ALIVE!!、魂は燃え・・


子牛は啼いた
助からない命の助けを求め
子牛は啼いた
己の弱さを悔やみながら
喰われるために生きよ

悲しい目の子牛よ

心臓の音がこんなにはっきりと聞こえるものだとは思わなかった。
嵐よりも激しい風が二人に打ちつける。冷たい、しかし体にまとわりつくような嫌な風だ。
 風が運んでくるのは、恐怖。
 闇夜で人知を越えたものと遭遇する、あの時の、どうにもならない恐怖。
 脚が冷たくなり、根が生えたように動かなくなる。
 だが二人はこれと対峙するために、ここまでやってきたのだ。これと戦うために、拳を鍛えてきたのだ。
 二人は風の先を見つめた。
 風が渦をまいて混沌となり、空中で揺らぎだす。ぐにゃり。混沌から腕が生まれた。徐々に人の形を作り始める。
 赤い目。緑色の肌。
 神か、悪魔か・・。
 「闘神」。この世にあらざるはずの異形のものが姿を現した。
 恐怖も怒りもひとつとなって、二人の心は激しく弾けた。身構え、拳を固め、闘神を睨みつけた。
「闘神・・やっと、貴様を。」
 仁はジュリアをかばうように、ジュリアと闘神の間に割って入った。ジュリアの前に、仁の大きな背中が立ちふさがった。ジュリアはそれに鬼気迫るものを感じた。
 クルガイイ・・。
 オ−ガは笑った。
 巻き起こした風は地を削り、遺跡の壁はひび割れ、破裂するようにバラバラと落ちていった。
 オ−ガは中南米の神々を思わせる黄金の兜をつけ、紋章が刻まれた盾をしていた。
その圧倒的な威圧感。「邪悪な神」そのものの風貌。
 オ−ガは自分に羽がはえているかのように舞い上がった。
 ゴウッ!!
 オ−ガの悪意が衝撃波となって二人に叩つけた。
 これがこの戦いのゴングだった。
 オ−ガはスピ−ドをつけたまま一直線に下降し、腕を仁めがけて降り下ろした。仁は目を見開いた。
 バシュッ!
 仁の胸に真一文字の傷が走り、鮮血が吹き出した。とっさに体を翻し直撃はまぬがれたものの、オ−ガの鋭い拳圧は仁の胸を切り裂いたのだった。
「チィィッ!!」
「ジン!!」
 仁は一瞬ひるんだが、弾かれるようにオ−ガの懐まで一気に踏み込み拳を押し出した。
「殺してやる・・殺してやるぞ!オ−ガッ!」
 ドゴォッ!
 オ−ガの腹にめりこむような右ストレ−トが決まった。仁の拳からは「気」が青い稲妻となって吹き出していた。
 いつものジンじゃない・・。
 ジュリアはハッとした。
 怒っている・・ジンが怒っている!
 後ろにいるので顔は見えない。だがその体から沸き上がる「気」はうねり、爆発していた。それは善でもなく、悪でもない。混じり気の一切ない、純粋な「怒り」だった。
 クッ、クッ・・。
 オ−ガは仁の拳を避けようともしなかった。ゆっくりと上半身をのばし、仁に向かって顎をしゃくり上げた。
 コザカシイッ!!
 オ−ガの体から赤いオ−ラがほとばしったかと思った次の瞬間、二人の体は遺跡の奥の壁めがけて吹き飛ばされた。
「ぐわあああぁぁっ!」
 奇しくも仁の後にいたジュリアが、仁の体を受けとめる形となって壁にまともに激突した。自分のなかで鈍い音がした。あまりの激痛にジュリアが吠える。あばら骨が折れたらしい。
「・・クソッ。ジュリア!」
 ジュリアの体が盾となり、仁の方はダメ−ジがそれほどでもなかった。仁はすぐさま起き上がる。壁から剥がれ落ちるようにジュリアが崩れ落ちた。
 その近くで、平八が倒れているのを仁は見付けた。ピクリとも動かないのが、ジュリアとの戦いの凄まじさを物語っていた。こんな祖父の姿を見るのは初めてだった。
「おじいさん!」
 仁は平八に駆け寄ろうとした。しかし、目の前にオ−ガの蹴りが迫った! 跳び蹴りから後ろ回し蹴り、そして踵落とし。仁の体は空中に浮き上がり、そこへ容赦ない攻撃が打ち込まれる。
 仁はなす術もなく大きく宙を舞い、床に叩きつけられた。
 くっ。
 だが、これは・・!
 ギリギリの線で受け身を取り立ち上がる。フッと、仁の脳裏にファランと戦ったときのことが浮かんだ。
 まさか、テコンド−!?
 仁はファランの師、ペクがオ−ガに襲われたという話を思い出した。
 オ−ガはより強い者の魂を吸収し、自分の力にするという。それはつまり、格闘家の鍛え上げた「技」を、コピ−するということなのか。
 仁はオ−ガに向き直った。オ−ガの唇が、グロテスクなほどに歪んだ。
「許さん! 許さん!! オ−ガッッ!」
 再度、仁はオ−ガに突っ込み、一瞬身を落として力をため、稲妻走るがごとく右拳を突き上げた。風神拳。
「・・ジン! よせ!」
 ジュリアは四つんばいで必死に起き上がった。が、叫びは仁には届かなかった。
「何っ!?」
 だが仁の拳はオ−ガに軽々とつかみ取られた。まさに目にもとまらぬ、最速の風神拳をいともたやすく。
 オ−ガは仁の右手首をつかんだまま腕をゆっくりと持ち上げた。そして、まるで癇癪を起こした子どもがぬいぐるみを振り回すように、仁の体を二度三度床に叩きつけた。
 ドゴォッ!!
「グウッ。」
 骨も砕けよとばかりの鈍い音がして、仁はたまらずうめいた。オ−ガはさらに、仁を大きく放り投げた。仁は大きく回転しながら床の上を転がっていった。
「ジ−ンっ!!」
 ジュリアは激痛で熱く、今にも燃えだしそうな体に鞭打って、必死になって立ち上がった。
 仁はもう一度壁に叩きつけられ、やっと止まった。回転していた勢いで、辺りから土煙があがった。
「ふがいないな。」
 オ−ガの声に、ジュリアは振り返った。生物の声とは思えない、なんとも無機的な声だった。
「・・貴様ぁ・・オ−ガァァ・・。」
 ジュリアは、しわがれた声を肺から絞りだした。せめてもの抵抗だった。
「人間とはかくも弱いものか・・どんなに『怒り』を覚えても、どんなに『憎しみ』をもとうとも、おかしなほどに何もできぬ・・。」
「何だと・・。」
 ジュリアではない。仁だ。仁は小刻みに震える体を押さえ瓦礫を払いのけ、這い上がってきた。
「ホゥ、まだ立ち上がれるのか。」
 オ−ガは仁の方に向き直った。
「だが、飽きたぞ。おまえは・・。」
 オ−ガが言うが早いか、仁は奇声を発して走りだし、真正面からオ−ガに向かって殴りかかった。
 しかしオ−ガは上体を反らしてバク転し、よろめく仁をその勢いで高々と蹴りあげた。仁はなすすべもなく天に舞い上がる。オ−ガはとどめとばかり、バク転の反動で弧を描き拳で仁の腹をえぐった。
「おまえはこそ・・何もできぬではないかっ!」
  殴り飛ばされた仁は、地面で海老のように体を丸め、痛みに跳ねた。
 しかし、仁はこの技をどこかで見たことがあった。
 どこかで・・。
 仁の目は凍りついた。
「そうだ。おまえの母の魂、心地よいぞ。」
 竜車蹴り鬼殺し。仁の母、風間準の得意とする技であった。
 仁の胸は怒りで張り裂けそうだった。
 オ−ガは蔑むように仁を見た。
「ふがいない。これではおまえを生かしておいた甲斐がなかったわ。」
 オ−ガは仁に詰め寄った。
