あなたがほしい
わたしだけのあなたがほしい
どうしたらあなたはわたしだけのものになる?

……部屋に閉じこめ鍵かけて、誰にも奪われないように?

なるほどそれならたしかに
あなたはわたしだけのもの






きみの目が雨を見ている帰りたいよと空に話してる






「アレフ」

寝ている俺の上に、リィが上体を屈ませる。

「アレフ」

久しく聴かなかった声だ。

聴き惚れているとぱたりと頬に落ちてくるものがある。

続けて落ちてくるそれを不思議に思って見上げると、リィは黒い眼から透明な滴を零している。

「アレフ」

ぱたぱたと滴は落ちてくる。

どうして泣いているのかわからなくて、手を伸ばして、茶色の前髪に触れようとした。

触れる寸前、また滴が落ちた。



「ごめんな」

リィは最期に、そう言った。







開いたドアはキィ、と微かに軋んだ音をたてた。
ベッドの上に伏せたままのリィがぴくりと肩をふるわせるのが見えた。
けれど反応はそれだけで、近付いても身じろぎすらしない。
乱れた髪が表情を隠している。
手にしていたトレイ、食事の乗ったそれをサイドテーブルに置く。
部屋は暗く、空気は澱んでいた。
せっかくの料理の芳香もここでは異臭と同類でしかない。
空いた手でリィの剥き出しの肩を掴む。
肩は冷たかった。
決して暖かくはないこの部屋で、俺が放り出したその姿勢のままなのだから当然の話だ。
引きずり起こしても何の抵抗もない。
ぐたりと力の抜けた体の扱いはここ数日ですっかり慣れた。
重力に従って項垂れる首を起こすと、黒々と深い色の瞳と目があった。
リィはいつも俺を見る。
見るだけ。
なにも言わない。
表情もない。
それでもその黒い瞳に映るのは自分だけで、俺はひどく満足する。
手を放すとまたベッドに逆戻りしてしまうリィのために、俺は片膝をたてて冷たい背中を支えて、片手で顔を上げさせ、片手でサイドテーブルを引き寄せる。
どうせまた食べないんだろう。
そう思いながらスプーンでスープをすくってリィの口元に持っていく。
湯気を立てているスプーンがすぐそばにあっても、形の良い唇はぴくりともしない。
食事時は顎を掴むわけにはいかないから、片手で真っ直ぐに顔を上げさせるのは難しい。
自然と俯く形になったリィの顔をのぞき込む。
視線は顔の正面を向いている。
匙を投げて口づけた。
唇は。
唇も、ひやりと冷たかった。






嫌だとかやめろとか、さんざん喚き散らして暴れたのは初めの日だけだった。
気絶するように意識を失って、目を覚まして、それ以来リィは魂が抜けたみたいになった。
けど衝撃のあまり正気がぶっ飛んだとかいうわけではなさそうだ。
なのに何も言わずにじっとしているのは謎と言えば謎だったが、そんなことは俺にはどうでもよかった。
念願叶って手に入れた幸福の前にはどんなことも些末だ。
この髪も眼も唇も手も足も全部、俺だけのもの。
ようやく、手に入れた。
あとのことは全部どうでもいい。
ロープが食い込んで血の滲んでいるリィの青白い手首を眺めて、俺は一人、悦に入った。






外を出歩かなくなった俺のところに、何人かの知り合いが何度か訊ねてきた。
そいつらはたいてい俺に何があったのか尋ね、別にと答えるとその次はリィの行方を訊いた。
それには知らないと答え、あとはもう帰ってもらった。
アルベルトが来たときはちょっとまずかった。
あいつは力だけはあるから、押し込もうとするのを追い返すにはかなりの骨を折った。
アリサさんが来たときはさすがに少し悪い気がした。
それ以来、俺は来訪者と顔を合わせるのをやめた。






持ち物に名前。
書く代わりに傷をつけた。
ALEPH COULSON
入れ墨みたいに、このままずっと残ればいいと思った。
とろりと流れた赤を見て、消えないように何度も刻めばいいのだと思った。
名案だ。
嬉しくて笑った俺の顔が、黒い瞳に映っていた。







リィ以外の生き物と会わなくなってから、どれくらい時間がたったのかもうわからない。







窓硝子を叩く水滴の音に目が覚めた。
リィを抱きしめていた腕をほどいて、ベッドから下りて久しぶりにカーテンを開ける。外はひどい雨だった。
振り返ると、リィが顔を上げていた。
そのひどく珍しい事態に驚いた。
起きてたのか。
近頃は弱ってきていて、以前にも増して動かなくなってたのに。
すごく意外だ。
しばらくして、俺はリィが見ているのが俺じゃなくて雨であることに気がついた。
意識のないことの方が多くて、珍しく起きたと思ったら、俺より雨のほうがいいってのか?
それとも今更外に未練が湧いたのか。
俺は乱暴にカーテンを閉めて、ベッドに戻り、リィを仰向けに押し倒して。
胸に付けた傷に爪を立てて。
細い喉を両手で掴んで。
力の限りに締め上げる。








子供の頃、虫を捕まえてきたことがある。
虫籠なんて持ってなかった俺は、捕まえた虫を箱に入れた。
そうして時々箱を開けて中を覗いていた。
餌をやるなんて俺は思いつきもしなかったから、覗くたびに箱の中で虫は弱っていった。
蓋を開けた隙間から必死で逃げ出そうとする動きがだんだん鈍っていった。
そして、ある日とうとう、隅の方で丸くなったまま虫は動かなくなった。




そんなふうにリィも弱っていった。
痩せて死人のような顔色になったリィは、壮絶に綺麗だと俺は思った。








「アレフ」
寝ている俺の上に、リィが上体を屈ませる。
「アレフ」
久しく聴かなかった声だ。
聴き惚れていると、ぱたり、と頬に落ちてくるものがある。
続けて落ちてくるそれを不思議に思って見上げると、リィは黒い眼から透明な滴を零していた。
「アレフ」
ぱたぱたと滴は落ちてくる。
どうして泣いているのかわからなくて、手を伸ばして、茶色の前髪に触れようとした。
触れる寸前、また滴が落ちた。
「ごめんな」
リィは最後に、そう言った。






びっくりして目を開けた。
リィは隣で丸くなっていた。
両腕を縛り上げたロープが解かれた跡はない。
起きあがって俺の上に屈み込めるほどロープは長くない。
ということはあれは夢だったんだろう。
そう思いながら、俺はようやく異常に気がついた。
リィが冷たい。
揺すろうと手をかけた肩がいつもよりずっと冷たい。
傷だらけになった胸は、なんだかちっとも動いていないような気がする。
「リィ」
揺すっても叩いてもリィは目を開けなかった。
恐る恐る指を当てた首筋は静かだった。





箱の隅で丸くなって虫は死んだ。

そんなふうにしてリィも動かなくなった。







子供だった俺は虫の死骸を土に埋めた。
だから箱の中の虫みたいに丸くなって動かないリィも、やっぱり土に埋めてやるべきだろうと思った。
何処がいいかな。
綺麗な、景色のいいところがいい。
ローズレイクの畔なんかどうだろう。
そう思って見降ろした美貌に、俺はうっとりと微笑みかける。









これでお前のすべては俺のもの










―――けど、なんだって最期にリィは謝ったりしたんだ?
まあ、そんなことどうだっていいけど。









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