終わりの時が近づいている。
少年が初めて知った幸せの時の。
終わりが近づいている。
そのまえに一つだけ語ろう。
彼のもっとも幸せな時を。
そう、永遠の旅の始まりを。


そう……


物語ろう……



永遠の時の果てで
第五部
別れの曲の響く時
第三十四話
ダ・カーポ



303病室。
そのプレートを見ながら、シンジは微かに苦笑を浮かべた。
この病室は、彼女専用の物と決まっているかのように、彼女が入院するたびにこの病室に彼女は担ぎ込まれる。
まるで、何か皮肉な因縁があるかのように。
苦笑を浮かべたまま、彼はそのまま扉に軽く手を触れる、しゅっと、言う小さな音と共に扉は開く。そして、彼は無言のまま、部屋に入るとベッドの側にある椅子の上に腰掛けた。
耳を澄ませば規則正しい、アスカの寝息がかすかに響いているのがわかる。
少女の顔を見て、彼の顔に微かに寂しげな表情が浮かぶ。
そして、彼の右手に青白い光が生まれる。そう、あの日彼がアスカの記憶を奪った時生み出した光と同じ物。
だが、それがあの日と同じようにアスカの体を包みこむ事はなかった。
何度かの逡巡の後、シンジが光を消してしまったためである。
出来なかった、あの日と同じように記憶を奪う事が。
出来なかった、出来るわけ無かった。
あの日、あの時よりも、彼の心はより、強く、より、狂おしく彼女を求めて止まないのだから。
だから出来なかった。
出来るはずが無かった。
「ほんとに馬鹿だね、僕は」
天井を見上げながら、ぽつりと僕は呟いた。


「ほんとに馬鹿」


力なんか要らなかった。
世界何て要らなかった。
何も、何も要らなかい。
そう
君が側にいてくれるだけで良かった。
微笑んでいてくれるだけで良かった。
幸せそうに、笑っていてくれれば良かった。
僕の手の届く所に君がいてくれれば良かった。

 


たったそれだけで良かった。

 


なのに、何故僕の願いは叶わないんだろう。
こんな僕には、そんな小さな幸せですら相応しくないとでも言うの。
この手で、何千、何万もの命を、可能性を摘み取った僕だから。
だから、そんな資格はないというの。


でも、でも。
世界中の人に罵倒されようとも。
恨まれようとも。
憎まれようとも。
たとえ、全知全能の神が邪魔をするとしても。
それでも。
それでも僕は……
側にいたいんです。


 


そこまで考えた時、僕の意識は途切れた。

 


目覚めた時、視界に広がったのは白い天井。
ゆっくりと起き上がり、見回せば、そこに愛しく想う人の顔があった。
自分の寝ていたベッドによりかかり、眠る少年の姿。
安らかな表情で眠る、少年の姿をみて、アスカはクスリと微笑む。
そのあと、改めて病室を見回しここがNERV本部にある付属病院であるという事を理解する。
二年前までは検査だの入院でよくお世話になったから見間違えるはずが無い。
そう、昨日あの後保安部のガードに保護された彼女達は、ここにつれてこられたのだ。
途中でシンジは司令部の方に報告のため姿を消した。
一応の検査の後、念のためという事で、一晩泊っていく事になったのだ。
おそらく、事が事だけに上層部はこの一晩は確実に安全が期待できる所においておきたかったのだろう。
そっと、自分のベッドに寄添い、眠るシンジの黒髪を彼女はそっと梳いてやる。
そして、心地良さそうに寝息を零す彼の耳にそっと、囁いた。
「ありがと……大好きだよ」

 


