《改訂履歴》
99/10/08初版
▼東北・北陸の諸将
奥村永福 おくむら・ながとみ (1542〜1624)
【誕生年】1542年【実父】―【寿命】10【主義】重視【相性】15【義理】95【最大義理】100
【政71戦58采70知69 足B騎B鉄C水E 農外建登】【陣形○××××○○(鶴鋒方)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
前田家臣。助右衛門。利家が兄利久に代わり家督を継いだ時、利久の自筆状を見るまで開城を許さなかった。1584年、末森城に籠城し、佐々成政を撃退。
大谷吉胤 おおたに・よしたね (????〜1615)
【誕生年】1580年【実父】大谷吉継【寿命】1【主義】軽視【相性】20【義理】70【最大義理】100
【政40戦60采58知62 足C騎C鉄B水D 農建】【陣形○××○○×××(鶴偃衡)】
【口調】無口【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
吉継の長男。豊臣秀吉に近侍。秀吉遺品の「鏡切り」の刀を受領した。関ケ原で敗北、各地を流浪したが、秀頼の招きで大坂入城、夏の陣での天王寺口で討死。
<註>通称・大学。義治とも。生年は1580年に設定。
湯浅五助 ゆあさ・ごすけ (????〜1600)
【誕生年】1550年【実父】―【寿命】4【主義】無視【相性】20【義理】100【最大義理】100
【政64戦49采58知60 足C騎D鉄D水D 商外】【陣形××××○××○(衡方)】
【口調】礼儀正【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
大谷吉継侍臣。常に吉継に側近く侍し、補佐した。関ケ原でも最後まで付き従い、吉継自害の介添えをしたのち、自らも藤堂高虎隊に突入、討死を遂げる。
<註>生年は1550年に設定。
赤座直保 あかざ・なおやす (????〜1606)
【誕生年】1555年【実父】―【寿命】4【主義】絶対【相性】70【義理】9【最大義理】65
【政43戦36采32知61 足D騎D鉄D水E 商】【陣形×××××○××(長)】
【口調】普通【思考形態】強保守【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉家臣。関ケ原で大谷吉継の与力として西軍に属したが、寝返り、西軍敗北の一因となった。戦後、所領没収。前田利長に仕えたが、増水した川で溺死。
<註>吉家とも。生年は1555年に設定。
織田秀雄 おだ・ひでお (1583〜1610)
【誕生年】1583年【実父】織田信雄【寿命】1【主義】絶対【相性】99【義理】80【最大義理】90
【政40戦43采38知30 足D騎D鉄D水E 商三】【陣形×××××○×○(長方)】
【口調】普通【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
信雄の子。豊臣秀吉に仕え、越前大野城主。関ケ原の際、はじめ前田利長に与し大聖寺攻城に参加したが、父とともに西軍に属し、戦後失領。のち浅草に閑居。
山口宗永 やまぐち・むねなが (1545〜1600)
【誕生年】1545年【実父】―【寿命】5【主義】軽視【相性】60【義理】75【最大義理】100
【政62戦38采42知59 足D騎D鉄E水E 農商建】【陣形×○○×××××(魚雁)】
【口調】饒舌【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣家臣。地方行政に手腕を発揮した。小早川秀秋を輔佐したが不和となり、帰参して大聖寺城主。関ケ原では西軍として籠城の末、子・修広とともに戦死。
<註>生年を1550年に設定していましたが、「足軽まつ」さんより、1545年を生年とする情報をいただきました(『日本人名大事典』(平凡社)による)。これにより寿命も5と変更しました。(99/10/25)
青木一矩 あおき・かずのり (????〜1600)
【誕生年】1550年【実父】―【寿命】4【主義】絶対【相性】13【義理】85【最大義理】100
【政40戦33采36知50 足D騎E鉄D水E 登外】【陣形××○××××○(偃方)】
【口調】普通【思考形態】強保守【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣家臣。北ノ庄城主。関ケ原では西軍に属したが病のため出陣できず、戦後まもなく死去した。子・俊矩は改易されたが、子孫は町人となり醸造業を営んだ。
<註>生年は1550年に設定。
江口正吉 えぐち・まさよし (????〜????)
