君と歩いていく日々
Presented by Rin

 地下鉄中洲川端(なかすかわばた)駅で降り、博多橋を横切って中洲大通りへと出る。
 ネオンの瞬き始めた通りを奥に突っ切って、細い路地へと足を踏み入れた。
 ここは福岡市博多区。歓楽街で有名な中洲川端である。福岡ダイエーホークスの優勝パレードが通った事で一躍有名になったが、以前から知られている”屋台の街・博多”は実はここを指す。
 昼間は静まり返った街だが、夜になると活気に溢れ、騒々しいまでの賑わいに包まれる。
 冴木貴弘は路地から更に脇道に逸れると、煉瓦造りの重厚な壁に取り付けられたドアをくぐった。
 ドアからは地下へと真っ直ぐに階段が伸びている。
 薄暗いそこを慣れた足取りで下ると、見えてきたアルミのドアを押した。
「お疲れ様です」
「ああ来たか。準備してくれ」
「はい」
 店のオーナーでもあり現役のバーテンダーでもある鵠沼(くげぬま)といつも通りの挨拶を交わして、ロッカールームへ足を向ける。
 そこには先に、先輩格のバーテンダーが着替えを済ませていた。
「よぉ」
「お疲れ様です」
「今日は遅かったな」
「大学で少し手間取りまして」
「お前が?珍しいな」
「そうでもないですよ」
 苦笑しながらロッカーを開け、支給されている制服を取り出す。白いシャツと黒のズボンに着替え、タイとベストは後ですることにして作業用のタブリエ(ソムリエエプロン)を巻いた。
 伊達メガネを外してロッカーに置くと、整髪料を手にロッカーを閉める。
「…そーしてるとホント学生じゃねぇよな、お前」
 感心したように頷く彼に曖昧に微笑んで、従業員用のレストルームへ向かった。


「…最近、顔色がいいみたいだな」
 開店準備の為にカウンターについた冴木に、鵠沼は目を細めた。
「おかげさまで」
 くすくすと笑みを漏らす冴木に、そうか、と笑う。
「轟…だったか、お前の友人は」
「栄養は十分に取らされてますから」
 テキパキと準備をこなす姿に微笑ましささえ感じて、鵠沼は笑みを深めた。
「いい友人を持ったな」
「そうですね。…奥から何本か出してきます」
 あらかた作業を終えた冴木は、そう言って店の奥へと消えた。
 きっと自分の追及を避けて会話を早々に切り上げたのであろう冴木の背を見送ってから、鵠沼はスツールへ腰掛けた。
「…こうも変わるものとはな」
 白いものの混じる顎鬚を摩りながら、冴木の消えたドアを、まるで子を見守るようなあたたかな視線で見つめる。
 実際彼のことは、彼がまだ幼かった時分から良く知っている。
 以前は彼の実家である古武術の道場に良く顔を出していたものだ。
 鵠沼は元検事である。仕事の役に立てば、と体を鍛え始めたのがそもそもの始まりだが、それ以来退職するまで体力の維持に通っていた。
 鵠沼自身が冴木に会ったのは―――当時はまだ冴木姓を名乗っていなかったが―――彼がまだ小学校に上がる前だったか。子供らしくない、やけに冷めた目をしていたのを覚えている。
 それは彼の置かれていた状況から仕方のない事だったのかもしれないが、他人ながらに彼の将来を案じたものだ。
 鵠沼は仕事柄様々な人間を見てきたが、その中の誰よりも、いやいっそ冷徹な殺人犯の方がまだ人間らしい目をしていた。
 周囲の全てを拒絶した瞳。
 どんなことにもその表情は動かず、人間の奥に眠るドロドロとした感情を見抜いているかのように。
 静かに、ただヒトを”観察して(みて)”いた。
 その視線に耐え切れずに、彼の世話を辞したものは多い。
 そうやって、彼はあの広い屋敷で。
 いつも、一人でいた。
 それは成長してからも変わる事はなくて。頭の良い彼は見事なまでに処世術を身に付けていたが、根底ではやはり人間そのものを嫌悪している節があった。
 それが、大学に入って間もなくだった。
 氷がゆっくりと溶けるように、少しずつ…身に纏う空気が変わっていったのだ。
 大学に入ったと同時に冴木の家を出て、一人暮らしを始めたからだと思った。あの家から離れた事で、心の負担が減ったからだと思ったのだが。
『はじめまして!』
 にっこりと笑ったその子を見て、瞬時に悟った。
 この子が、彼を変えたのだと。
『オレ、轟雷矢っていいます。いつも冴木がお世話になってま―――…いてっ!!』
『お前が言うな』
『もーっ、殴るなってば!!』
『あー、丁度良い位置にあったんでつい、な』
『ついで殴るなー!!!』
 その時の遣り取りまで思い出してしまって、声を殺して笑う。
 轟といる彼は、本当に楽しそうで。それまで持っていたイメージがガラガラと音を立てて崩れていた。
 そして気付いた。
 “これ”が彼の本当の姿なのだと。
 無感動で無表情で、凍りついた人形のような彼は彼でなく。その心深くには、こんなにも柔らかな表情を見せる彼がいたのだ。
「本当に良かったよ」
 自分には、気付けなかった。彼はそういう人間なんだと決め付けていた。
 本当の彼を、知ろうとしなかった。
 彼がこんなにも、あたたかい少年だと知らなかった。
 これで彼はもう一人じゃない。
 そう……思った。
「…良かった」
 呟きは、誰の耳にも入ることなく薄暗い店内に吸い込まれて消えた。



