只今準備中。



「トウビョウ」について

 備前のたふべうのこと、或人曰く、備前の国にもたふべうを持と云者あり。是は狐に非ず。 煙管の吹管筒程の小蛇、長さ七八寸に過ぎざるものなり。之を飼て、家毎に一頭二頭宛所持する村里あり。 是も其人の好んで所持するには非ず。心の中にはうるさく思へ共、先祖いつの時代の人を飼いて所持せし事 あれば、もはや其の家を離れず、其の子孫に伝りて末代迄所持するなり。是も犬神と同前にて、他人と争ふとか、 或は他の家にて一座せる人、或は道を往来して人に逢いて、ある者は小面憎き顔なりと思ふとか、 また其人の持ちたる物を見て羨ましく心に思ふ時、我が家に残し置きたる蛇神は、忽ち人の一念の微動を知つて、 向ふの人に行く事、間髪を入れずといふが如く、本人の目にも見えず、他人の目にも見えず、向ふの人に依託して、 皮肉の間にせまり、苦悩せしむるなり。若し其病人其を知つてヘビ神を持ちたる人に納得するやうに和解すれば、 忽ち病人の身を離れて別条なし。之を覚らずして和解せざれば、終には其人を悩害するなり。 蛇神を持ちたる人も夫程深くは思はざるに、右の通りなれば、甚だうるさく思へ共、我と自らを厭離す事能はず。 其蛇を殺しても、本の如く立戻りて、取り絶やす事が出来ず。此の蛇神、本人に怨ある時は、却て本人の皮肉の間に 入りて責殺す故に、たふべうを持たる者の之を崇重すること神の如しとかや。

―――上野忠親『雪窓夜話』より


ホラ、今年は巳年だし。

『パノラマ獄門島』へ戻る

何か、話もどきのものを置くかも。「憑」が鍵、か。