永遠なんて、いらなかった。
 力なんていらなかった。
 ただ、そこに君がいてくれればよかった。
 君が微笑んで、そして幸せであればよかった。
 だけれども、僕の手からは零れていった。
 幸せも、愛する人も、希望も。
 残ったのは、約束、という名の儚い希望と、無限に続く時間だけ。
 あれから、何度も季節は巡り、僕は一人、彷徨い続けた。
 君との約束だけを胸に・・・・・・
 そして、僕は出逢った。
 もう一人の、君に。君と同じ顔立ちを、君と同じ紅茶色の髪を、君と同じ空のように青い瞳を、君と同じ笑顔を、君と同じ声を、だけれども君ではない、もう一人の君に。
 僕は、鏡に写った君を愛しているのか、それとも・・・・・・・
 
 
 
 
 

39
 連邦暦435年
 連邦標準暦12月16日 PM4:33
 地球 旧北米大陸西岸
 ローレンツ内 エヴァンゲリオン格納専用ケージ
 
 

 直通エレベーターの扉の合間に光が走ったかと思うと、バターのようにそれはあっさりと切り裂かれた。シンジがその手に生み出した光の鞭で、扉を切り裂いたのだ。
 そして、そこに突入したシンジは千年ぶりに、それの姿を見る事になる。
 福音の名を持つもの、エヴァンゲリオン、その量産機。千年前、シンジたちの前に現れ、絶望を撒いたもの。そして、他ならぬ彼の手により一体残らず、破壊された物。
「こんな物まで」
 シンジはそれを見上げながら強く拳を握り締める。その力の強さに、彼の手のひらの皮膚が破れ一滴の血が彼の手のひらから零れ落ちる。
 瞬間、シンジの目の前に立つ巨人の拳が、前触れもなく動き彼に向け突き進んできた。
「っつ」
 反射的にシンジが展開したフィールドのおかげで何とか拳の軌道を変える事に成功するシンジ。息をつく間も無く、二撃目の拳が彼にむけ飛ぶ。かろうじて、その一撃をかわすシンジ。
「きしゃぁぁぁぁっぁ」
 その動きに戦いの匂いを嗅ぎ取ったのか、白い巨人はその鰐の様に大きく裂けた口を広げ咆哮を上げた。これから始まる戦いに心躍らせるように。
 シンジはこれまでに二度、この巨人と相対したことがある。そのいずれにおいても目の前にいるこの白い巨人は恐るべき敵だった。そう、彼にとって決して忘れる事のできない敵であり愛する人を奪った、憎むべき敵でもあった。しかし、今目の前にいる白き巨人は前回までと一つ大きな違いがあった。今度のエヴァンゲリオン量産機には人が乗っているのだ。
「アスカ」
 シンジは呼んだ、今、巨人の操縦席にいるであろう、少女の名前を。必死に呼んだ。しかし、その叫びが少女の元に届くことはなかった。いや、訂正しよう、物理的に声は届いていた。しかし、その声が白き巨人の内側にいる少女の心に届くことはなかった。
 エントリープラグの中にいる少女の心は皇帝の姦計により壊されていたから。そして、その上に絶望と憎悪と殺意の念が塗りこめられていたから。そして、皇帝が与えた、憎悪と殺意の対象は、今、彼女の目の前にいた。
「コロシテヤル」
 プラグの中の少女の唇が歪むと小さな声でそんな言葉を紡ぐ。彼女の青き瞳は濁り生来のものとは全く違った雰囲気を放っている。それもそのはず、今の彼女は殺意と憎悪、そして様々な負の感情しかない壊れた人形なのだから。単純だけれども強いその思念に突き動かされ、白い巨人の背にある翼が広がる。まるで、悪魔がその背の翼を広げるように。そして、白い巨人はその巨体に見合わぬ素早さで浮かび上がると、その手に巨大な剣を取り、シンジに向け振り下ろした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 Present by J-wing
永遠の時の果てで
最終章
そして、君のもとに
第四十二話
世界で、ただ一人の貴方を
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

40
???
 

