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CHARACTER PROFILE
Her Belief

東の一地方(仮名 ヤツノモリ)における宗教観
(1)神 (2)生と死 (3)風俗 (4)地理 (5)芸道 (6)食 (7)恋愛


古事記、日本書紀、仏教、神道、および世界各地の宗教の土台(という説がある)原始宗教(アニミズム)を、民俗学的解釈でテキトーに混ぜてます。
注意※ここでは宗教(神の奇跡)を、魔術師の魔法や吟遊詩人の呪歌と同じ「マナ」を利用した魔法という土台に置いています。


(1)ダグの神(父、母、兄弟姉妹)

もとはすべて「マナ」。
その「大きさ」や「流れ」や「方向」によって、それぞれに異なる「人格」が与えられます。
「異なる人格」と表現するわけは、魔法をすべてマナと解釈するなら、「マナ」という物理的な力が、「創造と破壊」という、あいいれない二面性を持つからです。

人間、妖精、妖魔(モンスター)に恵み(ヒールやブレス)をもたらすマナを善なる神。
同様に、破壊(カースやファイア・ボルトなど)をもたらすマナを悪なる神。

その二面性を、ヤツノモリ(仮名)では、
来訪神(らいほうしん)信仰(後述)として、とらえています。

たとえば、日照り続きで枯れた農作物に慈雨を与えるのが「善なる雨の神」だとして、洪水で人命を奪うのも「悪なる雨の神」。同じ「雨の神」にあらわれる、この矛盾を、どう解決するか?という問題です。

この問題を解決するのに、もっとも簡単な方法は、「なにしでかすか分からない」神を、「人間の力ではコントロールできないもの」と考えることです。

「人智では理解できない」「なんだか分からないが怖い」「予測がつかない」「コントロールできない」
そんな、「圧倒的な力」こそがマナ=神。


そこで、
ヤツノモリ(仮名)という教区では、マナ(コントロールできない圧倒的な力)を、それぞれの性格によって、「聖なる」あるいは「穢れた」父と呼び、母と呼び、兄弟姉妹と呼び、それぞれ異なる「人格神」として分けながら、その根源(おおもと)はマナ(=自然=人間、妖精、妖魔、および彼らの手から作りだされた文明すべてを含める森羅万象)であると教え習わされています。

さて、
そんな「怖いもの」をほっぽっておいては大変。
雷やら地震やらファイアー・ボルトやらに、「ああ、どうなっちゃうの?」といちいち驚いていたら、生活になりません。
そこで、「コントロールできないマナ」をコントロールする代理人が必要になりますね。

その「代理人」こそが、巫女、坊主、僧侶、司祭、と、いろいろな名前で呼ばれる・・・「神命の通路(しんめいのつうろ)」。すなわち、ダグをふくめた、東の一教区の坊さん(巫女)
なのです。


参考文献※岩波書店/和辻哲郎全集『尊皇思想とその伝統』14巻30頁(廃版)より
祀る神(まつるかみ)
【神代史(古事記・日本書紀)において最も活躍している人格的神々は、後に一定の神社において祀られる神であるにもかかわらず、不定の神々に対する媒介者、すなわち神命の通路、としての性格を持っている。それらは祀られるとともにまた自ら祀る神なのである。そうしてかかる性格を全然持たない神々、すなわち単に祀られるのみである神々は、多くはただ名のみであって、前者ほどの崇敬をもって語られない】
→これを、分りやすくすると、
「要するに、アマテラスとかが日本神話の神様って思われてるけど、もともとは、神様の代理をしてた巫女さんだったんだよ。本当の神様(大自然のパワー)なんて、よく分からないから、皆、無視して、巫女の言うことを聞いてる。説明できないことは怖いし、人任せならぬ巫女任せにしたほうが、安心だから。そのうち、巫女自体が神様と思われちゃうのは、当然でしょう」


(2)ヤツノモリ(仮名)における、此の世と彼の世(此の世と彼の世=生と死)の観念

「古事記」、イザナギとイザナミの記述によると、日本の創造が完成しないまま、二神(イザナギとイザナミ)が別れてしまったため、「生まれて死ぬ」という現象が生じるようになったとされます。

