DARK、光は闇の中・・



 アイアンフィスト・ト−ナメント決勝リ−グ。
ポ−ル・フェニックス、キング、風間仁、そしてジュリア・チャンの四選手が順調に勝ち進み、
大会主催者三島平八の命令によりアメリカ決勝会場に赴くことになった。
  アメリカ大陸は四選手全員にとって、因縁の地である。
ポ−ルとジュリアにとってはホ−ムランドであり、キングの師、ア−マ−キングは
アメリカの地下プロレスで活躍していたことがある。そして、ここは闘神が発掘された場所だ。
 決勝リ−グの試合の組合せはポ−ルVSキング、仁VSジュリアに決まり、
ポ−ルとキングの試合はロサンゼルス・地下プロレス場で、
仁とジュリアの試合はアリゾナで同時に行なわれる。
ここで勝ち上がった者が前回のチャンピオン、三島平八と戦うことになるのだ。
「ホントに一人でアメリカ行っちゃうの?」
 シャオはアメリカ行きの支度をしている仁を横目で見ながら、つまらなそうに呟いた。
ジュリアに敗北したものの、シャオは中国には戻らずにそのまま日本に留学することになった。
 フンだ。遊園地、つくってもらえなかったけど、自分でつくるもん!
 シャオは今、学校で建築を専攻している。
将来は建築家になっていつか理想の遊園地・・がもっかの夢だ(コンセプトが若干異なるようだが・・)。
「シャオはもう選手じゃないだろ。」
「そりゃそうだけどさ。」
 シャオが急に真顔になって向き直る。
「遊びじゃないんだよ・・あたりまえだけど。
シャオが行きたいのはディズニ−ランドとかラスベガスだろ? 
・・大会が終わったら、一緒に行こう。それぐらいなら、おじいさんも許してくれそうだしな。」
 仁はいつになく、屈託のない笑顔を浮かべた。
「馬鹿! そんなんじゃない・・ってば!」
 シャオは声を張り上げた。
「心配なんだよ! アンタも、ジュリアも、平八おじいちゃんも・・
闘神とかいうワケのわからないもの相手にして、それでみんないつか・・
やられちゃうような気がして!」
 仁の母も、ジュリアの母も闘神に殺された。
それを知ったとき、シャオはシャオなりに闘神に怒りを覚え、恐怖を感じたのだった。 
じわ、とシャオの顔に涙が浮かんできた。口をへの字に曲げて、必死でこらえる。
こらえきれなかった分が、頬をつたって落ちてきた。
「だいたい、アンタがどうして闘神と戦うの!? 闘神がお母さんの敵だって事はわかるけど、
アンタは復讐を考えてる人には見えないよ。 ・・誰かを憎んで、復讐したいって思ってる人って
私はあんまり知らないけど、でもジュリアみたいになっちゃうってことはわかる。
なのに、アンタはとっても、とっても優しいじゃない!
アンタはいったい、何を考えてるのさ!?」
 シャオはところどころ、えぐっ、っとしゃくりあげ、長いことかけて
心にわだかまっていた事すべてを言い切った。
仁はその間、黙って聞いていた。
 シャオはしまいにふえ−んと泣きだした。
仁はシャオをなぐさめるように、シャオの頭にポンと手を乗せた。
「たぶん俺も、今のジュリアと同じ事を考えてる。」
 それでも仁の口調は優しかった。
「母さんを殺した闘神を俺は絶対許さない。俺だって本当はジュリアのように、
そのためなら手段を選ばないだろう。 でも、その気持ちを押し止めていられるのは・・
俺にはおじいさんがいて、シャオがいるからだ。二人が俺を助けてくれた。」
 シャオは少し泣きやんで、上目づかいに仁を見上げた。
泣いているときの変な顔は、見られたくなかった。
「それに俺もジュリアもまだ弱いから、闘神は当分現われないよ。
闘神にとっては、強い奴しか必要ないからな。だけど俺はこの大会で勝ち進むことが出来たなら・・
奴は絶対俺の前に現われる、そう信じてるんだ。
大丈夫。俺もおじいさんもジュリアも、必ず戻る。『運命に』負けはしないから。」
 シャオは涙をグイッと拭った。
「『運命』って、アンタのキャッチコピ−のパロディ?」
「ん−、まあね。『運命の稲妻』、なんてホント、誰が付けたんだろ。」
 シャオはまた、馬鹿、と言って少し笑った。
「・・わかった、信じるよ。そうだね、アンタ達は殺されても死にそうにないもんね。
けどそう言ったんなら、私と遊園地へ行くって約束、守ってよ。」
「ああ。」
 次の日、仁はアメリカへ旅立っていった。 
その日、シャオは久しぶりに学校へ行ったが授業内容はほとんど耳に入ってこなかった。
ボ−ッとしていたら、教室から飛行機雲が見えた。
 あれかな?
 シャオは窓から顔をのぞかせた。飛行機と後に続く雲が空を真一文字に切っていった。
  がんばって・・。
 シャオは心から祈った。春のやわらかな風がシャオの髪をなでていった。

 アメリカ・アリゾナ州の山岳地帯にある、とある洞窟。
内部は比較的天井が高かったが鍾乳石が氷柱のようにたれさがり、
冷たいほどに青く澄んだ地底湖が横たわっていた。観光用なのかはわからないが、
湖には鉄板で橋を渡してある。洞窟内に取り付けられたわずかな照明だけが、
太陽から見離された真っ暗な地底の世界にできた道を照らしていた。
ここが決勝リ−グ・アリゾナ会場である。
仁は一足先にここに到着して、ジュリアが来るのを待っていた。
 祖父がどのような意図でここを会場に決めたのかはわからない。
だが来た時のヘリが操縦者と二人乗りだったことを考えると、勝った者だけが帰ることができ、
負けたらもう帰ってくるな、ということだろうか。
 おじいさんらしいや。
 仁は苦笑した。
 洞窟のなかは、自分の存在もそこに無いかのように静寂が支配していた。
聞こえてくるのは天井からしたたり落ちるしずくの音とこうこうという地底湖の水の流れだけだった。 
仁は立ったまま目を閉じ、これらの音を感じた。
 すると水の音だけではなく、鍾乳石がのびている音も、地底湖のなかで小さな虫が動いた音も、
暗闇の中に潜む空気がよどんでいる音も、あらゆる音がこだましているように聞こえてきた。
 トクン。
 そして、自分の心臓の音。
 仁は悩んでいた。まさか本当にジュリアと戦うことになろうとは思わなかった。
 俺はどうやって戦えばいいんだ・・?