 闇の中、アスカは一人佇んでいた。
 どうして、こんな所にいるのか、何時の間にこんな所に来たのか、アスカにはわからなかった。
 何時の間にか、そこにいた、そう言った感じなのである。
 そこは、完全な闇だった。一筋の光もない闇。物音一つせず、少し寒気のする深い深い、闇。
「ここは、アタシは確か、ラインに・・・・・」
 小さく彼女がそう呟いた時、ガシャン、というスポットライトがつくような音と共に、一条の光が闇を切り裂いた。
 スポットライトの灯りに照らし出されたのは、シンジに向け双刃剣を振り下ろすエヴァ量産機の姿。そして、空ろな瞳で量産機のエントリープラグの内で量産機を操る彼女自身の姿だった。
「何、これ」
 ガシャン、再度、スポットライトが点灯する様な音と共に、今度は一人の少女がスポットライトの内に照らし出される。その少女、いや、幼女と言った方が良い様な歳のその少女の姿にアスカははっと息を呑んだ。そこに居たのは、他ならぬ彼女自身の、幼き日の姿だったから。
「これは、今、起きている現実、そして復讐」
 アスカの声で、しかし、彼女よりもっと冷淡な声で、彼女の前に立つもう一人のアスカは言葉を紡いだ。
「現実、復讐、どう言う事、何でアタシがシンジと戦っているのよ」
「なぜ、わからないの」
 アスカの前に居る、もう一人のアスカの唇が邪悪な笑みを形作る。
「真実を忘れたの、貴方は、代わりにすぎないのよ」
 その言葉が、その真実が、冷たい言葉のナイフとなりアスカの胸をえぐる。アスカの手がその言葉を拒否するように、自分の耳を防ぐ。だけれども、一旦、思い出した真実は容赦なく彼女の心臓をえぐる。
 ラインが告げた真実。彼女の心に絶望を撒いた真実。アスカは、桐生・アスカ・ルシアなんて人物は存在しない。彼女は惣流・アスカ・ラングレーのクローンにすぎないのだ。皇帝の計画のため作られた部品にすぎない。
「クス、貴方は代わりにすぎない、あの人にとっても貴方はかつて愛した人の代わりにすぎない」
 もう一人の自分が、次々と彼女に言葉のナイフを突き刺していく。その言葉は容赦なく彼女の心をえぐり、絶望を彼女の胸に満たしていく。
 
 
 

「貴方は代わりにすぎない、貴方は代わりにすぎなイ、貴方は代わりにすぎナイ、貴方は代わりにすギナイ、貴方は代わりにスギナイ、貴方は代わりニスギナイ、貴方は代わリニスギナイ、貴方は代ワリニスギナイ、貴方はカワリニスギナイ、貴方ハカワリニスギナイ、あなタハカワリニスギナイ、あナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、アナタハカワリニスギナイ、カワリノキク、タダノニンギョウ、ダイタイブツ、貴方ハ、クローンナノダカラ、カワリノアル人形、可哀想ナ、人形、だから、コロスノ、しんじヲころシテ、ジユウになるノ、」
 
 
 

 もう一人の自分の声に彼女は何も言い返せず、ただ、耳を防ぎうずくまる事しかできなかった、耳を防いでいるのにもかかわらず、もう一人の自分の声は容赦なく彼女の心を切り裂き続けた。
 
 
 
 

41
 連邦暦435年
 連邦標準暦12月16日 PM4:43
 地球 旧北米大陸西岸
 ローレンツ内 エヴァンゲリオン格納専用ケージ
 
 

