い瞳が一瞬、驚愕の光を灯すが、すぐに暖かな光に変わる。
「なんだい」
一瞬、フェニスは軽い既視感に囚われた。目の前に居るこの青年が、年を取った老人のように感じたのだ。まるで、亡くなった祖父に呼びかけた時感じたような、年を取った者独特の感覚、それを目の前の青年から彼は感じ取ったのだ。それほどまでに青年の持つ雰囲気は老成した物だった。
「宇宙旅行は始めてなんですか?」
フェニスの問いかけに微かに、青年は微笑みを浮かべながら首を横に振る。
「どうして、そう思ったんだい?」
「だって、僕と同じように、ずっと地球を眺めていたから」
フェニスの答えに青年は再度、地球に視線を戻しながら言う。
「何度もした事があるよ、そう何度もね、でも、いつ見ても綺麗な星だなって、思ってね」
青年の言葉につられるようにフェニスも再度地球に視線を移す。青年の言うように、確かにこの星はとても美しかった。そう、とてもとても……
「フェニス、フェニス、どこに居るの」
聞き慣れた母親の声を聞き、フェニスははっと顔を上げ、そちらを向き手を振った。
ちらりと青年が目をやると、フェニスの母親らしき女性がこちらに向かい歩いてくる所だった。
「駄目じゃない、勝手にうろうろしちゃあ、迷子になったらどうする気なの」
「ごめんなさい、ママ」
そんな親子の光景を見ながら青年は微かに微笑んだ。
心の何処かが暖かくなるそんな感触を覚えて。
「あら、あの方は?」
「あ、さっきお話をしてもらってたんだシン兄ちゃんっていうんだって」
「あらそうなの、どうも、家の子がご迷惑をかけてしまったみたいで」
ぺこりと頭を下げる、フェニスの母親に対し、シン、と呼ばれた青年は首を横に振った。
「いえいえ、迷惑だなんて思っていませんから、気にしないでください」
その青年を何かに喩えて現すのなら、風、いや水だろうか。その大いなる力で人を癒し、全てを受け入れ、包み込む大いなる大河の水。シンと呼ばれた青年は、そんな優しい印象を持つ青年だった。そう、彼は、水、時には水蒸気となり、川を流れ、母なる海に流れ込み、世界を巡る水。永遠とも言える時の中、世界を巡り続ける、水。
「シン兄ちゃん、またお話聞かせてね」
そう言い、手を振りフェニスは母に手を引かれ立ち去っていく。
フェニスに微笑みながら手を振り返すシン。
『超空間に突入を開始します、一瞬軽いショックが襲うかもしれませんが、異常はありませんのでご安心下さい』
アナウンスの響いた数秒の後、軽い衝撃が船内で起こり船は超空間へと突入して行く。
ちらりとシンは、母星の方を再び見つめる。
「行ってくるよ、……」
一瞬、少年の唇が誰かの名前を紡ぐ。
でもそれは、超空間に突入する際の喧燥により誰の耳にも響く事はなかった。
ただ、彼の胸のうちに住まう誰かに届いたのみだった。
四/ ワスレエヌモノ
連邦暦113年、後の世の歴史家の言う汎太陽系戦争は終結した。数多くの犠牲と、計算できぬほど膨大な損害を抱えて。当時、地球連邦政府を主導していた宗主星地球は、その権威と経済力、軍事力を一気にこの戦争で失った。
連邦暦103年、後の世にいう、ルデナ・アタック、木星=エウロパ連合の地球よりの独立宣言から始まる一連の戦闘により、地球軍は完膚なまでに叩きのめされたのだ。総統、ルデナ=デルファスの行方不明と、火星近傍の戦いにおける連邦残存艦隊の奇襲攻撃の成功による、木星側旗艦の撃沈が無ければ、木星側による地球の直接占領すらもありえただろう。だが、木星との戦いで余力を使い果たした地球にもはや、かつての栄光は無かった。外惑星系の植民星は次々と独立を宣言し、太陽系内の各惑星の独立宣言すら地球にはもはや止める力は無かった。そして、この後はじまる、太陽系内各惑星の利権と利益を求める、泥沼の戦争を止める力も無かったのである。地球がこの泥沼の戦争において、戦火を免れえたのは、地球にはもはや取るべき資源も、奪うべき財産も無かったからに過ぎなかった。結局、十年後、事態を辛くも収めたのは、外惑星系の植民星の一つ、惑星リュカーンであった。そして、惑星リュカーンを中心に、地球連邦政府に変わる新たな人類の統合政体、銀河連邦が誕生する事になる。
