4
目を覚ました時、視界に入ってきたのはすっかり見慣れてしまった天井。窓の外に見えるのは見慣れた風景。そして、彼女は自分の手のひらを見つめる。彼女の手のひらは別に赤くは染まっていなかった。あの感触を匂いを彼女は今でも忘れていないのに。
「ふう」
彼女は小さくため息をついた。また、自分の嫌な予感があたっていることを知って。
更にもう一度だけ、小さくため息をつくと彼女はベッドから降り、ゆっくりと寝巻きから普段の服へと服装を変えてゆく。一応自分の身なりが整った事を確認すると、彼女は扉を開け階段を降り一階の酒場兼食堂へと歩みを進める。
「おう、おはよう、昨日はよく眠れたかな?」
聞きなれた宿の親父の台詞、一瞬、いつもと違う事を言ってやろうかと思ったが、すぐに彼女は考えをあらため、何時もどおりの言葉を返す事にする。
「おはよう、親父さん、朝食は何かしら?」
微かな期待を込め、放つ言葉。だけれどもその期待は一瞬で微塵に消し飛ぶ事になる。
「今日は珍しくいい川魚が手に入ったから、その塩焼きと、焼きたてのパンとミルクだ」
何時もどおりの答え、何時もどおりのメニュー、微かな希望は微塵にきえ、後に残ったのは厭体感と失望、そして絶望だけだった。
上機嫌な様子で厨房に戻っていく親父を見つめながら、彼女は日課となった呟きを口にするのだった。
「これで、一月と、三日、か・・・・」
彼女の呟きに答えるものは誰もいなかった。
「ふう、明日は何時、来るのかしらね」
小さく吐くため息、だけれどもその瞬間、激しい頭痛が彼女を襲う。何時もそうだ明日の事を考えるたびに彼女の頭には耐えがたい頭痛が走るのだった。まるで彼女が明日を望む事が罪であるかのように。痛みを堪えながら、彼女は小さく何度目になるか解らない呟きを口にするのだった。
「明日、結婚式なのにな・・・・」
その呟きに答えるものは誰もおらず。ただ静寂のみがその場を支配し続けていた。
そして、閉じられた螺旋の中を彼女は今日も足掻き歩み続ける。
5 再逢
茜の月 第6日
リューン 碧眼の瞳亭
「おそい、わね」
一階の酒場のカウンターに腰を下ろしながらアスカは小さく呟いた。珍しく彼女の相棒である青年の起床時間が遅れているようだった。宿に泊まるたびに彼女が起きてくるといつも食堂の席で待っていてくれた青年の姿が今日に限っては無かったのだ。
「お〜い、朝食の方は準備できたんだけれど、アイツ、まだ起きてこないのか」
厨房から顔を出した宿の主人からの問いかけにアスカは首を縦に振った。
「しょうがないわね・・・・冷めたご飯を食べさせるのも可哀想だしアタシが起こしてくるわよ」
言ってアスカは仕方ない、と言った顔をしたつもりで席を立つ。そんな彼女の様を見て主人はクスリと小さく笑みをこぼす。仕方ないと、言うように顔を取り繕っていても何処か彼女の顔が嬉しそうなのを彼は見て取っていたのだから。だが、それを口に出すほど彼も愚鈍ではなく、そしてお節介でもなかった。彼はただ一言こう言ったのだった。
「ああ、よろしく頼むよ」
と。
彼は夢を見た。とても悪い夢を。どんな夢だったかは思い出せない。それが夢だったかどうかも定かではない。それでも彼はとても悪い夢を見ていた。とてもとても悪い夢を、そして悪夢にうなされた末、彼は久方ぶりに、とても悪い寝覚めの朝を迎えた。
はっと目を覚まし目を見開いてみればそこには昨日から泊まる宿の天井が見えた。ゆっくりと身体を起こすと少し老朽化したベッドがギシリとかすかな悲鳴を上げる。
なぜか彼は無言のまま自分の手を見つめる。なぜかその手が血に染まっていないか無性に気になったのだ。何故かはわからないけれど。
「よかった」
安堵のため息と共にかすかな呟きが唇から零れる。彼の手は別に赤くは染まっていなかった。程なくして階下から階段を昇ってくる音が聞こえたかと思うと、ノックもなしに彼の泊まる部屋の扉が開かれた。