 キンッ、という澄んだ音と共に量産機の振り下ろした双刃剣はシンジの張ったATフィールドに受け止められた。だが、受け止めただけで全てが終わるわけではない、量産機は自らの張るフィールドでゆっくりとシンジのフィールドを侵食しながら、その力で持って剣を押し込んでいく。それ以上の力でもって、フィールドを支えようとするシンジ。だが、さすがの彼でも長時間の間それを支え続けることはできないであろう。それが解っているから、シンジは叫ぶ。彼の目の前に居る巨人の内に居る少女の元に。自分の思いが、心が届けといわんばかりに、全力を持って叫んだ。彼女の名前を。誰の代わりでもない、彼女の名前を。
「アスカ」
 と。
 たとえ、絶望という殻に、心が閉じ込められていようとも、その声が彼女に届くと信じて。彼は呼びかける、彼は叫ぶ、彼女の名前を。
「アスカぁ」
 と。
 それは絶望という大海に投げられた、一筋の光明。
 だけれども、絶望の闇は濃く、一筋の光明すら喰らいつくさんと、牙を剥く。
『それは、誰を呼んでいるの』
 それは声ではなかった、強力な思念だった。シンジはその思念の持ち主を一瞬で理解した。
『貴方が呼んでいるのは、あの人じゃないの、貴方が求めているのは、あの人じゃないの』
 それは単純ゆえに強力な思念。心に浮かんだ激情その物を、量産機の内に居るであろう彼女は叩きつけてくる。その、感情の名は嫉妬。同時に膨れ上がる殺意。量産機は再度、大きく双刃剣を振り上げると、眼前に居るシンジに向け振り下ろす。
『貴方が求めているのは私じゃない、どうして、どうして、私じゃないの』
今度の一撃をATフィールドで防ぐ自信はシンジには無く彼はその身を素早く動かし量産機の振り下ろす剣から身をかわす。
「アスカ、違うよ、僕は、僕は」
『何が違う、よ、私の力を忘れたの、私は何時も聞いていた、あの人を求める貴方の心の声を、貴方は心の奥底で今も、あの人を思っている、私を通して、あの人を見ている、どうして、ここにいるのは私なのに、どうして私を見てくれないの、私は、私は、私を見てくれない貴方なんていらない、私を代わりとしてしか見てくれない、貴方なんていらない』
 絶望と憎しみに支配された心は、彼女のうちにあった不安を形に心の叫びに代えて紡ぎ出す。悲しい叫びとして。 
 同時に横に鋭く振られた双刃剣をシンジは紙一重でかわすと、その刀身に向け“サキエルの光槍”を叩きつける。バキリ、という鈍い音共に、折れ砕ける刀身。
「アスカ、聞いて」
『ウルサイ、私を見てくれないのに、私の心をわかってくれないのに、気安く私の名前を呼ぶな私は、私は貴方を殺して自由になるんだから、オリジナルの束縛から自由になるんだから、あなたを殺せば、その為の道具なんだから、私は貴方を殺すためか、貴方を絶望に叩き落すためだけの道具なんだから、貴方を殺せば、私を延命治療の後、自由にしてくれる、そう皇帝は言った物』
 心にある激情をそのまま思念に変え、アスカはシンジにそれを叩きつける。同時に量産機の手は折れた双刃剣を投げ捨て拳を作り、シンジに向け振り下ろす。
「君と会った、はじめは、君に彼女を重ねたかもしれない、だけれども今は違う、聞いてアスカ」
 量産機の拳をATフィールドで受け止めながらシンジは叫ぶ。彼女の心の奥底に声が届けと言わんばかりに。彼は叫んだ。
「今は僕は、君が、君だからこそ好きなんだから、愛しているんだから」
 それに対する答えは、無慈悲に伸ばされた量産機の両手、量産機の手がシンジの体を掴む。そして、アスカの唯一つの言葉が絶望を撒く。
『なら、死んでよ』
 
 

 42
 同刻
 帝国地下宮殿ローレンツ 最下層
 
 

 皇帝は地下ケージで行われている戦いを見つめながら戸惑っていた。ありえないはずの事が起こっていたから。絶望と殺意のみに支配されていたはずのアスカの心が目覚めたのだから。憎しみ嫉妬、そう言った負の感情であるが、目覚めるはずの無い彼女の感情が目覚めた。シンジにあった事によって、目覚めるはずの無いものが目覚めた、それは小さなものであるが確かなイレギュラー、不確定要素だった。
 皇帝には理解できなかった。人間の心の溶けた物をその構成要素とはしてはいるが、彼の本質は機械であり、そして、人外のものだった。人としての心を長い間捨ててきた故に、彼には今起こっている事実が、理解することができなかった。それが、やがて大きな綻びと成り、彼の計画を阻害する事になるのに。
「なぜ、目覚めた、目覚めるはずの無い感情が」
 自問自答しても、彼に答えが帰ってくる事はない。
「まぁ、いい、イレギュラーが生まれたのなら、私の手で、予定を一つ繰り上げてやればいいのだから、過ぎた時計の針を戻すことは不能だが、進めることは可能なのだから」
 皇帝のくぐもった笑い声と共に、言葉が闇の中、漏れる。
 だけれども、皇帝は、人の心というものを甘く見すぎていた。確かに人の心には絶望、殺意、嫉妬、怠惰、貪欲、と、言った負の感情が多数存在する。そして、それらの心こそが銀河に悪夢を撒き、絶望を宇宙へ広げる糧となる。だけれども、人の心を占めるものは決して、それら負の感情だけではないのだ。希望、勇気、善意、優しさ、愛情、そんな感情が人の内にはあるのだ。そして、それらの心が、一欠けらの希望が、そしてたった一つの約束が、皇帝の計画を阻害する事になる。だけれども、皇帝はそれに気がつかない。そして、希望は今だ潰えない。
 