 なんといってもジュリアは女だし、傷つけたくはない。
だが本気で攻めていったレイですら、お世辞にも良い勝ち方とは言えないが
ジュリアの前に敗北しているのだ。
 勝たなければ、全力で戦わなければ闘神は現われない。
しかし本当は、自分と同じく闘神を敵と狙う者と戦う理由なんてない。
 暗闇の中を歩いてくる足音がやってきた。 仁はうっすらと目を開けた。
「・・ジュリア。」
「ジンか・・。」
 呟くように呼びあう声。照明に照らされて、ジュリアの姿が闇に浮かび上がった。
「遅くなったね。アタシの家が近くにあるんだけど、ちょっと野暮用があってさ。」
 ジュリアは頭に赤と白の羽をさした額飾りを付けていた。
部族の戦士の衣装だ。仁と戦う決意の現れといえる。
「ジュリア・・正直言って、俺は君と・・。」
「ここの洞窟はアタシ達の部族の間では『不帰(かえらず)の穴』って呼ばれているってとこだよ。
こんなとこを戦いの場にするなんて、ミシマのジジイも趣味が悪いね。」
 ジュリアは洞窟の中を眺めまわした。
「昔はここに捧げものを・・生贄を放って、暗闇の神を鎮めたそうだ。
今日はどちらが生贄になるんだろうね。」
 仁はクッと言葉につまった。
「どうしても戦うのか?」
「いまさら命乞いか?」
 ジュリアはうっすらと笑った。
だが徐々にほっぺに空気がたまってこらえきれなくなり、ついに吹き出し、豪快に笑いだした。
「アハハハハハ・・。どっかで聞いたセリフだなあ。でも、じゃあ、どうするってのさ。」
 ジュリアはゆっくりと身構えた。
「アタシ達が戦わなきゃ・・お互いヘイハチとも、ましてオ−ガとも戦えないんだよ! 
かかってきな! アタシはミシマをつぶすって決めたんだ!」
 それでも仁は腹を据えかねた。しかし突き動かされるように拳を固め、体を構えた。
「そう、その調子。・・いい事教えてあげる。
アンタの父さんとアタシの母さんも、こんな風に戦ったことがあるのさ!」
「・・!!」
「来ないのか? こっちから行くよ!」
 次の瞬間、ジュリアの全身の力を使った肘打ちが仁を襲った。虎身肘。
仁はほぼ反射的に掌底で肘を受けとめる。
とっさの事で、衝撃で体が弾き飛ばされそうになった。ジュリアは攻撃の手を休めることなく、
仁の顔面を狙ってパンチを繰り出す。連拳。
これも仁はやっとのことで間合いを外して受けとめた。
 手を抜くなんて、考えない方がいいな。
 仁の正直な感想だった。ジュリアは確かに仁やその他の男性選手と比べれば、筋力では多少劣っている。 
だが「力」は必ずしも筋力とイコ−ルではない。相手を戦闘不能にする格闘技の究極の目的の前で、
「力」とは、人体を内部から崩す振動波・・「頚」と呼ばれる筋肉の収縮を伝達する技のことなのだ。
シビアなタイミングが要求されるが、これにより水が入ったビニ−ル袋を針で突くように人体を破壊できる。
そしてジュリアの拳からはその「頚」が稲妻のように仁に伝わった。
それはジュリアの必死の思いのようだった。 
仁はやっと、戦う覚悟を決めた。
 俺も、負けられない!
 仁はジュリアの攻撃を見切って素早く踏み込み、腰を入れた正拳突きを放った。
まず右が、そして左が、拳風も凄まじくジュリアに吹き付ける。
「でりゃぁっ!」
 仁は唸りをあげて、下から飛び上がるようなアッパ−を叩き込んだ。羅刹門。
まともにはいっていれば、ジュリアの体など空中に軽々と舞い上がっただろう。
 しかしジュリアもさるもので、衝撃で少しよろめきはしたものの、バックステップで拳をかわしていた。
そしてはっしと、仁の手首をつかみ、自分の方に引き寄せて肘で仁の頭部を狙った。
レイとの試合で見せたマッド・アックス。仁はあわてて、力任せにジュリアの手を振りほどいた。
「ヤアァ−ッ!」
 ジュリアはさらに、橋よ砕けよとばかりに力強く踏み込み、
鋭い気合いもろとも仁の鳩尾に右拳を突き込んだ。疾歩掌拳。
しかし、一瞬速くジュリアの攻撃を読んだ仁は、その拳を吸い込むようにからめとり、投げ技にもっていった。
 攻撃を受け流すタイミングは最高だった。 だがジュリアは強引にその流れに逆らい、
膝蹴りで仁に反撃してきた。返し技を返してきたのだ。これには仁も面食らって、
ジュリアから弾け飛ぶように離れた。
「フン。やる気になってきたじゃない。」
   ジュリアも自ら、少し間合いを広げた。
投げ飛ばされはしなかったものの技から抜けたことで腕に相当の負担がかかったのだろう。
右腕を押さえ、引きつったように笑っていた。
 どうする?
 仁もジュリアも、相手の隙をうかがいながらじりじりとにじり寄った。
ヘタに動いては命取りなので、慎重に慎重を重ねる。
 その緊張を破ったのは仁だった。ジュリアに突進するように近付き、左のストレ−ト、
振りかぶるような右のコンビネ−ションで、ジュリアの動きを牽制する。鬼八門。
それに対し、ジュリアはお得意の体を沈み込ませるようなステップで仁の側面に回りこみ、
すかさず腰を入れた回し蹴りを放とうとした。
 ガッ!