「シンジ、起きてる・・・・って、起きてるじゃないの、それなら早く降りてきなさいよね、せっかくの食事がさめちゃうわよ、って聞いてるの、シンジ」
扉を開け彼の眠っていたベッドに歩み寄りながら、茜色の髪をした少女が言う。何時もと変わらぬ元気な姿で。何故だか彼にはそれが無性に嬉しかった。まるで一度失った何かが自分の元に還って来たそんな気がして。
「それとも、調子でも悪いの・・・」
無言のままだった彼の事を心配したのか彼女が顔を寄せ彼の顔を覗き込んでくる。何故だかわからない、だけれども彼の心のどこかが、気がつくと彼の身体を突き動かしていた。
「えっ、ちょ、ちょっと、し、シンジ・・・・」
彼の体は一瞬、彼で無い彼の意志に囚われたかのように動き目の前の少女を強く抱きしめていた。もう二度と、無くさないとでも言いたそうに強く強く。
「よかった、本当に良かった」
小さく彼の唇からもれる言葉、対する少女はと言えば突然の出来事に赤面し完全に固まっていた。ただ、彼女の顔は幸せそうな表情を形作っていたのだが生憎ここにそれを指摘する人間はいなかった。
先に自分を取り戻したのは彼の方が先だった。先ほどまでは夢現で思わず彼女を抱きしめてしまったけれども冷静に頭が働くようになるとやはり気恥ずかしさが先にたつ。そして冷静になった頭が彼女の体の柔らかさを、そして彼女の身体が発する何処か甘い匂いを感じ取る。みるみるうちに自分の顔が赤面していくのが自分でも理解できた。そして、その次の瞬間、少女も自分を取り戻した。何処までも素直になれない少女は恥ずかしさと照れ隠しの意味をこめ叫びと共に自分の手を繰り出した。
「い、い、いきなり寝ぼけてとち狂ってるんじゃないわよ、バカシンジ」
バチンと、いう見事な響きと共に彼の頬に見事な紅葉が作り出された。
そんなやり取りの後、何処かぼうっとした感じとなったアスカと、頬に見事な紅葉マークをつけたシンジが一階の酒場に降りてゆくと、丁度、宿の主人が一人の少女と話している所だった。
降りてくる二人の姿に気がついた主人は二人の方を向くと指差し言う。
「今、手の開いているのは、丁度今下りてきた、あの二人しかいないが良いか、昨日こっちに着いたばかりで、腕のほうを完全に保障する事はできんが、それでも良いなら、あの二人と話をつけるといい」
突然のことで一瞬話が読めなかった二人だったが、宿の主人が口ぶりから少女が何かの仕事の依頼人であると言う事に気がつく。ちらりと、先を歩いていたアスカがシンジの方を向き視線で問いを発する。何となく彼女の言いたい事が理解できたシンジは首を縦に振ると、少女に向け言葉を発した。
「とりあえず、そこの席に座りながらでも話を聞かせてもらえますか」
その言葉に、依頼人らしい少女は首を縦に振る。それを確認すると、二人は階段を少し急いで下りると酒場のテーブルの一つに腰を下ろした。
少女はアスカの隣の席にゆっくりと腰を下ろすと二人の顔をかわるがわる見つめた後、口を開いた。
「私の名前はヒカリって言います、お二人には私が故郷の町に帰るまでの道中の護衛をしていただきたいんですけど」
「とりあえずアナタの故郷の町までの道のりと、大体道中が何日くらいかかるか教えてくれないかしら」
ヒカリと名乗った依頼人の少女の言葉に問いを発したのはアスカだった。一瞬、かすかに表情を変化させた後、ヒカリはアスカの質問に答える。
「私の住む町はこのリューンから北に一日ほど行った所にあります、町の名前はリエン、これといった産業も無い小さな町です」
「ふぅん、ま、女の子の一人旅は危ないから当然の考えよね、で、報酬の方はいかほどなの」
アスカの言葉に何処か手馴れた仕草でヒカリは腰のベルトポーチから小袋を取り出しテーブルの上に置く、じゃらり、と微かな音をたて袋から何枚かのメルシャ金貨が顔を覗かせた。それを見た瞬間、ぞくりとアスカの背筋が震える。