【誕生年】1565年【実父】―【寿命】4【主義】軽視【相性】97【義理】77【最大義理】100
【政66戦47采58知72 足C騎C鉄C水E 建登】【陣形○○××××××(鶴魚)】
【口調】普通【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
丹羽長重家臣。豊臣秀吉から1万石を与えられる。関ケ原では東軍・前田利長軍を加賀浅井畷で伏兵し撃破。主家没落後、結城秀康に仕え、1万石を給された。
<註>生年は1565年に設定。
上田重安 うえだ・しげやす (1563〜1650)
【誕生年】1563年【実父】―【寿命】11【主義】無視【相性】99【義理】50【最大義理】90
【政60戦68采70知69 足B騎B鉄B水D 農建外茶人】【陣形○○×××××○(鶴魚方)】
【口調】威厳【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
号・宗箇。丹羽長秀父子に仕え、千利休に茶の湯を学ぶ。のち秀吉近習。関ケ原で失領したが紀州浅野家に招かれ、大坂の陣で塙団右衛門を破る。造園の名手。
▼関東の諸将
武田信吉 たけだ・のぶよし (1583〜1603)
【誕生年】1583年【実父】徳川家康【寿命】1【主義】絶対【相性】80【義理】75【最大義理】75
【政50戦38采46知51 足C騎D鉄D水E 登焙】【陣形×○××××××(魚)】
【口調】饒舌【思考形態】強保守【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】不信
徳川家康の五男。穴山梅雪の子の没後を継ぎ、武田氏を称した。下総佐倉城主。関ケ原では江戸城留守居役。のち水戸に移封されたが、翌年若くして病死した。
安藤直次 あんどう・なおつぐ (1555〜1635)
【誕生年】1555年【実父】―【寿命】10【主義】絶対【相性】89【義理】100【最大義理】100
【政18戦72采54知68 足A騎C鉄B水E 農建】【陣形○×××××○○(鶴鋒方)】
【口調】無口【思考形態】強保守【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】不信
通称・帯刀。幼少より家康に近侍、腹心の一人として幕政に参画する。長久手合戦では池田恒興・元助父子を討ち取る殊勲をあげた。のち徳川頼宣を輔佐した。
真田信尹 さなだ・のぶただ (1547〜1632)
【誕生年】1547年【実父】真田幸隆【寿命】11【主義】重視【相性】10【義理】50【最大義理】100
【政70戦54采52知78 足C騎B鉄C水E 登外騎突】【陣形○××○×××○(鶴偃方)】
【口調】生意気【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
幸隆の四男。加津野信昌を名乗り武田勝頼に仕えたが、武田滅亡後、真田姓に戻る。隠岐守。北条氏を経て徳川家康に仕え、使番を勤めた。
大田原晴清 おおたわら・はるきよ (1567〜1631)
【誕生年】1567年【実父】―【寿命】7【主義】重視【相性】48【義理】70【最大義理】100
【政50戦53采50知55 足B騎C鉄D水E 建登】【陣形×××××○×○(長方)】
【口調】粗暴【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】不信
那須七党の一つ。大田原城主。豊臣秀吉に本領を安堵される。この時、主家・那須氏が改易され、主従の立場が逆転する。関ケ原では東軍に属した。
亀田高綱 かめだ・たかつな (1558〜1633)
【誕生年】1558年【実父】―【寿命】9【主義】軽視【相性】80【義理】55【最大義理】100
【政25戦66采70知49 足A騎B鉄C水E 農建】【陣形○○××××○×(鶴魚鋒)】
【口調】粗暴【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
通称・大隅。溝口半兵衛の子。賤ヶ岳合戦で柴田勝家につき奮戦。のち改姓。紀州浅野家に仕え多くの戦功があったが、上田宗箇と論功で争い、辞して閑居。
▼東海・中部の諸将
堀尾忠氏 ほりお・ただうじ (1578〜1604)