 そこへ身を落とした仁が体ごと飛び込んだ。アルティメットタックル。
打撃技を放ちつつ接近しタックルで押し倒すことで、関節技に持ち込もうと考えたのである。
カウンタ−覚悟での捨身の攻撃だった。
だが、いったん関節技を極めてしまえば筋力差を考えてもそうそう抜けられるものではない。
仁はほんの一瞬、勝利を確信した。
 キャァ−−−−−−−−−−ッッッ!!!
 しかし、仁がジュリアを押し倒した瞬間、手負いのトラのような絶叫が洞窟中に響きわたった。
咆哮に押されるように仁の動きが止まった。超音波に体を射られたのだ。
 バッチ−−−−−−−−−ン!!
 首までもげるんじゃないかという程の勢いをつけたビンタが仁の頬を打ち抜いた。
 しまった、カウンタ−かっ。
 だが捕獲した以上は関節技に持ち込まないと意味がない。
仁はジュリアの腕を引っ張っぱり、そのまま腕拉ぎ十字固めにもっていこうとした。
しかし衝撃で視界が定まらなかった。歯も少しぐらぐらしているようだ。
「やめてよっ!」
 だが。ジュリアは押さえ付けられた腕を動かし、手首だけを回して仁の腕をつかんだ。
「・・!!」
 腕に電流が走ったような痛みがかけぬけて仁は思わずジュリアの腕を放してしまった。
しかし腕をそっとつかまれた時、ジュリアの冷たい指がなぜか心地よくて、仁はドキッとした。
仁はやっとこさコトの重大さに気がついた。
 やば〜!!
 全身の毛穴が開き冷汗が吹き出してきた。
組み打ちしたときの感触は練習用木人に体当たりしたのと大差なかったが、
やっぱり相手は女の子、なんか生温かい。
しかもジュリアは間近に見るとなかなかの美人で、体のボリュ−ムもある。
 仁はジュリアから離れるべきか離れぬべきか迷った。
だが思考回路が(というより本能が)導きだした答えはひとつ、「逃げろ!」だった。
「いや、あの、そういうつもりじゃ・・。」
 苦しい言い訳をして(それがきく相手でもないのに)、仁はゆっくりと立ち上がった。
  まいった・・。
 しかしジュリアは座ったままうつむき、ぎゅっと唇を噛んでいた。頬も少し赤く上気している。
「し、信じられない・・。」
 心なしか声まで涙声だ。もう収拾がつきそうにない。
 違うってば!!
 生命をかけてまでそんなことをするつもりはない。
仁の頭は言い訳と、だから女の子と戦うのはいやだったんだ〜!
という叫びがぐるぐるまわった。
「ジュリア、これは試合だ、だから・・。」
 仁はジュリアに近づき、身振り手振りまで加えて必死で説明しようとした。
「だから・・何よ。 ・・グスン。」
「う・・。君に抱き、いや危害を加えるつもりはないと・・。」
 いつものジュリアらしくない涙に、仁はとまどった。
どうしようかきょろきょろして辺りを見まわすと、洞窟内の照明の光に目が慣れてしまっていたので
あまり気がつかなかったが、ここは相当暗い。しかも今ここにいるのは自分とジュリア、二人っきりだ。
仁は別の意味で心臓がパクパクしてきた。
「あの・・泣くなよ、頼むから。・・なんだよ、君はどんなことがあっても泣かない子じゃ・・。」
 仁はジュリアにさらに近づいた。
「泣かないんじゃないよ、負けないんだ。」
「じゃあ、なんで泣いて・・。」
「だから・・。」
 ジュリアの目が、キラ−ンと光った。
「アンタを油断させるためだ、阿呆−!!」
 ジュリアの目にも止まらぬ足払いが、仁のスネを打った。後掃腿!!
「うわっ!!」
 仁の体が大きくよろめいたところを、鳩尾めがけてジュリアの全身を使った
飛び蹴りが入る。穿弓腿。
これには、さすがの仁も大きくふっとばされた。
「グワアァァァァ−!!」
「痴れ者がっ!!」
 ジュリアはさらにとどめとばかりに大きく跳躍し、仁を踏みつぶそうとした。烈震踏。
  許さん〜!! ジュリア!
 だが仁は固い床に器用に受け身を取り、瞬時に立ち上がった。
一方、軌道を変えられないジュリアは床に着地するも大きく隙が生じてしまった。
 ガシッ。仁はジュリアにつかみかかり、一本背負いにもっていった。風間流・雷。
ジュリアの体が宙を舞った。
 バッシャ−ン!!
「しまった、がんばりすぎた!」
 大きく投げ飛ばされたジュリアは勢い余ってなんとそのまま地底湖に墜落していった。 
鳩尾に入った蹴りのせいで仁の方も体が今にも崩れ落ちそうだったが、
それでもなんとか持ちこたえ、暗い湖のなかに目をこらした。しかしそれらしい影も形もない。
 まさか、水の中で気絶したのか!?