「死」とは「彼の世」にまた産まれること。
「死」とは「生」とは別の方向にはたらく、大きな「生の力」です。
イザナミの「過剰な」産む力が、別れたイザナギの支配する「此の世」の者を「彼の世」に産んでいるのです。


ヤツノモリ(仮名)では、
この「産む力」の同等性を、ごく「普通」という感覚でとらえています。
「生」と「死」を、連続したものととらえ、此の世と彼の世の中間にある坂(三途の川=境=生死どちらにも属さない半端な状態)こそを、「死」以上に恐れています。

「此の世」に産まれた者は、「彼の世」に産まれ、
「彼の世」に産まれた者は、「此の世」に産まれる。
要するに、「輪廻転生」を信じています。

ただし、「境」にとらわれてしまった者は、永遠に「境」をさまよう、「生きても死んでもいない」者。
ダグはこの「境」を、「境の影」「彼の世の弟」「混沌の道化師」などと呼びならわし、「もっとも畏れ」ています。

「彼の世の弟」は、やはり「古事記」の「水蛭子(ヒルコ)」をイメージしています。
水蛭子とは、イザナギとイザナミの間に、最初に産まれた子供で、一説によると、手足のない奇形児です。
「失敗作」で、流されてしまう、不幸な子供です。

ヤツノモリ(仮名)では、弥生(三月)以前や以後に産まれた子供や、双児(一腹に一人以上、産まれた赤ん坊)を、「水蛭子」として、川に流す「習慣」が、ごく普通にあります。

大樹亭では、NPCタブリス(ダグの弟弟子、傭兵セレスのもと相棒、盗賊団「天空の蒼」の団員)が、この「水蛭子」にあたります。
ちなみに、彼(タブリス)は、どこかヒョークに似た(笑)、愉快なやつです。
タブリスは元日(1月1日)の早朝、未熟児で産まれた、色素欠乏症および、成育不良の奇形児です。
ダグ自身も、彼(タブリス)をどこかで畏れていますが、
自分自身が「山からの拾い児=彼の世の者=彼の世の母(イザナミ)を代理する者」であるため、「疎む」気持ちより「好奇心」が旺盛にはたらいています。
シアに対しても同様なのは、内緒(笑)

また、ダグ的には、
Dの頑なな態度に対して、「自由=自然に対して、檻または枷を勝手に作る」行為を、「此の世と彼の世を隔てる行為」すなわち「自ら『水蛭子』となろうとする態度」と受け取って、「神の連続性を隔てる、畏れるべき『境』の為す行動を己で行おうとするもの」と感じ、激しく同情しつつも弾劾しています。

また、アオイに対して返した、
「『枷』なき自由は、是、『無法』なり(『自由からの逃走』より引用)」とは、
神(マナ)を「『奥』へ追いやり(後述)」、神を利用しつつ、人間(妖精、妖魔)こそが秩序を築く、
という考えかたに基づいています。


参考文献※日本古典集成『古事記』39頁より
【国産みをしたイザナミは火の神を産んで「神避り」、出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県)の境の「比婆の山」に葬られた。夫のイザナギは二人の国作りは終わっていないと「黄泉国」にイザナミを訪ねたが、姿を見るなという約束を破ったため追いかけられ、坂本(此の世と彼の世の境にあるとされる坂)に巨石を据えて「事戸=離婚宣言」を渡した。
イザナミ:「愛しきあがなせの命。かくせば、なが国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」
イザナギ:「愛しきあがなに妹の命。なれしかせば、あれ一日に千五百の産戸立てむ」】

これを、かなり分かりやすくすると、
「つまりは、火の神様を出産したあと、死んじゃったイザナミを『もっと子供を作ろうよ〜』と追っかけていったイザナギがさ、『ダーリン、あたしの顔は見ないでね』ってイザナミのお願いを守らなかったんだいね。そしたら、彼女ったら半分『ゾンビ』で、すげえ怖かったわけ。で、イザナギは逃げる。『卑怯よ!ダーリン』って怒って追っかけて行ったイザナミを、『此の世と彼の世の境』を大きい石でふさいで、やっと撃退。
イザナミは怒って「ダーリン!だったら、あたし、あんたの世界(此の世)の人間を一日に千人、殺すわよ!」
イザナギも怒って「ハニー!そしたら、俺は、あんたの世界(彼の世)から、一日に千五百人を連れてくるぜ」
・・・要するに、痴話喧嘩だ。