【誕生年】1578年【実父】堀尾吉晴【寿命】1【主義】軽視【相性】98【義理】95【最大義理】100
【政66戦47采58知72 足C騎C鉄C水E 建登】【陣形○○××××××(鶴魚)】
【口調】饒舌【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
吉晴の二男。知謀の冴えは父吉晴をしのぐという。小山評定に先立つ山内一豊への助言が一豊の立身を大きく助けた。関ケ原では徳川秀忠に従う。27歳で夭折。
池田長吉 いけだ・ながよし (1570〜1614)
【誕生年】1570年【実父】池田恒興【寿命】3【主義】重視【相性】96【義理】70【最大義理】80
【政51戦63采57知52 足B騎C鉄C水D 農建】【陣形××××××○○(鋒方)】
【口調】饒舌【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
恒興の三男。輝政の弟。羽柴姓を許され諸戦を歴戦した。方広寺大仏造営奉行。関ケ原で東軍に属し、岐阜城・水口城を攻略。のち江戸城などの普請にあたる。
水野勝成 みずの・かつなり (1564〜1651)
【誕生年】1564年【実父】―【寿命】11【主義】軽視【相性】84【義理】89【最大義理】100
【政57戦75采61知59 足A騎C鉄D水E 商建焙】【陣形○○××××○×(鶴魚鋒)】
【口調】生意気【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】不信
忠重の子。家康の従兄弟にあたる。諸戦に参じるが父との不和で出奔、父の死後、刈谷城主。大坂夏の陣で大和口先鋒に抜擢され、後藤又兵衛を破る。
矢沢頼康 やざわ・よりやす (1553〜16??)
【誕生年】1553年【実父】―【寿命】7【主義】無視【相性】19【義理】95【最大義理】100
【政60戦75采61知59 足A騎B鉄D水E 農建】【陣形○○×××○××(鶴魚長)】
【口調】饒舌【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
頼綱の長子。真田昌幸の従弟にあたる。但馬守。神川合戦で奮迅のはたらきをみせた。頼綱死後、真田家宿老にあり、大坂の陣では真田信吉・信政を後見した。
鈴木忠重 すずき・ただしげ (1574〜1658)
【誕生年】1574年【実父】鈴木重則【寿命】11【主義】無視【相性】18【義理】100【最大義理】100
【政66戦64采69知67 足B騎C鉄C水E 登外】【陣形×○××○×○×(魚衡鋒)】
【口調】礼儀正【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
重則の子。名胡桃城代だった父の憤死後、真田昌幸の庇護を受けた。出奔し、柳生五郎右衛門に師事、柳生新陰流を学ぶ。帰参後、信之の重臣として活躍した。
日根野吉明 ひねの・よしあき (1587〜1656)
【誕生年】1574年【実父】―【寿命】8【主義】絶対【相性】55【義理】58【最大義理】70
【政28戦61采35知43 足C騎C鉄E水E 農建】【陣形×××○××○×(偃鋒)】
【口調】無口【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
高弘の子。信濃高島城主。関ケ原直前に父の遺領を継いで東軍に属し、真田昌幸に備えた。のち減封され壬生城主。大坂の陣で功あり、加増され豊後府内城主。
<註>史実の生年だと開始時に未登場なので、あえて生年を1574年に設定しました。(^^;
金森可重 かなもり・よししげ (1558〜1615)
【誕生年】1558年【実父】金森長近【寿命】6【主義】軽視【相性】94【義理】65【最大義理】70
【政61戦55采58知65 足C騎D鉄C水E 商登茶人】【陣形××○×○×××(雁衡)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや保【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
長近の養嗣子。父とともに信長・秀吉に仕えた。1608年に遺領を継ぎ、大坂の陣で軍功をたてる。父同様、茶の湯に造詣が深く、茶会への参加も多い。
