| 柔らかな木漏れ日の差す、静かな森。 川の流れに足首を浸し、苔むした岩肌に腰掛ける。時折、足元を泳いでいく 魚に、小石をぶつけた。 ふと目線を移すと、準がそばに立っていた。 「弱いものいじめはやめなさいよ、みっともない。」 「一言多いのは、相変わらずだな。」 「…仁は母にあずけてきた。 かわいいのよ、まだ2歳にもなっていないのに、私がいなかったら、 お母さん、お母さん、って泣き出して。結局、 泣きつかれて眠っちゃったところを、見計らって出て来たの。」 あの大会の後、準は故郷の屋久島で、一八との間に身ごもった息子、仁を産んだ。 「この子の名前は『仁』、思いやり、という意味よ。」 抱っこしてあげて、とせがまれた時、仁と呼ばれたその子はふうわりと乳臭くて、 一八は、仁が自分の息子であることを実感した。 「隣、いい?」 準は、一八の隣に座った。 そして、自分も靴を脱ぎ捨て、冷たい流れに素足を浸した。 「今、どうしてるの? 一八。」 「…アメリカにいる。親父に火口に放り込まれた後、G社とやらが俺を拾って、 ご丁寧にも蘇生した。幸い、俺にも三島以外に繋がりはあったんでな。 フン…だが、G社のすべてが俺の手に入るのも、時間の問題だろう。」 「…私は、W・W・W・Cの事務職。移動したい、って自分から願い出たの。 昼間は母に仁をみてもらってる。最初、三島平八がこの子をひきとりたい、 って言ってきたのよ。もちろん、断った。でも、そしたら、東京にはいられなく なっちゃった。まあ…もう、フッ切れたけど。」 準は、苦々しそうに笑った。 「それで、あなた今日は?」 「迎えにきた。」 一八の意外な言葉に、準は言葉を失った。 「こうなった以上、責任は俺にあるだろう。心配するな、G社でそれなりの地位は 得たつもりだ。」 「…そう。うん…でも、私はそれで十分よ、一八。」 「来るつもりはない、か。」 「ええ…。」 確かに自分のもとに来れば、色々な意味で標的になろう。G社のなかでも、自分を 快く思わない連中が多い。 一八は最初から、準が自分のもとに来ることなど、期待していなかった。 だが、それでもここに来た。 何を、望んでいるのか。 自分でも、よくわからない。 「仁にね、見せてあげたいのよ。」 準は、微笑んだ。 「屋久島を… 父や母が、私に全部与えてくれたように、私もあの子に、 私が知っているまますべて、見せてあげたいの。 雨降る丘も、この森も… 遠くの山に浮かぶ月も、甘酸っぱい時計草も、 あの子に全部、教えてあげたいの。」 「そうか…。」 一八は感じていた。もう二度と、準と会うことはないだろうと。 二人を、無理にでも連れ去ることはできる。だが、そうすることになんの意味が あるのか。準は、仁と生きることを選んだのだ。 「それでもね…」 準は、何の前触れもなく、一八の胸に頬を埋めた。 「嬉しいよ…。すごく、嬉しいよ… あなたが生きてて。あなたが生きてるんだって、感じるよ。」 一八は黙って、準の髪に指を差し入れた。 「これから別れるというのに、意味のないことをするものだな…」 「そう…? それでもいいよ。」 準の指先が、一八の頬にできた傷を慈しむようになぞった。 幸せで、夢のようで。 夏草を浴びて寝そべりながら、山の端に月が満ちていくのを二人は見た。 揚羽の蝶が群れをなし、翅に月を映して飛んでいく。 夏草から銀の雫が垂れ、一八の横顔にひとすじ、涙のように降り注ぐ。 揺らぐ夜に二人、息をひそめるように。 徐々に翳る森は、二人をそっと見守る。 互いの腕の中で、満たされていく。 胸の傷が、食い破られる。 彼女の森に、侵食される。 別れ際、準は、さようなら、とだけ一言、言った。 嘆く必要など何もないのに、その言葉に、一八の心は、痛むほどに渇いた。 終わりのないものなどなく、別れぬものなどありはしない。 一八は、自分に言い聞かせた。 心は静かに離れていくのだ、と。 以来、彼女とは連絡が途絶えた。 「ボス、ジュリア・チャンという方からお電話が入っておりますが…」 「そうか、通してくれ… …君か。」 「このたびは、本当にありがとうございました。いくら感謝しても、感謝 しきれません。あんなに多額の補助金を出資していただいた上に、研究 施設まで提供していただけるなんて…!」 「条件は、文書で提示したとおり、月一で研究成果を提出すること、 使った研究費用は逐次報告すること、だ。成果がなければ即、打ち切る。 無駄な金は、使いたくない。」 「…わかりました。ご期待にそえるよう、努力したします。」 「期待している。」 「あ、あの…」 「何だ?」 「いえ・…失礼いたします。」 賢明な彼女のことだ。それに、自分と彼女の母とは、浅からぬ因縁がある。 自分の正体を、彼女はとっくの昔に気付いているだろう。 罪滅ぼしではない。 だがジュリアに、一八は準の面影を見た。 それだけは、確かだ。 受話器を置くと、一八は、20年の歳月の重さに深いため息をついた。 その後しばらくして、G社最高機密研究所は三島財閥の急襲を受ける。 そして、「The King of iron fist tournament」の開催が報じられた。 身を切るような冷たい雨がふる。 嵐が、近づいているのだ。 対峙する父と子。 ゴフッ、と一八が血の塊を吐き出し、その場に崩れ落ちる。 「なぜ、母さんを捨てた?! なぜ俺達を捨てた?! 母さんは、ずっと待っていたのに!!」 「…そこまでよ。」 ジュリアだ。 仁に、銃を向けている。 「邪魔をするな…。」 「今、その人を失うわけにはいかないんだ!!」 赤く凍りついた目が、ジュリアをにらんだ。 一八はゆっくりと立ちあがり、仁に向かって再びファイティング・ポーズをとった。 「貴様に助けられるとはな… 息子一人倒せぬとは、俺もおちたものだ…」 「違う…それはあなたが、準を愛していたからだ…一八。」 もうどうすることもできない。 |