注意※柳田国男と折口信夫の解釈の相違
民俗学の研究で、神と霊の重なりが指摘されている。
柳田は死の概念を「祖霊」を基本としてとらえ、
折口は死の概念を「神」を基本としてとらえる。
死者の世界は、「山の向こう」「海の彼方」にある神の世界と同じ、「古事記」や「日本書紀」では、「祀る神=巫女」のいる「高天原(たかまがはら)」と「黄泉国(よみのくに)」は区別されている。


(3)ヤツノモリ(仮名)の祭祀(さいし=神迎えと神送り=風俗)


民俗学では、年中行事(正月や雛祭など)に面影を残す、「祭」の日に、彼の世(黄泉国)からやってきて、「祭」が終わると彼の世(黄泉国)に帰ってゆく神(来訪神)は、神社に祀られている神(高天原の神=巫女)よりも、起源を古くすると考えられています。

来訪神とは、
(1)で記述された、「コントロールできない圧倒的な力=創造と破壊の二面性を持つ大自然のパワー」です。

「祭」は、来訪神を「迎える」と同時に「追い出す」、やはり矛盾した宗教儀式です。

日本の古い神は、「ナマハゲ(秋田)」「シヌグ(沖縄)」「ボゼ(鹿児島)」などの、全身を草で覆われた姿にあらわされるように、人間を圧倒する自然の力の象徴です。
ちなみに、「サンタクロース(聖ニコラウス)」の起源も、もとはオーストラリアの山間部で行われていた「ナマハゲ」に似た行事でして、そういう意味では、「来訪神信仰」は日本特有のものではありません。
このような「祭」は、今日では、長く新文化の発祥地だった京都から離れた地域にのみ残りますが、縄文時代の遺跡から「土面」が出土しており、仮面をつけた「来訪神」の「祭」の古さを物語ります。

「祭」とは、「神の地」と「人の地」に「境界」をつくり、神のすることに巫女が「コントロール」を加えることへの代償行為(おわび)です。
しかし、「祭」によって、神が完全に満足するとは考えられないので、何度も繰り返して「祀る」ことが必要です。
定期的に「祭」を行うことによって、神の恣意的な侵犯(祟り)を防ぎます。

では、
以下は、日本の代表的な「祭」と、それをイメージした「ヤツノモリ(仮名)」の風俗です。


(3〜1)正月
大晦日の晩に「神」が「この世」に訪れて、新しい年に変わります。小正月(15日、旧暦ではその年の最初の満月)に来訪の行事がある地域も多々あります。門松は、神の依代(よりしろ)。神に供える鏡餅のほかに、家族用の小さな丸餅をつくり、それを食べて一つの年を重ねるのが、お年玉の原形という説もあります。門付(かどつけ)は、神の来訪を演じる、宗教芸能が祝福芸に変化したものです。

ヤツノモリ(仮名)では、やはり「睦月の朔日(むつきのついたち)」は、その年を司る「新しいマナ」を迎える「祭祀」とされています。
「依代」として常緑樹の枝を立て、「その年、一年分の生命力=一年分の魂」を「地の母」から与えてもらうという意味で、丸餅を食べたりする。煎餅でもいいかもね(笑)
もちろん、祝福芸もあります。まあ、「能」に近い芸能でも披露されると思ってくださいな。

(3〜2)節分
立春の前日の行事です。大晦日に四つ目の仮面をつけた方相氏(ほうそうし=四つの目を持っていたとされる仙人)が、鬼を祓う、中国の「追儺(ついな)」が、日本の朝廷に取り入れられたのが起源です。
神の来訪と結びついて、新春の行事になりました。

ヤツノモリ(仮名)でも、「追儺(ついな)」は、春を迎える「祭祀」です。
「天災をもたら悪なるマナ」を祓うため、「善神」の面をつけた坊さんが、「悪神」の面をつけた坊さんを、常緑樹の枝からつくった棍で打ち払います。「悪神」のほうもまた、棍を持ってこれと戦います。
まあ、これも「芸能」として形骸化されているので、「勝負」というより「舞踊」に近いです。

