彼女の森

ホテルの最上階は、ヨーロッパの宮殿と見まごうような豪華なレストランだった。
天井からは、大きなシャンデリアがぶら下がり、テーブルの金の燭台の上では、
蝋燭の炎がいくつも揺れていた。
 G社の重役達は、ダークスーツに身を包んだ男達ばかりだった。まるで、一昔前の
マフィア映画の一コマのようだ。女は、T教授の助手として来たジュリア一人だった。
夜の都会の闇と煌きに包まれて、豪奢な晩餐が始まろうとしていた。

なんと、美しい…
重役達のざわめきを、ジュリアはみとめた。
真意の程は、図りかねる。
「それでは、G社のますますの発展を祝って、乾杯!」
T教授がグラスを掲げ、乾杯の音頭をとった。
ナイフがカチャカチャなる音、チシャを食む音、各々が食事を始める。

お噂は聞いていますよ、貴女はIQ180の天才だそうですね…
すでに考古学で博士号を持ちながら、遺伝子工学の分野で研究をしていらっしゃる
とか…
ビジネスディナーとはよく言ったものだと思う。重役連中のくだらない世間話も、
微笑で返し、決して腹を立ててはいけない。ここは、取引の場なのだ。
それよりも、ジュリアは、テーブルの向こうにいる東洋人のことが気になった。
他の重役達にボス、と呼ばれているので、おそらく彼がこのなかのトップなのだろう。
静かで、険しい。
人の上に立つ男に付随する、あの妙な空気が漂っていた。
スープの飲み方一つとっても、彼は他の重役達とは違っていた。
上体をかがめることなく、スプーンを横にしてさっとすくって、スッ、と、吸う音も
皿の音も、ちっとも立てることなく唇の間に流し込む。貴族的、とでも表現したら
よいのだろうか。

肉料理が運ばれた。仔牛のシャンピニオンステーキ、というらしい。
「そろそろ本題に入ろうか。…食べながらでいい。気にすることはない。」
男が言った。
ジュリアは、ソースをこぼさすにどう肉を食べたらよいか、思案していたところだった。
「率直に言おう。我々は、君達の研究に対して補助金をだすことに、
あまり乗り気ではない。」
ナイフを動かす手が止まった。
今までの交渉から考えて、予想できなかった答えではない。この場をとりつけた
だけでも、相当苦労したのだから。
「森林再生のメカニズムを遺伝子工学の面から探求する、聞こえはいいが、
これは20年前の遺伝子組換作物の研究と同じではないのかね。」
「それは…。」
T教授が言葉につまったので、ジュリアがあとを続けた。
「違います。遺伝子組換作物が問題になったのは、性急に商業化を押し進めた
結果、予想外の副作用がでたためです。私達は、その土地の気候、土壌を詳しく調べ、
そのうえで土地にあった植物をマッチングします。乾燥に強い、とか害虫に強い、とかの
作物の改良と、なんら変わりありません。」
「だが君達が提出した資料によると、遺伝子組換植物を用いて、人工的に自然を作り
だそうとしているようにしか見えないのだが。」
「植林など、どこの国でもやっています。私達の研究は、遺伝子工学の技術を用いて、
短い時間で緑化しようとしているだけです。」
「…失礼だが、君のことは調べさせてもらった。しかし、生と死を等価値と考える君の
部族ならば、故郷の砂漠化も、受け入れるべきではないのか。」
この場にいた人の目が、一点に集中した。
ジュリアは、周囲に悟られぬように唇を噛んだ。
「遺伝子治療の分野で目覚しい活躍をとげた、G社の御重役の方がおっしゃる言葉
とは思えませんね。」
「少し、言いすぎたようだな…」
と、男はまた、皿を鳴らすこともなく、肉を切り分けた。
ジュリアも、彼のするように食べてみたが、彼の真似は困難だった。
「とにかく我々は、君達の研究の失敗をおそれている。実験が成功しても、長期間ろくな
収益は望めない。失敗すれば、風評被害で株価が下落する。リスクが高すぎる。」
「そんなことはありません!」
ジュリアは、声高に言った。
「地球環境が激変している今だからこそ、この研究は価値があるのです。 
砂漠化するのを黙ってみているなんて、私には耐えられない。確かに遺伝子操作は、
人間のエゴかもしれません。
でも、何か方法があるはずなんです。絶対に!」
「…壮大なボランティアに、社運をかけろと?」
「未来への投資、とは考えられませんか。」
男の目が、冷たく光った。
もしこの男が、会社の利潤のことしか頭になければ、これ以上何を言っても無駄
だろう。ジュリアは思った。
デザートには、シャンパンのシャーベットがでた。思ったよりもさわやかな口当たりで、
今日のメニューのなかでは、これが一番気に入った。逆に男の方は、そうでも
なかったらしい。半分以上残していた。
食後には、セーヴル磁器も華やかな、湯気立つコーヒーが出た。
「一つ聞こう。」
男は、二、三度、匙を回した。
「君の故郷は、あと数年で砂漠に飲み込まれる。砂漠化によって産業を失い、
景気が悪化すれば、人口の流失はまぬがれないだろう。人がいなくなった土地、
それでも君は、故郷を救いたいのか。」
「ええ、ですから、その人口流失のコストを抑えるべく…」
ジュリアは気付いた。この男は、そんな答えを求めているのではない。
ジュリアは、コーヒーを一口、口に含むと、息をついて切り出した。
「あの土地は、私達の祖先が、涙の道の果てに得た土地です。
簡単に捨て去ることなんて、できません。」
「それが20世紀の環境汚染の煽りを喰らった、死の土地であってもか。」
「…見せてあげたいんですよ、私の子供に、そして孫に。」
ジュリアは微笑んだ。
その微笑が、男を困惑させた。
「砂漠に浮かぶ緑の聖地、私が知ってるままの故郷を。だって寂しいでしょう、
ここは今はもう砂漠だけど、昔は緑の別天地だったのよ、なんて昔話を話すのは。
結婚なんて、本当はまだまだ先のことですが、空も森も、切り立った黄色い岩壁も、
私が知ってるまますべて、子供に見せてあげたいんです。」
会場が、シン、と、しずまりかえった。
男は、なんともいえない複雑な表情をした。
「…考えておこう。」
帰り際、ジュリアは車に乗り込む男を見送った。
そして今更ながら、気がついた。
似ている。
2年前、自分とともに闘神と戦ったあの男に。
私は、この男を知っている…

ホテルに帰ると、一八は、窓に映った己の顔を見た。
頬に醜く残る傷跡を、指でそっとなぞる。
「……一八。」
ふと、誰かに呼ばれたような気がした。
一八は、20年前にただ一度、屋久島に行ったときのことを思い出していた。

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