『夕立』
最近、人もめっきり来なくなった草木の茂った公園で、私はいつものように小説を楽しんでいました。
夏の暑い日でした。その日は蚊が多かったので、脇で蚊取り線香を焚いました。主人公が親友と
口論をする場面に差し掛かったところで、頭の上で怒鳴り声が聞えました。空を見上げると、南の
方から重たい積乱雲が渦を巻いてやってきます。私はその日、傘を持ち合わせていなかったので、
「あ、いけない」と思い、帰宅することにしました。開いていたページに栞代わりの竹笹を挟んで、
渦巻き線香の先をパキンと折って、木陰の椅子から腰をあげました。ふと、体操服を着ている6、7
歳の幼い男の子が1人、ポツンと立っていることに気が付きました。少年もこちらに感づいたらしく、
私の方を見て、首を傾けながら微笑んでくれました。「僕。もうすぐ雨が来るよ」「うん、知ってる」「家
に帰らないの? 雨にうたれてびしょ濡れになってしまうわよ」「いいの」「風邪をひいてしまうのよ」
「いいの、ぼくの家はココだから」 その少年は親とケンカでもして、今ココにいるのだろうと、私は思
いました。辺りが急に暗くなってきました。粒雨がぽつぽつと落ちてきました。私は慌てて、少年の
手を握って言いました。「僕。早く雨にうたれない場所に行きましょう? お姉さんと一緒に、ね?」
“お姉さん”言うには少し無理があったかなと思いましたが、それが女の良い所です。私は少年の
手を引いて走ろうとしました。しかし、少年は動きません。・・・今になって考えれば、その少年は、元
に居た場所から一歩も動いていなかったように思われます。少年は私の手を解き、再び笑みを寄せ
てくれました。「お姉ちゃんも早く行かないと、びしょ濡れになっちゃうよ」 再び空が怒鳴りました。
それは私に忠告をしているかのようにも聞き取れました。ばたばたと激しい雨が降ってきました。
「バイバイ、お姉ちゃん」 少年は首を傾けて、微笑みながら手を振っています。「別に遊んでいても
良いけど、ちゃんと家に帰るのよ」 私はそう言い残して、鞄を雨避けにしながら、駆けて公園の門を
くぐりました。後方から子供の笑い声が聞えます。私はもう一度少年を見たくなって、その場で振り
返りました。少年は水溜りを足で蹴って遊んでいました。私がその姿を見て、これなら大丈夫かな・・・
そう思って、公園を後にしようとしたとき、少年が両足で大きく跳ねました。少年は両手をあげて、その
まま水溜りの中に消えてしまいました。私は鞄を道に落としてしまいました。夕立が去って光が射す
まで、ずぅとその場に立ち尽くす事しか出来ませんでした。
それから数ヶ月がたち、私の庭である公園の上にビルが建つことになりました。今まで十年間ほど
通いつめただけありまして、大変名残惜しく思われました。工事が始まった次の日の朝刊に目を通し
ていた時、私はあっと驚きました。『5〜8歳児のものと思われる白骨死体見つかる』 今から十五年
前に、幼い子供ばかりを狙う連続殺人事件があったそうで、その事件で犠牲になった六人の子供の
うちたった一人だけ、未だに発見されずにいた当時七歳の男の子がいたそうです。多分、あの少年は、
その男の子でしょう。―――しかし、1つフに落ちないことがあります。少年は何故私に向かって微笑
んでいたのでしょうか? 普通、残虐な殺され方をされたのならば、後には怨念しか残らないのではな
いのですか? 今でも私は、その少年の微笑をふと思い返すことがあります。私はそのたびに、安らか
な気持ちになりながらも、言い知れぬ不気味さにそれを躊躇するのです。
Fin