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Column_07「意思のある打牌」1999/07/30




麻雀における勝ちという言葉はどのようなときに当てはまるのでしょうか。 トップを取ったとき。確かにその通りです。しかし、ただそれだけで勝ったといえるのでしょうか。東一局。何もせずに手なりで打っていたら役満を聴牌。ロン。これも確かにトップですが、その半荘で勝利を収めたかと言えば、はっきりいってNOです。単なる運としか言いようがありません。たとえば僕は先日、いつもの仲間と麻雀を打っていて、一半荘で2回も清一をあがりました。手なりで打っていたら自然と染まっていき、聴牌形が分からず見逃していたら自分で高めをツモってしまいました。子の三倍満と親の倍満で、もちろんトップでした。麻雀は確かに運が大きく勝敗を左右するゲームですが、その運だけでトップを取っても勝利とは言えません。

では、どういったモノなら勝利と呼べるのか? 結論から言ってしまえばすべての打牌に勝つための意思があり、その結果としてトップを取ったときだと思います。ツモってきた牌の言いなりになって手を進めているだけでは、いつまでたっても「運麻雀」です。よく「麻雀なんて所詮運だからね」と言っている人がいますが、確かにそんな考え方をしていては運以外でトップを取ることはできないでしょう。

他家の手を読み、自分の流れを感じ、リーチをかいくぐってアガリを取り、時にはどんな危険牌でも切り飛ばす。打牌には常にそういった意思がなければなりません。ただ単にどうせ待ちを読むことなんてできないといって全ツッパで得た倍満よりも、ここで自分があがらなければならないと言う意思に基づいた全ツッパで得た1000点のほうが何倍も価値があります。

純粋な雀力の違いで人によって同じ局面でもその「意思」には差があるでしょう。もっと上手な人ならそこで失敗することはなかった、という場面もよくあります。しかし、そんなことはどうでもいいことだと思います。なぜならそれはその時点での自分の最良の1打であるはずだからです。もしそれで失敗したとしても、その失敗は確実に自分の雀力を上げる糧になるはずです。

麻雀の面白さとは、卓を囲んでいる4人のそういった「意思の交錯」にもあるのではないでしょうか。




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