「・・あの日、我は泣き叫ぶおまえのなかに未知の『力』を感じた。」
 なぎ倒される森。燃えさかる家。四年前、仁は母を助けようとオ−ガに立ち向かった。だが一瞬にして意識を奪われ、目覚めた時には母も、母と暮らした森もなく、すべてが焼き払われていた。
「おまえのなかに:おまえの『血』のなかにこの我も知らぬ力が眠っている。我はそれを目覚めさせるために四年も待った。」
「何だ・・それは・・。」
 仁はうめいた。
 ジュリアにはすぐにわかった。カズヤの、いやカズヤとジュン、悪魔と天使の力だ。二人の血を受け継ぐ仁はその力をも受け継いでいたのだ。
「ククッ・・。己の力も知らぬとはな。そんなことだからいいように利用されるのだ。」
「・・何?」
 仁は力なくつぶやいた。
 が、ジュリアはギクリとした。
 まさかオ−ガは、ヘイハチが何をたくらんでいるのか知っているのか!?
「もうよい。しょせんは人間の悲しさよ。」
  オ−ガは倒れている仁の頭をわしづかみにして、骨がきしむほど締め上げた。
「ぐあぁぁ・・。」
 仁が、ジュリアが悲鳴を上げた。
「おまえのような弱き者など、見るも汚らわしい。このまま首を引きちぎってくれるわ・・」
 オ−ガはもう一方の腕を仁の首根っこにかけた。
「さあ、どうする? このまま我にむざむざ殺されるのか、それとも戦うのか?
  ・・何をためらう・・おまえは母を殺されて悔しくないのか? 
我を殺すために、そのためだけに強くなったのではないのか!?」
 オ−ガは手に力をこめようとした。
「やめろぉぉぉっ!!」
 掛け声と同時に、ジュリアが、走った。
 その目には絶望の色が浮かんでいた。
 ドンッ!
 ジュリアはそのままオ−ガに体ごとぶつかっていった。
捨身の体当たりに、さすがのオ−ガの体もぐらりと揺れ、手から仁がするりと落ちた。
「ぬうっ!」
 オ−ガは腕を無造作になぎはらった。それにジュリアは軽く弾き飛ばされる。しかし器用に受け身をとってまた立ち上がった。
「フン・・この男の代わりに、おまえが戦うというのか?」
「代わりじゃない。」
 ジュリアは自分の頬についていた血を、顔に魔よけの刺青を施すように、ピッと指でなぞった。
「アタシがアンタを倒すんだ。母さんの仇をとるために、アンタと決着を付けるために!」
 ジュリアとオ−ガの視線が交錯した。ジュリアは肩で息をしながらオ−ガをにらんだ。 オ−ガは冷たく笑った。
「そう言いながら、おまえはなぜいつも怯えたような目をするのだ。」
 ジュリアはカッと目を見開いた。
「怯えてるだと!?」
「そうだ。我が影を・・我を今もおまえは怖れている。」
「アタシはアンタを怖れてなんかいない!」
  ジュリアはオ−ガに向かって拳を繰り出した。
 オ−ガはニヤリと笑って拳を片手で受け止めようとする。
「ヤァッ!」
 ジュリアは瞬時にして拳を引き、足を突き出して突進した。
「ヌッ!」
 ジュリアの足は、オ−ガの腹にぶちあたった。その衝撃で、二人の間の距離が少し開いた。
 今だ!
 ジュリアは一瞬腰を落として力を溜め、いっきに肘を突き出した。疾歩崩肘。
 だが。入ったと思った瞬間、ジュリアはまたしても赤い光に包まれた。強烈な光に視力を奪われ、思わずのけぞる。
 その光のなかから腕がグンと伸びてきた。
「アグウッ・・!」
 ジュリアの体から血の気が引いた。オ−ガの手はジュリアの首を確実にとらえていた。 ジュリアは体をよじり、オ−ガの手を振りほどこうとした。次の瞬間、ジュリアの体からガクッと力が空気のように抜けていった。 なんとかしがみつくような形で指を自分の首とオ−ガの手との間に差し込んだが、体はもう動けない。首から下が振り子のようにゆらゆらと揺れた。
「・・ジュリア。」
 ジュリアの足元から、うめき声がした。仁が気がついたのだ。
「ヤ・・ロウ・・。」
 ジュリアは首からオ−ガの手を引き離そうとしたが、凍えるように冷たい指がぐいぐいとからみついて離れなかった。
「貴様っ・・離せ、ジュリアを離せっ!!」
 突然仁がガバリと起き上がり、オ−ガの足にしがみついて押し倒そうとした。だが、固い鉄柱のような足はびくともしなかった。逆にオ−ガは足をあげると仁の頭部めがけて振り降ろし、容赦なく踏みにじった。
「そこでじっとしてるがいい。」
 オ−ガは嘲笑った。
「この娘は特別な生贄だ。この娘こそ、我に喰われるために生まれてきた娘なのだ。」
 頭が地面にめりこむほどの重圧がかかってくる。仁はもがいたが、体をひねるだけで精一杯だった。
「・・ア、アタシは・・アンタに喰われるために生まれたんじゃない・・。」
 ジュリアはあえいだ。意識が朦朧とし、目の前もぼやけてきた。
「ではおまえはどうしてここに捨てられた? 十三年前、おまえを捨てていった親のことを思い出してみよ。」
 金属音のような声が、オ−ガの指を伝って頭に響いた。
「何を・・。」
 だが人間は生死にかかわる重大な局面に遭遇したとき、常識的な時間感覚を喪ってしまうものだ。ジュリアの目の前でも、望んでもいないのに、自分の過去がまるでスロ−モ−ションのフィルムのようにぐるぐるとまわり始めたのだった。
 けれどもわからない。こんな今際の時でさえ、自分の実の親の顔が思い出せなかった。
  何を馬鹿なことを考えている・・!
 ジュリアは必死で自分を取り戻そうとした。ちょっとでも気を抜けば、今にもオ−ガに吸い込まれていきそうだった。
「はるか昔、人間たちは我を怖れ、崇め、我の怒りを沈めるため生贄を必ず捧げた。」
 オ−ガは昔を思い出すかのように、ゆっくりと口を開いた。
「だがだんだんと、人間どもは我をないがしろにし、傲りたかぶっていきおった。そして我に生贄を捧げようとする者もまた減っていった。」
 ジュリアの心の奥底でカッと閃くものがあった。ジュリアは目を見開いた。
「おまえはその最後の生贄だ。おまえの親は我に生贄を捧げるためにおまえを産み、育てたのだ。おまえの心臓と、流れる血によって我に力を付けるためにな!」 
 ガン、と頭を殴られたような衝撃が体のなかを走り、離すものかと頑張っていた指から力が抜けた。
 ジュリアの腕がだらりと落ちていった。
「さあ、おまえも義母のもとに来い。我になり、我に力を捧げよ。」
  すると、オ−ガの鈎爪のはえた手から黒い霧のような、煙のようなものが吹き出した。
 「影」、だ。
 その正体はオ−ガの「気」である。彼はこれを影法師のように形どらせて、自由に操ることができた。それは時に人を惑わし、また憎悪にかられた人間に力を与えたりもした。 影はジュリアを徐々に覆っていった。
「・・母さん。」
  影のなかで、ジュリアに触れるものがあった。
 母の手だ。
 オ−ガに吸収されたはずのミシェ−ルが手を差し伸べていた。
「母さん!!」
 影に触れた部分からジュリアの姿が歪んでいく。
 ジュリアが消えていく。
 オ−ガに吸収されているのだ。
「ジュリア!!」
 仁は叫んだ。
 影は完全にジュリアを飲み込んだ。