 
 

43
 連邦暦435年
 連邦標準暦12月16日 PM4:54
 地球 旧北米大陸西岸
 ローレンツ内 エヴァンゲリオン格納専用ケージ
 

 ぎりぎりと、鈍い音をたてとっさに展開されたシンジのATフィールドが軋む。あの一瞬、まさにエヴァに握りつぶされようとしたその時、シンジはフィールドを展開した。さすがにそれが精一杯で避けることや、ましてや反撃することなど彼にはできなかった。
『どうして、死んでくれないの、私を愛しているんでしょ、だったら死んでよ、貴方の愛したあの人も、愛する貴方のために死んだんでしょう、だったら貴方も、愛する私のために死んでよ、それとも、やっぱりさっきの言葉は、嘘偽りなの』
 狂気と、絶望、そして憎しみ。そんな負の感情に支配された彼女は容赦なく言葉のナイフを振るう、目の前にいる人物を心砕かせようと。自分と同じ絶望を、味あわせようと。だけれども言葉を紡ぐたびに、彼女の心は軋み、悲鳴をあげる。彼を傷つける行為は、同時に彼女を傷つける行為でもあったのだから。
「違う、君の言う事は間違っているよ、アスカ」
 悲しそうな顔で、今にも鳴きそうな声でシンジが言う。その心にある悲しさを声にこめ。
『いえ、違わない、死んでよ、私のために、アタシのために、あの人のクローンであるアタシのために死んでよ』
 アスカは、最後の、諸刃の剣でもある禁断の言葉を紡いだ。彼女をもっとも強く打ちのめした真実を、心の叫びに、言葉に代えて紡いだそして、その言葉はシンジの内にある、一欠片の光に希望にヒビを入れる。彼の聡明な頭脳は、その言葉の意味することをはっきりと理解したから。そして、彼女の身に起こりつつあることが何なのか、彼は理解できた。彼はそれを理解できてしまった、自分の知識を恨んだ。そのあまりに悲しいことを理解できた、自分自身を呪った。
 シンジの展開していたATフィールドの強度は弱まり、そして自然に消滅した。
 そして、彼は、エヴァの手のひらの中から、アスカを見あげた。そう、終わり無き夏の日々の最後の時、彼が友を手にかけたとき、友がそうしていた様に。
『どうしたのよ、どうしてあがくのを止めたのよ』
 シンジは知っていた。クローン体の寿命が長くないことを。技術が進歩したこの時代でも、なぜか人のクローンはエンゼルチルドレンの物しか作ることはできなかった。そして、その寿命は短い。もって二十年、そして、力を使い続ければ、クローン体の脆弱な自我境界線は崩壊し、そして死に至る。一欠片の灰も残さず死んだライン・カーンの様に。虚数空間からの脱出の後、アスカが倒れたのも、エルシティでアスカが意識を失い、身動きできない状態になったのも、全ては力を使いすぎた事による症状。彼女の寿命は近づいているのだ。だから、シンジはフィールドを解いた。もう、あんな悲しい思いをするのはごめんだから。そして、彼の唇が、言葉を紡ぐ、あの日、彼がはじめて心開いた人物がそうしたように。彼は寂しそうに微笑みながら彼女に向けその言葉を紡いだ。
「さぁ、僕を消して」
 と。
『なによ、いきなりどうしたって言うのよ、さっきまで足掻いていたじゃない、生きようとあさましく足掻いていたじゃない、同情でもしたって言うの、この哀れなお人形のアタシに』
「違う、同情なんかじゃないよ、君の寿命は近いんだろ、僕を消す事によって君が生きて、そして幸せになってくれればいい、僕の遺志は義娘がついでくれるだろうからね」
『何を、何をいっているのよ、シンジ、あんたの言っていること滅茶苦茶よ、わからないわよ、アンタの言いたいこと』
「遺言、みたいなものだよ」
 一言、見あげながら彼女に言うと、シンジは一人呟いた。
「なんだ、単純なことだったんだ僕は臆病なだけだった、臆病だからこの千年間誰も好きになれなかった、愛せなかった、そっか、怖かったんだ僕は、僕の目の前で誰かが死ぬのが」