<註>正確には、長近は養親ですが、実父としました。(^^;
大崎長行 おおさき・ながゆき (1560〜1632)
【誕生年】1560年【実父】―【寿命】8【主義】軽視【相性】97【義理】90【最大義理】100
【政62戦71采62知53 足A騎C鉄D水E 農商】【陣形××○×××○×(雁鋒)】
【口調】粗暴【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
はじめ木村常陸介に仕え、のち福島正則重臣。関ケ原で清洲城を津田繁元と堅守、「鬼玄蕃」と称された。正則芸備入部後、大奉行の一人として民政にあたる。
尾関正勝 おぜき・まさかつ (1571〜1620)
【誕生年】1571年【実父】―【寿命】4【主義】軽視【相性】97【義理】90【最大義理】100
【政60戦73采61知49 足A騎B鉄D水E 商建】【陣形○××××○××(鶴長)】
【口調】粗暴【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
福島正則重臣。石見守。小田原の陣で韮山城一番乗りの功をたてるが銃弾を左眼に受け隻眼となる。関ケ原で福島家先鋒として勇名を馳せた。家中では最高禄。
長尾一勝 ながお・かずかつ (1550〜1619)
【誕生年】1550年【実父】―【寿命】8【主義】軽視【相性】97【義理】90【最大義理】100
【政64戦68采58知54 足A騎C鉄C水E 農外】【陣形○×○×××××(鶴雁)】【口調】普通【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
福島正則重臣。福島家三傑の一人。隼人正。関ケ原では先鋒を勤めた。備後東城主。
加藤貞泰 かとう・さだやす (1580〜1623)
【誕生年】1580年【実父】―【寿命】3【主義】軽視【相性】75【義理】65【最大義理】95
【政43戦61采55知70 足C騎A鉄D水D 登外騎突】【陣形○××××××○(鶴方)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
光泰の子。美濃黒野城主。関ケ原で東軍に属し、水口城攻略に成功。大坂の陣でも戦功があった。八条流馬術の秘伝を受け、また詩・和歌・連歌をよくした。
<註>史実の生年だと開始時に未登場なので、あえて生年を1575年に設定しました。(^^;
田丸直昌 たまる・なおまさ (1543〜1609)
【誕生年】1543年【実父】―【寿命】7【主義】無視【相性】3【義理】80【最大義理】80
【政63戦37采54知62 足C騎D鉄D水E 外】【陣形×○××××××(魚)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
北畠氏一族。蒲生氏郷の妹婿であり、与力。美濃岩村城主。小山評定で豊臣恩顧を貫き西軍に鞍替えする。戦後失領したが追放にとどまり、のち赦免された。
伊藤盛正 いとう・もりまさ (????〜1623)
【誕生年】1573年【実父】―【寿命】4【主義】絶対【相性】4【義理】78【最大義理】89
【政21戦32采39知37 足D騎D鉄E水E 商】【陣形×××××××○(方)】【口調】無口【思考形態】強保守【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
盛景の子。大垣城主。1599年、父の死去により家督。関ケ原で西軍に属したため、領地没収のうえ追放される。のち前田利常に仕えた。
<註>生年は1573年に設定。
稲葉貞通 いなば・さだみち (1546〜1603)
【誕生年】1546年【実父】稲葉一鉄【寿命】5【主義】重視【相性】95【義理】86【最大義理】92
【政60戦61采51知64 足C騎C鉄D水E 建】【陣形××××○○××(衡長)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
一鉄の長男。信長に仕え父とともに歴戦。本能寺後、秀吉に属した。郡上八幡城を築城。関ケ原で西軍・織田秀信に属したが決戦前に降伏、戦後、臼杵に転封。
福島高晴 ふくしま・たかはる (1573〜1633)