地球は首都星としての立場も、行政上の主導権も経済的優位もなくし、辺境の一惑星へとその地位を移したのであった。
だが、これを潔しとしない人間がいた。かつての栄光を忘れえぬ人間がいたのだ。他の植民星の犠牲の上に成り立った繁栄を忘れ得ぬ者たちがいたのだ。彼らは歴史の闇の底で、いまだに蠢いていたのだ。歴史を逆行させようと目論む、繁栄を忘れ得ぬ、老人達がいたのだ。彼らは言うのだ『地球に帰れ』と。『我らが母星を、見捨てるのか』と。
そして、彼らは、暗闇の内より、ずっと世界を宇宙を見つめていた。そして、彼らは自らの手の内に、格好の獲物が居たことを知り、行動を起こす事にしたのだ。
そして、彼らの狙う獲物は、移民船ラフィールの内にいた。
「………状況を……報告せ……よ」
ノイズ混じりの声が彼らの手もとの端末から響く。
人が光速を越える術として生みだした技術超空間航法。我々の住むこの宇宙では、光速を超えることはできないけれども、この世界の外にある超空間ならば、アインシュタインの相対性理論に支配はされておらず、光速を超えることも可能とする。連邦暦が使われる以前より、知られた理論ではあったが、その実現には多くの時間を要した、そして、実現した今でも、多くの問題が山積みになっている。通信環境の悪化もその一つであろう、近年になり開発された超空間通信を用いれば問題は解決されるのだが未だ試作タイプの何機かが軍の一部で使われているのに過ぎない。通常の通信機器を用いれば、どうしても、この様な状況になってしまう。
だけれども、今、小型の端末の前に居る二人の男達にとっては、大した問題ではない。自分達が成すべき事は既に知っている、あくまでこれは確認に過ぎないのだから。
「ウサギは狩り場に入った、ウサギは狩り場に入った、以上だ」
男の片割れ、鋭い目付きをした小柄な方の男があらかじめ決めてあった言葉を端末に向け連呼する。もう一人の男、長身の眼鏡をかけたスーツ姿の男は何も言わない。ただ目を閉じ小柄な男の連呼する言葉を聞いているだけ。
「……了解した………良……報告を……待する」
ぶつりと、そのまま、通信は途絶えた。
「さて、狩りの始まりだ」
ペロリ、と自分の唇を舐めながら小柄な男は言う。
「そう急ぐな、ウサギはどうせ狩り場からは逃げられんのだ、のんびり行こう」
眼鏡の男が、慌てる相棒をなだめるように言う。一瞬の逡巡の後、小柄な男は首を縦に振った。もしも、この場に彼らと同じ世界を生きる者が居たら、彼らの姿を見て呆然と呟いただろう。"血塗れの兄弟"と。
彼ら二人は、特異能力者、エンゼルチルドレンであった。彼らは、自らの意志の力でこの世の法則を変えることのできる、能力者である。鋭い目の小柄な男は、シャイド。空間と影を操るカテゴリー・レリエルの能力者。長身の眼鏡の男は、スタン。念を込めた全ての物を爆発物に変えるカテゴリー・サハクィエルの能力者。彼ら二人はコンビを組み、幾多の仕事をこなしてきた。そしていつしか付いた仇名が"血塗れの兄弟"それほどまでに、彼ら二人の歩んできた道は血に染まっていた。だが、彼らは未だ知らない。彼らの狩り場に紛れ込んだイレギュラーの存在を。そして、それがこの後の展開を大きく変える事など神ならぬ身の彼らに知るよしはなかった。
「さて、賽は投げられた」
自分の机の上に置かれた、通信端末を見つめながら、男は一人呟いた。そう彼こそが、先ほどまで超空間にいるラフィールと交信を行っていた人物だった。
彼の周りには、もう二人の人物の姿があった。部屋の照明が暗いせいで、どんな顔をしているかまではわからなかったが、かろうじて、彼らの性別が男であることだけはわかった。
「そちらの方の準備は万端だろうな」
通信端末の前の男の言葉に、もう二人の人物は首を縦に振った。
「計画は順調に進行している、軍の方にも徐々に、教えは広まりつつある」
「さよう、そちらの方こそ、ぬかりは無いだろうな"血塗れの兄弟"とかいったか、あの者たち、使い物になるのであろうな、奴らは異教徒だぞ」
「問題ない、奴らはその道のプロだからな、それに我々の駒を無闇に減らしたくは無い、それに万が一の事もある、邪なる箱舟にて、我らが信徒を殺すわけには行くまい」