『メルシャ金貨十枚ね、わざわざメルシャ金貨を用意しているなんて準備が良いわね』
その時、彼女が聞いたのは自分ではない自分の声、そして強い既視感。何処かで同じような言葉を、同じような相手に言ったような感触。ちらりと横にいるシンジの顔を見つめれば自分と同じような顔を彼もしていた。
「あの、とりあえずメルシャ金貨を十枚用意させてもらったんですけれど、不足でしたか」
突然黙ってしまったアスカに心配そうな声をヒカリはかける。
「ご、ごめん、ちょっと考え事をしていたから、んっと、拘束期間は一日、だとすると報酬相場より幾ばくか高いんだけど、何かほかに要因があるのかしら」
気を取り直してアスカは先ほどとは打って変わった真剣な瞳でヒカリを見つめる。両者の視線は一瞬、強い光をたたえたまま絡み合い、そして見つめ合う。まるで、互いの心の奥底を覗き込もうとするように。
「理由は簡単なんですよ、町までの街道に山賊が出るという噂を聞いたんです、そのための保険ですよ」
ヒカリは臆することなくアスカの瞳を見つめ返しながら言う。その彼女の言葉に、アスカは首を一度縦に振ると、ちらりと先ほどから無言のまま二人の会話を見つめ続けていたシンジに視線を向ける。
「僕は納得したよ、受けても構わないと思うよ」
「そ、ならいいわ、ヒカリさんって言ったかしら、アタシもアイツも貴方の依頼を受けることを納得したわ、アタシの名前はアスカ・ラングレー、アスカって呼んで、で、あそこですかした面して紅茶をすすっている吟遊詩人崩れがアタシの相棒のシンジよ、短い間だけれどよろしくね」
軽く自己紹介しながら差し出されたアスカの手をヒカリはそっと握り返した。
「よろしくね、アスカ、あ、私の事もヒカリって呼んでくれて構わないわ」
そして二人の少女は互いにキャイキャイと楽しそうに言葉を交わしていく。まるで既に知り合っていた友人同士のように。
「とりあえず、行ってきますよ親父さん、リエンまでの街道には彼女が言った以外のおかしな噂や何かは無いですか?」
「ああ、大丈夫、依頼人のあの娘が言った事以外は取り立てて問題の無い街道だ、ま、お前さんたちなら大丈夫だと思うが気をつけてな」
「ええ、大丈夫です、ちゃんと守ってみせますよ」
そう言ってシンジは宿の親父を安心させるように、そっと微笑んだ。何処か自分自身を納得させるような言葉を呟きながら。
「ほら、シンジ、ご飯食べたら出発だってさ、早く部屋に戻って荷物とって来なさいよ〜」
何時もどおり陽気な少女の声に、はいはい、と返事をしながらシンジは酒場のカウンターの席から離れると自らとアスカの荷物を持ってくるために二階部分の自分達が使っている部屋へと歩き出した。
6 独白
運命、という言葉がある。神はサイコロ遊びを決してせず全ての事柄は全て最初から決まっていて人間如きの力では決して変えられない。そう信じる者たちが好んで使う言葉である。
果たしてそれは正しいのか。神は本当にサイコロ遊びをしないのか、この世の全ては神のシナリオのもと全く寸分の狂いも起こさず動いているのだろうか。幾度も、幾度も、彼女が自分に問うてきた事だ。
そう、何度も、何度も。何度も自問自答し、神はサイコロ遊びをしない、そう信じかけた時それは起こった。何度も、何度も、何度も繰り返せば、何百分の一の可能性でも、何万分の一の可能性でも現実になることを彼女は知った。故に、彼女は心の内で謝りながらも無関係だった役者を二人、舞台に上げるのだ。
役者を、キャストを増やせばひょっとすると、そのキャストのうちの誰かが彼女の望むアドリブをするのかもしれないのだから。だから彼女は微かな希望を臨時雇いの役者に託し舞台の幕を開く。