(3〜3)雛祭
内裏雛を飾るのは近世風(江戸時代頃から)で、流し雛(神送り)がより古い起源です。三月三日は、五月五日と同様、中国の祭日(奇数=ありがたい日)で、それが日本に取り入れられ、磯遊び(娯楽化して潮干狩りになった)と結びつきました。

ヤツノモリ(仮名)では、「禊(みそぎ)」の日とされ、教区の人々は河原に出て食事をし、また坊さんたちは沐浴して、心身の穢れを祓います。とても寒いそうです(笑)

(3〜4)端午
本来は中国の祭日で、端午という名称は、五月最初の午(うま)の日におこなわれたことに由来します。「ちまき」をつくるのは、中国の習慣が取り入れられたものです。民間では、農耕祭祀と結びつきました。
「女の家(柳田が調査した当時の中部日本)」と呼ぶ地域があり、家にこもった女達のところへ、男達が田の神に扮して訪れる日だったと推測されます。
この午の日。なぜ「子供の日」かというと、家にこもった女(巫女役)のところへ、男(神役)が訪れ、そこで交接すると、神の子が産まれるとされます。小さな男の子は「神役」になれず、「神役」になれるのは性的に成熟した男性、つまり「成人式」の意味があると推測されています。

とてもストイックなヤツノモリ(仮名)では、交接さえも「祭祀」としてとらえられています。
つまり、全員が「神の子」なわけで、考えてみれば、すごい話だ。
家族制度としては、源氏物語に代表される「通い婚」に近いので、「子供」には「母親」しかありません。
しかし、農耕と狩猟を主たる生計手段としているので、「母親」を扶養する男手はあります。

(3〜5)七夕
年に一度、牽牛と織姫が出会うという中国の星祭りに、水辺で機織りする巫女(もともと、機織りは巫女の重要な役目の一つ。神の着物を織る巫女=アマテラス=伝説化して夕鶴)が神を迎えるという、「たなばたつめ」の信仰が結びついたものです。盆と一連の行事になっている地域も多いです。

ヤツノモリ(仮名)では、「織(しょく)」の日とされ、男女問わず、僧職にある者は、「着物」をつくります。まあ、現実的に考えて、機織りから裁断、縫合まで、一日で行うのは無理があるので、前々から準備された「着物」を仕上げる日、とでもいうところ。
僧職に入る訓練を受けている子供たちは、手遊び(てすさび)に、紐を組んだり、刺繍をしたり。
けっこう楽しいそうです。

(3〜6)盆
「盂蘭盆教(うらぼんきょう)」の教えに基づくとされていますが、この経がインドで成立したものか、疑問を抱く学者が多いです。
日本では、霊がこの世に帰ってくる日。祖先の霊をまつる精霊棚だけでなく、無縁仏をまつる施餓鬼棚(せがきだな)をつくる地域もあります。
盆の贈り物を、中国の暦で7月15日を意味する「中元」と呼びます。あ、でも、中国からいただいたのは「中元」の名前だけで、贈り物をするのは、日本独自の習慣です。
「盆踊り」は、施餓鬼棚と同じく、行場のない死霊(あるいは神)に扮装して踊り、霊(神)を慰めます。

ヤツノモリ(仮名)では、彼の世に産まれた人が、一時的に、此の世に帰って来る日とされています。
本当に帰って来るのか、それは知らないミステリー(ああ、だんだんいい加減に・・・)
各戸に「彼の世の人」を迎える空間(織物で仕切った一間)が用意され、
坊さんたちは踊るしかない。坊さんでない人たちも、踊るのかな・・・やはり(苦笑)
ちなみに、ダグには歌の才能も踊りの才能もない(笑)

・・・と、きりがないのでここまでに。
だいたい、これで感じがつかめるでしょうかね?


