遺跡、それはすべての災厄の始まり・・


夏に近い春とはいえ、夜の荒野に吹く風は冷たく乾いている。
暗闇のいたるところで獣達の笑い声がこだましている。やわらかな月の光が
荒野にそびえたつ古い遺跡を照らした。
 遺跡の中では、少女が一人うずくまってふるえていた。つい先頃まで大声で泣きじゃくっていたが、
もうその元気もなくなったのだ。朝から何も食べていない。今日目覚めたらここにいたのだ。
寝ている間につれてこられたらしい。自分が親に捨てられたのだと気づくのに、時間はかからなかった。
 無理に眠ろうとしても、飢えが、喉の渇きが邪魔をした。寒さが容赦なく体温を奪い、
遺跡の奥でよどんでいる暗闇への恐怖が心を凍らせた。
 少女はまたすすり泣いた。だが遺跡の外の獣達に聞こえぬように、
遺跡の奥に潜むものに悟られぬように声を押し殺して涙を流した。
 タスカラヌトワカッテイテ、ナニユエニ、オマエハナク…?
 ふいに、暗闇の奥から声がした。
 少女はとびあがり、遺跡の入り口まで慌てふためきながら逃げていった。
目に恐怖の色が浮かび、顔から脂汗がにじんだ。しかし、外には出られなかった。
出れば、獣の餌食になることが目に見えていた。
 ココニ、コイ・・。
 少女は悲鳴をあげ、彼女の小さな心臓は音が聞こえるほどにまで高鳴った。
呼吸を荒げ、どうしようかとしばらくただ立ち尽くした。けれども闇に耳をすましていると、
奥のほうから、ピチョン、ピチョンと水がこぼれおちる音がした。
 少女は、ごくっと唾を飲んだ。何が出てきてもおかしくない、暗闇の奥を見つめる。
しかし渇きという衝動が、恐怖に打ち勝った。少女は壁づたいに一歩一歩、そろそろと奥へ歩いていった。
 広い遺跡の中をだいぶ歩いていくと、突然青白く輝いている場所に出た。
上を見ると天井にポッカリと大きな穴が開いていて、そこから月の光がさしこんでいた。
その光の下で、雨が降ったときに溜まったのだろう、水溜まりを見つけた。
 水だ! 少女は身をかがめて泥水をすくい、夢中で飲んだ。水は妙に酸っぱく、
ジャリジャリした砂の感触が気持ち悪かったが、それでもがぶがぶ飲んだ。
砂をペッと吐き出すと、水溜まりの脇にヌルリとしたコケが生えているのに気づいた。
少女は少しためらいながらも、それをはがして食べてみた。コケは別に何の味もしなかったが、
変に青臭い臭いがして、少女はひどく惨めな気分になった。
 キ・・タ・・カ・・
 少女は驚いて、こわごわあたりを見まわした。すると背後に、赤い目をした黒い影のようなものが、
自分を見て笑っているのに気づいた。
「うわあぁぁ・・」
 恐怖で足がすくみ、少女は床にへたりこんだまま後ずさった。
しかし影は手を伸ばし、少女の腕を強くつかんだ。
「離してっ!」
 少女は冷たい影の手を振り払おうとした。だが影は、クワッと巨大な顎を広げ、
牙を振りかざして少女に喰らいついてきた。
 喰われる!
 影は一瞬にして少女を飲み込んだ。目の前が真っ暗になり、血も凍るような冷たい暗黒の空間の中で、
少女は腕が、足が動かなくなっていくのを感じた。しかし、それと同時に影に対して激しい怒りをおぼえた。
少女はかんしゃくを起こし、影の体内で徹底的に暴れてやった。暗闇に向かって拳を振り上げ、
影を何度も殴りつけた。それでも影は、少女を吐き出そうとはしなかった。
「うおお・・。」
 少女は影に噛みついた。そして影の体がえぐれるぐらいに、なんどもなんども噛みつづけてやった。
「くうう・・!」
 さすがの影も、これにはたまらず、少女を吐き出した。影は苦しみあえいだが、
目だけはますます赤く輝き、カッと大きく見開いた。
「ここまでとは・・おもしろい。」
 突然影は霧散し、黒い風となって少女に強く吹きつけた。
風は少女の体を通り抜け、あらん限りの声で叫んだ。
「我が名はオーガ。闘神と呼ばれる者。誰からも見捨てられた弱き者、我が贄になることも拒むのか・・?」
 少女は目をつぶり、風に向かって手をかざした。喉が煙を吸ったように焼けつく。
しかし体は吹雪にあてられたように凍った。
「ならば我に喰われるために生きよ! いつの日かその強き魂を我に捧げるために・・!!」
 喰われるために生きるがいい・・。
 少女は気が遠くなっていくのを感じた。


 夜明け頃、紫色の曇った空に明けの明星が輝いた。
空はすぐに昇ってくる太陽を中心にオレンジ色に染まり、朝日が春の草原に差し込んだ。
だがミシェールが乗っている馬の吐く息は白く、朝の冷え込みが厳しいことがわかる。
「おや・・。」
 ミシェールは首をかしげた。遠く荒野の遺跡、彼女達の一族が聖地と呼んでいる場所に
どす黒いまでの暗雲がたちこめていたのである。その光景はまるで、
蝿の大群が獲物にたかっているようだった。
「・・いってみよう。」
 ミシェールは一抹の不安を覚え、遺跡へと馬を走らせた。しかし不思議なことに、
ミシェールが遺跡に近づくごとに、暗雲は嘘のように晴れていった
「ちょ、ちょっと! しっかりするんだ!!」
 遺跡の入り口近くにあの少女が倒れていた。一瞬死んでいるのかと思ったが、生きている。
しかし夜の寒さで風邪をひいたのか、すごい熱だった。
ミシェールは持参していた毛布で少女をくるみ、水を飲ませてやった。
「しっかりして! ・・アンタ、どうしてこんなとこにいるの。 親は? いないの?」
「・・オーガ。 ・・オーガは?」
 少女は目を開けてつぶやいた。
「オーガ?」
 オーガ。別名「闘神」。ミシェールの集落に昔から伝わる伝説の邪神である。
この遺跡の主であり、夜の闇の中であらゆるものの魂を吸うという。けれど、まさか。
「悪い夢を見たんだね。」
 ミシェールは少女を抱き起こして馬に乗せた。
「とりあえず、アタシの家においで。話はそれからだよ。そうだ、アンタ、名前は?」
「・・ジュリア。」
「そう。じゃ、ジュリア、行こうか。」
 ミシェールはハイヨッ、と言って馬を急がせた。
馬はパカラッ、パカラッとリズミカルに荒野を駆けていった。ふと、少女は遺跡のほうをふりかえった。
遺跡は薄い霧に包まれた黄色く険しい丘の連なりの中にポツンと建っていた。
すぐ後ろで、馬の影が震えた。
少女の心に恐怖が蘇った。
 赤い目をした影が、大きな口を開けて笑っていたのだ。


 ジュリア=チャン。
少女が影に魅入られたのは、後に彼女の養母となるミシェール=チャンに出会ったのは、
彼女が五歳の春のことだった。

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