男たちは淡々とした調子で、互いに言葉を交わす。暗い部屋の中に、欲望にぎらついた彼らの眼光だけが、至極、強い印象を与える。彼らが見るのは、現在でも、未来でもなく、過去だけ。かつての、栄光を、過ぎ去りし日々を忘れ得ぬもの、それが彼ら。歴史の逆行を望む者たち。
「全ては、我らが母星のために」
「「我らが、母星のために」」
三つの声が唱和し、暗い部屋の中に響き渡った。彼らが望むのは、人類の母星が、五十年前の繁栄を取り戻すこと。彼らが愛しているのは、母星ではなく、かつての、その繁栄。過去を忘れ得ぬ者たちが歴史の闇の中で、蠢き始めた。
伍/ シン T
シンはただ、誰もいなくなった展望ラウンジで、窓の外に広がる光景を見つめていた。窓から外に写る景色は、全て、虹色の光で埋め尽くされていた。超空間において、宇宙船の周りを取り巻くこの虹色の渦を発見者は、アナザ・レインボウと名付けた。
「確かに、よく名付けられた物だよ、アナザ・レインボウ、異界の虹、か、確かにその通りだね」
少しだけ、寂しそうな顔をしながら、ポツリ、とシンが呟く。瞬間、背後に気配が生まれたのを感じ取り、素早く後ろを振り返るシン。振り向いたそこには蒼銀の毛並みと、故郷の空のように澄んだ青い空色の瞳を持った、猫がいた。
「なんだ、月夜、か」
一瞬だけ、表情に出した緊迫した雰囲気を消し、シンは苦笑した。彼女の名前は月夜、いつからか彼と行動を共にするようになった一匹の猫。彼の、今のただ一匹の相棒。
「ふにゃっ」
なんだ、などと言われたことが気に食わないらしく、月夜が小さく、抗議の鳴き声をあげる。そして、ぷいと彼から顔をそむける。その仕草は、妙に人間くさいのが印象的だ。
「ごめん、ごめん、やくざな商売をする様になって長いからね、ちょっと、神経過敏になってたみたいなんさ」
言って、彼はくしゃくしゃと彼女の頭をなぜてやる。しばらくの間は無言のまま、顔を背けていた月夜であったが、彼の手になぜられる心地よさに屈し、彼の方を再び向く。瞬間、シンは片手で彼女をひょい、と抱き上げた。再度抗議をしようかと考えた月夜であったが、なぜられる心地よさに、そんな事はどうでも良くなってしまった。
月夜を抱き上げ、撫ぜてやりながら、シンはただじっと、窓の外に広がる虹色の景色を見つめ続けているように見えた。そう、月夜にはわかる、彼が見つめているのは、目の前に広がる虹色の世界ではない、彼が見つめているのは、ここでも、今でもなく、遠い遠い世界。その瞳に溢れる念は郷愁。
「久方ぶりに、地球を見たからね、思い出しちゃったよ、いろいろと」
誰に言うでもなく、小さく彼は呟いた。
「ねぇ、月夜、覚えているかい」
今度、紡がれた言葉は胸に抱かれた彼の相棒に対する言葉。彼女はその一言で、彼がなにを言いたいのか理解した。
「にゃ」
故に、彼女は彼の胸の中から、彼を見上げ同意の声をあげた。
「もう、あの頃の事を知っているのも、僕と、お前だけ、時間が流れるのは本当に早いよ」
言って、シンは凄く寂しそうに微笑んだ。それはとても寂しく、哀しい笑顔。
「もう、ずいぶんと経つんだよ、僕らが生きた、あの終わり無き夏の日々から」
彼はもういない女(ヒト)に向け、言葉を紡ぐ。己の内なる声にしたがって。
「でも、不思議だね、もう何百年も経つと言うのに思いだせる、君の顔、表情、仕草、怒った時の顔でさえ、そして、その全てが僕の心を、躍らせる」
彼の顔は悲しそうだけれども、笑っていた、彼女の事を思い出すだけでも彼は幸せだったから。目を閉じれば、いまだに思い出せる、彼女の声を、ころころと代わる魅力的な表情も、だから彼は笑った。悲しく、寂しく切なくても。幸せだったから、思い出の中だけでも、彼女と逢える事が、たまらなく幸せだったから。
「逢いたいな、もう一度君に、そして、あの眩しい太陽の様な笑顔が見たいな、待ち合わせの遅刻は何時もの事だから怒りはしないからさ、だから、もう一度逢いに来てよ、約束、僕は信じているからさ」
