CYBERNETICS PLUS




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 コンタクトレンズの時刻表示が十二時になると同時に、キコーン、と音がしてルーはデータアクセサーから顔を上げた。金属と木を続けて叩いたようなそれは、誰かあるいは何かが入室することを示す。拡張現実用の呼び鈴だ。

PLUM-R entered a room.

 時刻表示の下に出力された一文を読み、ルーが視線を移動させたときにはすでに受信は終了していた。送信された動画情報が、床の中央にあたる座標から上に向かって順に上書きされ、そちらを向いたルーのコンタクトレンズに表示される。
「よお」
 レンズ越しの視界、部屋の中央にリィが立っている。正確には彼の画像が立ち姿で表示されている。
「時間通りだな」
「タイマーセットしといたんだ」
 片手を上げてにこりと友好的に笑うリィは実世界で見るときと変わらない。拡張現実で使う画像を実世界から取り込んだまま加工していないからだ。
「で、どうよ?」
「多少手こずった」
 データアクセサーを手元に引き寄せながらルーは答える。そばに寄ってきたリィにも見えるように体の向きを斜めにした。ルーの肩越しに画面を覗き込んだリィが、表示された一連のデータを眺めて感嘆の声を上げる。
「うわすげえ。マジで出来たのかよ」
「いつでも持って行っていいぞ」
「じゃ早速。いいか?」
「ああ。宛先は?」
「ここ」
 リィは右手をルーの目の前で広げて見せた。中指の先の一点に赤い光が点く。レーザー光に似た色の光は、おそらくはリィの鼓動の周期に合わせてだろうが、点滅を繰り返している。
 ルーはデータの転送宛先をNULL値に変更。これは実際に転送される際に、リィの側から送られてくる宛先情報に自動的に更新される。
 準備をしながらルーは訊ねる。
「ケーブルは繋ぐか?」
「いいよ別に。やばいデータじゃねぇし、無線のが早ぇし」
 リィは首を振りつつ、ルーのデータアクセサーのあちこちに視線をやっている。ルーはそれを横目に見ながらジャックからケーブル類を引っこ抜く。
 この部屋では外部と有線接続する場合、一旦この建物のサーバーを経由してからでなければ外に出られない。一方、拡張現実の画像は、他者に対する視覚情報であると同時に、利用者の端末でもある。今のこの状況なら、動画像のリィとの無線接続のほうが、有線接続よりも短い経路で外部と交信できる。
 盗聴や雑音に対しては有線接続の方が信頼性が高いが、物理的な距離が短いほど情報のやり取りが速く出来るから、覗き見られても構わないデータなら無線接続の方がいい。実世界のリィがどこにいるのか知らないが、違法侵入するわけでなし、おそらく最短経路でこの部屋にアクセスしているだろう。有線接続よりかなり高速でデータ転送が出来ると考えていい。
 しかし、いくら暗号化するとはいえ、某大企業の開発研究資料というのは充分「覗かれたらやばい」データだとルーは思うのだが……。
「なあ、I端子どこだ?」
 I端子とは赤外線用入出力端子のことだ。
「後ろにある」
「お、あったあった」
 リィはデータアクセサーのI端子に右手中指を近づける。指先が端子に触れないぎりぎりのところで停止する。接触させると、画像情報を雑音として端子が拾ってしまう。
「準備完了」
「じゃいくぞ」
 準備万端整えたルーがENTERキーを押し、データの送受信が始まると同時に、リィがぴたりと動きを止めた。「じっとしている」のではなく「静止している」。動画像の実世界との同期化を一時停止し、その分をデータ転送にまわしているのだろう。
 データのやり取りには十秒ほどかかった。圧縮してこれだけ時間がかかるとなると、かなり容量が多い。
 リィが端子に手を伸ばした姿勢からぱっと手を脇に垂らしている姿勢に変わった。どうやら動画の同期を取り始める前に動いてしまったらしい。
「……ん、確かに」
 送受信のログを一応確認していたらしいリィがにっと笑った。
「やー、助かった助かった。さすがだな!」
 リィの讃辞にフッと笑って応えるルー。
「俺暗号解析って苦手なんだよなぁ……。なあ、でもこの礼ってほんとにメシだけでいいのか? なんか欲しいデータとかあるなら取ってくるけど?」
「いや、いい」
「そうか? ……食ってねえのか?」
「違う」
 と言いかけたルーの言葉を遮って、キココココンと木を連打したような音が室内に響く。
「警告音だ」
 なんだこの音、とでも言いたそうな顔になったリィに音の機能を教えながら、ルーはデータアクセサーのキーに指を走らせる。
 この部屋自体のセキュリティはたいしたことはない。入居した当時のままになっている。重要なデータやハードを置いていないからだ。そういったものはすべて奥の部屋にある。だからここまではともかく、この先に侵入されるのは変にまずい。おいそれと突破されるような壁は作っていないつもりだが、だからといって放置しておくというわけにもいかない。
 自作の撃退ツールを起動したところでリィが視線を上げて「あ」と呟いた。
「なんだ?」
 プログラムを展開しながらルーが訊ねる。
「割り込みかかっ……あー!」
 突然叫ぶリィ。ルーが何事かと思わず振り返る。
「やば、壁開けろ壁!」
 言うより速くデータアクセサーに制御コマンドがなだれ込む。データ転送の際のリンクを完全に切っていなかったリィが流したものだ。
 驚いたルーが撃退プログラムのウインドウを下から上へ高速移動していくコマンド群を止める前にセキュリティは解除された。実世界のキー入力よりも拡張現実からの強制操作の方が速かった。
 人のマシンに手出しした非礼を咎めようとルーが口を開くより速く、
「悪い!」
 リィが謝った。同時に鳴る。カコーン。音はちょっと違うが、これも入室音だ。ただし、こちらは仮想現実からの来訪を示す。
 音に反応して部屋の中央に目を向けたルーのレンズに映るCG。時計の下のログ。