『何を、何をいっているのよ、惨めに足掻きなさいよ、命乞いしなさいよ』
「嫌だよアスカ、いくら君の言葉でも、その我侭ばかりは聞けない、もう僕は“君”が居ない世界で生きていく事はできないよ、もう千年間耐えることはできないよ、だから、さぁ僕を消してくれ、でなければ君が死ぬ事になる、そんなのは、もう嫌だから、君は今、僕が愛している、世界でたった一人の人だから、僕は充分すぎる位、生きたから」
 シンジはそう言って目を閉じた。
「ありがとう、アスカ、君に逢えてうれしかった、大好きだよ」
 最後にそう言って、彼は最後の時を待った。胸の内で一人の少女に、謝りながら。
 エントリープラグ内の手が動きを止めていた、わずかに、その手に力をこめれば、今、エヴァの手の中にいるシンジを握りつぶせるはずだった。
 でも、石になったようにその手は動かない。動かせない、彼の言葉により走馬灯のように彼と過ごした日々が彼女の脳裏に浮かんだから。短いけれど、楽しかったその日々は、彼女の大切な思い出だったから。
 だから、その手は動かない。動かせない。
『・・・・・・・ずるいよ』
 どれくらい経ってからだろうか、その時漏れた言葉は、彼女の思念ではなく、紛れもない唇から零れた言の葉であった。
『ずるいよ、そんな言い方されたら、できるわけ無いじゃない』
 それは、紛れも無い彼女の肉声。信じられない事に、砕け散った彼女の心は再度、その形を取り戻していた。それはまさに奇跡と言っていいような出来事だった。彼女が零した涙がLCLの中で霧散する。見開かれた彼女の瞳には、紛れも無い理性の光が再度灯っていた。
「アスカ・・・・・・・」
 アスカの言葉に彼女の心が戻った事を予感したシンジが、そっと、声をかける。言葉が帰って来るより早く、彼を締め付ける手の力が弱くなる。
『ばか、ばか、勝手なことばかり言って、怖い思いもさせて、ばか、ばか、挙句の果てに、僕を殺してくれ、ふざけるんじゃないわよ、ばかばかばか、家に帰ったら、おしおきだからね、ばかシンジ』
 アスカの涙ながらの言葉に、シンジが頷き返そうとしたときだった、再度、エヴァの手に力がこめられたのは。突然の事態に、制御を取り戻そうとしたアスカだったが、エヴァの操縦制御が彼女の手に戻ってくることは無かった。
「え、これは、まさか」
『ダミー・・・・・システム』
 プラグ内のモニターにはそんな言葉が踊っていた。そして、場に、高らかに皇帝が勝利を告げる声が響く。
「予定を繰り上げて、正解だったよ、その人形はもう、私の制御下にある、死ぬがいい“明けの明星”死してその伝説に、幕を下ろせ」
 皇帝の高笑いと共に、白き巨人の手に力がこめられ、そして、少女の絶叫が狭いプラグの中響き渡った。
 
 
 

「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ」
 
 

 
光が広がり、その場を真っ白に染めた。
 
 
 
 
 
 

44
 

 初めて、僕の心の中に入ってきたのは、茜色の髪をした少女だった。
 僕の鏡像、僕のもう一つの可能性、心理的な双子、それが、彼女だった。
 初めて、恋、という感情を教えてくれたのは彼女だった。
 眩しくて、まるで太陽のような人だった。最初はその輝きに魅せられ、そしてやがて、その輝きの内側にある物を知り、僕は彼女に惹かれた。
 それを実感したのは、皮肉にも、僕が彼女の記憶を奪い、僕の事を忘れさせてからだった。
 そして、もう一度僕たちは出逢った。そして、彼女は全てを取り戻し。それでも、僕を好きだと言ってくれた。僕は誓った、この輝きをずっと、守っていこうと。いや、こんな言い方は傲慢だね、支えあっていこう、そう、誓った。だけれども、たった一つの約束を残して、輝きは、僕の目の前で僕の手のひらから零れ落ちていった。
 