舞台となるのは彼女の故郷、開演時間は今日というこの日、クライマックスは忘れ得ぬ、あの時あの瞬間。キャストの誰かがアドリブを起こす事を信じて彼女は今日も舞台の幕を開く、一+一では二にしか成らないけれど、そこに予定外の因子を加えてやれば、答えは三にも四にも成るのだから。
だから彼女は言うのだ。巻き込んでしまった少女と少年に向けて。
『で、アスカこそ彼とどういう関係なのよ、話し振りからするとあってからもう随分とたつんでしょう』
『ど、どういう関係って、あ、あいつはただの旅の相棒よ、そう、それ以上の何者でもないわよ』
『そう、つまらない事言って、ごめんね、ごめんね、アスカ』
だから言うのだ、この閉塞した螺旋の内にある舞台、そこに引き込んでしまった二人に。
『ごめんね』
と・・・・・
そして、無常にも今日も開幕のベルがなり、決められた脚本どおりに役者が動き舞台は始まる。閉塞した螺旋の内で。
7 螺旋U
茜の月 第6日 夕刻
リエンの町 近郊
「見えました、あそこです」
上り切った坂の上から見える町並みを見下ろしながらヒカリが息を弾ませながら言う。その横に並び夕日に照らされた町並みを見下ろし、アスカはほうと一つため息をついた。夕日に照らされ彼女の視界に飛び込んできた町並みは、とても綺麗なものだった。決して大きな町とはいえないけれども夕日に映えるその町並みはどこか自分の心に懐かしい物を呼び起こすようで、アスカは町並みから目を離すことが出来なかった。そして、もう一つアスカが感じたのは既視感、はじめて来た筈の町なのに頭のどこかで何かが囁くのだ、この街を見るのははじめてではない、と。
何時の間にかアスカの隣にたたずんでいたシンジもどこか納得のいかない様な顔をして町を見つめている。まるで彼女と同じ事を考え悩んでいるかのように。どのくらいのまま無言で町を見下ろしていただろうか、依頼人であるヒカリが二人に声をかけ歩みを促す。
「行きましょうか、二人とも、もう秋が近いから夜が近づくとぐっと冷えこんで来るわよ」
依頼人であるヒカリの言葉に二人は頷くとゆっくりと坂を下り、町の正門へと向け歩きはじめた。
そして、町の正門がはっきりと三人の視界に入ってくると、正門の前に立つ一人の青年の姿が三人の目に入ってきた。黒っぽい繋ぎを身にまとうその青年の姿を確認すると、ヒカリは彼の元へめがけ走り始めた。どこか嬉しそうな、それでいて寂しそうな、そんな複雑そうな表情をその顔に浮かべて。
「トウジ!!」
そして、充分な距離まで近づくとヒカリは青年の名前を呼ぶと、彼に飛びつき、抱きしめた。突然の事に一瞬、慌てバランスを崩しかけた青年であったが、すぐに体勢を立て直すと、そっと彼女の背中に腕を回したのだった。
「とりあえず、依頼完了、かな」
その様を見つめながら小さくシンジが呟く。ごくごく順調で儲けも良い割のよい仕事だった。だけれども、彼の心の内のどこかから全力で警鐘が彼の頭の内には響いていた。気のせいだと切り捨ててしまえばそれまでだが、なぜか嫌な予感が頭の中から離れない、それが何故かはわからないけれども。
「あんたらが、ここまでヒカリを護衛してきたんやってな、ありがとな」
シンジが少しの間、思考の海に沈んでいる間にヒカリから事情を聞いたらしい黒い繋ぎのトウジと呼ばれた男性が彼の前に来て手を差し出しながらいう。何処と無くその口調に西方都市国家群でももっとも西に位置するサイカン地方の響きがあるのが特徴であろうか。
「いえ、これが仕事ですから、あっと、御結婚おめでとうございます」
言ってシンジは微笑みながら彼の差し出した手を握り返した。
「ありがとさん、おっと、自分の名前言うの忘れ取ったな、ワシの名前はトウジ・ベルフィールドって言うんや、よろしゅうな」
「僕の名前は、シンジです、よろしく、ベルフィールドさん」
「ワシの事はトウジでいいで、歳は同じくらいなんやから、遠慮する事はあらへん」
言ってにっ、と笑うトウジ。それを見てシンジも笑みをかえすと先ほどとは変わり砕けた口調で言う。