ジュリアが気が付くと、目の前に見慣れた灰色の荒野が広がっていた。
 影も、オ−ガも、仁もいない。
 夢だろうか?
 ジュリアは思った。
 と、突然、バッファロ−の大きな群れが背後から、こっちにめがけてかけてきた。
 振り返ったときにはもう遅く、群れはすぐそこまできていた。
 ぶつかる!
 ジュリアは目をつぶった。
 しかしバッファロ−達は幻のようにジュリアの体をすり抜け、半狂乱になって荒野を奔走していった。
 そのすぐ後ろには馬に乗った女が追いかけてきていた。
 地響きも轟く幾千ものバッファロ−の蹄から、もうもうと土煙が沸き上がった。
 女は馬から体をぐっと乗り出して、ライフルを構えた。
 パンッ!
 撃たれたバッファロ−は弾かれるように宙に舞い、ドウッと倒れた。鮮血があたり一面に広がっていく。バッファロ−は一瞬体をふるわせると、そのまま動かなくなった。
 遠くに、その狩りの様子をみている少女がいた。悲しそうに口をキッとかたく閉じ、動かなくなっていくバッファロ−をあわれみをもってみつめていた。 バッファロ−の群れが荒野の向こうへ行ってしまうと、すぐになにもなかったかのように静かになった。
「母さん。・・バッファロ−、死んだの?」
 荒野に一陣の風が吹いた。母さん、と呼ばれた女の長いおさげが風になびいた。
「バッファロ−はね。」
 女は馬からおりて、少女の方へ歩いていった。
「アタシ達の生活に必要なものを全て与えてくれる。そのためにバッファロ−は死んだのよ。でも、その死はうやうやしく迎えなくちゃならないの:わかるね。」
「・・母さん、アタシね、アタシ・・。」
 少女は突然、訴えるように母の方に向き直った。
「怪物に喰われるかもしれないの。・・こんなふうに。どうしたらいいんだろう? アタシ喰われたくない!」
「おかしなことをいう子だね。」
 女は声をあげて笑った。
「怖い夢でもみたんじゃないの?」
 少女は首を振った。
「怪物はね、アタシの傍にずっといるの。いつかきっとおまえを喰うぞ、喰うぞって。怪物はね、すごく強いの・・人間なんかひとのみにしちゃうんだよ。だから、アタシも・・あのバッファロ−みたいに殺されちゃうよ!」
 目に涙を溜めて語る少女を、女は黙って見守っていた。
 ポン、と女は少女の頭を優しくなでた。
「そんなもの、こわくもなんともないよ。アタシがいるじゃない。」
「でも・・。」
「大丈夫。本当はね、バッファロ−だって喰われたくないから必死で逃げて、戦うの。時に、人間を蹴り殺してしまう程にね。 だからアンタがもし、喰われるしかないバッファロ−だったとしても・・」
 ジュリアはハッとした。
「・・アンタが戦い続けるなら。」
 ジュリアは声にならない叫びを発して、女の方へと駆けだした。

