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「―――兄者!!」 叫びとともに飛び起きると、そこには見慣れた光景が広がっていた。粗末な毛布の塊が幾つか転がっている、薄汚れたテントの中である。自ら戦に出向き、その剣で明日の糧をもぎ取ってゆく傭兵達。その中でも数少ない女戦士達が、このテントで束の間の休息を取っているのだ。 リーファはまだぼんやりしている頭を押さえながら、周りを見回した。どうやら、まだほかに起きている者はいないらしい。それを確認し、ふうっと溜息をつく。 全身がだるい。疲れがのしかかってくる感じだ。ここのところ毎朝感じる重さに、彼女は体を丸めた。くせのない長い金髪が、寝起きのため乱れている。その乱れを直すような格好で頭を抱えた。 「……兄者……何故だ……?」 夢の中の、兄の哀しげな表情が脳裏に蘇る。そう、あの日から彼女は同じ夢を見つづけていた。戦場で、蒼の道化師―――そう呼ばれていた敵方の傭兵と、対峙したあの日から。 蒼の道化師。それは、一年ほど前の戦で姿を現し、あっという間に数々の戦果を上げ、その名を轟かせた傭兵の異名である。顔にいつも銀の仮面をつけており、その左の頬に青い涙の雫が描かれている事からそう言われている。が、その本名など個人的な事は、一切知られていない。騎士の姿をしているが、その所属も明らかではない。 ただ、戦士としての凄まじさだけが知れ渡っていた。彼が舞うように振るう紅い刀身の剣は、人振りで十人の敵兵を切り裂くといわれ、彼の参加した戦の敵軍からは、ほとんど生き残りが出ないという。崩すのに三日はかかると言われた敵陣を一日のうちに壊滅させ、また時には敵兵が駐屯していた村に夜襲を仕掛け、敵兵もろとも皆殺しにしたとも言われている。 尾鰭はつき過ぎるほどついているだろうが、誰もがこれだけは疑っていないだろう。仮面のしたの戦士は、恐ろしく冷徹な、鬼神のような男だと。 リーファもつい先日まではそう思っていた。実際自分の雇われた部隊にの敵軍に、蒼の道化師が雇われたと聞いた時には、部隊を脱退しようかと本気で思ったほどだ。が、同時に生まれた、自分の実力をタメして見たいという気持ちに押され、その場は踏み止まった。 そして、あの日。彼女は彼と対峙した。リーファ達の部隊の野営地が奇襲を受けたのである。そこで彼は実際に、背筋も凍るような戦いぶりを見せ、リーファはそれに圧倒された。 乱戦の中、剣を振るいながら彼女は死を覚悟した。完全にあの男の前に出たら……死ぬと。彼はまさしくこの世の死神に等しかったのである。 だから蒼の道化師の素顔を見てしまった時には愕然とした。 慌てて顔を片手で隠し、駆け去って行くその男。その顔は紛れもなく、彼女の兄の顔だったのだ。別れて数年経つが、それでも間違えようもない。 だが……。 「どうしてしまったのだ……アルフレッド兄さん」 兄の、苦悩と哀しみの入り混じった表情が頭を離れない。彼は変わってしまったのだろうか。昔の彼は、確かに相当強かったが、あんなに鬼気迫る雰囲気は持っていなかった筈だ。一緒に戦場に出、共に戦った事もあるが、いまの戦いぶりとはまるで違っていた。堂々としていたし、振るう剣には一種、ゆとりのようなものがあった。負け戦に出ていた時ですらそのスタイルは変わらず、それが彼の剣技なのだとずっと信じていた。 しかし。いまの彼は、まるで血に飢えた狂犬のようだ。何かに追い詰められでもしている様に鋭く、がつがつと何かを貪るように剣を振るう。流麗な舞いのような動きは全く変わらないのに、その意識は完全に方向を変えてしまったらしい。 位があろうとなかろうと、昔の兄は騎士だった。だが、いまの彼は血に飢えた狂戦士である。 一体何があったのだろう――――わからない。 リーファと兄、アルフレッドは一度負け戦を経験している。自国が敗れ、敵国の支配下に入り、騎士の階級にあった彼女等の家は、その位を失った。だが、その時でさえも兄は言ったのだ。職を失い、二人ともが家を出て、剣を職として生きる事を決めた時さえ。 「いつかこの手でもう一度、騎士の位を手にいれて見せる」 そう言い放った凛々しい顔立ちをリーファは忘れた事がない。そして信じていた。次にあった時には必ず、騎士にはなっていなくとも、立派にやっている姿を見せてくれると。そしてそんな兄に負けないようにと、自分も剣の腕を磨き、厳しい生活に耐えてきたのである。 それなのに。どうしてしまったのだろう。何が彼を変えてしまったのか。 毛布を抱え込み、テントの隙間から差し込む弱々しい朝の光を眺めながら、リーファはもう一度溜息をついた。何にせよ、再び出会わない事には始まらない。解らない事が多すぎるのだ。それを知るためにもゆっくり会って話しがしたかった。 そのためには…。 凍った朝の空気の中、彼女はついに迷いを捨てた |