【誕生年】1573年【実父】―【寿命】6【主義】無視【相性】38【義理】76【最大義理】84
【政45戦75采59知36 足B騎C鉄D水D 商建】【陣形×○××○×○×(魚衡鋒)】
【口調】粗暴【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
正則の弟。秀吉に仕え、長島城主。関ケ原で兄とともに東軍に属する。大坂の陣の際、大坂方内通の疑いで改易されたが、のち家名存続を許された。
富田信高 とみた・のぶたか (????〜1633)
【誕生年】1570年【実父】―【寿命】7【主義】重視【相性】1【義理】65【最大義理】100
【政48戦58采51知53 足C騎C鉄E水C 建外】【陣形×××○×××○(偃方)】
【口調】普通【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】不信
豊臣秀吉家臣。伊勢安濃津城主。関ケ原で東軍に属し、籠城するが奮戦及ばず開城、高野山に入る。戦後、家康に奮戦を賞されて本領安堵、加増を受けた。
<註>生年は1570年に設定。
古田重勝 ふるた・しげかつ (1560〜1606)
【誕生年】1560年【実父】―【寿命】3【主義】重視【相性】0【義理】55【最大義理】70
【政54戦55采59知57 足B騎D鉄E水D 建外】【陣形×××○×××○(偃方)】
【口調】普通【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉家臣。伏見城普請を勤める。松坂城主。上杉討伐で家康に従い、関ケ原では東軍として松坂城を守備、安濃津城に援兵を送る。開城したが、戦後加増。
▼畿内の諸将
木下家定 きのした・いえさだ (1543〜1608)
【誕生年】1543年【実父】―【寿命】7【主義】絶対【相性】8【義理】67【最大義理】75
【政58戦40采43知59 足D騎E鉄D水E 外】【陣形×××××○××(長)】【口調】礼儀正【思考形態】強保守【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
木下祐久(杉原定利)の子。豊臣譜代の臣。北政所の兄。小早川秀秋の実父。姫路城主。関ケ原では北政所(高台院)を警護した。戦後、備中足守城主。
島信勝 しま・のぶかつ (1584〜1600)
【誕生年】1578年【実父】島勝猛【寿命】1【主義】無視【相性】15【義理】100【最大義理】100
【政37戦72采64知75 足B騎B鉄C水E 農騎突】【陣形○×○○××○×(鶴雁偃鋒)】
【口調】普通【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
左近勝猛の子。17歳で関ケ原に初陣。父とともに奮戦したが、形勢逆転に死を決し、藤堂隊に突入、高虎の甥・玄蕃を討ち取るがついに戦死した。
<註>生年は1578年に設定。
蒲生郷舎 がもう・さといえ (????〜????)
【誕生年】1559年【実父】―【寿命】8【主義】無視【相性】12【義理】65【最大義理】75
【政38戦76采67知60 足A騎B鉄C水E 商建騎突】【陣形○○××○×××(鶴魚衡)】
【口調】威厳【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】歓迎
蒲生氏郷家臣。氏郷死後、浪人。伊達・上杉の誘いを断り、石田三成に仕える。島左近に次ぐ高禄だった。蒲生家の軍制を取り入れ、関ケ原で先鋒として勇戦。
<註>生年は1559年に設定。
蒲生頼郷 がもう・よりさと (????〜1600)
【誕生年】1548年【実父】―【寿命】4【主義】軽視【相性】12【義理】55【最大義理】75
【政51戦68采61知61 足A騎B鉄C水E 農登】【陣形○×○×××○×(鶴雁鋒)】
【口調】威厳【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】歓迎
六角家臣。のち蒲生氏郷に仕える。島津攻めで先駆けして叱責されたが、戦後、姓と頼郷の偏諱を受ける。氏郷死後、石田三成に仕え、関ケ原で討死した。
<註>生年は1548年に設定。
杉若氏宗 すぎわか・うじむね (????〜????)