 
 

 気の遠くなるほどの時間が流れた後、僕は出逢った。
 彼女と同じ茜色の髪、深い空のような青い瞳、そして、彼女と同じく太陽の様な輝きを持った君に。
 君は僕にいろんなものをくれた。
 幸せになれる。そんな予感をくれたのは君だった。
 千年の間、眠っていた僕の心を揺り起こしたのは君だった。
 千年の間、心から笑ったこと無かった僕を、笑わせてくれたのは君だった。
 千年ぶりに、人の温もりを教えてくれたのは君だった。
 ずっと昔になくしたはずの、それらを、無償で僕にくれたのは君だった。
 
 
 

 なのにどうして。
 どうして、僕の前からは消えて行く。
 幸せも、恋も、愛も、希望も。
 僕の手のひらからは零れて行く。限りなく、無慈悲な形で。
 確かに僕は咎人だ。許されることの無い、永遠の罪人だ。
 だけれどもどうして、僕の命が消えるのならいい、だけれどもどうして。
 咎人ではなく、咎人の傍にいるものが、その咎を受けるのだ。
 サードインパクトで、多くの人命を奪ったのは僕のはずだ。
 金のため、大儀のため、親しい誰かのため、多くの命を奪ったのは僕のはずだ。
 決して、彼女たちではない。
 神よ、もしも貴方がいるのなら、なぜ、このような運命ばかりを用意する。
 罰を受けるのは僕であるべきはずなのに。

 

 なのに、なのに、どうして・・・・・・・
 
 

 

 僕の手の中から、また一つ、輝きが零れ、そして、消えた。
 
 
 
 

45
 連邦暦435年
 連邦標準暦12月16日 PM5:19
 地球 旧北米大陸西岸
 ローレンツ内 エヴァンゲリオン格納専用ケージ
 
 
 

 アスカの絶叫と共に、光が弾けた。
 それは、恐ろしく強力なATフィールドの展開。エントリープラグの内側から展開されたATフィールドは無慈悲なまでの破壊力を発揮し、エヴァンゲリオン量産機を内側からずたずたに引き裂いた。シンジを握りつぶそうとしていた、手からも、力が抜け、量産機はその体をケージに倒れ伏せた。いかに強固な装甲を持とうと、強力なATフィールドを展開できようとも、内側から引き裂かれては持ちようが無かった。
 量産機の手から開放されると、シンジは急いで、エヴァンゲリオンの首元にある、エントリープラグの収納口へと走った。今の強力なフィールドの展開が、何をもたらすか、正確に予想できたから。
 きしみ歪んだ、エントリープラグ収納口、思ったよりも良く体は覚えていた。反射的に手が動き、非常用パネルを開き、手早くプラグの緊急排出スイッチを押す。鈍い音をたて、排出されるプラグに駆け寄ると、シンジはその“力”をもって、そのハッチを引きちぎる。LCLが零れ、あふれ、彼の衣服を血の匂いで染めていく。それすら気がつかない様子で、服がLCLに染められていくのも気にもせず、彼はプラグの中へ飛び込んだ。そこに、彼女がいた。寂しそうに微笑みながら彼のほうを向く、彼女がいた。泣きそうな顔で、無言のままシンジは彼女を抱き上げるとエントリープラグの外へと連れてゆく。別れの時をこんな忌々しい物の中ですごしたくは無かったから。彼はエントリープラグの中から、彼女を連れ出すと、無言のまま抱きしめた。そして彼は泣いた。涙があふれ出て、止まらなかった。声は擦れた様に喉に引っかかり、零れることは無く、ただ、涙だけがひたすら零れ落ちる。
 ゆっくりと、彼女の手が伸び、彼の頬を優しく、そっとなぜる。
 僅かに身を離し、そちらを向けば、泣きながら寂しそうに微笑む、彼女の姿があった。それはまるで千年前のあの日の様に。
 シンジはそっと、彼女の手にその手を重ねる。言葉にできない思いを伝えたくて。今、この時ほど自分の身が歯がゆいことは無かった。今、この時ほど自分の判断の甘さを呪ったことは無かった。今、この時ほど時が戻って欲しい、そう思ったことはない。もっと早くに助けに行けた筈だった、だけれども自分は体勢を整えることを先に選んだ。結果はこのざまだ。彼はもう一度失おうとしている。あの時、あの場所で、もう繰り返させはしない、そう誓ったはずなのに。なのにまた一つ、彼の手から輝きが零れ落ちていく。
 