 十秒ぐらい時がたった。仁は意を決し、橋の柵を越えて自分も地底湖に飛び込んだ。
 ドッボ−ン! 地底湖の水は予想以上に冷たく、水中に潜っても何も見えなかった。
仁は地底湖の底を蹴って水面に震えながら顔をだした。
「・・あれ?」
 しかし、いざ出てみると足が底につく。底は思ったよりも浅かったのだ。
せいぜい、仁の肩ぐらいの深さだった。
「・・なにバカやってんの?」
 仁が声のしたほうを振り返ってみると、橋の下の、丁度橋の上から死角になる位置に、
ジュリアが水面から顔だけ出して暗闇のなかで目を光らせていた。
「それはないだろう。」
 仁はすっかりしょぼくれた顔で、水の中を歩いていった。
「心配したのに。すぐ出てくればいいじゃないか。」
「こっちだって、こんなに湖が浅いなんて知らなかったもの。しばらくもがいてた。」
 仁は柵によじ登り、ジュリアに手を差し出した。
「ほら、つかまれよ。」
 しかしジュリアはなぜか不満そうに、水中で腕組みした。
寒くて震えているのかと思ったが、違うらしい。
 ジュリアは仁の手を取らずに、自分で橋にはい上がった。
強情で、勝つ事をあきらめない姿がそこにあった。
 しかしジュリアは仁に背を向けて、出口の方に向かって歩きだした。
「おい、どこへ行くんだ!?」
 仁は目を丸くした。
「どこって・・帰るんだよ、家に。」
「・・試合続けるんじゃなかったのか?」
「もういい。」
 仁は、ジュリアが敗北を認めたことを知った。
 あんなに勝つ事にこだわっていたのにどうして・・?
 だが今日会った時から、ジュリアには、レイとの戦いで見えた、
あの勝利への執念のようなものはなかった。
疑問は残ったが、負けを認めた相手のことを深く詮索すべきではない。
 ジュリアも何も言わずに歩いていった。仁もあわててその後を追い掛けた。
 くしゅん! 仁は歩いている途中で派手なくしゃみをした。
服から水がしたたり落ちている。ジャケットは脱いで水をぎゅっとしぼったが、
ズボンはジュリアがいる手前、まさか脱ぐわけにもいかない。
水がじわじわと体にしみてきて体中にトリ肌がたった。それはジュリアも同じだった。
 ヘリで着替えなきゃな。
 ヘリにいけば当座の着替えぐらいはあるだろう。
だが洞窟を抜けてみたものは、ジュリアが乗ってきた馬と、
風吹き荒れる夕暮が差し迫った広大な荒野だけだった。
「ヘ、ヘリがいない!」
 待っていてくれているはずのヘリが、そこにはなかった。
仁は愕然とした。ジュリアは驚いたように仁を見つめた。
「ヘリがないって・・。ア、アタシ知らないよ! アタシが来た時、そんなものなかったし・・。 
アンタ、携帯電話とかないの?」
「ない・・。」
 おそらく、ヘリの操縦士は先に帰ってしまったのだろう。
すこしたって迎えに来るつもりだったのかもしれないが、
この風でヘリが飛べないかもしれない。
 すっかり冷えきった二人の体に、この季節ではめずらしい強い北風が吹きつけていった。

 ジュリアの家。
薪を入れるだけ入れた暖炉の前で、仁とジュリアは毛布にくるまってうずくまっていた。
 馬を全力疾走させて家路を急いだものの、夜道に吹き付ける風は悲しくなるほど寒かった。
熱いコ−ヒ−をすすって、やっと震えがおさまった。
 幸いなことにジュリアの家には無線があり、仁はあわててミシマ・アメリカ本部に
迎えにくるよう連絡した。本部からの応答によれば今夜は強風なので明朝迎えにいく、とのことだった。
「泊めないわけにはいかなくなったね。」
 ジュリアは、まったくしょうがない、という感じをかくさなかった。
「ごめん。一晩だけ泊めてくれ。」
 仁はペコリ、とあやまった。
「あやまんなくたっていいけどさ。」
 ジュリアは何か食べるものを、といって干した肉をあぶってくれた。
「昔は狩りで生計をたてていたっていうけどね。もっと安定した収入を、って牧場経営始めたんだ。 
バッファロ−と普通の肉牛のあいのこを市場に出したらこれが結構あたってね。
でも女一人で子供を養わなきゃいけなかったから、朝から晩まで働いてたよ・・ずっと。」
「・・いい母さんだったんだな。」
「ああ。」
 ジュリアは食事の手を止めた。
「いい母さんだった。」
 仁はしまった、と思った。だがジュリアは静かなものだった。
その顔は泣いてもいなければ笑ってもいなかった。
 仁はジュリアになにか言いたかった。
だが残念だったね、なんて言えない。そんな同情は相手の傷をひろげるだけだ。
仁はジュリアの気持ちが痛いほどわかっているだけになおさらだった。
かといって祖父のように剛胆に構えることは仁には出来そうもなかった。
「今日さ、どうして負けを認めたんだ?」
 仁は話を変えようとした。重苦しい場の雰囲気から逃れるための、苦肉の策だった。
 ジュリアはしばらく考えてから答えた。
「ふっきれたから。アンタに勝ってもしょうがないもの。アタシが倒す相手はオ−ガだけ・・。」
 ジュリアは火かき棒で、暖炉の灰をかきだした。
新鮮な空気を吸って、火は一瞬、ボウッと大きく膨れ上がった。
「・・ジン。」
「ん?」
「アタシ、ミシェ−ル・チャンの娘といっても養女なんだよ。
・・アタシは五歳の時に実の親に捨てられてね、ミシェ−ルが拾って育ててくれたんだ。」
 火かき棒を握るジュリアの手に知らず知らずのうちに力がこもっていた。
仁は少し、驚きを隠せなかった。
「母さんと暮らした十三年間、アタシは幸せだった。・・それは確かだよ。
でもやっぱり、実の母さんに育てられたアンタが少しうらやましい。 
アタシの実の親・・もう顔も覚えてないけど・・アタシをウチの部族の遺跡に捨てていったんだ。
そしてアタシはそこでオ−ガと出会った。」
 「遺跡って・・まさか・・」
「そう、アンタに話したことのあるオ−ガが封印されていた遺跡。
オ−ガはアタシの魂を喰おうとしたんだ。だけどアタシの魂は弱すぎた。それで助かった。」
 ふっと、部屋の闇が一段と濃くなったような気がした。
 あの日、俺も・・。
 仁は焼き尽くされた森の中、一人絶叫する自分を思い出した。
弱すぎて、歯牙にもかけられなかった惨めな自分。
「母さんのもとにきてからもずっとオ−ガの影はアタシを見張っていたよ。
オ−ガが復活して、格闘家達が失踪する事件を聞くたび次は自分の番だ、
今度こそオ−ガに喰われるんだって思ってた。
  どうしてミシマは、オ−ガを復活させてしまったんだ。
奴らが遺跡を荒らさなければ、母さんも、仁の母さんも、オ−ガに喰われることなんてなかったのに! 