PLUM-S entered a room.

 違法侵入を仕掛けていたのはシャドウだった。
「開けねえとこいつ……」
「どういうつもりだ!」
「それはこっちの言うことだろーが!」
 言いさしたリィのセリフを遮ってシャドウが怒鳴り、それにさらにリィが怒鳴る。
「ルーに解析してもらうって言ったろ?!」
「俺が言ってんのはそれじゃねえ!」
 画像二人はぎゃいぎゃいと言い合いを始めてしまった。
「うるさい」
 過去の経験から何となく事情を察してしまったルーが呟き、醜い争いを止めに入った。言葉と共にキーを打つ。
「「うわ?!」」
 よく似た二人が同時に悲鳴を上げた。リィは左手首を、シャドウはこめかみを押さえる。接続部分にルーが電圧をかけたのだ。リィは接続用端子が手首近くにある携帯端末を左腕につけている。シャドウはおそらくこめかみのあたりに接続用端子がついたヘッドマウントディスプレイを装着しているのだろう。
「なにしやがる!」
 例によって噛み付くシャドウに、
「お前がハッキングなんかしようとするからだろー?」
 リィがちょっと違う事を言う。
 はあ、とため息をついて、リィはすまなさそうな視線をルーに向ける。
「その……ごめんな、ルー。壁開けねえとこいつ無理矢理吹っ飛ばしちまうからさ」
 リィの言う壁とはファイアウォールを始めとするセキュリティのことである。
「けっ」
「あのな、謝れよお前っ」
「リィ、だいたいわかったからいい」
「なにがだよ?!」
 怒りの矛先がこっちに向いてしまったので、ルーはとりあえず片手を上げて怒れる動画像を宥める仕草をする。
「まあ落ち着け」
 睨み付けてくるシャドウに向き直り、簡潔に事実を述べた。
「何もなかった」
 シャドウはじろりとリィに視線を移す。
「あのなー……。俺画像なんだぜ? 抵抗値も設定してねえのに一体何があるってんだよ」
 ほら透ける透ける、とルーの肩のあたりに腕を伸ばすリィ。言葉通り画像の抵抗値がゼロなので、リィの腕はルーにぶつかることなく向こう側に突き抜けた。
「もーお前過保護過ぎんだよ。いいかげんにしろよな」
「まったくだ。いい歳してみっともないな」
 さりげなく同調するルーに火を噴きそうな視線を向けながら、シャドウはリィに向かって苦々しい口調で言う。
「おい、もう終わったんだろ。さっさと帰ってこい」
「やだね」
 べっと舌を出すリィ。一体幾つだとルーは言いたかったが、シャドウとの睨み合いの最中だったのでやめておく。
「これからメシ食いに行くんだからよ」
「んだとぉ?! こいつとか?!」
 シャドウはばっと勢いよくリィに向き直った。
「他に誰がいんだよ」
 呆れた様子のリィにルーも向き直る。
「今からか?」
「おう。あ、なんか用事あるならべつにいいけど」
「いや、特に予定はない」
「そっか。そりゃ良かった」
 リィはにこりと笑う。嬉しそうな笑顔につい微笑み返してしまうルー。
「待てっ!」
 異議を唱えたシャドウに、リィは「遅い」と言ってドアを指さす。廊下との境目にあるドアを。
「今着いた」
 いたずらっぽい顔で笑ったリィが消える。カコーンというこれは退出音、レンズの表示は「PLUM-R left a room.」、一呼吸の半分ほどの時間をおいてどんどんと少々乱暴に叩かれるドア。ちなみに実世界のドアには呼び鈴はつけていなかったりする。
 はからずもシャドウと顔を見合わせてしまったルーが、その事実にちょっと顔をしかめながら鍵を開ける。
 がちり、とノブが回り、扉は軋みながら開く。
「よお」