【誕生年】1565年【実父】―【寿命】5【主義】軽視【相性】52【義理】42【最大義理】66
【政41戦43采54知55 足D騎D鉄C水A 農商】【陣形×○×××××○(魚方)】
【口調】饒舌【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
無心の子。紀伊・田辺上野山城主。朝鮮の役で父に代わり水軍を指揮する。関ケ原で西軍に属したが敗戦後降伏。家康の命で新宮城を攻略し、逐電したという。
<註>生年は1565年に設定、寿命は5としました。
菅達長 かん・みちなが (????〜1614)
【誕生年】1560年【実父】―【寿命】5【主義】無視【相性】31【義理】67【最大義理】80
【政35戦58采62知51 足D騎D鉄C水S 建】【陣形××○××○××(雁長)】
【口調】粗暴【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
淡路海賊衆。長宗我部元親に属し、のち秀吉に仕える。豊臣水軍として小田原などに出動。関ケ原後、藤堂高虎に仕えたが、高虎と仲たがいし、自害した。
<註>生年は1560年に設定。
増田盛次 ました・もりつぐ (????〜1615)
【誕生年】1575年【実父】増田長盛【寿命】1【主義】軽視【相性】23【義理】90【最大義理】90
【政39戦60采42知30 足C騎C鉄D水E 農商騎突】【陣形××××××○×(鋒)】
【口調】生意気【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
長盛の子。関ケ原敗戦後、一時徳川義直の臣。大坂冬の陣でも従い軍功をあげたが、徳川氏と決別、豊臣氏に帰参する。夏の陣で藤堂隊に突入し、討死した。
<註>生年は1575年に設定。
宝蔵院胤栄 ほうぞういん・いんえい (1521〜1607)
【誕生年】1521年【実父】―【寿命】11【主義】無視【相性】70【義理】40【最大義理】70
【政20戦99采40知88 足B騎E鉄B水E 建登剣豪僧侶】【陣形××○○○○○○(雁偃衡長鋒方)】
【口調】無口【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】敵視
宝蔵院槍術初世。興福寺宝蔵院院主。柳生石舟斎宗厳とともに、上泉伊勢守信綱に剣を学ぶ。春日明神の霊夢で得た鎌槍を用いたので「槍宝蔵院」と呼ばれた。
糟谷武則 かすや・たけのり (????〜????)
【誕生年】1563年【実父】―【寿命】4【主義】軽視【相性】93【義理】80【最大義理】100
【政39戦62采53知48 足B騎C鉄D水E 商建】【陣形××○×××○×(雁鋒)】
【口調】生意気【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉小姓。諸戦に参陣し、特に賤ヶ岳の七本槍の一人として名高い。関ケ原で西軍に属し、伏見攻城に参加する。敗戦後、失領したが、幕臣となる。
<註>生年は1563年に設定。寿命は4としました。
▼中国・四国の諸将
小出吉政 こいで・よしまさ (1565〜1613)
【誕生年】1565年【実父】―【寿命】4【主義】重視【相性】14【義理】87【最大義理】90
【政40戦42采50知43 足D騎E鉄E水E 建】【陣形×××○×○××(偃長)】
【口調】普通【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉の馬廻衆。小田原攻めに従軍する。但馬出石城主。関ケ原で西軍に属し、田辺攻城に参加した。東軍の弟・秀家に功労があり、戦後も所領安堵された。
野田甚左衛門 のだ・じんざえもん (????〜1619)
【誕生年】1540年【実父】―【寿命】10【主義】軽視【相性】80【義理】99【最大義理】100
【政41戦69采58知47 足C騎D鉄D水D 農】【陣形○×××××○×(鶴鋒)】
【口調】普通【思考形態】やや革【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
長宗我部家臣。四国統一戦に貢献した。特に一条氏との四万十川の戦いでの勝利により、宿毛城主。関ケ原敗戦後、主家没落により、藤堂高虎に仕えた。
<註>生年は1540年に設定。
▼九州の諸将
新納旅庵 にいろ・りょあん (1553〜1602)
【誕生年】1553年【実父】―【寿命】4【主義】重視【相性】30【義理】89【最大義理】100
【政82戦29采39知60 足D騎D鉄C水D 登外】【陣形×××○××××(偃)】