確かに事故かもしれない、でもアタシはオ−ガも、ミシマもぶちのめしてやらなきゃ気が済まない!」
 ジュリアは火かき棒を、ガッと暖炉の炎のなかに突き立てた。泣いてはいなかったが、
ジュリアの悔しさは仁には十分すぎるほどわかった。
「わかるよ。・・だけど俺はおじいさんを尊敬してるし、信頼しているんだ。」
 ジュリアはどうして、と問い掛けるように仁の方を振り返った。
「おじいさんはオ−ガに母さんを殺されて満身創痍だった俺にオ−ガを倒す術を教えてくれた。
それに何より、ずっとそばにいてくれたんだ。俺にとって、おじいさんは俺にとって祖父であり師匠であり、
父さんみたいな人なんだ。剛胆で厳しくてね、それでいて結構茶目っ気もあるんだよ。」
 仁はシャオが平八にいかにして遊園地を造ってくれと頼んだか、
どうして大会に出場したのか笑いながら語った。
そしてジュリアも・・なぜか哀れみの眼差しを隠しながら・・笑って聞いていた。
 だがひとしきり笑うだけ笑ったら、また二人は黙ってしまった。
 ヘリが運航を見合わせただけあって、
ものすごい強風が窓ガラスをガタガタ、ガタガタ震わせていた。
隙間風が冷たい頬を固く凍らせた。
「ジン。アンタがオ−ガと戦うっていうならいいものあげるよ。」
 突然、ジュリアは胸元からなにかを取り出して、仁に投げてよこした。
「? これは・・。」
 それは金色に輝くペンダントだった。純金なのかもしれない。
大きさは仁の手のひらよりひとまわり小さいぐらいだが、ずっしりとした重さがあった。
「お守りだよ。母さんの父さん、アタシにとってのおじいさんがその昔どこかから発掘したものだ。
おじいさんは部族の財宝を示すものっていってたらしいけどね。」
 財宝らしく、ペンダントには細かい細工が施されていた。
だが仁はその模様に見覚えがあった。
「そうだ。これ、世界史の教科書にのってたような・・。」
「見たことはあると思う。これはアステカ族の造形にそっくりだ。
アタシの見たかぎりじゃ、おそらくアステカ族の太陽の石じゃないかと思うよ。」
「アステカ族? アステカ帝国はメキシコじゃなかったっけ。」
 仁は世界史はあまり得意なほうではないので、アステカといわれても思い出すのは
奇妙な造形の遺跡だとか人身御供ぐらいだった。
「そう。でも彼らがどこから来たかわかる? 彼らはいまからおよそ千年前、
メキシコ高原を南下してアステカ帝国を造ったっていわれている。
それよりももっと前は彼らはアメリカにいたのさ。
だがなぜか追われるようにこの地を離れていった。」
「追われるように? なぜ?」
「オ−ガから逃げるために。」
「本当か?」
 仁は冗談か、と思ったがジュリアは真面目な顔つきを崩そうともしなかった。
「アタシの仮説だけどね。一般的には食料が少なかったからっていうのが通説だけど。
・・前にアタシ、考古学の研究やっているって言ったでしょ。」
 毛布を羽織ったまま、ジュリアは仁のそばにそっと近づいた。
「偉そうなことやってるみたいだけど、ホントはオ−ガの事が知りたくて始めたんだよ。
それで弱点でもわかれば儲け物だと思ってね。大したことはわからなかったけどさ。 
それでもね、考えてみたんだ。
もしかしたら、古代、アステカ族達がオ−ガと戦って封印することに成功したんじゃないかって。
アステカ族たちはその後、呪われた地を捨てて南へ行ったけど、一部の者達がここに残って封印を守ったんだ。
それがアタシ達の祖先。おかしな話って思うかもしれないけど、
そう考えればペンダントの造形も、部族に伝わるオ−ガの伝承も説明がつくんだ。」
「夢みたいな話だな。」
 仁はペンダントを首にかけてみた。こういうものはかけたことがなかったから、なんだかおかしな気分だった。
「うん。アンタわりと似合うじゃん。」
「そうか?」
 仁は照れたように笑った。
「アンタがオ−ガと戦うことになっても、きっとそのペンダントがアンタを守ってくれるよ。・・そんな気がする。」
「だが俺は、オ−ガをおびき出せるほど強いのだろうか?」
 しかしジュリアは、仁に答えてやれなかった。
「ね、アンタさ、アンタの父さんのこと何か聞いてない? アタシの母さんと前になんか因縁あったらしくってさ。」
 ジュリアは唐突に聞いてきた。仁は、えっ、という顔をした。
「父さんって・・。あまり聞いたことないよ。
そりゃ昔、なんでうちには父さんがいないんだろうって思ったこともあった。
小さい島育ちだからね、父さんがいないからっていじめられたこともあって、泣いて母さんを困らせたこともある。 
でもそのうち、そんなことは割り切ってしまえ、って思うことにしたよ。
父さんがいない家なんていくらでもある。自分はそのなかの一人にすぎないってな。
だからさすがに母さんから、お前は三島の子だって聞かされたときには肝をつぶしたけどさ。
いや、そうじゃないな。本当は今でも、とことんこだわっているんだ。
自分はどうして存在してるんだろう、母さんはどうして俺を生んだんだろうって。
考えれば考えるほど、俺はもしかしたら望まれなかった子だったんじゃないか・・そう考えて泥沼にはまってしまう。 
割り切ろうとしてるのも、そう考えたくないからだ。『事実』を受けとめたくないんだ。」
 仁にはめずらしい、本音の吐露だった。だが帰ってきたのは意外な反応だった。
「・・何が事実だ。」
「何?」
「そんなの、悩むのも馬鹿馬鹿しい。あのね、アンタの父さんと母さんは、
アタシの母さんがヤキモチ妬くぐらいの仲だったの! 