夢を見ていた。
随分と久方ぶりに。
そう、それは夢だと、彼は知っていた。
ふわふわと、空に浮かんでいるような感覚が彼を包み込んでいる。
何度か、この夢は見た事がある。
会いに来たのだ、彼女が……
「久しぶりだね」
彼は微かな背後に気配を感じると、振り向きもせずに言った。
「一年と三十日ぶり……」
抑揚の無い声で背後に現れた彼女はぽつり、と、そんな事を言う。
「数えてたの?」
「ええ」
互いに言葉を交わすものの、二人は互いに互いの顔を見ていない。
少女は少年の背中を、少年は瞳を閉じ彼女に背を向けていた。
「"アラエル"の力を使うの」
次に放った、少女の言葉に、少年の肩がピクリと震える。
訪れる沈黙。
「また、逃げるの?」
少年は何も言わない。
閉じていた瞳を見開き、ただ自分の手を開いたり閉じたりするのを、ただじっと見つめる。
「僕は……もう、人間じゃあ……」
「その先は言っては駄目」
いつに無く厳しい声で放たれる言葉。
びくり、と、肩を震わせ、少年の唇が凍る。
「でも、でも……」
ようやく、少年は少女の方に振り返った。
黒い瞳に涙を浮かべて、まるで雨の中うち捨てられた、小犬の様な表情で。
「あの、彼女の目を僕は……」
そう、少年の力を目の当たりにした時"彼女"が少年を見た目。
その視線が、今もまだ、頭の中にこびりついてはなれない。
「信じられ無いの?」
「え?」
「信じられないの、彼女が?」
少女の真紅の双眸が彼の黒い瞳を射抜くように見つめる。
「信じられなかったから、話さなかったの、恐れられるのが怖いから」
「違う」
「だから記憶を消したの、あの人に、恐怖に満ちた眼差しで見詰められるのが怖かったから」
紅い瞳で少年を見据えたまま、少女は言葉を放ち続ける。
少年は首を振り必死に否定する。
でも、心の何処かでは少女の言葉の正しさを認めていた。
そう、怖かったから、憎まれるよりも、罵声を浴びせかけられるよりも、何よりも辛かったから、好きになった人に、恐怖心に満ちた眼差しで見詰められるのが。
だから、だから、彼は………話せなかった。
だから、記憶を消した。
記憶を消して、その上で護ろうとした。
でも、耐えられなかった、自分を知らない彼女を見続ける事を、彼は耐える事が出来なかった。
だから、一年ほど、日本を離れた。
わかっている、これが酷く身勝手な理屈だと。
でも、想いは止められなかったし、消せなかった。
何度忘れようと思ったか、何度、自分の記憶をも消してしまおうと思ったか。
でも、できなかった。ふとした瞬間に、笑顔が浮かんだ。
彼女が見せてくれた笑顔が。綺麗な蒼い瞳が。風になびいて煌く茜色の髪が。
彼女に関する自分の記憶を消そうとした時に。
見知らぬ異国で護った女の子に愛を告白された時に。
死ぬかと思うほど、苦しい時に。
浮かんで来たのだ。
彼女が、彼女の全てが。
だから、彼は帰ってきた。
側にいられなくても良い、言葉を交わせなくても良い。
ただ、彼女を感じたかったから。
そう、たとえ自分の事を憶えていなくても良い、そう、それでも良い。
ただ、彼女の笑顔が見たかった。
「僕は、僕は……」
「貴方は、人間よ、だれがなんといおうとも、きっとあの人もそういうわ」
少し経った後、ふっと、視線を緩めると、そう少女は言った。
微かに微笑みを浮かべながら。
「だから、信じてあげて、あの人を」
少女はそんな言葉を発する。
まるで幼子に母親が言い聞かせるように。
「ありがと、綾波」
どれだけ経ってからだろうか、彼は目の前の少女の真紅の瞳を見つめながらポツリと言葉を発した。そんな、彼に向かい少女は、淡く微笑むという。
「今度はあの人も一緒に」
「うん」
ゆっくりと、意識が覚醒していくのを彼は感じ取った。夢の時間は終わりのようだ。
彼が意識を取り戻していく中、最後に見たのは、少女の〜レイの〜眩しいばかりの笑顔だった。

 


目覚めた時、彼の瞳に写ったのは綺麗な蒼い瞳だった。
言葉が出ない。
上手く、唇が動かない。
言いたい事、聞きたい事、伝えたい事が沢山あるのに。
想いばかり先走りすぎて、上手く言葉が出てこない。


それは、彼女も同じ。
言いたい事が沢山あった。
一言、言ってやりたかった。
"この馬鹿"と。
でも、彼の澄んだ黒い瞳を見たとたん、唇が凍り付き言葉を発する事が出来なかった。
ただ、彼の瞳を見つめる事だけしか出来なかった。


結局、彼の唇から零れたのは、何気ない一言。

 

 

 





「おはよう」



 

 

 


そんな一言だけれども。
そんな当たり前の、ありきたりの一言だけれども。
とても、とても、嬉しかった。






 


「馬鹿、ばか、ばか、ばかばかばか」

 

 







ふわり、と、茜色の髪が揺れ。
少女は、少年の胸に向かい飛び込んだ。
謝ろうと思った。
もっと気の効いた事を言ってあげたかった。
ありがとうっていいたかった。
でも、今の彼女の唇から零れるのは"ばか"という言葉のみ。



しばらく病室からは、ばか、と、いう言葉のみが響き続けた。




「教えてくれる、全部?」



しばらく経ってからだった。
アスカが彼の顔を見上げ、そう問うたのは。
しばし、二つの視線が交錯した後、シンジは頷いた。


「話すよ、全部」



そして、シンジは語り出した。
全てを……


サードインパクト


「何を望むの?」


そして、再生する世界


「キモチワルイ」



自らの内に宿った力
EVAや使徒と同質の、圧倒的なまでの力。


「さよなら、アスカ」


そして、帰ってきた事。
我が侭だと、身勝手な理屈だと分かっていたけれども。
もう一度逢いたかったから。

 



ぽつり、ぽつりと今迄の出来事を話していくシンジ。
時々、辛そうに言葉を詰まらせる時があった、そっと、アスカは彼の手の上にそっと自分の手を重ねてあげる。
愛しかったから。
わかったから、目の前にいる少年の背中に背負わされたものの大きさが。
だから……


「アスカ、僕は、僕はね」
何かを言おうとした彼の唇を、彼女は自分の唇で塞いだ。
それ以上、何も言わなくても良いと。


「ばか、ばかしんじ、たとえ、どんなに大きな力を持とうと、アンタは馬鹿よ、バカシンジよアタシにとっては、たった一人の、バカシンジ」


唇を離したアスカの言った言葉が、シンジの胸に染み込んで行く。


「ありがとう」
「ばか、当たり前じゃない、バカシンジ」


抱きしめたアスカの優しい声が、心地よく、耳に響いた。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



『綾波、僕はこの人を好きになってよかった』

 

 

 

 

 

 







この時僕はまだ知らなかった。
この幸せが泡沫の物である事を……



 


To Be Continued







後書き

どうも、J−wingです。
ようやく、ここまできました。
真実を知るアスカと、そして、彼女に真実を知られる事を恐れるシンジ。
ようやく、二人の間で真実が、語られます。
ようやく、二人の内で事実は交わされます。
本当にここまで来るまでの道程は長かった(苦笑)
次回よりはこの半年後、別れの鐘の鳴り響く、その時が語られると思います。
よろしければお付き合い下さい。
それでは、また次回、この場でお会いしましょう

 

 

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