「アンタは逆に、怪物を喰ってやることができるよ。アンタなら、絶対にね。」

 母さん!!

 あたりに黄色い閃光がはしった。それは現実へとつれ戻す道標だった。ジュリアは無意識のうちに指に力をこめた。ぐぐっ、と肉の軋む音がした。
「オ−ガ・・。」
 ジュリアはパクパクと口を動かした。
「・・負けるものか・・喰われるものか・・! アタシが、アタシがアンタを喰ってやる!!」
 仁がジュリア、と叫んだときからまばたきする瞬間までの出来事だった。その短い瞬間にジュリアは荒野の幻を見ていたのだった。
「なんと・・!!」
 オ−ガは声をうわずらせた。自分が押される・・。ジュリアの喉に食い込ませた指が徐々にジュリアの細い腕でひきはがされていく!
  馬鹿ナ・・!
 半殺しにしたはずの獲物が目覚めたのだ。ジュリアは歯をむきだしにしてオ−ガの手に喰らいつこうとしていた。
 喰ワレル、ワレガ・・。
「アウガフッアフガウッッッッ!!!!」
 ジュリアは声にならない奇声を発して、オ−ガの手首を握り締めると黄緑色の人差し指に噛みついた!
「ガアァァァァァァァ!!!」
 オ−ガは狂ったように腕をふるいジュリアを振り回した。しかし、もがけばもがくほどジュリアの歯が指に食い込んだ。
 ブチリという音がした。黄緑色の血を勢いよく吹き上げて、オ−ガの人差し指はことりと床に落ちた。
 ジュリアはオ−ガから逃れて床に落ちた。口にオ−ガの指をくわえたまま。
「この我が、この我が・・。」
 黄緑色の血の勢いはとどまるところを知らなかった。オ−ガは手で手を押さえ、二、三歩あとずさった。
「ウオォォォォォォォォ!!」
 ブシュッッ!!
 水の入った風船を割ったように、オ−ガの手が弾けて血があたり一面に飛び散った。
 ちょうど真下にいたジュリアに、仁に、血が降り注ぐ。
「ぐ・・ぐ・・。」
 ドウッ。
 オ−ガはよろめき、ついに床に倒れた。そしてそのままピクリとも動かなくなった。
「・・・。」
 ジュリアはくわえていた指をペッと吐き出した。歯に少し肉片がはさまった。ジュリアはそれをプチッと噛み砕いた。