参考文献※『常陸国風土記』行方郡
【箭括麻多智(やはづのまたち)が谷の葦原を開墾した際に、蛇の姿の神「夜刀神(やつのかみ)」が群れをなして現れて妨害、麻多智は「甲鎧」を身に付け「杖」で打ち殺して山のふもとまで追い払い、神をまつることを告げて許しを乞い、それ以後子孫はまつりつづける。
麻多智の言葉:「此より以上(かみ)は神の地と為すこと聴(ゆる)さむ。此より以下(しも)は人の田と作(な)すべし。今より以後、吾、神の祝(はふり)と為りて、永代(とこしへ)に敬い祭らむ。翼(ねが)はくば、祟ることなく恨むことなかれ】

現在の感覚だと、麻多智の行為は矛盾している(殺して追い出した神を、彼以後子孫もまつる)ように思われますが、武器には呪術性があり、それを身につけて追い払ったのは、「神を認めている」ためと解釈すべきです。



(4)「祭」の世界観と、ヤツノモリ(仮名)の地域的特色

キリスト教では、教会を都市の中心として、都市が発達します。つまり、人の居住域に神があります。
逆に、来訪神信仰では、居住域(里)は人間が秩序を保つ空間とし、神は山奥(oku)や海の沖(oki)にあります。

しかしながら、「奥=自然」をただ追いやるのみでなく、「里」のなかに「奥の空間=聖なる自然」をつくります。
平城京・平安京は、中国の都城をモデルにしてつくられたにもかかわらず、城壁がありませんでした。
これは、外敵の存在の有無の問題だけでなく、「自然VS文明」という図式が欠如しているからです。
邸宅は垣根で囲われているが、それは自然と文明を隔絶するためのものでなく、そのなかに「庭=聖なる自然」が設けられます。
ちなみに、平安時代では、垣に囲われた内部が「穢れ」の単位でした。


ヤツノモリ(仮名)においても、
「奥」の領域は「彼の世」と考えられています。
「彼の世」とは「死」であり「穢れ」です。また、同時に「聖なるもの」なのです。
ひらたくいえば、「聖なるもの」であれ「穢れ」であれ(同じものなのですが)、マナがなくては困ります・・・ということかな。


参考文献※ちくま学芸文庫/オギュスタン・ベルク『風土の日本』86〜7頁より
まつりの世界観
【聖なるものの源泉、神々の起源の場は非居住空間にある(略)。聖性は源泉からの距離に応じて、すなわち野生の空間の「奥」へと入り込む度合いに比例して高まっていく。相関的に、文化性と反比例して、ということになるだろう。(略)このように「奥」という観念は、聖なるものを自然へと指向させる一種の分極化作用を表している。(略)これに対応する別な分極化作用があり、この場合は海が多数の神々の起源の場とされる。二つの作用の対応関係は、言葉のなかに、「奥」=「沖」という対話で直接に表現されている。二つの語は、同じ語源に由来するのである。】

参考文献※鹿島出版会/槙文彦ほか『見えかくれする都市』216〜8頁より
欧州と日本の都市比較
【欧州の古い都市(略)を訪れたものは誰もがすぐに気づくことであるが、そのほぼ真中の部分に(もちろん例外はあることだが)教会、市役所等が最も重要な、しかもヴォリウムのある濃密な建物群を形成している。(略)教会は往々にして高い塔を戴き、街のどこからも容易にその存在を知ることが出来る。(略)我々の祖先は山の頂に「絶対」性を求めなかった。深山は距離を置いて見るものであったし、身近な山にも先に述べた山と里という関係において座を与えている。(略)山の頂にではなく山の奥に原点をみる思想の相違がはっきりとあらわれている。】


(5)「里」のなかの「聖なるもの=穢れ=自然」あるいは「神の表象」

仏教思想の影響や国家神道化によって、日本の「神のありかた」は大きく変化しました。
しかし、「依代(よりしろ)」「御神体」「化身」「神の使い」など、説明づけは様々ですが、
崇拝の対象とされるのは、
動物→蛇、狐、猿、鳥、ect.
植物→松、杉、竹、梅、・・・とくに常緑樹、ect.
無機物→石、ect.
自然現象→滝、雷、地震、ect.
人工物→鏡、刀、鎧、ect. ・・・など。

同じものでも、「神」として祀られるケースとそうでないケースがあり、
「神」とされる基準は、
その「行為・機能」が、人間にとって、「予測・制御」できるかどうかで決定されます。
すなわち、「予測・制御が困難であるもの」が日本の神でして、
もっと簡単に言えば、「神とはすごいもの」なんですね。