それに同情だけで子どもなんか産めるか! 
しかも三島財閥とかかわらないように一人でひっそりと育てるなんて、アタシにはできないね。」
 ジュリアの激しい剣幕に、仁の暗くなっていた気分は気圧されるようにどこかに飛んでしまった。
「それにカザマさんは、アンタを愛してくれたじゃないか。
アタシに母さんがいたように・・それだけでアタシは十分だった、だったんだよ。」
 ジュリアはフン、と顔を背けた。
ジュリアがいつもこんな感じなのは、もしかしたら涙を隠すためかもしれなかった。
 仁はこの時はじめて、ジュリアとの間に同情ではない、奇妙な連帯感を感じた。
 いつかオ−ガを殺してやる、そう誓ってつらい修業にも耐えてきた。
だがときどきふと、なぜ自分だけがこんな目にあうんだ、といういやな考えが頭をもたげてきた。
 しかしそれはもう自分だけではない。
 仁は仲間を得たように思った。自分と同じように、同じ目的でオ−ガと戦う者を。
「そうだな。」
 仁は自分に話し掛けるように言った。
「俺も、幸せだったんだ。」
 ジュリアはそこで、やっと少し笑った。
「ジュリアは強いな。」
「どうして?」
「母さんが・・いや、数日前は憎しみと怒りで暴れていたのに、今はもう冷静さを取り戻している。俺には・・。」
「それは違う。」
 ジュリアはギュっと毛布を握り締めた。
「アンタをレイみたいにしなかったのは体力を温存するためだ。
もともとこんな大会なんかに興味はない。オ−ガもヘイハチも、アタシが倒す。
その後でアンタにリタ−ン・マッチを申し込むよ。」
「・・いつでも強気だなぁ。止めたって無駄か。
そうだなぁ、俺は全部終わったら一度屋久島に帰りたいよ。
帰ってオ−ガを倒したって母さんに報告する。」
「ヤクシマ?」
「ああ、俺が生まれた島さ。世界文化遺産に指定されるぐらい、美しい島なんだ。知らないか?」
 仁はジュリアに世界地図を借りてパラパラめくり、場所を指差した。
「なんだ。豆より小さい島じゃないか。」
「わかってないなあ。俺が暮らした森は本当に木の数が多すぎるわ木は大きいわで、
空を下から見たんじゃまばらに見えるほど深い森だった。年がら年中雨が振って、
俺、濡れることが気にならなかったよ。そうだ、今頃は山のシャクナゲがきれいだろうな。
赤い花が山一面に咲くんだ。小さい頃、それ見にいってつい山の奥深くまで入って、
後で母さんにこってり怒られたこともあった。」
「・・ふうん。」
「あ、あとシャオと遊園地行く約束もしていた。学校もずいぶん休んでいるし・・
俺、大学の編入試験も考えているんだ。でもその前に単位がなあ。」
 仁は頭を抱え込む格好をした。少しうけたのか、ジュリアはあはは、と笑った。
「そうだな。お互い・・生きていれば。」
「大丈夫だ。・・大丈夫。」
 その時、逆巻くような風に家が大きく揺れた。暖炉の火が右に倒れるようになびく。
遠くの森の木々が弓のようにしなる音がした。
二人は顔をあげ、まわりの様子をじっとうかがった。
「・・オ−ガが、笑ってるようだね。」
「・・。」
 だがジュリアは不思議だった。いつもなら「影」は自分の前に姿を表すのに、
今日に限って気配だけで姿を表さない。
 来るなら来い!
 ジュリアは思った。
 もうお前なんか怖くないんだ・・!!
 そしてジュリアは仁を見つめた。
もはやオ−ガに噛み付くだけではない、戦うこともできると、ジュリアは確信していた。

「あ、ヘリがきたみたいだよ。」
 早朝。夜あれだけ強かった風もすっかり止み、仁の出迎えのヘリが音もけたたましく飛んできた。
 二人はしばらく、手をかざして澄み渡った空をやってくるヘリをみていた。
お互い、会うのはこれっきりかもしれない。
そんな思いを言葉にするのは難しいものだった。
「ジン。」
 振り向きざまに、スウッと伸びた腕が仁を抱きしめた。
「あ、日本人はこういうことに慣れてなかったっけ。」
 慣れていないどころか、仁の心臓は早鐘のように高鳴った。
仁はどうしたらいいかわからずただ茫然とされるがままになっていた。
「ただのお別れのあいさつじゃないか。・・まったく。」
 ジュリアは仁の耳元で囁いた。
だから仁には、切なさをこらえ、歯を噛み締めるジュリアの顔が見えなかった。
「ジュリア・・?」
「フン。アタシ、母さんをずっと苦しめてきたミシマが大嫌いだったよ。」
「・・。」
「ミシマも、財閥も、ミシマの関係者も、みんな嫌いだった。でもさ、アンタはいい人だね。本当に。」
 仁の手が奮え、ジュリアに答えるかのようにその背中を抱きしめた。
ジュリアの髪から、いつも馬に乗って荒野を駆けているせいだろう、プウンと、草の匂いがした。
 自然の中で働く女の匂いだった。
 母の匂いを思い出した。
「俺は・・だめだ、うまく言えない。」
「・・?」
 ジュリアは少し腕をほどいた。二人はお互い見つめあう形になった。
「俺は・・シャオにも約束したけど、必ず生きて戻るよ。また会おう。いろいろと、ありがとう。」
「フフッ。いいね、アンタは。待っていてくれる人がちゃんといるんだね。
ああそうだ、これ、おみやげ。もっていって。」
 そういってジュリアが差し出した紙袋の中には、なにやら生ハムのような肉が入っていた。
「何だこれ? ハム?」
「開けてみていいよ。」
 仁が紙袋をごそごそ手で探ってみると、生ハムかと思った肉に、
やわらかな毛の生えた、長い耳がついていた。
 嫌な予感がしつつ、それを紙袋からとりだしてみると・・。
 茶色くて短い毛が生えた長い耳、くりくりとしたまあるいおめめ、ちょこんとしたおてて、
ふさふさしたしっぽ・・だったものが、ものの見事にカワをひんむかれた・・
「アタシが今日の朝とってきた、新鮮なウサギだ。」
 ギャアアアアアーーー!!

