祖父が死んだ夜に



T氏の死

長い間、そこに座っていたらしい。
空は薄いサーモンピンクと朝顔色のグラデーションを描いて、
綿飴のような雲がその上を所在無さ気に漂っている。
祖父も長い間そのソファに座っていた。
眼が、庭の木々を眺めている。
自分が死んだかのような窪んだ目で、涙も流せずに。
その眼はただ静かに庭を見ていた。
まるでそれは、抗えない死という摂理に対する、ささやかな抵抗のようだった。





T氏の話は、そのとき初めて聞いた。
祖父の双子の弟であるらしかった。
もともと祖父の出身は有名な旧家だったらしいが、
沖縄戦の時に家や財産は大方焼けてしまったときく。
そのときに祖父は妻とも死に別れ、家族も数える程しか残らなかった。
件のT氏も、戦争時に行方が分からなくなったままだった。
それが戦後、ひょっこり現れたというのである。
片割れが生きていた事に祖父は喜び、当時すでに祖父と再婚していた祖母にも
紹介したと言っていた。

「でもあんまり顔は似ていなかったねえ。きっと二卵性だったはずよ」

と祖母は笑った。
本当の所、血縁であると言う事すら怪しいのだが、
戦争で戸籍が消滅してしまったのだから、信じるより仕方が無い。
とにかく、そのT氏は生きていたのだ。
祖父と祖母は快くT氏を迎え入れた。

T氏は基本的に気さくで明るい人だったらしい。
少し昔堅気な所もあったらしいが、それはそれで彼の魅力の一つだった。
ただ、彼が戦中どのように生き延びたのかという事だけは、
どうしても語ろうとしなかった。
周りも、無理強いして聞く事ではないと分かっていた。

祖母は終戦後、コザ(今の沖縄市)で、
当時そこに多く駐留していた外国人相手にバーを始めた。
T氏も時たま店の手伝いをしていたという。
祖父は基本的に働かず、収入はすべて祖母からのものだった。
祖父はひがな三線(サンシン)を弾き、泡盛を飲み、スロットに精を出していた。
祖母いわく、良い所の出だと働く事を知らないから仕方ないのだという。
T氏もバーに入り浸る事が多く、そこで働いていた給仕の女性と付き合い始めた。
丁度そのときに私の父が生まれ、生活はいっそう忙しくなった。
祖父は相変わらず仕事もせずに、三線を弾いて暮らしていた。
やがてT氏は付き合っていた女性と結婚し、田舎へ移り住んだ。
それきり便りはなく、そのまま何十年か経った。
その数十年の間、祖母はバーで汗水たらして働き、一緒に働いていた祖母の妹は
ある金持ちの男の所へ行った。
祖母の苦労の甲斐もあり、店は繁盛した。
一時期では入りきれなかったお金を、ゴミ袋につめて捨てたほどであったらしい。
そのうち祖父はバーの売上金をくすねて、スロットや酒に使うようになった。
それを見張るのが幼い父の役目で、苦労をしたと今でもぼやいている。
父は成長していくにつれ、忙しい母とのらくらな父の所為か、段々と荒れていった。
その時に祖母は大枚をはたいて外人住宅を買い、今も住んでいる。
自分なりの自由を満喫していた父も、コンピュータ関連の仕事に身を落ち着け、やがて独立した。
はじめは経済状況も苦しかったが、紆余曲折を経て父の仕事も軌道に乗り始めた。
その時に私がうまれた。
祖父や祖母は初孫の私を、大層大事に扱ってくれた。
父は後も着々と売上を伸ばしていき、私たちも生活に不自由しなくなった。
末の妹が生まれてからは、祖父たちの家の向かいに新築の家も建てた。
何事もなく、平和で緩やかな日々。
そんなある日、突然その電報はやってきたのだ。





祖父たちの家に届けられたそれは、T氏の病気についてだった。
何やら重態で、危篤状態らしい。

「ちょっと行ってこないといけない」

祖父はボソリとそう言った。
祖母も言葉少なに頷いた。
忙しい父の代わりで私も一緒に行く事になった。
私がT氏の名前を聞いたのはそれが初めてで、
T氏にまつわる話もその日が初めてだった。
祖父と祖母は病院への行き道、代わる代わる話をしてくれたが、
その話だけだとT氏はまるで謎の人だった。


病院は、首里の高台の方にあった。
反対側には丁度首里城が見えた。
エレベーターで4階まで上がると、すぐに病室はあった。
ナースセンターの近くにあったからだ。
個室になっていて、中に入ると白い壁に目が眩みそうだった。
冷たい感じのするパイプのベッドに、T氏は眠っていた。
酸素マスクをつけられ、黒目が死にかけた魚のように上を向いている。
茶色い大きな老斑が大きな額にボツボツと浮かび、顔はこけていた。
明らかにやせ細った腕や足は、殆ど骨と皮になっていた。

「もう明日まで持つかねえ」

祖父たちや親戚はそんな風に話をしていた。
聞くところによると、はじめは脳に血の塊があるとの事で入院だったものが、
急性の白血病の疑いがあることが分かったらしい。
あまりに痩せすぎた為(元々痩せ型だったらしい)に抗ガン剤も投与できず、
私が訪れた日は、血管に管を通せずにもう4日もブドウ糖のみで生きている状態だった。
親戚の1人が、挨拶してやってくれ、と私に席を譲った。
私はT氏に近づくと、その顔を直視した。
祖母が、

「私たちの初孫よお」

と向こうでT氏に向かって呟くと、上を向いていた黒目が、
チラとこちらに動いた。

「左目はもう見えないようになってるよ」

座っていた一人が言った。

「でも分かってるさ、目が自分の方向いてるよ」

と私が言うと、じゃあもしかすると明まで生きれるかもね、とその人は答えて、

「昨日はこの人の孫たちのピアノの発表会だったからよ、
 あんた明日まで絶対生きてないといけないよーってずっと言ってたんだよ」

と笑った。T氏もきっと、私の祖父のように孫たちを可愛がったんだろう。
そう思うと、身体の何処かがほんわりと暖かくなった。




そしてその日の夜中、T氏は死んだ。






祖父は信じられないと言った風にソファに倒れこみ、
そのままずっと、長い間座ったままだった。

「おじいちゃん」

私が呼ぶと、祖父は静かなその目をこちらへ向けた。


「涙も出ないさ」

祖父は誰にでもなくそう呟いた。





「大丈夫、また会えるよ」




私は言った。




薄い緑の木々の葉が、夕方の風に靡く音がする。
もしかするとT氏のマブイか、と私たちは耳をすませて、長い間そうしていた。


―了―






あとに

祖父が死んだ日のことですが。っつっても昨日なんですが。
いや、祖父に双子の兄弟なんぞおりませんで、
T氏はすべて祖父の事です。祖父のことも祖父の事です。
ただワタクシとしては、とても苦しそうだったから、
もう死んで楽になれたかなとも思っております。
マブイはきっと、また会えると信じています。



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