
夜の街の賑わいが大分落ち着いた頃、応接室のソファーの上では、昼間の疲れの所為で泥の様に寝ているマサキの姿があった。その傍らには、精霊も一緒に寄り添う様に寝ていた。ルリは、すっかりマサキを気に入った様子で片時も離れようとしない。そんな二人の寝顔は安らかに見えた。
一方、隣の部屋では柳泉と涼子がマサキについて話をしていた。「どうするつもりですの?」
「そうだな・・・・何日か分の俺の仕事をキャンセルしてくれ。ボウヤにしばらく付き合ってみようと思うんだ。」
「そう言うと思いましたわ。キャンセルはいいとして、出先の人達を呼び戻しますか?」
「呼ばないでいいよ。アイツラには俺の分まで稼いで貰わないといけないし、呼べばお祭り騒ぎになるしな。」
そう言うと柳泉は、意味ありげな笑みを浮かべた。
突然、二人の会話を遮るかのように電話のベルが鳴り響いた。柳泉は、受話器を取ると
「はい、柳泉 神武プライベート・ガードです・・・なんだ、久しぶりだな。」柳泉は懐かしそうな表情を浮かべたが、電話の相手の話を聞くにつれ次第に冷静な顔ツキになった。
「ウチに『オサナン マサキ』なんてヤツなんかいないぜ。例え、いたとしても警察のオマエに教える訳ないだろう」
オサナンという名前に覚えが無いが、間違いなくマサキの 事を言っていると解った。柳泉はとぼける事に決めた。
電話の声の主は、少し強い口調で
『じゃあ、ソコにいるのね。』
どうやら声の主は、女性の様だった。
「だとしたら、どうだと言うんだ。」
『どうもしないわ。彼は貴方に任せるわ。』
意外な答えに少し驚いたが、柳泉は相手の出方を試すかの様に
「じゃあ、何の用だ。」
『ただ確認と忠告をしようと思って・・・・』
柳泉は、黙って女性の話を聞いていた。一瞬、少し驚いた様子をみせたが、いつもの表情に戻り
「忠告、有難うな。そのうち食事でもしようや。」
そう言うと電話を切った。
柳泉は涼子の方を向き
「涼子さん、あのボウヤの正体が解ったよ」「で、なんですの?」
柳泉は深刻な顔をし、重々しく喋り出した。
「ボウヤの父親は、俺達が言う『人類の敵』と呼んでいる男だそうだ。」
まるで、部屋の時間が止まったように二人は顔を見合わせ言葉を失った。
中央道を名古屋方面に向かう一台の車が走っている。
車種は、紺色のニッサン『レパード』で、だいぶ型式の古い物だった。その後部座席には、【警視庁の魔女】が乗ってる。運転をしているのは、運命(辞令)に身を弄ばれている哀れな【魔女の手下】であった。
彼女は携帯電話で通話していたが、通話を終えたらしく携帯をハンドバックに仕舞った。
彼は先程の通話が気になるらしく、バックミラーで彼女の表情を読み取ろうとしたが、その顔は夜の闇に隠されて読み取る事が出来なかった。
彼は自分が何処に向かっているのかを知らずに運転をしていたが、『釈迦堂』を過ぎたところで行き先を尋ねた。「何処に行くんですか? そろそろガスも無くなりますよ。」
「貴方は黙って運転してればいいの。ガソリンが無かったらスタンドを捜しなさいよ。」
「ここ、高速ですよ。サーピスエリアまでありませんよ。」
「どうにかしなさいよ!この役立たず!!」
どうにもこうにも困り果ている彼に、しばし無言だった彼女は、優しく こう囁いた。「トイレは、何処?」
レパードが危うくガードレールに激突しそうになったが、悪運の強い運転手のお陰で大事には至らなかった。
「今、通り過ぎましたよ!」「うるさいわね!どうにかしなさいよ!」
二人の声が車中に響いた。
彼は、ガソリンが無いのでサービスエリアの『双葉』で給油しようと思っていたが、ここからは距離が遠い。近くで手洗いできる場所はパーキングエリアの『釈迦堂』を通り過ぎたので、次の『境川』しかない。彼はいいかげん頭に来ていたが、逆らう事が出来ないので取り敢えず『境川』に止まらない『嫌がらせ』をしようと決めた直後、彼女は運転席の方に身を乗り出して彼の耳元で、また囁いた。