「それじゃ、お先に失礼します」
「御疲れ様」
 すっかり帰り支度を整えた冴木は、鵠沼に一礼すると従業員用出入り口の戸を押した。まとめておいたゴミ袋を掴むと、来た時とは逆に階段を上がって地上へと出る。
 高くつまれたゴミステーションの一角にそっと並べると、手を払って歩き出した。
 自宅までは地下鉄で2駅だが、終電はとっくに無くなっている。大した距離でもないので歩いて帰ることにした。
 まだまだ街は眠らない。けばけばしいネオンが周囲を煌々と照らす中、足を急がせる。
 ――――実は。
 今日は(日付から言うと昨日になるが)、雷矢が遊びに来る日だったのだ。
 雷矢は週に2、3日ほど遊びに来る。遊びに来るというよりは食事を作りに来てくれてる、といった所か。
 何故そういう事になったのかよく分からないのだが。初めて遊びに来たその日の内に、雷矢が食事を作りに来ることが決まっていた。
 きっかけは、…確かミネラルウォーターとアルコールしかない冷蔵庫に雷矢が呆気にとられたからだった、と記憶しているが。
 それが何故、「じゃぁオレが作りに来る!!」ことになったのやら。
「…ま、助かってるけどな」
 定期的に食事を作りに来るだけが、いつの間にやら掃除や片付けまでして帰るようになってるな…と冴木は苦笑した。
 それを世間一般的に何と言うか教えてみたい気もするのだが、色々としてくれる彼にはこれでも感謝しているので流石にそれはやめておく。
 とにかく、来ると言った以上(何の連絡も無いのなら)雷矢は絶対に来ているはずなので。
「起きてる…わけはないか」
 腕時計にちらりと視線を落として時間を確認した後、冴木は自宅へと向かう足を更に速めた。


 JR博多駅から徒歩5分とかからない豪奢なマンション。
 エントランスロビーを突っ切ってエレベーターに乗り込み、自宅のある8階へと上がる。
 806とルームプレートの掛けられたドアの前で足を止めて、初めて冴木は自分の息が乱れていることに気付いた。
「……格好悪ィ……」
 原因は分かり過ぎて嫌になるのでそれ以上考えないが、…余程急いでいたらしい。
「……」
 思わず額に手を当ててしまうが、同時にそんな自分も悪くないと思ってしまえる自分がいる。
 その上、極力物音を立てないようにドアを開けようとしている自分まで発見してしまっては、もうどうにでもなれと開き直るしかない。
「…ただいま」
 鍵を解除して玄関に入る。申し訳程度に声をかけるが、当然のように返事は無い。
 そういえば。ただいまと言う習慣は、そもそも冴木にはなかった。かつてここに母親と住んでいた時でさえも、一度たりとも言った事も言われたことも無かったのだ。
 これはもう、認めてしまうしかない。
 どれほど自分が、彼に心に許しているかを。
 暗いリビングへ入って街灯の光で部屋を見渡す。冴木をここまで変えてしまった張本人である彼は、そんなことは露知らずに健やかな寝息を立てていた。
 ガラステーブルに広げられたプリントやノート、文献のコピー。
 きっとゼミの下調べでもしていたのだろう。その途中で眠ってしまったのか、それらを枕にぐっすりと寝入っている。
 カーテンが引かれていないから、まだ明るい時間に寝てしまったようだ。
「…雷矢」
 一瞬考えたが、このままにして置けないのでとりあえず起こす事にした。
 肩を揺り動かして、呼びかける。
 数回繰り返したところでようやく雷矢は目を覚ました。
「あれ…?さえき…??」
 寝起き特有の掠れた声で目元をごしごし擦りながら、雷矢は体を起こした。
「“おはよう”?」
「なに…さえ―――っ、あああー!!!」
「っ!」
 意地悪く彼の頭をぽむぽむと叩いた瞬間思い切り叫ばれて、思わず冴木は手を引いた。
「…何だ」
「ごは…っ、さえき、まだ…!!」
「……つまり、メシがまだ出来て無いんだな?」
「っ!!!」
 こくこくと首を振る雷矢は、青くなって冴木を見上げた。
「どーしよ…っ、冴木、お腹空いちゃってるよな…?」
 ホントにごめん、と慌てて立ち上がってキッチンに向かおうとした雷矢の腕を、冴木は掴んだ。
「もういい。疲れてたんだろ?…コンビニでも行くから」
「でも……」
「お前は?」
「へ?…い、行く!!!」
「んじゃ、さっさと行くか」
「ま、待ってってば!!」
 帰ってきたままくるりと踵を返した冴木の後を、雷矢がバタバタと追いかける。



「…たまにはこんなのもいいか」
 色とりどりのコンビニ弁当の前で真剣に悩む雷矢に小さく苦笑して。
「ほら、早く帰るぞ」
 冴木は手にしていた缶コーヒーを、彼の頭にコツン、と当てた。





*言いワケ*

冴木っちのバースデーカウンタである125HITを踏んで下さった葵恭サマからのリクエスト小説です。

『残念ながら(笑)表のみ、みたいなのでバイト中の彼か、雷矢とのデートの話を…(苦笑)。』

との事でしたが、…こ、これでよかったんでしょうか…?(滝汗)
一応どっちのリクも入るようにと思って、バイトから始まってイマドキの大学生らしくコンビニデート(爆)まで頑張ってみたんですが!!!(><)
…何故だか知らないけど、冴木っちの話書くと暴走します…。何で!?バイトの時だって、ちょい役で出したはずのマスターが超色々語ってるし、それが終わったら今度は冴木っちだよ!!
これもひとえに冴木っちの愛☆のせいなのでしょうか?(汗)かーなーりー、この話書いてて恥かしかったです。何故そんなに雷矢の事好きなんだ冴木っち…。
人は、自分に無いものに憧れるということなのか…?(と、言い逃げっ!!)