彼の独白は続く。久方ぶりに、故郷の星を見て、色々と思うことがあったから、センチメンタルな気分になっているのかもしれない。だけれども、それは嫌なことではなかった。思い出の中でだけとはいえ、再び、彼女に出会えたのだから。
「ねぇ、・・・」
シンの唇から、再度、零れ落ちる名前。今はもういない、一人の少女の名前。
そう、ただ、この事だけを胸に彼は生きている。
永劫ともいえる、無限の時間を・・・・・
「あ、シン兄ちゃん」
背後からかけられた声に振り向けば、数時間前に知り合った少年が駆け寄ってくる所だった。
シンは微笑みを浮かべながら、彼を迎えてやる。
そこにはもう、先程まで居た、寂しそうな青年の姿は微塵も無かった。
「やあ、フェニス、お母さんの手伝いはもう良いのかい?」
「もう、終らせたよ、シン兄ちゃん、あれ、その子は?」
シンが胸に抱く猫の姿に気がついた、フェニスが物言いたげな瞳でシンの方を見つめる。
「ああ、この子の事か、僕の相棒の月夜って言うんだ、仲良くしてあげてね」
言いながらシンは、胸に抱いていた月夜を、そっとランに向かい差し出した。
「猫は嫌いかい、フェニス」
「そんな事はないよ、シン兄ちゃん、可愛い猫だね」
月夜を受け取るとフェニスは彼女をそっと抱きしめ、その蒼銀の毛並みを優しく手で梳いてやる。
ゴロゴロと、気持ち良さそうな声を上げる月夜。先程までの人間的な雰囲気が嘘のように引っ込み、そこには何の変哲も無い猫が一匹居た。
「相棒ってどういう事、シン兄ちゃん?」
「ん、ああ、旅から旅への生活だからね、一匹ぐらい道連れが居ないと、寂しいんだよ」
自分を見上げるフェニスの頭を撫ぜてやりながら彼は言った。一瞬だけ、どこか遠い所に意識を飛ばしながら。
「シン兄ちゃんは、ずっと旅行してるの、お家はないの?」
「うん、もう無いんだ」
彼の顔にその時浮かんだ物は何なのだろう、その表情はまだ幼いフェニスには分かりかねた、ただ、聞いてはいけない事を聞いてしまったような、そんな気がしただけだ。それでも、子供ならではの好奇心がフェニスを突き動かす。
「お嫁さんとか、家族は……?」
「居ないよ、今は」
瞬間、フェニスにも理解できたような気がした、彼は何かを失っている、と。
とても、とても大切な何かを。
「寂しくないの」
「寂しくない、って言ったら嘘になるかな、でも、友達は沢山居るし、月夜も居る、だから、大丈夫」
そう言って、シンは小さく微笑んだ。ひどく、寂しそうな物であったが、確かに彼は微笑んだ。
フェニスはその顔を生涯忘れることはなかった。それは何処までも悲しく、切ない微笑みだったから。そして、その微笑みはとても、とても綺麗だったから。フェニスの胸の内に、聞いてはいけない事を聞いてしまった、罪悪感が広がる。でも、目の前にいる青年はどこまでも優しかった。
「あ、ごめんよ、つまらないことを言っちゃったみたいだね」
フェニスの表情の変化に気がついたシンは表情を元に戻すといった。
「よし、お詫びといっては何だけど、お話でも、してあげよう」
「お話?」
「そう、こう見えても、僕は結構長生きしているからね、いろいろ知っているんだよ、リクエストはあるかい?」
突然の話に、戸惑うフェニスだったが一瞬のためらいの後に、シンにリクエストを伝える。話をすることで、シンが先程の顔をしないなら、それで良いと思ったのだ。そんな彼の心情に気づいてか、シンは彼の頭をくしゃくしゃと撫ぜた。その感触が心地よかったのをフェニスは良く覚えている。
後書き
折角なので、学生時代サークル用に書き下ろした時の果てでの外伝、公開です。まぁ、自分にプレッシャーをかけると言う意味もあるんですけどね。そうでもしないと自分は作品の発表がなかなかできない人間であると言う事を、今回嫌と言うほど悟りました。
明日、明後日は更なるプレッシャーを自分にかけるため、某所の連載の続きを公開予定。
あの作品も、完成したら公開すると言う風に考えていたら、完成するのに一年以上かかってるからなぁ。原案を練っていた時間を考えると、二年ぐらい開きのある連載の続きの公開、我ながら、よく怠けた物だと思います。
こんな作者ですが見捨てず作品を読みに来てくれたあなたに感謝の言葉をささげます。