 ヘリが土飛沫をあげて降り立った。風が舞う中を、
平八お抱えの鉄拳衆達が仁の出迎えにぞろぞろ降りてきた。
「それじゃ。行くよ。」
 仁は振り返って手を振った。
「ああ。あ、ジン、言い忘れていたよ。
19年前、母さんはミシマカズヤと戦って引き分けたけど、勝てなかった人が一人いるんだ。
そう、カザマさんだけは・・さしもの母さんもかなわなかったのさ。」
 ジュリアはその時の、仁の驚いた顔が忘れられなかった。
 ヘリが旋回して飛び去っていく。
 あまりにも広大すぎる荒野に、ジュリアは一人とり残された。
 強烈な孤独感が、ふいに胸にこみあげてきた。だがぐずぐずしてはいられなかった。
 いそいで家のなかに戻り、自分のベッドの下からノ−ト型パソコンを取り出した。
 ディスプレイ上の大陸を赤い光が高速で横断していた。発信機をとらえたのだ。
「まさか渡り鳥の生態研究の時のあまりが、こんなところで役に立つとはね。」
 ノートパソコンをひったくるようにつかむと、家を飛び出す。
納屋につないでおいた馬に乗り、山の向こうの森にむかって一気に駆け出した。
 あいつらはかならず来る・・。
 ジュリアは確信していた。
  話は仁とジュリアが戦う前に数時間前。
 一機のヘリが荒野の一軒家に降り立った。
中から武装した黒いス−ツ姿の男が一人出てきて、
しばらくあたりをうかがうと何の断りもなしに家の中に入っていった。
 家人は留守のようだった。テ−ブルには飲みかけのコ−ヒ−のカップがあり、
すきま風に揺り椅子が小刻みに揺れている。
 男は銃を構えながら奥へと入っていき、部屋の中を物色しはじめた。
 ドンッ!! ふいにドアが蹴破られた。
 外からやってくる人の気配に、男は気付かなかったのだ。男は銃を構えた
。 目の前にいたのはまだ年若い少女だった。
「チッ。」
 だが次の瞬間男の目に映ったのは、舌打ちして手榴弾のピンを口で引っこ抜く無慈悲な少女の顔だった。
 なんなんだ、この女は!!
 男は考えるひまもなく、ガラス窓に身を踊らせ必死になって脱出した。
 ドッカ−−−−−ン!!
 あばら家から大きな火柱があがり、家財は一瞬にして消し飛んだ。濛々たる煙があがり真昼の空を黒く染めた。
 男は爆風に飛ばされ地面に嫌というほど体を叩きつけられた。
「くそっ。」
 彼がいかに暗殺のプロだとはいえ目の前で起きたことは理解しがたいことだった。それでも男は痛みを堪え、立ち上がろうとした。
  ドンッ!
 突然、男の背後でマグナムが火を吹いた。 男の腕に風穴が開いた。
「うげぇぇぇぇ!!」
 焼けつくような激痛。それと同時に手にしていた銃も吹き飛んでいた。
 男は激痛にもんどり打った。目の前に、銃を片手に持った先程の少女がいた。男はその残酷な笑みを凝視した。
 ガッ! 少女は容赦なく男の顔面を踏み潰した
。「残念だったな、ミシマの犬。」
 男は体を動かそうにも頭を取り押さえられて身動き一つとれなかった。
 情報が漏れていたか・・!
 男はこの女が本部がいっていたジュリア・チャンだと直観的にわかった。
「くそったれ・・。大方、ペンダントが欲しかったんだろ? 残念だったな。ここは昔の家でね、古くなったから今は放牧のときの休憩所にしてるんだ。」
 ジュリアはさらにぐりぐりと足に力をこめた。
「いったいミシマは何がねらいなんだ! 言えっ!! アタシのペンダントか!? なぜこれをねらう!」
 男の目前に銃口がせまった。
「し、知らん・・。俺が依頼された仕事は『ジュリア・チャンのペンダントを奪うこと』だけだ。くわしいことは、し、知らねぇよ!」
  男のなかでプロとしてのプライドよりも、屈辱感よりも、生命の危機という恐怖が勝った。もともと金で雇われた身である。ここは適当に答えておくのが妥当だ、と判断した。
「そうか。もうひとつ。なんでアンタみたいな殺し屋がジンの傍についていた!?」
「・・!」
「だいたい、ミシマの行動は理解できない。アイツは、アイツは自分の息子を火口に葬った男だぞ! その鬼が、自分の孫を危険視しないなんてことあるかっ!」
 銃口がにゅうっと、男の鼻先にまで近付いた。撃ったばかりの銃の熱さが伝わるようだった。
 こいつは、俺を殺す・・。
 男の正直な感想だった。熱風が吹くなか自分の冷汗が一層強く感じられた。ジュリアの目は本気だ。ただの脅しではない。
「殺すのか?」
「何?」
「ミシマはオ−ガをおびきだすために大会を開いて・・ジンを利用して・・最後に始末する気なのかっ!! 答えろ! 奴は自分の息子のように、ジンを殺すのかっ!」
 ジュリアは銃を男の顎に突き立てて血が出るほど押し込んだ。銃の熱で男の皮膚が焼けジュウ、と煙がたった。
「ヒィィィッ! そ、そうだ。もし風間仁に不振な動きがあったときは始末しろと・・。財閥にとっても、アイツの存在は目障りなんだよ! ミシマカズヤが死んで十五年もたったときにアイツがあらわれたせいで、財閥は相続をめぐって大騒ぎになった。それに、カズヤは・・。」
 そのとき男は自分がべらべらしゃべったことを後悔した。背後で揺れる炎の影のなか、驚きと怒りでジュリアの目が不気味に光っていたのだった。
「やっぱりな、やっぱりな! ミシマはそういう男だ! なぜだ、なぜ気付かない! カズヤが『悪魔』になったのはミシマの『血』のせいじゃない、ヘイハチへの憎悪のあまり悪魔になったのだと・・なぜ気付こうとしない!」
  ドンッ!!