「僕の事もシンジでいいよ、確かに少し堅苦しすぎたね、あっちはもうあんなに馴染んでいるって言うのに」
そういうシンジの視線の先ではすっかり馴染んだ様子でヒカリと楽しそうに会話をかわす自分の相棒の姿があった。それを見たトウジも苦笑を浮かべながら、そやな、と一言だけ答えたのだった。
同日 夜半
リエンの町
その夜は二人の結婚を祝した宴で大いに盛り上がった。二人も何かの縁と言う事で宴に参加する事になった。二人は久方ぶりに多くの人に囲まれ暖かな雰囲気の元で食事を楽しむ事が出来た。そして楽しかった時間も過ぎ、時間は夜半を過ぎる。
「んっ・・・」
微かな違和感を感じワインの瓶を抱えまどろんでいたアスカが目を覚ます。それは彼女が数々の危機を経て得た第六感とでもいえる物。
「アスカも気が付いた」
油断無く宴の行われていた集会所の窓から外を見つめシンジが言う。
「あんたも・・・」
「うん、結構な数がこの町を囲んでいるみたい、アスカはヒカリさんを起こして、僕はトウジを起こす」
シンジの言葉にアスカは首を縦に振るとヒカリの下へとかけて行く。それを見届けるとシンジは壁際で眠りこけているトウジを揺り起こす。
「ん、なんや、そんな真剣な顔してなんかあったんか」
「トウジ、この町、囲まれているみたいだ、多分、最近噂の盗賊団の方々だと思う」
「何やって!!」
「とりあえず、トウジとヒカリさんは、皆を安全な場所に、僕とアスカが迎撃をするから」
そう言うシンジに、トウジは真剣な顔のまま首を横に振る。
「ワシも戦う、避難誘導はヒカリだけでもできる、お前らだけ危険な目にあわせてワシだけ安全な場所におれるか、それにこう見えてもワシは優秀な魔術師やで、必ず戦力になるで」
確かな決意を込めた瞳でそう言われるとシンジには最早、かける言葉はなかった。
それはあせっていた。本来なら存在しないはずの予定外の因子の存在に。それが力を使い始めてから、ほぼ一ヶ月、予定外の因子などの介入や修正力の行使なども発生せず、それは望みのままに自分の餌を食し続けていられた。しかし、完璧だったはずのそれの結界にどこか綻びが生じたのか先日から予定外の因子がそれの作る世界に侵入してきていた。おかしい、それが感じたのは戸惑いとそんな感情だった。おかげで本来作るはずの"歴史"は崩れ危うく先日などはそれの作り出した世界は崩壊する所だった。すんでのところで盗賊の一人に力を与える事で決定的な破滅を回避したものの予定外の因子はいまだそれの世界に残り続けている。餌が増えたといえば増えたのだが、その予定外の因子はあまりにも危険であるが故に早めに排除するか、完全に世界に取り込むかどちらかを早急に決めねば成らないだろう。そう、早急に。
そして、それはとりあえず先日と同じ時間の流れを作る為、盗賊たちの一人に声をかけるのだった。
『力が、欲しいか?』
と。
そして、一瞬の逡巡の後、言葉は返される。それの望みどおりの言葉が・
「欲しい」
と。
どう、と音をたて目の前にいる男が意識を失い昏倒する。それを確認するとシンジはふう、と一つ小さくため息をつくと自らの手の内にオリハルコンの絃を戻す。これでこの街を襲撃した盗賊達の全てを倒した事になる。もう、戦いは終わったはずなのに彼の内の何処かから疑問の声があがる。これで、本当に終わりなのか、と。終わりのはずだ、彼の理性は彼自身にそう告げている。だけれども胸のうちの何処かから、まだ終わっていないと声が響く。シンジは少しだけ不安を感じながらもそれを何とか黙殺する事にする。そうでもしないと前に進めそうにはなかったから。
「シンジ、そっちは終わった」
そんな事を考えていたとき、少しはなれたところから聞きなれた少女の声がした。彼の表情がその声を耳にすると先ほどまでの真剣な顔から、何時もどおりの淡い笑みを浮かべた顔にかわる。