「死んだのか・・終わったな。」
 仁はジュリアの方をふりかえった。
「大丈夫か?」
「・・うん。」
 ジュリアはうなずいた。
「ジン・・アタシ、母さんにあったよ。」
 仁は目を丸くした。
「母さん? どういうことだ。」
「オ−ガに魂を喰われそうになった時、母さんの魂がそこにいたんだ。アタシに、あきらめるなって。ただの幻かもしれないけど、母さんがアタシを助けてくれた。
 ほらジン、肩貸すよ。それにしても、アンタひどい顔だなぁ。」
「・・! ジュリアだって。」
 二人は互いに支えあってよろよろと立ち上がった。
 オ−ガの変わり果てた体を見下ろしながらジュリアはつぶやいた。
「アタシの本当の親はね、いわゆるカルト教団・・オ−ガの信奉者って奴だった。知ってると思うけどアメリカにはその手の宗教がごまんとある。母親は変な像にむかってぶつぶつ祈ってたし、父親は一日中酔っ払っていた。アタシは薄暗い部屋の中でずっと一人だった。二人とも、アタシには無関心だったからね。 アタシが親に愛されてなかったこと、オ−ガはその心のスキをついてきたんだよ。でも奴は大きな誤算をした。ジン、アタシの母さんは本当の母さん以上の人だったんだ。」
 あれほど嫌悪していた「影」ももう消えていた。ジュリアは、今やっと、自分の過去から解放されたのだと感じた。
「ああ。」
 仁は少し寂しそうに微笑んだ。
「俺も・・母さんに会いたかったよ。」
「アンタだって最後まで戦ったじゃないか。アンタの母さんだって、アンタのことをずっと見てたさ。」
「とにかく、これで母さん達が浮かばれればそれでいい。そうだ。おじいさん、大丈夫・・。」
 その時だった。
 死んだはずのオ−ガの体がいきなり弾けるように四散したのは。
「何っ!!」
 四散した体はゲル状に溶け、黄緑色のゲルはうねうねと、蛭のように地面を横切っていった。無数のゲルは、引き合うように一ヶ所に集まっていく。
「おじいさん!!」
 ゲルは横たわる平八の前で止まった。
 そして・・ゲルはゆっくりと起き上がった。 徐々に徐々に、もとのオ−ガの姿をつくりながら。
「オノレ・・オノレ・・! ワレヲ、ワレヲクウトハ・・」
 しかしオ−ガは完全な形をとることはできず、体のあちこちが溶けかかっていた。
「オノレェェェェ!」
 オ−ガは平八の首根っこを鷲掴みにした。ジュリアに喰われた手がグロテスクなほどにただれだし、ゲルが平八を包んだ。
 仁はジュリアを振り切ってオ−ガにむかって駆け出した。
 だがすでに遅かった。オ−ガは平八を吸収すると、一瞬苦しそうにうずくまり、長い髪を振り乱してもがきだした。
  ぐちゅ、ぶちゅと肉がつぶれるような音がしてオ−ガの体が膨張し、まず爬虫類のような皮膚をした腕があらわれた。
 足が三つに割れ、先端からは巨大な爪が飛び出した。ゲル状に溶けていた足はすぐに乾燥し、ひび割れた。その足はまさに、恐竜のそれに酷似していた。
 バグッ!
 今度は背中が割れたかと思うと、割れた肉が、じゅる、と長く延びはじめた。延び切った尾には、蛸の脚のような気持ち悪い吸盤がついていた。「ガァァァァァ!」
 オ−ガは背をくの字にのけぞらせ、反動を付けて腕を振りおろした。
 バサッ!
 羽音も高らかに蝙蝠のような翼が左右に広がった。
「ウオッ、ウオッ・・」
 顔の肉が溶けだし、どろりと床にしたたり落ちていく。
 ぐちゃり。
 こめかみから牛の角を何倍にもしたような角が伸びだした。
 シュルン!!
「あっ!!」
 ジュリアは悲鳴をあげた。
 噛み切ったはずのオ−ガの右腕が突き上げるように伸びてきた。紙一重の差でなんとかかわしたが、頬がざっくりと切れていた。
「なぜ・・?」 
 腕は先端でぱっくりと裂け、毒蛇のような形に変わっていた。毒蛇の牙にはジュリアの血がしたたっていた。
 オ−ガは顔をあげた。

 ホロビヨ、ワレニサカラウモノドモ!!

 もはや、悪魔、としか形容のできない顔だった。無数の牙をうならせ、落ちくぼんだ目は深紅に輝いている。
 オ−ガは翼をはばたかせ、強風とともに巨体が上空に舞い上がった。
 ホロビヨ・・!!
 オ−ガはカッと、口を大きく開いた。巨大な牙がむき出しになる。
 ゴォォォォォォォォォッ!!
 爆音とともにオ−ガは炎を吐き出した。炎は一直線に二人の方向にやってくる。
「危ない!!」
 仁がジュリアをかばい、二人は横に飛び跳ね、床に突っ伏す。
 炎は休むまもなく襲ってくる。二人は絡まりあったままごろごろと転がった。
 しばらくすると炎が止んだ。仁は少し頭をあげ、上をにらんだ。オ−ガは空中で静止しながら二人を嘲笑っていた。 どうすればいいんだ・・。 オ−ガはフンッと大きくはばたき、仁の頭上から角を突き立て急降下した。仁はあわてて顔を伏せる。オ−ガの角はすれすれのところをすべっていった。反応が遅ければ仁の頭は確実にねじきられていただろう。
 オ−ガはズン、と地上に降り立った。
「化物め・・。」
 仁は起き上がって、拳を固めた。
「ジン・・。」
 圧倒的な「絶望」と「死」が二人のまわりに漂っていた。
 やるしかないんだね。
 オ−ガは咆哮とともに、二人に向かって飛びかかった。重戦車のような体躯が二人を襲う。
 そんなのに、まともにぶつかってはいられない。
 二人は左右にパッと別れ、オ−ガの後ろをとった。巨大な体躯が災いしてか、オ−ガは一瞬、二人を見失ってしまった。
 仁の遠心力をつけた、強烈な回し蹴りがオ−ガの後頭部にガツンと直撃した。鬼首落とし。
 オ−ガはバランスを崩して前につんのめった。いくら化物でも、さすがに頭部は弱点だったらしい。
「やぁ−っ!!」
 続いてジュリアの勢いをつけた飛び蹴りもオ−ガの頭に決まった。烈震踏。
「・・とどめだ!」
 仁の拳が、うずくまるオ−ガの顔面に唸りをあげて迫った。雷神拳。
 ガッッッ!!
「・・な、なに・・。」
  しかし、だ。
 仁の視界が朱に染まり、肩から鮮血が吹き出した。
 オ−ガの牙が仁の肩を深々と刺していた。 拳が当たる瞬間、オ−ガは顎を大きく開けて獲物に喰らいついたのだった。
「がぁぁぁぁっ!」
 オ−ガは苦しむ獲物を仰ぎ見て狂喜し、さらに力をこめた。
「この野郎!!」
 仁を助けようと、ジュリアが飛びかかる。 だが回転で勢いをつけた長い尻尾が容赦なくジュリアを襲った。ジュリアは両腕で尻尾を受けとめたが、土煙をあげて壁の方まで吹き飛ばされた。
 オ−ガは顎をクワッと開けた。今度こそ、仁を噛み砕くつもりだった。
 間に合わない!
 その時。
 ゴクリ
 何かがオ−ガの喉を滑り落ちていった。
 ジュリアが仁に手渡したペンダントの鎖が切れたのだった。

 カッ!

