こんなに近くに居るのに、
あと少し触れれば確められるのに、
そうすると、全てが終わってしまう気がした。


それは僕の勝手な感受性の所為なのだろうか。







ハクチュウム  







太乙の顔の前で手を翳し、スウっと下に下げてみる。
ぎこちなく微笑む。
体の何処かがぎしぎしと軋む。

「どうしたの?」

太乙は少し陰った笑いを浮かべる。

「別に」

そういうと、ならいいや、とまた元の様に眼を閉じた。

「何してんの」

「いや、行動に特に意味は無い」

「…楽し?」

「ああ、まあそれなりに」

何かをとても我慢しているように見えた。
きっと、彼は何の感情もかけて欲しくないんだと思う。
慕情も、同情も。なんにも、そういうグルグルと蠢くものは要らないんだと思う。
そういう所に、僕はあまつさえ感動すら覚える。
だって、僕はそういう風に出来ないし、必ず誰かが居ないと狂ってしまいそうだし、
おまけに、相手が僕より勝っていると、そのヒトの首を絞めてしまいたくなる。
明らかに泥沼にはまっている。  




僕は少し、太乙の首を絞める想像をしてみる。
白い首。青い脈。細い指。絡み付く。浮かべる笑み。哀しくて。
僕はその唇を塞ぐ。そして呟いて見せる。

「don't forget me.」

コトン。
硬い音がして、床には涙。無い筈の、涙。
きっと応えてくれないから、悲しくて、流れる涙。
硝子のコップに涙を溜める。
約1センチくらい積もって、もう水かさは増さなくなった。
僕はその涙を持って、君の首を洗う。
擦り付けて、こすりつけて。
僕を、刻む。君の首に、刻む。

愛してなんか、なかったよ。

「but I need you.」

寂しかっただけなんだ、実は。

「but I miss you.」

戻ってこない、その影が。
僕を安直に苦しめる。

僕は頭がおかしくなって、それから、君の名ばかり呼ぶんだ。

「たいいつ」

って。    




何か、息苦しい。
先ほどから太公望が焦点の合わない眼をして何か考えている。
それが爬虫類の眼のようで、気味が悪いと感じてしまう。
私は眼を瞑り。さっきから青い空、っていうものを考えている。
抜けるような青空。何か匂いがしそうな青さ。
その匂いっていうのは決して厭な臭いじゃなく、芳香している風の匂い。
なんだろう、太公望に似ている感じ。
別に彼が青い空の様に快活だとは思わないし、現実を無視しているわけじゃない。
ただ、あの大きい空の何処かぽっかりとした空虚感が彼とリンクして、
とても悲しくて、どうしようもないこの気持ちが、彼を壊してしまいそうになる。
壊れた砂山を再建築するのは難しいから、そうはしないのだけれども。
然し、私は壊れた砂山を再建築する事よりも、「壊れた砂山」というオヴジェを建築する事の方がとても難しいと思うので、
何時かやってしまうのかもしれない。

だが、まあ、壊れた砂山の作り方も結構簡単だろう。
(オヴジェを完成するには労力が必要で、私はそれほどまでにそれに執着心を持たない。だから難しいんだと思う。)
先ずは砂山を持ってきて、そこに小さくバターナイフで穴をあける。
バターナイフっていうのは、研げば良く切れると思う。
開いた穴を水を張ったバスタブに漬込む。 ゆっくり、長く。
そうすると急激に冷たくなってそうして、ことん、と動かない。

「砂山って動かないよ」

変なの。
私が言葉をかけてみる。

「湯加減は、どう」

「もうちょっと」

「もうちょっとで赤くなる」

でも何にも言わないんだ。
私は酷く息切れをしていて、ゼイゼイと肩で息をする。
その息遣いしか聞こえない沈黙が、破られる事の無い沈黙が恐い。
恐くて、恐くて、ブルブル震えて、その場にしゃがみ込む。
沈黙は、闇。私は鳥目の様になり、何にも見えない。
2、3匹蛍が帯をひいて眼球を飛びまわる。
もう何年も、もう一生、会えない。 話しても、きっと応えはない。

後悔って、こういう事のために有るんだ。

私の頬を伝う涙は、もうきっと君のために流される、最後の涙。
それは静かに緩やかにバスタブの赤い水に落ち込んだ。
涙は、血になった。






静かな静かな昼下がり。
日の光が柔らかくあたりを照らしていて、小さな鉢植えが側にあって。

眩しそうにそれを眺めて二人ゆっくりと、麗らかな日に



眼を、閉じる。



―了―







よく夢に見るんですよね。 どうでもいいけど。


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bgm:雲路の果て/Cocco

Mizu@mizu




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