そうした表象から発生した日本の芸術をイメージして、
以下、ヤツノモリ(仮名)の「神の表象」と「芸道(お笑いではありませんよ、念のため)」の一部を御紹介しましょう。


(5〜1)生花(いけばな、です。なまばな、と読んだ人、手を挙げてください)
基盤としては、神の依代(彼の世からやってくる神が一時的にそこに宿る)としての花木。
15世紀頃、仏への供花(くげ)を、京都頂法寺の僧坊(坊さんの宿舎)池坊(いけのぼう)の僧、専慶(せんけい)らが、「立花(りっか)」として大成しました。

ヤツノモリ(仮名)では、四季折々の花木を、粘土を高温で焼き、釉薬(うわぐすり)を塗ってさらに焼いた陶器に生けて楽しみます。正月や時節の変化にあっては、「神をお迎えするもの」という深い意味を込めます。枯れた花木は、丁寧に葬られます。

(5〜2)茶道
基盤としては、神まつりにおける「神人共食(しんじんきょうしょく)」、
つまり、神にたいして酒や御馳走をふるまい、自らも共に飲み食いすることです。
禅宗寺院における喫茶(禅といっしょに中国から渡来)の習慣を、15〜16世紀に、村田珠光(むらたじゅきょう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休(せんのりきゅう)らが大成しました。

ヤツノモリ(仮名)では、祭祀の際には必ず、神人共食いたします。
おもに、東方産ワイン(日本酒^^;)や緑茶、紅茶が好まれますが、
なぜか、ダグは珈琲党です。
きっと、背後のせいでしょう(笑)
煙草の葉(輸入品)を刻んで喫煙する習慣も、「神経を麻痺させるもの」、
つまり、より深く神と一体となるための手段として、用いられたりします。
ようするに、ジャンキーです(^^;:

(5〜3)能
基盤としては、仮面をつけた来訪神のまつり(前述)です。
有力寺社で演じられる宗教劇の座から、14世紀末に、観阿弥・世阿弥父子が京都に進出し、大成しました。

ヤツノモリ(仮名)では、やはり前述のように、
祭祀において「舞踏」は欠かせません。
ことに、正月や時節の変化にあたっての「舞踏」には、深い意味が込められています。

(5〜4)作庭(さくてい)
基盤としては「神まつり」としての場です。
つまり、彼の世からやってくる来訪神をお迎えするための場所です。
飛鳥・奈良時代の神仙境(しんせんきょう)を模した庭園、平安時代の浄土庭園をへて、室町時代に枯山水(かれざんすい)の様式が完成しました。

ヤツノモリ(仮名)では、
「神を迎える場所」斉庭(ゆにわ)をつくり、
「神がそこに降りて来る標の石」磐座(いわくら)を置きます。
ダグは、かつて、その磐座に落書きして、怒られたことがあるそうです(笑)


参考文献※NHKブックス/森薀『「作庭記」の世界』71〜7頁より(表記を改変しました)
日本の庭園を特徴づけるものとしての庭石
【石をたつるには、多くの禁忌あり。ひとつもこれを犯しつれば、あるじ常に病ありてつゐに命を失ひ、所の荒廃して必鬼神(かならずきしん)のすみかなるべし】
【高さ四尺五尺になりぬる石を丑寅方(うしとらのほう=東北)に立べからず。或いは霊石となり、或魔縁入来のたよりとなるゆへに、その所に人の住すること久しからず】
【古き所にのづから祟りをなす石なんどあれば、其石(そのいし)を剋する色の石(こくするいろのいし=おさえこむような反対色の石)をたてまじへつれば、祟りをなす事なしといへり】

分かりやすく言うと、
「庭の作り手」の意識が、この作庭記に書かれています。
バランスを崩すと祟られるので、気をつけて配置しているのです。

現実の自然(風景)は、どこも「理想的な霊的状態」であるわけではないので、
不満を持っている石を満足させてやれば、また自然(神)も満足します。
石が人間に望んでいるように、人間が手を加えてやることで、
よりよい美しい自然の状態(石の満足する状態)ができあがります。