 オ−ガの喉元が閃光を放った。
「な、こ、これは・・!!」
 ジュリアは目を疑った。
 オ−ガが、苦しそうにあえいでいる!!
 オ−ガはたまらず仁を振り落とし、鋭い爪がはえた手で自分の喉をかきむしった。
 まさか、あのペンダントが・・!?
 オ−ガは激しく首を振り回しながら二、三歩後ずさった。
 ペンダントが、オ−ガを苦しめている・・!
「信じられない・・。」
 ジュリアは閃光を見つめてつぶやいた。
 祖父の、母の、先祖たちの遺産。
 あのペンダントは、オ−ガを抑制する力を持っていたのだ。
 仁が瓦礫をはねのけて上半身を起こした。 オ−ガは喉をヒュウヒュウ震わせながら大きく息を吸い込んだ。
 ゴウッ
 オ−ガを中心に風が渦巻き流れていった。
 ホネマデモヤシツクシテヤルワ・・!
「させるか・・!」
 仁は立ち上がった。
「終わらせてやる、終わらせてやるぞ、オ−ガ!! 何もかも!」
 ゴォォォォォォオオオォォォォオ!!
 灼熱の炎がオ−ガの口から吐き出された。
「死なせはしない! ジュリアを、もう誰も!!」
 仁は退かなかった。炎の渦にむかって走りだしたのだ。仁の体を、炎が包んだ。炎の向こうに、仁の影が見えた。
「ジ−−−−−ン!!」
 ジュリアは絶叫をあげた。その瞳から、涙がほとばしった。13年前のあの日から、母が死んだ時でさえも、けっして流すことのなかった涙が。
「俺は、負けない!」
 炎の下から、仁が飛び出した。仁は炎に体を焼かれる瞬間、身を屈め、紙一重でかわしていたのだった。仁はオ−ガの懐に飛び込んだ。オ−ガの目前に仁が迫った。
 ナンダト・・?!
「ウオリャァァァァ!」
 仁の体に青い稲妻が走り、拳は無防備なオ−ガの顎を貫いた!
  三島流奥義、真・鬼神滅裂。
「グボォォッ!」
 ドン! という爆発音がして、オ−ガの体から火柱が上がった。口を縫い止められたオ−ガの体内に自分の炎が逆流したのだった。
 ウオッ、ウオッ・・!
 オ−ガは体中から炎を吹き上げながらのたうち回る。拳を振り上げ、そこらにあるものを片っ端から破壊していった。
 オノレェ、オノレェ・・!
 セメテ、キサマダケデモ・・!!
 炎の塊となったオ−ガが、赤い火の粉を撒き散らしながら、ジュリアに迫った。ジュリアは炎に手をかざして静止した。だが、もはやその瞳はおびえてはいなかった。
 ジュリアは、ゆっくりと立ち上がった。
 ゴウッ
 オ−ガの体から黒い影が浮かび上がった。 影は炎のようにユラユラと、ジュリアの方へ体を引きずるように伸びてきた。
「帰れ!」
 ジュリアは叫んだ。
「おまえの居場所に! 哀れな魂達を解放しろ!」
 影は、ジュリアの手前で止まった。
 次の瞬間、「影」が弾け、稲妻のように黒い光があたりをかけめぐった。
 グゥォォオオオオ!!
 オ−ガの最期の怒号が、遺跡中に轟いた。火柱昇るオ−ガの体がバクッと真っ二つに音をたてて裂ける。
裂け目から、青白く輝く光の粒が一筋、空に向かって飛び出した。
 ひとつ、ふたつ・・光の粒はあとからあとから、とめどもなくあふれていった。

 今度こそ、本当におわった・・。
 くすぶり続ける炎のなか、真っ黒に炭化し崩れ落ちていくオ−ガからとびだす無数の魂達を、二人はいつまでも見上げていた。あの魂達はたぶん、天に昇っていったのだろう。
「さよなら、母さん・・」
 ジュリアがつぶやいた。仁とジュリアは互いの腕を自分の肩に回し、支えあいながら立っていた。
「・・ジュリア、君はオ−ガになんて言ったんだ? 帰れって、どういうことだ?」
 仁はジュリアの顔をじっと見つめた。
 ジュリアはやれやれというふうに苦笑した。
「死者の国へ、奴が本来いるべき場所へ、ね。私は奴に、死者の国へ行け、行って二度と戻るな、って命じたんだ。ペンダントを受け継ぐものの名にかけてね。」
「それでどうしてオ−ガは・・。」
「たぶん奴が飲み込んだペンダントのせいだと思うよ。あれはきっと、奴をコントロ−ルする鍵・・封印するためのものだったんだ。科学的にどう説明していいのかはわからないけど、それで奴に消えろと命じたことで、本当に消えてしまった。」
「でも、君はそんなこと知らなかっただろう?」
「うん・・。けど、また声がした。心の底から・・先祖たちが、おじいさんが、そして母さんが、私のなかで私を呼んでいたんだ。」
 ジュリアは微笑んだ。
「ところで、ジン、これからどうするの?」
「俺か?」
 仁はなぜか、少し哀しげに笑った。
「日本へ帰るよ。もう財閥には帰りたくないけど。」
「ジン、それって・・」
「俺が財閥のなかで厄介者扱いされていることぐらい、知ってるさ。おじいさんがいない三島の家に用はない。」
「・・。」
「俺は、母さんも、おじいさんも守れなかった・・。」
「ジン、あの・・ヘイハチは、本当は・・」
 だが、言葉が続かなかった。
 仁を騙すことはできない。でもジュリアは仁に真実をいうことはできなかった。
「俺に翼があったらいいのにな。」
 仁はジュリアの肩を強く抱いた。
「翼があったら、このまま屋久島に飛んでいけるのに・・。」
 その時だった。ジュリアの背中に一陣の風が突き抜けていったのは。
「・・どうして・・」
 ジュリアは弾き飛ばされるように倒れた。
「ジュリア!!」
 ジュリアが倒れたあたりに、みるみる血が広がっていく。仁は後ろを振り返った。
 信じられない・・。
 そこには、自分に銃を向けた鉄拳衆が並んでいた。
 ガガガガガガガガガガガガガッ!
 銃弾は容赦なく仁に降り注いだ。仁の体は銃弾に弾かれ、貫かれ、ドウッとぼろ布のように床に崩れ落ちた。
 なぜ、なぜだ・・。
 仁は震える手を伸ばし、空をつかもうとした。
 ああ・・
 仁は気が遠くなっていくのを感じた。
 目の前に、銃を構えた平八がいた。
 パン!
 平八は何のためらいもなく仁の胸を撃った。
 仁の瞳から、光が消えた。そしてぴくりとも動かなくなった。

