天国旅行

未来は白紙 そして待ちうける皮肉な運命

悪意とも憎悪ともとれる空気が部屋の中に満ちている。重い。薄暗い部屋の中、窓から差し込む青白い月の光ははっきりと二人の人間の影を映している。
 「来たか。」
 濃い紫色のタキシ−ドの男は薄笑いを浮かべた。相対する男が怒りの形相でにらみつけいるのを嘲ら笑っているのだ。
 「・・・覚悟はよいな、一八。」
  少しの静寂を経て怒髪天を衝くかのごとく突っ立った髪に稲妻が走った。重苦しい空気にビリビリと漂う緊張感。バッと上着を脱ぎ捨て構える。軋んでいる、その筋肉。
 「俺を殺して権力を取り戻したいか、親父」
  実の息子ながらいつの頃からか一八の眼には冷たい輝きが宿っていた。野望と憎悪に駆られながらも感情のない空虚な眼だった。
 「ひとつ聞いておく。風間嬢はどうした。」
  その名前に一八の表情がピクッとこわばる。しかし次の瞬間には乾いた笑い声が静まりかえった部屋に響きわたった。まるで楽しい遊びを思い出しているかのようなその笑い。
 「き、貴様・・・堕ちるところまで堕ちたようだな。」
  風間準。一八逮捕のために大会に参加していた彼女は平八の協力者でもあった。だがその途中、一八をとりまいていた「なにか」に気付き直接接触をこころみたのである。その後彼女の消息は途絶えていた。
 「安心しろ、殺しちゃいねえ。」
 
  そう、殺しては。

  父親はもはや息子を倒すことに何の戸惑いも感じなかった。いや、もとより倒さねばな相手だったのだ。息子が自分を倒し谷底に放り捨てたあの日から。
 「ワシが葬ってやることがせめてもの情けよの。」
  お互いに相手を見据える。間。平八の豪拳が一八の顔面を狙った。空気を斬る音。その拳をうけとめる衝撃。

   これは俺だ。二年前の。

  前大会において一八は平八との死闘の末優勝を収め、同時に父親の権力と財産をすべて奪い取ったのである。
  自分を狙ってきた拳を突き放す。父親の体が大きくよろめく。

  そう怒るなよ。アンタだって汚れた人間だった。
 
  倒れかかった平八の腹に一八の拳が食い込む。普通ならばここで床に崩れ落ちているところだろう。しかし平八の足はその強靭な意志と力によって踏み止まった。再び拳を繰りだす。

  何も変わらねぇ。二年前の戦いと。アンタが俺で、俺がアンタで。

 拳の応酬。退くか出るか。押すか押されるか。
生か・・死か。
力をこめ放つ。のけぞる。歯を食いしばる。反撃。前へ前へ・・。

 汚れるだけ汚れた。アンタと同じだ。なにもかも。ならば今度は俺が・・倒されるのか?

 フッと、平八が視界から消えた。両足に鈍痛み。奈落払いが入ったのだ。一八が腕に気をとられていた一瞬のスキをついての攻撃だった。
「とどめだ!」
のけぞった一八の顎めがけて右の拳が突き上げられる。ガッという鈍い音。吹き飛ばされ壁に叩きつけられる一八の体。最強の右アッパ−、風神拳。こめかみから、切れた口の中から、血が流れる感触がする。頭が朦朧として視界が定まらない。

 やられる?

 違う。俺はアンタと同じじゃない。
 体のなかに黒い力が渦巻いているのを感じる。この身を悪魔に変える力だ。すべてはアンタを殺すため、自分のうちに秘めてきた。見ろ、今濃紫に体が変わっていく。

オナジジャナイ。

「おなじじゃない! あなたのやっている事なにもかも!」
頭の中で声がする。
「どうしてそんなに自分をだめにしたがるの? 自分を傷つけたお父さんを見返してやるため? 違う、あなたはお父さんと同じになりたかったのよ!」
準。叫んでいた。
 保護動物の密輸、ひいては生物兵器の開発に携わる一八には、自然保護団体WWWCの密輸動物捜査官である準の顔はずいぶん前からわれていた。大会参加を認めたのも大会中に始末するつもりだったからである。しかし初めて準を目の前で見た時、一八は何とも言い難い衝撃におそわれた。見透かされている・・。自分でも気付いていない、心の奥底の何かを見られたような気分だった。
「ねぇ、人をうらむって、憎むって、それって一番苦しくない? 例えその人をかしづかせたとしてもあなたはむなしくない? 誰かいるはずよ。あなたを守ってくれる人も、助けてくれる人も・・。」

 よくもまあ、二年間もつけまわしてくれたもんだ。邪魔でうっとうしくてたまらなかった。そんなに動物が大切か?変な女だった。胸の傷を見て泣いていた。同情なのかもしれない、でも私は泣きたいから泣くんだって言っていた。涙。俺の枯れかかった胸にしみていった。美人だった。それだけだ。それだけで・・

惚れて悪いかよ。

 空をにらみつけると、とどめをさしに突進してくる父親の姿があった。
「負けるかよ。」
鉄下駄で蹴り込んでくるのを、すばやく起き上がって足払いをかける。今度は平八が倒れる番だった。
「親父。そんなんじゃもの足りねえよ。」
腕で口元の血を拭い、タキシ−ドを脱ぎ捨てシャツをはだけた。あらわになる醜い胸の傷。だが平八は気づいていただろうか。一八から沸き上がっていた邪気がその身をすっかりひそめたことに。それは一八自身も何故かはわからなかった。ただひとつわかるのは己れの語気が荒いのとは裏腹に心がとても落ち着いていることだった。刹那、眼を閉じ思い出す。別れの、ことば。

 約束するよ・・私があなたを守るって。

 足払いなんかでダウンする平八ではない。すぐさま起き上がり拳を固めた。
「うぉりゃっ!!」
両者同時に叫んでとびかかる。戦い。二人が求めていたものがここにあった。
「来いよぉぉぉ−!!」

 俺はどこにいる? 空。真っ青だ。晴れている。花の匂いもする。鳥の声もする。熱い。体が落ちていく感覚がする。親父の野郎、俺を火口に投げ込みやがった。ちくしょう。俺のまわりが真っ赤に染まる。マグマの中で、つま先、ひざ、腹、肩、俺がダラダラ、ダラダラ溶けていく。苦しみも、悲しみも、孤独も、喜びも、安らぎも、俺が溶ける。すべて思い出の中でひとつになる。手に入れたはずのちからは飛んでいった。
思い出・・そうか、いつかこの時俺は幸せだった。

 今、立ち尽くす準の横で異形の者が突っ伏している。うめきながら上半身を起き上がらせ、その震える鋭い爪がはえた手でむなしく虚空をつかむとそれきり動かなくなった。異形の者から煙が吹き出し、溶けるように消えていく。
「そっか・・。約束、守れなかったね。・・ごめんね。でも、これからは・・・。」
  床にうずくまって泣く準の背中に、窓から太陽の光が差し込んでいた。