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あなたがほしい
あなたがほしい
他の誰のものでもなくて
わたしだけのあなたがほしい
どうしたらいい?
どうしたらあなたはわたしだけのものになる?
……ころしてうめて、誰の目にも触れないように?
なるほどそれならたしかに
わたしはあなただけのもの
| ぼくたちはそんな淋しい言葉があると知りもせずただ愛していた |
手首が痛い。
痛いうちは生きてるんだろう。
閉じたドア越しにアルベルトの怒鳴り声が聞こえる。
この前はピートだった。その前は確か……パティだったかな。そのさらに前はもう覚えてない。
あやふやな記憶をたぐっているうちに、アレフが戻ってきた。おかえり。
どうやって言いくるめたんだか知らないが、よく追い返せたな。
アレフの手が髪をかきあげるようにして頭を撫でる。
「お前を出せって」
俺の頭の両脇を挟むように、アレフの両手。
至近距離でにこりと微笑うアレフの両目。
「すごい剣幕だった。……目の付け所は悪くないよな。あいつにしてはさ」
きっとここ以外思い浮かばなかったんだろう。
だって絶対誰かには見られてる。
人通りの絶えた真夜中なんかじゃなく、俺は白昼堂々この家に来た。
そのまま綺麗さっぱり消息絶ってりゃ嫌でも住居人が疑われるだろうよ。
でも、そういうことの一切がどうでもいいんだろうな。
いつもの通りに帰ってもらったと嬉しそうに話すアレフ。
俺ももうどうでもいいよ。
だってお前のその目は俺を見てない。
アレフはうっとりと目を閉じて、俺にキスをした。
だってお前は俺のことが全然わかってない。
ぎちぎちに縛られて閉じこめられて、それでも身動き一つしない理由なんて思いつきもしないだろう?
目が覚めたら脱がされてた上に縛られてて俺はすごく驚いた。
驚いたし混乱してもいた。
自分の置かれている状況も信じられなかったが、それをしたのがアレフだというのはもっと信じられなかった。
なんでこんなことをするのかちっともわからなかった。
説明しろと言う俺に頓着せず、アレフは飴玉でももらった子供みたいな嬉しそうな顔でのしかかってきた。
じたばた抵抗したけど無駄だった。
アレフに説明する気がないことがわかったから、俺はもう何も言わなかった。
俺をこの部屋に閉じこめてから、アレフはほとんどの時間を俺の傍で過ごすようになった。
食事の支度と来客の他はカーテンを閉め切ったこの部屋にずっといる。
アレフはそのうち来客があっても応対しなくなった。
起きている間中俺の傍にいて、キスしたりあちこち撫でたりする。
寝るときは抱き枕みたいに俺の体に両腕を回した。
時々俺に名前を刻んだ。
胸とか腕とか、見えないけど多分背中にも同じ文字。
ALEPH COULSON
持ち物に名前?
アレフは嬉しそうに笑っている。
俺たちはそういう時間を繰り返し、俺はゆっくりと弱っていった。
アリサさん。……心配してるだろうな。
あの人にだけはなんとかうまく言っといてくれるといいけど。
今のアレフじゃ期待するだけ無駄か。
今のアレフは毎日とても楽しそうだ。
多分俺を見ることをやめたせいで色々と吹っ切れたんだろう。
こんなふうに囲っておきながらお前は俺を見ていない。
だから気付いてないだろう?