「こわっぱどもが・・。やりよるわ。」
 平八はくるりと踵を帰した。
 鉄拳衆の精鋭たちが次々と遺跡に突入していく。
「よし、闘神と仁を回収しろ。小娘はほおっておいてかまわん。」
 平八が部隊長に告げた。
 鉄拳衆たちが仁とジュリアのまわりを取り囲み、二人が死んだことを確認した。
「くくっ、助かったわ。」
 平八自身、オ−ガに吸収されたとき、自分が助かるとは思っていなかった。だが自分が光の粒となってオ−ガの体から飛び出した後、自分は昇天することなく、また地上に戻ってきたのだった。
「それにしてもまさか闘神を倒すとはな・・。さすがわが孫、一八の息子よ。」
 もとより平八が仁を鍛えたのは、闘神をおびきだす為に利用しようと考えたからにすぎない。仁が闘神を倒した今、一八の「忌まわしい血」を受け継ぐ仁は、この上なく危険な存在だった。
 いつか仁が自分の座を狙ってくるかもしれない、そういう懸念もあった。だが一番恐ろしいのは、もし仁が、父を葬ったのは自分だと知ったらということだった。
 絶対にワシを許すまいて・・。
 平八は獰猛な笑みを浮かべた。
「成仏せい、仁。」
 平八は振り返らずにつぶやいた。
 だが。
 ヒュウッ! 平八の横を何かがふっとんでいった。
  人間、だ。
 「大変です、し、死体が・・へぶっ!」
 部隊長が叫ぶ。
 平八は後ろを振り返った。
 それを見た瞬間、平八の背筋は凍りついた。
 仁、いや悪魔が、ゆっくりとこちらに向かってきたのだった。
 真っ赤に輝く瞳、二つに割れた額からのぞく第三の目、鴉のそれにも似た漆黒の翼。驚いた鉄拳衆たちはライフルを一斉に撃ち始めた。
 だが、効かない。銃弾の雨を浴びながらも仁はよろよろと、平八の方に歩いていった。
「悪魔め・・!」
 兵士たちは顔を歪めた。
「ガァァァァァアア!!」
 仁は唸り声をあげて兵士たちの方へ突っ込み、振りかぶるように腕をひと振りした。
 ブシュッ! という音をたてて、兵士たち三人の首が床に転がり落ちた。温かい鮮血が噴水のように吹き出し、首を落とされた兵士たちの分厚い装甲を深紅に染める。
 仁の鋭い爪がはえた拳が、血にまみれ、血がポタポタと滴った。
 仁はその勢いで平八に突進していった。
「お、おのれ・・こわっぱ、まだ!」
 仁は平八の頭をわしづかみにすると遺跡の壁に叩きつけた!
 壁にドコン! と人型の穴が開いた。二人はそのまま、空中へと身を踊らせる。
 バサッ!
 仁は背中の翼を左右に広げ、空中で体を静止させた。平八の頭から手を離す。
「ぐゎぁぁあ!」
 平八は遺跡の外へと落ちていった。
 この高さでは助かるまい。
  仁は落ちていく平八をじっと見つめた。
 悲しい瞳。赤く輝く瞳はあまりにも切なく物悲しい色をしていた。
「ウォォォォォォォォォー!」
 何を思ったか仁は、長い長い叫びをあげながら、地面に向かって急降下した。そして、平八が地面に激突する今際の時に、間一髪で受けとめた。
「な、何だと・・。」
 平八は愕然として、仁を見上げた。
 仁は平八を地面に降ろすと、翼を羽ばたかせて上空に舞い上がった。
 バルルルルルルルルル・・
 上空では二機のヘリが待機していた。ヘリは仁の姿を認めると、ただちに攻撃を開始した。仁の体に前後からまたもや銃弾が降り注ぐ。
 だが、仁の額に開いた第三の目が見開かれた瞬間、ヘリは大爆発を起こし、空中で木っ端微塵になった。地面に、ヘリのわずかな残骸が墜落していく。もう一機のヘリも、振り返った仁が放った不可視の光線によってすぐに粉微塵になった。
「撃て、撃てぇ−!!」
 遺跡の入り口から、兵士たちがライフルを夜空の闇に向けて撃った。
 仁は満月を背にしながら不可視のエネルギ−を遺跡の方へ向けた。遺跡ごと破壊してしまうつもりだった。
 ・・ジュリ・ア・・
 できなかった。仁は空中でうずくまり、手で顔を覆った。仁の心の奥底に、炎のなかで倒れているジュリアがいた。
「ジュリ・・ア・・ジュリアァァ!」
 仁は翼を羽ばたかせて、再び鉄拳衆の中に舞い降りた。
 銃弾の嵐の中で、仁は腕を薙ぎ、兵士たちに血の雨を降らせた。兵士たちの腕をひっつかんでは遺跡の外へ放り投げ、跳ねあげた脚は兵士五人をまとめて壁に叩きつけた。
 恐れを成して逃げようとした兵士たちでさえも、仁は容赦なく拳で串刺しにした。
「し、し、死ねぇ!!」
 兵士たちがつぎつぎと倒れていく。最後に残った部隊長が拳銃を引き抜き、仁に向けた。
 ドゴォッ!
 だが次の瞬間、部隊長は仁に殴りとばされ遺跡の外にふっとんでいった。刹那、絶叫が響く。しかし、すぐに小さくなって消えてしまった。
 すべてが終わった後、仁は体を引きずるようにジュリアの方へ歩いていった。
 ジュリアは遺跡の奥で、うつぶせになって倒れていた。
 傍らでは、「元オ−ガだったもの」が煙をあげてくすぶっていた。もう光は、出ていない。
 仁はがっくりと膝をつき、ジュリアを抱き上げた。
 仁の顔から悪魔のような形相が消えていった。赤く輝いていた瞳は徐々に光を失い、代わりに涙が、あとからあとから零れた。
 トクン・・
 仁はハッとした。
 温かい。
 温かな血が、ジュリアの中で流れてる!
「ジン・・アンタ・・泣いてるの?」
 ジュリアが薄目を開けて仁を見上げていた。
「ジュリ・・ア・・!」
 仁はジュリアを抱きしめた。
「ハハ・・何かすごいことになってるな・・オーガだけで十分なんだけどなぁ。」
「・・ジュリア、俺は・・」
「わかってる。」
 ジュリアは兵士たちの残骸を見やった。
「俺は・・」
「アンタは、何も悪くない。」 ジュリアは仁の背中の羽にそっと触れた。
「アンタ、天使みたいだ・・これが母さんが言ってた、アンタの『力』なんだね・・。」
「天使? ・・俺が? これは父親の、忌まわしい血だ。やっとわかった。なにもかも、この力の、俺のせいだ・・。この力が四年前オ−ガを呼び寄せ、今またジュリアをひどい目にあわせてしまった・・。」
 ジュリアは首を振った。
「だけどその力で、アンタはアタシを守ってくれた・・。」
「・・。」
「ジン。アタシはアンタをずっと騙していた。アタシはヘイハチがカズヤを殺したことも、アンタを裏切ろうとしていることも知っていた。でも・・言えなかった。アンタには何度誤っても償いきれない。」
「もういい、もういいんだ。」
「アタシは・・。」
「例えすべてが嘘であってもそれでいい。全部終わって、俺も、君も生き延びた。俺には、今はそれで十分だ。」
「ジン・・。」
 その時、炎に照らされて人影のようなものが揺れた。二人はハッとして振り返った。
「ジュリア・・。」
 懐かしい声。
 ジュリアは耳を疑った。
「・・母さん!!」
 奥からジュリアにどことなく似た、ネイティブアメリカンの女性がよろめき出てきた。
  ミシェ−ル・チャン。ジュリアの義母だ。 ジュリアは手を伸ばした。ミシェ−ルはその手を取り、胸に抱きしめた。
「母さん・・生きて、生きていたんだね。」
 ジュリアの瞳から、涙があふれでた。
「ああ・・。ジュリア、ありがとう・・。ずっと見ていたよ。」
「母さんが、アタシに教えてくれた。災厄に打ち勝つ力を・・。だから、勝ったんだ。それに・・。」
 ミシェ−ルはうなずき、仁を見上げた。
「ありがとう、ジン。アンタは最後まで、ジュリアを守ってくれた。」
 仁は、戸惑いの表情を浮かべた。
「俺のこの姿を見て・・あなたは驚かないんですか?」
「驚くもんですか。」
 ミシェ−ルは仁をぎゅっと抱きしめた。
「アンタはジュンの息子じゃないの・・。ジュンも、その力でアタシを守ってくれたから。」
「母さんが・・?」
 仁は驚き、それからなぜかとても穏やかな顔になった。
「母さんが・・。」
 突然、オ−ガの体が小刻みに震えた。
 ボウッ
 もはや二度と動くことのないオ−ガの体から、燃えるように輝く大きな光の塊が浮かび上がった。
 三人とも、この光の正体が誰なのか、すぐに悟った。