 ジュリアはついに、引き金を引いた。ビシュッという音がして、男のもう一方の腕がおびただしい鮮血とともに吹き飛んだ。
「ギャァァァァァッッ−−!!」
 男が悲鳴をあげ、のたうち回るのを、ジュリアは見下したような目で見つめていた。
「行け! アタシの気が変わらないうちに、とっとと失せろ!」
 ジュリアは足を除けて、男の頭を思いっきり蹴飛ばした。男はゴム鞠のようにごろごろ転がっていったが、すぐに立ち上がり脱兎のごとく森のなかへ駆けていった。
「馬鹿が・・。森には血の臭いに敏感な獣どもがうじゃうじゃいるのに。」
 男が行ってしまうのを見届けると、ジュリアの筋肉から力が、急激に抜けていった。
 ジュリアは母から聞いた話を思い出した。
 ・・ジュリアには信じられないだろうけどカズヤは悪魔になれたんだよ。
ボスコノビッチとかいう偉い学者さんは別の思念体がとり憑いているなんて小難しい事言ってたけど、
始めてみたときはアタシも驚いた・・凄まじいを力でね、アタシは危うく殺されかけた。
でもジュンが助けてくれて・・ジュンは彼が悪魔になったのは彼のせいだけじゃない、
私は彼を助けたい、っていって奴に立ち向かっていった。ジュンは知っていたんだろう、
カズヤの、ヘイハチへの憎悪の心が悪魔を呼び寄せたことにね。
ジンって子のことはアタシもよく知らないけれど、ジュンはたぶん、
息子をヘイハチの手からから隠すために自分から消息を断ったんだ。
ミシマから・・自分の息子が裏切られること、憎むことから無縁の世界で生きられるように・・
 気が付けば、ジュリアは自分の肩を抱きしめていた。
 カズヤは殺されても仕方のないような大悪党だったし、ジンを産んだ、ジュンの気持ちも本当は知ったことではない。
 でも、なぜだ。
 心がじくじく痛む。
 心が虚しさに締め付けられる。
「ジン・・。」
 悪魔の息子。
 でも始めて会ったときは、なんて間抜けな奴だと思った。
 強くて優しい人。
 良き友人。
 ジュリアのなかで、母を失った悲しみが少しずつ形を変えていった。
 母さんをなくして悲しいのはアタシだけじゃないんだ・・。
 炎に包まれている家から熱い火の粉が降りやがて家はゆっくりと崩れ落ちていった。ジュリアは拳を握り締め、その様子をじっと見つめていた。
 ジンを守る。
 それにはまず、アイツとヘイハチを戦わせないようにするのが一番だ。かといってト−ナメントでアタシが勝ち進んでいけば、ジンは即座に消されるかもしれない。
 くやしいけど、アイツに勝ちは譲ってやるか。・・くそ。アタシは先手をとってヘイハチと戦う。アイツだけは許すことができない。問題はヘイハチがどこにあらわれるか、だ。 三島財閥の党首・ヘイハチが今どこにいるのかは、財閥幹部クラスの人間でも把握するのは難しいという。奴が必ず姿を現す場所がひとつだけ、このト−ナメントの決勝戦だ。しかし、それがどこであるのか。だがジュリアは何となくわかりかけていた。
 オ−ガの遺跡だ。
 このト−ナメント自体、おそらくはオ−ガをおびきだすために開いたものだ。だとすれば最後に選ぶのはオ−ガのねぐら、オ−ガが出現する率が最も高いと思われるあの遺跡だろう。
 そこしかない。
 ジュリアは自分の考えに賭けてみることにした。あとはジンがいつ来るのかがわかればよい。少なくとも決勝にはジンが来ると信じて。
 そういえば、家に小型発信機の古いやつがひとつ、残っていたな。ジュリアは思い出した。

 そうしてジュリアは予定どおり、試合で負けた(彼女流にいうなら負けてやった)。彼女にとってさらに都合のいいことは、どうやら仁を乗せてきたヘリが例のだったらしく(つまりジュリアに腕をぶちぬかれた男の)、発信機を準備する時間もたっぷりできた。それを仁と別れる際に、彼の服の襟にこっそりつけておいたのだ。
 ちょっと悪いことしたかなぁ。
 だが今のジュリアにぐずぐずしている暇はなかった。三島の手の者がいつやってくるのかわからない。そのためにも彼女の方に土地勘のある、安全な森のなかへ隠れる必要があった。
 さあ、来るならいつでも来い。
 黒く薄暗い森の奥深く、部族の者しか知らないような場所で、彼女はディスプレイを眺めながらじっと待った。
 三日後・・。
 そろそろ初春の寒さに体力の限界を感じ始めていたところに、ディスプレイの赤い光が動きだした。どうやら準決勝の地はロサンゼルスだったらしい。そして光がむかっている方向はやはり、アリゾナだ。
 ロスからアリゾナまではそう距離があるわけではない。
 ・・急がねば。
 風が吹いている。
 ジュリアはそのなかを、遺跡に向かって歩きだした。
 喰われるために生きよ・・。
 ジュリアは向かい風のなかで、オ−ガが言ったことをぼんやりと思い出した。昔はこの言葉を呪いのように怖れていた。
 けれども今は・・。
 ジュリアは静かに思った。
 今なら、オ−ガに立ち向かえる。
 ジュリアの目に、黄色い荒野が映っていた。

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