造園は、自然の背後にある霊的な力を人にとって望ましい方向に発揮させることとして、意識されています。
その美しさは、自然に由来しますが、
「人為によって、自然そのままよりも良い状態を実現できる」と考えられ、
この「より良い自然をつくる」という自負が、芸道への原動力なのです。

あとむも、「より良いお笑い」にはげんでください(笑)


(6)心と身体(「ミ」と「カラ」)あるいは、食べるということ

人間の身体は、その読みかたで分かるように、「ミ」と「カラ」でできでいます。
「ミ」とは、此の世に生きている人間、
つまり「ぎっしり中身がつまった」自然の霊的なパワーそのものです。
「カラ」とは、彼の世の人間、
つまりは、死体です。

また、「ミ」と「カラ」を人間が食べるものとして見ると、
人間が食べられるところが、「ミ」
食べられないで捨てるところが、「カラ」

「食べる」という行動によって、
「食べられるミ=穀物、野菜、肉」は人間の「ミ=生きている身体」と同化します。
自然のパワーを自分のなかに、とりこんでいるわけです。

食べるということ、すなわち、自然の霊力をとりこむことです。

たとえば、白米の俗称の「シャリ」は「舎利=釈迦の遺骨」に由来しますし、
山菜を食べることは栄養的に無意味、
むしろ毒性(アルカロイド)が強く、あくぬきしなければ食べられないものを、あえて食べる。

あ、でも、現代人としての立場で言わせていただくと、ミネラルなんかを含む「山菜」、栄養学的にまったく無意味とは思えませんが(^^;


ダグは基本的になんでも食べますし、罪悪感も嫌悪もなく、自分で肉をさばいて食べます。
ただ、背後の事情か、甘いものだけは苦手(笑)

レイには、
「他人のさばいた肉が食えて、なぜ己でさばけんのか???」
と、かなりしつこく問答したそうです。

こないだ、デットは「ゴブリン」のパワーを、己にとりこんだようですね。
すばらしいです〜

また、最近のダグは、
Dがなぜ、野菜や穀物を平気で食べるのに、肉は食べないのか、真剣に不思議がっています。


参照※宮沢賢治(法華経の信者)
食べるという行為への罪悪感
【つつましく、午食(ごしょく)の鰤(ぶり)をよそへるは たしかに蛇の青き皮なり】(歌稿B)

この歌は、
「平然と食卓に出ているのは、生物の死体なんだ、というショックを受けた」
という意味です。

宮沢賢治は、自分が生きることは、他の生命を犠牲にする、という認識をもっていました。
実家が東北の質屋で、凶作などで農民の生活が苦しくなると自分の家はもうかる、
そんな幼少期のジレンマからはじまったようです。

童話、「注文の多い料理店」では、
料理店で食べるつもりが、自分が食べられる立場に・・・
「なめこと山の熊」では、生活のためにしかたなく熊を殺していたが、自分が熊に殺される・・・
「ビジテリアン大祭」では、なにを食べることが許されるかというベジタリアン(菜食主義者)の議論です。

参考文献※東京大学出版会/益田勝実『「古代人の心情」講座日本思想1 自然』23頁より
魂(ミ)と殻(カラ)
【人間は、タマとそれを宿すカラとから出来ていて、タマがカラに宿っているあいだは、生命の通っているカラ全体をミ(身)という。それに対して、人間の食物となるもの、たとえば、貝の蛤を例にとると、あれは、カラの中にミが入っているのであって、貝殻をふくめての全体をミとはいわない。(略)魚は、体の全体をミとはいわない。骨などを含めないで、食べられる部分がミである。(略)稲や粟の場合、カラは茎をいい、ミは穀粒をいう。
だから、「食べたものは身になる」という考えは、人間が自分の身体と食物の同質性を認識していることの証拠にちがいないが、ひっくりかえして、「身になる」ものを食べているともいえよう。日本人は、古来、自分のミになるような食べ物をミと呼んだ、自己自身のミと、外在するミとを、どちらもミといったのだ、と考えるのが適切なとらえ方だろう】