「何、泣いてるのよ」

「何・・・・・泣きそうな顔、してるのよ」
 
 

 
 かすれた声で、今にも消えそうな声で彼女が彼に声をかける。
 それが、彼の意識を再度現実へと引き戻す。運命は、時は無慈悲にもその歩みを止めようとはしない。
 
 
 
 

 
「ほんと、泣き虫さんなんだから」
「ホント、泣き虫さんなんだから」
 
 
 

 

 そう言う、彼女の瞳からも涙が零れ落ちた。
 聡明なこの少女は、その身に起きつつある事を、正確に理解しているのだから。
 
 
 
 

「あれ」
「あれ」
 
 
 

 そう言う、彼女の瞳からも、涙が零れ落ち、彼の頬を濡らした。
 シンジは無言のまま、再度彼女を抱きしめた。彼の体から、光が零れ彼女の体を包んでいく。今の彼にできるのはこれだけだった。抱きしめることと、そして、その体の苦痛を除去してあげることだけ。それだけしかできない自分が、歯がゆかった。
 
 
 

「ねえ」
「ねえ」
 
 
 
 

 彼女の唇が、言葉を紡ぐ。残された僅かな時間を逃さないように。
 そして、知っているから、目の前にいる彼の心がとても脆い物である事を、だから彼女は言葉を紡ぐ、彼に希望をのこさんと。そう、あの日の“彼女”の様に。
 
 
 

「楽しかったよね、とても楽しかった
貴方と一緒に居られてとても楽しかった
探偵の真似事して、一緒に笑って、一緒に話をして
おまま事みたいな生活だったけれども
とても、楽しかったよね」

「また逢えるかな
いえ、絶対に、逢いに行くから待ってて
絶対、どんなに時が経とうとも
生まれ変わってでも、貴方を見つけてみせるから
世界でたった一人の貴方を」
 
 

 彼の瞳から零れ落ちる涙を彼女はそっと指でふき取る。
 
 

「全てを諦め、絶望しないで、大丈夫、あの人はきっと約束を守ってくれる、遅刻しそうになってたら、私が蹴っ飛ばしてでも、貴方の元へと導くから
世界で、たった一人の貴方の元に、だから貴方も諦めないで、そして、私の事、忘れないでね」
 
 
 

 シンジの首が縦に振られる。それを確認すると、彼女は微笑んだ。
 そして彼女の手が彼の頬に添えられ、彼女の顔が彼の元へと近づく。
 
 
 
 

「ね、約束、よ」
「ね、約束、よ」
 
 
 
 
 

 言葉と同時に彼女の唇が、そっと、彼の物と重なる。
 
 
 
 

パシャン
 
 
 

 瞬間、彼女の体は、無数の水泡と、光の粒となりシンジの腕の中から消えた。
 彼の唇と手に、微かな温もりを残して。
 彼女は消えた、遺体も、何も残さず。
 彼女は消えた、桐生・アスカ・ルシアは消えたのだ。
 
 
 

「アスカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 
 
 

 絶叫。
 

 物語は終わらない。
 舞台は終幕を迎えたけれども、今だ台本は残っているのだから。
 舞台は今だ終わらないのだ、女優が舞台から降りても。

 
 物語は、終わらない。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

続劇
 
 
 
 
 
 
 

 

 後書き

 永遠の時の果てで、最新話、ここにお届けします。
後書きコメントの内容が上手く思いつきません。彼女の最後は序盤からずっと考えてきました。
ずいぶん悩んで、方針変更を考えた挙句、結局たどり着いたのは、最初から決めていた答えでした。読者の皆さんの中にはいろんな意見があるでしょう。でも、言えるのはただ一言だけです。物語は、未だ終わっていません、ただ、それだけです。
 それでは次話の後書きでお会いしましょう。
 
 
 

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