【口調】礼儀正【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】敵視
島津義弘家老。諸国を巡歴し僧侶となるが義弘の命で還俗する。文禄の役、関ケ原に参陣。外交手腕にたけ、関ケ原敗戦後も講和と本領安堵に尽力した。
柳生宗章 やぎゅう・むねあき (15??〜1603)
【誕生年】1563年【実父】柳生宗厳【寿命】2【主義】無視【相性】95【義理】100【最大義理】100
【政24戦86采43知60 足C騎E鉄E水E 農登剣豪】【陣形×○××××○×(魚鋒)】
【口調】礼儀正【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
石舟斎宗厳の四男。五郎右衛門。鈴木右近の師。小早川秀秋に仕え関ケ原に参じた。のち米子藩内紛に巻きこまれ、奮戦の末、討死した。殺人刀の使い手。
<註>生年は1563年に設定。
毛利勝信 もうり・かつのぶ (????〜1611)
【誕生年】1562年【実父】―【寿命】4【主義】軽視【相性】10【義理】95【最大義理】95
【政30戦62采43知60 足B騎C鉄C水E 登】【陣形○×××××○○(鶴鋒方)】
【口調】威厳【思考形態】強革新【上洛志向度】上洛【キリスト教理解】中立
豊臣家臣。勝永の父。豊前小倉城主。関ケ原では西軍に属し、伏見攻城に参加した。戦後改易され、土佐・山内一豊に預けられる。同地で病死。
<註>生年は1562年に設定。
福原長堯 ふくはら・ながたか (????〜1600)
【誕生年】1565年【実父】―【寿命】1【主義】絶対【相性】19【義理】90【最大義理】100
【政32戦46采45知31 足D騎E鉄E水E 商】【陣形×××××××○(方)】
【口調】普通【思考形態】強保守【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉家臣。石田三成女婿。府内城主。朝鮮の役で軍目付を勤めたが諸将との対立をとがめられ、減封された。関ケ原で西軍に属し大垣開城後、幽閉、自害。
<註>生年は1565年に設定。一説では石田三成の妹婿とされる。
垣見一直 かきみ・かずなお (????〜1600)
【誕生年】1550年【実父】―【寿命】4【主義】重視【相性】16【義理】90【最大義理】100
【政50戦40采43知49 足D騎D鉄E水E 農建】【陣形×○××××××(魚)】
【口調】普通【思考形態】やや革【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉に仕え、金切裂指物使番。奥州平定の際、道路奉行を勤める。豊後富来城主。関ケ原で西軍に属し、大垣城を守備したが、相良頼房らに謀殺された。
<註>生年は1550年に設定。列伝中の相良「長毎」を「頼房」としました。
熊谷直盛 くまがい・なおもり (????〜1600)
【誕生年】1570年【実父】―【寿命】1【主義】重視【相性】17【義理】95【最大義理】100
【政38戦73采46知42 足B騎D鉄D水C 商建】【陣形○××××○××(鶴長)】
【口調】粗暴【思考形態】やや保【上洛志向度】地方【キリスト教理解】中立
豊臣秀吉家臣。金切裂指物使番。勇猛で知られた。朝鮮渡海後、功により豊後安岐城主。関ケ原で西軍に属し大垣城に籠城したが、相良頼房らに謀殺された。
<註>生年は1570年に設定。列伝中の相良「長毎」を「頼房」としました。
宗義智 そう・よしとし (1568〜1615)
【誕生年】1568年【実父】―【寿命】4【主義】絶対【相性】50【義理】85【最大義理】85
【政74戦51采55知72 足D騎E鉄C水S 商外登焙】【陣形××○×○○××(雁衡長)】
【口調】礼儀正【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】歓迎
対馬島主。義調の養嗣子。九州征伐の際、豊臣秀吉に帰属。朝鮮派兵の回避に努めたがならず、交渉・作戦に参加した。のち、家康の命で講和条約締結に尽力。
<註>対馬に築城し独立させたいのですが、初期配置時には残念ながらできません。
柳川調信 やながわ・しげのぶ (????〜1605)
【誕生年】1545年【実父】―【寿命】6【主義】絶対【相性】50【義理】95【最大義理】100
【政71戦23采28知78 足E騎E鉄E水B 商外登】【陣形×××××○××(長)】
【口調】礼儀正【思考形態】強革新【上洛志向度】地方【キリスト教理解】歓迎
対馬宗氏重臣。中央との折衝や対朝鮮貿易経営に手腕を発揮、豊臣・徳川・朝鮮政府から重用される。朝鮮派兵から外交復活まで、対馬の立場を守るのに尽力。
<註>生年は1545年に設定。