(7)男と女のサシスセソ、あるいは「物語の起源」、すなわち「男女であること」

「サ」さわやかに、
「シ」しつこくならない程度に、
「ス」すがすがしい印象で、
「セ」せっかちならず、
「ソ」そうすれば、たいていは上手く行きます・・・というのは冗談で、

「竹取物語」など、日本の有名な物語は、もともとは歌の詞書(ことばがき=説明書)が発展したものです。
古代では、神と人とが本当に出会うこと、これこそが「恋愛」であると認識されていました。

竹取に見えるように、物語には「お約束」がありました。

ここで、この物語(竹取)を分解すると、
縦の時間軸(物語世界と現実世界の関係)として、
★冒頭 「いまは昔」つまり、現在ではありえないことかもしれないけれど、
★結末 「不死の薬」を帝が富士山頂で焼かせたことをうけて、「その煙、いまだ雲のなかへたち上るとぞ、言ひ伝える」つまり、現在の話にもどり、
現実の世界では建前になっているけれど、理想的な女性(物語によっては男性)が、過去には存在した

横の時間軸(子供でなく、出家してもおらず、「女」である期間)として、
★冒頭 かぐや姫の発見から成人する期間が、わずか3ヶ月(成人するまでの期間を省略)
★結末 「成人=恋愛できる期間」が過ぎると、すぐに昇天

この縦と横の軸を組みあわせることが「お約束」、
本物の恋愛の対象を、人間ではない存在(神)に求めることです。


ヤツノモリ(しつこいようだが仮名)における、「成人」であることは、
前記を踏まえております。

第1段階「子供」 髮も服装も男女同じ

第2段階「成人」 服装も名前も変わり、別人になる=「男」「女」の区別がされる

第3段階「出家」 断髪し、「男」「女」の服装をやめる

だから、坊さんであることは、特殊な例を除いて、
「男」「女」であることをやめる、
つまり、「人間やめた(笑)」ということになります〜


参考文献※旺文社文庫/『万葉集(下)』165頁より
竹取翁(たけとりのおきな)の歌の詞書
【昔、老翁(おきな)あり、号(な)を竹取の翁といひき。此の翁、季春(はる)の月に、丘に登り遠く望むに、忽(たちまち)に羮(あつもの)を煮る九箇(ここのたり)の女子に値ひき。百嬌儔無く、花容止無し。時に娘子等老翁呼び嗤ひて曰はく、叔父来たりて此の燭の火を吹け、といふ。ここに翁唯唯(おお)と曰ひて、漸(やや)く趨き徐く行きて、座の上に着接る。やや久にして娘子等皆共に朕を含み、相推譲りて曰はく、阿誰か此の翁を呼べる、といふ。すなはち竹取の翁謝りて曰はく、慮(おも)はざるに、偶(たまたま)神仙に逢へり、迷惑へる心、敢へて禁ふる所なし。近づき狎れし罪は、希はくは贖ふに歌を以てせむ、といふ。即ち作る歌1首<短歌を并(あわ)せたり>】

翁は昔はいかにセンスがよく、女性にもてたかを歌い、
娘達は、「はしきやし翁の歌におほほしき九(ここ)の子らや感(かま)けてをらむ=おじいさんの歌を聞いて感動しましたわ」
「恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬ先にわれは寄りなむ=恥ずかしいから口には出さないけれど、私はおじいさんと性的関係を持ちたい」
以下、我も我もと「われも寄りなむ」という歌を返しています。

参照※五柳書院/三浦佑之『浦島太郎の文学史』
神仙思想の影響下につくられた漢文体の物語、つまり男性向の読本「浦島子(うらのしまこ)伝」が存在します。

もともとは、釣りあげた亀(亀姫)が美女に変身。竜宮で夫婦になります。
現存の「続浦島子伝記」には性交体位の描写が描かれています。
のちに、女性や子供向に書き直されたのが、現在の「浦島太郎」です。

竹取も、「万葉集」の竹取翁の歌と「竹取物語」を結びあわせるものとして、
(実在したのかどうかは別で)漢文体の物語があったのでは、とされています。



なお、この文書の(MRPG関係を除く)記述は、吉村均教授の講義を参考にしております。
erika as DAGU/1999.05.19.第二稿(誤字脱字訂正)