「うん、こっちはこれで最後だと思うよ、何とか無事に済んで何よりだよ」
言いながら彼はゆっくりと少女=アスカの元へと近づいてゆく。視線をそちらに向けてみれば、一緒に戦っていたトウジも街の人達の避難誘導をしていたヒカリも合流したらしく同じ場所にいる。瞬間、シンジはズキリ、と激しい頭痛を感じ足を止めた。どこかでよく似た光景を目にした記憶があるような気がするのだ。そう、そしてその後に起こった惨劇を覚えているような気がする。そう感じるのと、今まで安堵の表情を浮かべていたはずの三人の顔に恐怖が走るのに気がつくのはほとんど同時だった。メキリ、メキリと彼の背後で肉の軋む音が響き、そしてアスカが彼の方へと走り出す。もうほとんど距離が詰められていた事もあり彼女が彼の元に辿り着くのにそうは時間を要さなかった。
ビュ、ビュ、ビュと何かが空気を引き裂き接近する音を聞きながらシンジは自分の成すべき事を思い出していた。彼を庇うようにして動いた少女を抱きしめ、シンジはアスカとその体の位置を入れ替えた。背後をむいていないのにこれから何が起こるか判っているかのように。
ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ、と肉が引き裂かれ打ち抜かれる音がその場に数度響き渡る。
「またなの、またなの」
何処かから響く、依頼人の少女のそんな声を聞きながら、彼は涙顔で彼を見つめる少女に対し、痛みで顔をかすかにしかめながらそっと呟いた。
「大丈夫、だったみたいだね、よかった」
「・・・・シンジ、シンジ、しんじ・・・・」
泣きそうな彼女の頬をそっと何故ながら、彼は小さく呟いた。
「よかった・・・君の死に顔なんて・・・・もう、見たくなかったから、よかっ・・・・・」
そのまま彼の体は崩れ落ち動かなくなった。腕の中の温もりをなくし、アスカはただ、呆然とたたずむ事しかできなかった。
そして、シンジとアスカの背後でもまた、光が零れた。光は集い形を成し螺旋を作り上げてゆく。そして、作り上げられた螺旋は膨張し、弾けた。
光が、世界を包み込み、溢れた・・・・
8 夢幻
その日は何だか早く目が覚めてしまった。昨日もそわそわして夜遅くまで眠る事ができなかったのに、朝起きるのも早いなんて、自分の身体は明日の式までに壊れてしまうのでは無いか、と、思ってしまう。一生に一度の大切な日に、それは避けたい所だと彼女は思う。
そして、そんな他愛無い事を考えながら、彼女はそっと部屋の窓まで近寄るとカーテンを引き窓をあけた。
そこには彼女を祝福するように雲ひとつ無い青い青い空が広がっていた。
「さて、朝食を食べたら出発しようかしら」
言って大きく背伸びをすると彼女はゆっくりと部屋の外へと歩き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「すまないな、今丁度、家の冒険者どもは別口の仕事でなほとんど出払っちまってるんだ」
すまなそうな調子で、冒険者の宿の主人は彼女に言う。ここは、冒険者の店"碧眼の瞳亭"この街にある冒険者が良く利用する宿、俗に言う冒険者の店の一つである、良質の冒険者達が常宿にしているという話を耳にした彼女は、ここで護衛を雇い入れるべくこの店を訪れたのだったが帰ってきたのは、そんな宿の主人のすまなそうな言葉だった。
「都合なのですよね、仕方ないですよ、しょうがない、私一人で向かうしかないか」
ポツリと、呟く彼女に、宿の主人が慌てたように言う。
「ちょっと、お嬢さん、最近、あんたが使うって言っていた北のリエンに向かうって言う街道には、最近性質の悪い盗賊が出るって噂が・・・・」
「大丈夫です、私これでも、魔術師の端くれなんですよ、それにどうしても今日中にリエンに着く必要があるんです」
言って、彼女は軽く微笑んで見せた。