 ドアの向こうでいつものように片手を上げてリィは笑った。
「……アーグ(Augmented-Reality/拡張現実)か?」
「リアル(Real-World/実世界)だって。部屋の外まで位置情報把握してるわけじゃねえんだろ?」
 廊下の位置情報まではさすがに把握していない。ということはつまり、画像であるならば表示はされない。画像表示の指定範囲外だからである。
 肩をすくめながらリィは室内に足を踏み入れる。
 シャドウは顔をしかめてリィに訊ねる。
「今までどこから接続してやがったんだ?」
「道。歩きながら。リアルの動きとアーグの動きと連動させねえやつ作ったろ」
「にしたって危ねえだろうが。アーグに気ぃ取られて車にでも轢かれたらまるっきり馬鹿野郎だ」
「平気だって。お前マジ過保護な」
 緊張感があるようでないような会話の横で、ルーは人工樹脂の筒を右目に当てる。筒の底に溜まっていた如何にも人工物じみた青い溶液が重力に逆らってせり上がってきた。溶液はそのままルーの眼球を浸し、コンタクトレンズを剥がしてまた底へと戻っていった。
 左の瞼を降ろして右目だけでコピーして色変えしたような二人を見てみる。
 ルーは網膜処理をしていない。だからこそ拡張現実の支援の為にコンタクトレンズを着用しているのだ。
 果たして裸眼で見えたのは実世界のリィだけで、CGのシャドウの姿は見えなかった。音声はレンズではなく耳に装着したマイクに依存しているので問題なく聞こえる。
 それを確認したルーは、軽くため息をつきながら、再び筒を目に当ててコンタクトを着けた。その頃には二人の会話は信用してないとかしてるとか少し親離れしろとかそれなら子離れの間違いだろバーカとかバカっていう方がバカなんだとか、子供の喧嘩のような有様になっていたのである。
「とにかく俺はメシ食いに行くんだよ!」
 というリィの一声でとりあえず決着はついたらしい。シャドウはぎりぎりと奥歯を噛み締めながら沈黙した。
「ふー……。あ、悪い。それじゃ行こうぜ」
 そうだなと頷き、ルーはデータアクセサーの電源を落とす。
「なあ、アーサーは?」
「食物を出す店にペットはどうだろうな」
「うーん。そうだな。生兎だもんな」
 なまうさぎという単語にルーがちょっと絶句していると、横合いからシャドウが「おい」と呼びかけてきた。さっさと部屋を出ようとしていた生身の二人はその低い声に足を止めて振り返る。
「何処に食いに行くんだ?」
「んー? いつものとこでいんじゃねえ?」
 な、とリィはルーに承諾を求める。ルーが頷いたので、
「お前も来るのか?」
 と訊き返した。シャドウはいつものように偉そうに言う。
「行くから待ってろ」
「待たねえ」
 さくっと切り返すリィ。
「俺腹減ってんだよ」
 と言う間も惜しかったのか、シャドウの応えを待たずに、ルーの腕を引っ張って部屋から出て行ってしまう。
「待ちやがれ! いつもの所だな、体持ってすぐ行……!」
 シャドウの叫びは鍵をかけたドアに遮られてしまった。
「……いいのか?」
 一応礼儀としてそう言ったルーにリィはぱたぱたと片手を振った。
「いんだよ。どのみちすっ飛んで来んだから。先行って食ってようぜ」
 それだけ言うと本当に空腹だったのか、リィは後も見ずにエレベータに向かう。
 その後ろ姿を眺めて、ルーはちょっと意気が消沈した。


 暗号解析の報酬、それは。
 二人きりで食事したいという意味だったのだが……。




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