 ジン・・。

 光が、仁の名を呼んだ。
「行きなよ・・。今度は、アンタの番だ!」
 ジュリアは叫んだ。
「しかし・・。」
「アタシは、大丈夫だから。」
 仁はミシェ−ルのほうを見た。ミシェ−ルはそれに答えるかのように力強くうなずいた。
「ジュリアを・・頼みます。」
 仁はミシェ−ルにジュリアを預けた。
 光の塊は、たくさんの光の粒を引き寄せながら、だんだんと大きく膨らんでいった。その白いまでに淡い緑の光のように美しいものを、三人は今まで見たことがなかった。
 それは人間の、魂の輝きだった。
 光はやがて、闇の中をまたたく彗星のように、夜空へと立ち昇っていった。 仁は二人に背を向けた。
「ジン・・!」
 呼び止められて、仁は振り返った。ジュリアは涙をこらえ、歯を食いしばった。
「また、どこかで・・。」
 それだけいうのが、やっとだった。
「ジュリアも・・元気で。」
 仁は少し、微笑んでみせた。
「俺も、もう大丈夫だから・・。」
 漆黒の翼を大きく広げ、仁は光の後を追って飛翔した。その後ろ姿は、満月の光に浮かび上がり、そして小さくなって見えなくなった。
「・・母さん。」
 仁の姿が見えなくなると、ジュリアはミシェ−ルの胸にすがりつき、生まれて初めて声を上げて泣いた。
「母さん、アタシはジンに、何もしてやれなかった! 何も言えなかった!」
「・・ジュリア。」
 ミシェ−ルは娘を強く抱きしめた。
「帰ろう、我が家に・・。家に帰ろう・・。」
 ジュリアはしゃくりあげながらうなずき、涙で真っ赤になった瞳を夜空に向けた。
 どこからともなく、荒野の、乾いた風が吹いてきた。だが、今日だけは、荒野の風は穏やかに、そして静かに流れていった。

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