冬の空は夕日に照らされて、鮮やかに雲を染めて…
「ねえ」
いつまでも眺めていたい、そう思わせるほど、美しい光景だった。
「浩平くん、ねえ」
「………」
屋上は昼の残滓を受け、俺とみさき先輩の長い影のほか、みな茜色に彩られて
「ねえったら」
「………」
俺はしばし現実を離れて、明け方の夢のように幻想的なこの光景に浸っていた。
「聞けよ…オラっ」
「は、はい」
先輩の怒声に、一気に現実に引き戻される。
目の前の美しい少女…川名みさきは、ごほんと咳払い。
「えーとね、どこまで話したっけ」
みさき先輩は、先ほどの怒声をうち消すようなにこやかな表情で、会話を繋ぎはじめた。
「そうだ、あのことだよ」
「…って?」
先輩は口調を落として、きゅうにマジメな顔で尋ねてきた。
「浩平くんに、男の子として聞きたいことがあるんだよ…」
彼女の口から聞こえる“男の子”という言葉を、強く意識してしまう。
そんな心境を知ってか知らずか、俺の顔をのぞきこむように懐に入ってくる。
早朝の風のような柔らかい香りが、鼻腔をくすぐる。
「…ドキドキすること、ある?」
「え」
光を映さない瞳を大きく見開いて、一歩距離を詰める先輩。
こちらは反射的に一歩退く。
「わたし、うそは嫌いだから」
さらに一歩。
「ねえ、ドキドキすることある?」
以前の俺ならこういった先輩の言葉に、心を躍らせたことだろう。
「ねえ?」
でも…、「怪物くん」やら「恋におちて…」で意味不明の詰問を受けて、このパターンにはもう慣れた。
今後訪れるであろう相手のみさき先輩の攻撃に備えて、気づかれないよう身構えた。
*
「…そんなこと本気で悩んで…うわっ」
やはり予想どおりだった。
返事を言い終わるのも待たず、限りなく頭突きにちかい体当たりをお見舞いしてくる。
「『そんなこと』ってなによぉ! 『そんなこと』って」
「うわああ、お、俺がわるかったぁ」
怒りの“みさきアタック”に何度も弾き飛ばされそうになりながら、なんとか踏みとどまる。
先輩はさらに怒気を強め、言い放った。
「ドキドキするの? えぇ?」
「…し、しません! しませんからやめてぇ」
返答を聞いてようやく怒りが収まったのか、やっぱりと納得したように呟く。
「そうだよね。わたしが女だからかな、って悩んでたけど…」
な、悩むようなことなのか、これって。
「公共放送で、子供たちに嘘を教えるなんて最低だよ」
「お、俺に言われても…」
その言葉に気分を害したのか、俺がやなせたかしであるかのように、つっかかってくる。
「なにが『ドキドキさせるよ ドキンちゃん〜♪』よっ」
「いや…それは…」
「なにがドキドキよ。ヒトなのか、意味不明のデザインのくせにっ」
ま、そりゃあ
俺も疑問に思わなかったということは、ないけど……
「オレンジ色よぉ。あれって何の生き物よっ」
「さ、さあ…新種のバイキンかな…」
「だいたい、なんなのよあの番組」
その後、みさき先輩はアンパンマン世界がいかに理不尽に満ちているかを、えんえんと説いてみせた。
「なにが『みんなが大好き アンパンマ〜ン♪』よ。わたしは嫌いだもの。あの人面パンのどこがいいの!」
「さ、さあ」
「食パンがカレーパンよりカッコいいって、どういう美的基準よ」
「え、えっとぉ…」
なんとかなだめようとするが、先輩はさらにエスカレートしていく一方。
「だいたい、カレーパン男のゲロカレー食らって『ヒィ〜』とか言ってるけど、カレーってそこまで辛くないでしょ」
「そ、そうだね…」
「なんでグルグル腕をまわすと、アンパンチの威力が増すわけ?」
「え、遠心力で…その…」
無理があるな、それも。
「いや、プラシーボ効果じゃないかな、あはは…」
その後も、『カバや菓子パンがなぜ日本語を会話して、二足歩行するのか』という疑問や、『てんどんマン以降の米飯業界に対する配慮に関しての学術的考察』――など、えんえんと続いた。
「しかも、バタコさんが女!」
「…って、バタ子だから女のヒトでしょ」
外見はよーわからんけど。
たしかに、いつもオーバーオールだし、胸ないし、髪短いし。
「コが子とは限らないでしょ。イタリア人ならバタコでも男よ」
しかし…
「自称が“わたし”だし、なんか…食パンも気つかってるみたいだしな…」
「浩平くん…」
俺の言葉に、先輩は気の毒に思えるほど、がっくりと肩を落とす。
前髪が目元を覆い、その表情がいっそう暗く見えた。
「やなせの世界観を肯定する気なんだね…」
「いや、べつにそういう意味じゃあ」
「ううん…浩平くんは、自分がドキンちゃんでドキドキしてしまうような、ダメな人間だって認めているようなものだよ…」
な、なんだよ、そりゃ
「今度カレーパン買ってきてあげるから、中身ぶっかけられたらヒィ〜って悶えるんだよっ、いいの?」
「は、はあ」
「アンパンマンの矛盾を認めるということは、そういうことなんだよ」
上目遣いにこちらを、うらめしそうに見つめる先輩。
俺はなんだか責められている気がして、ついムキになって反論してしまった。
「なんだよ、それならみさき先輩のほうが、矛盾のカタマリじゃないかっ」
ううわっ、言っちゃったよ…俺。
でもいいや、この際だからぜんぶ言っとこ。
「毎日あんなにガバガバ食って、その細い体のどこにそんなに入るんだよ。だいたい! 目が見えないというわりには、校舎を自由にうろつきまわるしさ、いくら見知った場所だからって、そんなにうまくいくものなの?」
みさき先輩は、俺の言葉を聞いて
「………」
しばらく黙っていた。
そして…
「…くす」
笑った。
「あはは、浩平くん、大人気ないね。なにムキになっているんだよ」
先輩は両手をうしろにまわすと、腰の辺りで握って、身を乗り出す格好で、俺のほうを向いて言った。
「気にしない、気にしない。しょせん、ゲームなんだから」
…え?
(おしまい)
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・あとがき
結局、新作がこれかよ(^^;
アンパンマンはけっこう好きです。とくに先週のやつは面白かったね。
雪印を壊滅させたニューバイキン大王を食い止めるため、伝説のジャムパンチを放つおっつぁんの勇姿にオラしびれたね。
あと、勇気はリンリンって擬音がふさわしいのか、そこんとこも検討したかったな。
んじゃ