「さすがに派手に人数とか来られるとまずいですけど、逃げる事ぐらいはできると思います」
「そうか・・・・道中、気をつけてな」
心配そうに、そう言う宿の親父に、軽く微笑んで見せると彼女は、碧眼の瞳亭を後にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
炎が巻き起こった。燃えているのは彼女の故郷の町。彼女は無力だった。何を成すでもなく、ただ、自分の無力さに呆然とするだけ。
自分達の祝い事のため集まってきてくれた村人達、祝いの席に気を取られているうちに、町は盗賊団の侵入を許してしまったのだ。
「あそこにもいたぞ!!」
そんな声が彼女の背後から聞こえてくる。振り返ってみれば血に染まった得物を持った数人の盗賊達が彼女の方に向かってくる所であった。
その得物が血に染まり、紅い雫を滴らせている事が、彼女の虚無感をより一層大きいものへとする。
その時、彼女はただ、激情に任せ自らの内から湧き上がる力を行使した。頭の中に響く『殺してしまえ』と、言う声の言うがままに。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
瞬間、彼女の手の内にあった魔力が膨張しはじけ飛ぶ。殺意の対象へと向かって弾けとんだ魔力は光の矢を形成しつき進む。
彼女の方へと向かってきた盗賊達は、予想外の魔術による攻撃になす術もなく光の矢に打ち抜かれ、絶命した。
「はぁはぁはぁはぁ」
突然の大きな力の行使に悲鳴を上げる体を引きずりながら、彼女はゆっくりと歩き出した。この炎に包まれた街のどこかに、彼女の愛する人がいるはずだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
抱きしめている身体から徐々に体温が失われてゆくのがわかる。必死に彼女は呼びかけるが、その必死の呼びかけでさえ彼を現世へと留めて置く事はできない。彼女にできるのはただ、彼を抱きしめている事だけ。自らの纏うローブが血の色で紅く染まっていく事も一向に構いやしなかった。
「どうして、どうして」
あまりにも理不尽な形でおきた不幸、希望は絶望に変わり、手に入るはずだった幸福は不幸へと転じた。
あまりにも唐突で、そして、あまりにも理不尽であった。
「神様でも、誰でもいい、どうか、この人を助けて、この人を連れて行かないで」
彼女の心からの叫び。
だけれども、祈りは届かず願いは叶わない。彼は彼女の腕の中で物言わぬ骸と化した。
「い、や、い、や、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
絶叫、そして、その瞬間、螺旋が生まれた。
ヒカリが記憶しているのは、ここまでだった。次に意識を取り戻したのは宿のベッドの上。そして、彼女は閉じられた時の輪の内に幽閉される事になった。
あの二人と出会うまで、彼女は、三十回以上、同じ一日を繰り返した。
後書き
螺旋組曲 W 〜The second day〜 ここにお届けいたします。
これで“絃”に関しては全てのストックは無しです。次話、the third day、できるだけ早く、書き上げ、更新いたしたいと思います。
遅筆な作者ですが、皆様お待ちいただけると助かります。
さて、絃、に関する次回以降の予定ですが、次回でEpisodeWは完結いたします。次のEpisodeX〜螺旋相克〜、おそらく、前後編の形を取り
今までの絃とは少々毛色の違うお話になる予定です。その次が、EpisodeY〜追憶〜などと、予定いたしていますが、EpisodeYあたりなんか
は何時になったら発表できるか少々怪しい所があります(苦笑
気長にお待ちいただけると僕としてはとても助かります。
それでは、次回更新、おそらくは螺旋組曲、the third day、の後書きにてお会いしましょう。
それでは〜