「行き先は、これから起きる事件の真相に近づく為の場所よ。
もしかしたら・・・地獄が覗けるかもしれないわよ。」
その喋りと表情は妙に妖しく悩ましい感じだが、聞く者に恐怖を抱かせるには充分な喋り方だった。彼は背筋に冷たい汗を掻いた。自分の上司をこれ程、恐いと感じた事は今まで無かった。
もう二度と逆らおうなどとは思わない事に決めた。
レパードは、左にウィンカーを出しパーキングエリアに静かに消えて行った。
マサキは、夢を見ていた。
辺り一面の花畑に女性と女の子が花を摘んでいる。柔らかな日差しの中、女の子は摘んだ花を女性に渡し、女性は器用に首飾りを作っている。その光景をマサキは見ていた。やがて、女の子はマサキに気付き嬉しそうに手を振り
「おにいちゃ〜ん」と大きな声でマサキを呼んだ。女性も気が付き彼に優しく微笑んだ。マサキは二人に歩み寄りながら考えていた。
『オレは、この二人を命に代えても守りたい。』
『だが、オマエは守れなかった。』
背後から、男の声が聞こえた。マサキが振り返ると、闇の中に白衣を着た中年男性が立っていた。男の顔は暗くて解らなかったが、眼鏡だけは見る事が出来た。マサキは、その男に気を取られている自分に気付き、彼女達の方に慌てて目を向けた。
花畑は消え去り、代りに無気質なロンジュウムの冷たい床に女の子が、うつぶせに倒れていた。しかも、無気質な床には夥しい血が広がっていた。
その後ろには、円筒の水槽があった。並々と液体が満たされた、その水槽には先程の女性が裸の姿で目をつぶったまま動かなかった。それは、まるでホルマリン漬けの標本の様にも見えた。
「母さん、美雪・・・ オレを許してくれ・・・」マサキは、激しい哀しみの感情に捕らわれ、その場に膝を落としヘタリ込んだ。自分では、どうする事も出来ない感情の波に押し流されそうになるのを止める事が出来なかった。
「何も出来なかった・・・ 何も・・・」
只ひたすら自責の念に苦しむ姿に男は
『そうだ、オマエは何も出来なかった・・・
いや、何もしなかった。』
その言葉を聞くとマサキの周囲に風の渦が巻起こり出した。渦はやがて、まばゆい光を放ちながら、マサキの姿を覆い隠す様に風は勢いを増した。「うるせぇよ! 黙れよ、クソ野郎!」
その言葉と共に風は止みマサキが現れたが、明らかに顔ツキは変貌を遂げていた。目は凶悪なまでにも吊り上がり、瞳は極端に黒目の部分が少なくなっていた。口元には【牙】が覗いており、髪の毛に至っては逆立ち銀色に輝いていた。
その姿は、まさに【邪悪】そのモノで、普段の彼とは思えない程の変わり様だ。否、別人と言っても差し支えない、そんな姿だった。
マサキは男を指差し、【邪悪】な形相を更に歪めながら「オマエだ!オマエがやったんだ!」
ありったけの憎悪を剥き出しにした言葉を放った。
マサキは息を整えると静かに喋りだした。「コロしてやる・・・・・・・・・・・・・
殺してやるよ・・・親父・・・」彼の最後に見せた表情は、見る者を凍り付かせる、そんな笑みだった。
ここで、マサキは夢から覚めた。
悪夢から解き放され、現実を認識して安心した様子で辺りを見回す。今、自分の見た夢は過去に見た物か、それとも単なる夢かをボンヤリ考えていた。例え、過去に経験した事だとしても、今の自分に確認するスベは無い。
だが、アレは本当に自分なのか?そんな事を考えていると、フツと自分の頬が濡れているのに気が付いた。
「オレ、泣いているのか?」
そう言うと、あの母親達の事を想い出して無性に悲哀に満ちた感情が込み上がっていった。
彼は、膝を抱え声を殺して泣いている。
それを心配そうに覗き込む精霊が、羽をばたつかせて心元なく飛んでいた。