お前が部屋にいないとき、幸せそうに寝てるとき。
俺は嗤っている。
呼吸はだんだんと遅く浅くなっていって、俺は昔ちょっとだけ世話をした犬のことを思い出していた。
その犬はどこからか迷い込んだ小犬だった。
まだ子供だった俺は弱っているそいつが珍しくて、連れ帰ることにした。
犬の世話なんてしたことがなかったから、とりあえず毛布でくるんで温めたミルクを飲ませた。
痩せて毛並みの悪かったそいつはおとなしかった。
今思えば抵抗する体力がもう残ってなかったのかもしれない。
いずれにせよそいつは死んだ。
俺は毛布の中の呼吸がだんだん遅くなって、ついに止まってしまうまで、痩せた子犬を毛布ごとずっと抱いていた。
そのあと冷たくなった犬をどうしたのかは覚えてない。
多分使用人が片づけたんだと思う。
久しぶりにアレフがカーテンを開けた。
何日か、ひょっとしたら何十日ぶりかで俺は窓の外の景色を見た。
外はひどい土砂降りで、なのになんで雨の音は聞こえないんだろうと俺は思った。
耳を澄ましてみても聞こえて当然の音は聞こえなかった。
そうしているうちにアレフが怒ってカーテンは閉められてしまった。
掻きむしられた胸の名前が別の字になるんじゃないかと俺は心配になった。
紅い指先が視界を横切って、俺は一つ瞬きをする。
喉に暖かい手が掛かる。
寒い部屋だから余計に感じる暖かさは、そのまま圧迫感になった。
絞殺か。
窒息死は死体が汚いんだよな。
でもここで殺されたら。
アレフはきっと。
ずっと俺のこと覚えてるよな。
ある時目が覚めたら、なんだか背中が寒かった。
ただでさえ暗い部屋がさらに暗かった。
近頃の俺には昼と夜の区別がつかなくなってきていたけど、そういう暗さじゃなかった。
俺を抱いたまま寝ているアレフがやけに暖かい。
寒くて寒くて、俺は泣きたくなりながら丸くなった。
きっと冷え切ったらあの犬みたいになるんだと思った。
俺は途切れがちの遅い呼吸をなんとかして続けさせようとした。
だってまだアレフが目を覚まさない。
まだアレフは暖かい。
泣きたかった。
なあ、だってお前、俺がどんなとこで育ったかなんてこと全然知らないだろう?
親兄弟で殺し合うのが当たり前で、毎日の食事にだって何入ってるかわからないって気を張って、毒味役が味方とは限らないから自分でもわかるように毒の味を知っておくんだ。わざと毒物を口に含んで吐き出すんだ。俺は体が弱かっ
たから、熱を出して寝込むたびに俺を殺すには絶好の機会だと思ってた。きっと明日の朝には心臓を一突きにされてるんだろうと思ってたんだ。
そんなこと、お前全然知らないだろう?
俺だって同じなんだ。自己防衛のためだって何だって、人を殺してたことには違いないんだ。俺は上の方にいたから、だから命令することがほとんどだったけど、直接手を汚したことだって一度や二度じゃないんだ。間接的に殺した人数だってわからない。でもきっと何十人も殺してる。三桁いくかもしれない。
わからないだろう?
俺の手の紅い汚れが、お前には見えてないだろう?
それがどんなに容易なことかなんて、きっと全然わかってない。
人を殺すなんて、本当に簡単なんだ、アレフ。
俺の首を絞めて、結局殺せなかったお前が思ってるよりも、ずっと。
怖かった。
そういう、お前の知らない色々を知ってる俺を知られたら、嫌われるんじゃないかと思った。
知られなくても、俺たちのくだらない争いに巻き込まれるんじゃないかって、悪くしたらそのせいで殺されるかもしれないって、ずっとずっと考えてた。
だから他に誰もいない、二人だけのこの部屋は、俺にとっても至福の部屋なんだ。
ここにいさえすればお前をおいていかなくてすむと思ったんだ。
なのにアレフに殺されなかった俺の呼吸は止まろうとしてる。
アレフ。
ごめんな。俺のこと好きだって言ってくれたのにな。
こんなことするくらい、俺のこと好きでいてくれたのにな。
お前の気が済むまで傍にいてやりたかった。
でももう無理みたいだ。
ごめん。
俺はお前が好きだよ。
本当に、本当に好きだよ。
「アレフ」
寝ているアレフの上に屈み込んで
「アレフ」
覗き込んだ顔に滴が落ちる
「アレフ」
形の綺麗な指先が前髪に触れる寸前、また滴が落ちた
「ごめんな」
もう傍にいられない
手首の痛みはいつの間にか消えていた。
これでお前のすべては俺のもの
―――捕えられていたのがどっちなのか、きっとお前にはわからない。
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