かえりたい かえりたい かえりたい





つ ば さ の な い と り  2

殿 春 客





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 思い出せない、あなたの顔。
 思い出せない、月が隠れた。

 こんなに暗い、夜の中では、私が誰かもわからない。




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 その日、夕刻になって、祈りと灯火の門の前に一人の旅人が立った。
 街の外から訪れた旅人は風除けに被っていたフードを肩に落とし、門を見上げた。掲げられた街の名を読み、感触を確かめるように口の中で呟く。それから足を踏み変えて門番に近づき、話しかけた。
「すまないが、ものを尋ねたい」
「あわ、わ、はいっ! なんでしょう?!」
 実はさっきから旅人に見とれていた門番は話しかけられて大いに慌てた。
「探し人があるのだけど、そういうときはこの街ではどこへ行けばいいのかな」
 旅人はゆっくりした発音でそう尋ねた。
「は、それでしたら、自警団事務所へどうぞ。事務所へは……」
 事務所の場所と担当部署の責任者の名前までをきちんと訊いて、旅人は頷いた。
「ありがとう。助かる」
「いえっ、どういたしまして!」
 旅人はなんだかしゃちほこばって答える門番に軽く微笑み、教えられた通りの道を通って街の中に入っていった。
 門番はといえば、さっさと行ってしまった旅人の後ろ姿をぽーっと眺めていたのだった。




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 その時、アルベルトはちょうど今日の仕事を終え、自警団事務所を出たところで、旅装の人物とすれ違った。
 黒い髪の女のようだった。ようだったというのは相手が俯き加減に歩いていて、非常に背の高いアルベルトからは顔が見えなかったからだ。
 何となく気になったので振り向いて後を目で追うと、男っぽいというよりは女らしくない、無造作な足取りで事務所の中に入っていった。女らしくはないが、さりとて男とも思えない姿にひっかかるものを感じつつ、アルベルトはとりあえず帰途についた。




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「今日はもう、終わりだったのかな」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
 ゆっくりと問いかける客人にそう笑って答えて、第三部隊隊長シュウは椅子を勧めた。
「どうぞお掛け下さい。……それで、御依頼は人捜しで?」
「そう」
 勧められるまま椅子に腰掛け、こくりと頷いたのは旅装の女。先ほどアルベルトとすれ違い、祈りと灯火の門の前で街の名を見上げていた旅人と同一人物だ。門をくぐったときのままの格好で、荷物を足下に置いた。
「ええと、それじゃまずお名前と……特徴と、わかる範囲でかまいませんで、教えていただけますか?」
 シュウはちょっとした事故があってひっくり返ってしまったために現在死ぬほど乱雑になっている作業机をがたがたとかき回して書類を掘り出し、依頼人に質問しながら必要事項を書き込みはじめた。日時と受付担当者、依頼主、依頼内容……。返事がないので顔を上げると、依頼人はなにやら考えている様子だ。
「……あの?」
 わからないなら無理には、と言いさしたシュウは、内心これは骨の折れそうな仕事だと思っていた。何を探すにしろ手がかりがなくては非常に困難だ。
「いや、そうではなくて」
 だが依頼人はそう言って、自分の言葉を否定するように軽く首を振った。
「ああ……違うな。そう、そちらの言う通り、名前も特徴も知らない。他に参考になるような事も、……どうかな、知っているとは言い難い」
 難解なセリフにシュウは思わず眉を寄せた。
「だが、幾つか、そうではないか、と思うことはある。それが手がかりになればいいが」
「じゃあそれをお願いします」
「性別は多分男、身の丈はおそらくあんたと同じくらい、人種やカラーは私と同じで顔の作りもよく似ているはず、そして確実にここ数ヶ月消息を絶っている。こんなところだな」
 言われたことを残らず書き留めたシュウは、「多分」とか「おそらく」といった表現に困り顔になった。これは、一筋縄ではいかないかも? だいたい消息不明の人捜しって一体。
(まあ、でも、似顔絵でも作れば案外簡単に行くかもな)
 書類からちらりと見上げた顔は、一目見たらうっとりしてしまうくらい綺麗だ。この顔によく似ているというならその男も大層な美男だろう。そして、得てして美形は忘れられにくい。
「つまり、直接は探し人をご存じでない?」
「そう」
「わかりました。ところでまだお名前を伺っていませんが……」
「知らない」
「いえ……あなたの」
「だから、知らない」
 依頼人はシュウの表情の変化を見て、形の良い唇の端を持ち上げ、困ったような面白がっているような顔になった。芝居がかった動作で肩を竦めてみせる。
「知らないんだ。記憶喪失というのか、どうにも昔のことが思い出せない」
「……それはお気の毒に」
 思わずそう言ったシュウに依頼人が笑った。
「でもない、と思う。記憶があった時のことを覚えてないから、比較のしようがないけどな」




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 自警団で一部隊の隊長を勤めているという男はもの柔らかな印象で、そしてどうやら第一印象を裏切らない性格らしかった。
 我ながらなかなか無茶だと思う仕事を引き受けてくれたし、宿がまだ決まっていないと言うと紹介すると言ってくれ、荷物を持つとまで言う。
 宿の申し出は快く受けたが、荷物は遠慮した。嵩も重さもさほどのものではないし、なにより、こういった風に女扱いされるのは居心地が悪い。そのつもりはないのに善人を欺いているような気になるし、正直言って少々不愉快でもある。顔と体が女なので仕方のない事とは思うが。
 事務所だという建物から表へ出ると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。春の日は人が思うよりも短いのだ。
「あ、こっちです。さくら亭という名前で、いい店ですよ」
 シュウと名乗った男はそこまで案内してくれると言う。道順さえ教えてくれれば一人でも大丈夫だと言ったが、今日はその店で夕食にするつもりだったからかまわないのだと答えた。
 道すがら、このエンフィールドという街について尋ねてみた。ここはどんな土地で、どんな人々が住み、どんなふうに毎日を過ごしているのか。
 相手は丁寧に答えたくれた。曰く、季候は良し、風土も良し、食べ物も美味しいし、人も良い。ただしトラブルが頻発する傾向にあり、気性の荒っぽい人間が多い、かも。賑やかで楽しいけれど、きっといろいろな意味で退屈しないはず。云々。
 それらの情報を聞き逃さずにしっかり頭の中に留めておいた。言葉に何か響くものはないかと心の内を探ってみたが、手応えはなかった。
 ここも空振りか、と思って見上げた空は曇っていた。街灯の明かりでは判然としないが、雲は分厚く重そうだった。そういえば今日は夕焼けがなかったようだ。
 冷たい湿った風が襟足を通って、意図せず体が震えた。
「さ、寒……」
 思わずといった態でシュウがこぼした。
 その呟きに頷いてやりながら、もう一度空を見上げる。月も星もなく、一片の光もない暗さ。


 明日は雨になるかもしれない。






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