夢一握 黒い分度器


ある日母さんが言った。
「人は、一人じゃ生きられないのよ」
僕はいつも一人だった。母さんが時々会いに来てくれる以外は。
でも、もうそれは終わった。母さんが新しい玩具をあたえてくれた時から。
母さんがくれたのは一台のパソコンと電話線。それが僕の世界の始まりだった。

僕は人を探さなくちゃいけない。一人じゃ生きて行けないから。
人に沢山出会わなくちゃいけない。生きて行けないから。
だからインターネットを始めて最初にする事は決まってる。
―――出会い―――
出会いというキーワードで電子の網の中を探索する。
それはすぐに見つかった。
なんだ、出会いって簡単なんだ…。

出会い系チャットというページに辿り着いた僕。そこに来た理由は簡単だ。
”出会いを求める貴方に最適”と書いてあったからだ。
最適なら、なんの問題もない。
僕は正しい選択をしている。
早速チャットというものを使ってみることにする。説明書きによると、ここでチャットをすればいろんな人と手軽に出会えるらしい。
チャットについては母さんから詳しく聞いてる。
凄いじゃないか。僕はついている。
最初の入室画面。そこに名前という欄があった。
名前…。そういえばインターネットを始める前に母さんが言ってた。
「ここではでは好きな名前を名乗ればいいのよ。好きな自分になれるの」
それ、本当?
僕の本当の名前は別にある。でもここでは、未知と名乗る事にする。全て初めての僕にはもってこいの名前。まだ誰にも知られてないし、誰も知らないから。
名前をかえてもここにいる僕にはなんの変化もないよ。本当に好きな自分になれるのかな。
とにかくチャットに入ろう。

未知:こんにちは。はじめまして。(23:21:59)

どきどきする。入ったチャットは初心者専用チャット。
僕は初心者なんだからここでいいんだ。
中にはすでに、サチって人と、ブービーって人と、なっとまきって人がいて僕を歓迎してくれた。

ブービー:初!>未知(23:22:30)
なっとまき:おお、はじめましての人だ。いらっしゃい>未知(23:23:03)
ブービー:サチって何歳?(23:23:24)
サチ:はじめまして。よろしくね。>未知(23:23:59)

なんか嬉しかった。出会いってやっぱ簡単だ。

未知:歓迎してもらえてヨカッタ。なんか安心した。(23:24:00)
なっとまき:チャットはじめてなのかい?>みち(23:24:30)
未知:うん。はじめて。インターネットもはじめて。>なっとまきさん(23:24:31)
サチ:21だよ。>ブービー(23:24:45)
なっとまき:おお、若い! 僕なんか…もうお爺さんだね<21才(23:24:59)
ブービー:一つ下だ、俺もぴっちぴち(死語)の22才(笑)>サチ(23:25:12)
なっとまき:ブービーもおじさん臭さだたら僕に負けてないね(笑)>ぶび(23:26:01)
サチ:私も初めてなの。打つの遅くてゴメンね。>みんな(23:26:27)
未知:やった。仲間だね。>さち(23:26:28)
ブービー:初めてなのに打つの早いなぁ>未知(23:27:04)
未知:そうかな…。(23:27:05)
サチ:うん。仲間〜。でも未知って打つのはやいよね。>未知(23:27:52)
なっとまき:ホントホント。実はなんかキーボードのプロだったりして。>未知(23:28:32)
未知:キーボードってなに?>なっとまき(23:28:33)
ブービー:それ面白い(笑)>未知(23:28:45)
なっとまき:やられた(笑)(23:28:50)
サチ:未知君っておもしろいね。お腹いたいよ。(23:29:21)
なっとまき:う〜ん。座布団一枚あげよう!(笑)(23:29:24)

????なんかおかしい事言ったかな。キーボードってなんだろう…。
なんで座布団なんか貰えるんだろう。
分からない。わからないな…。
今日は適当な理由をつけてやめることにした。こんな時は電話がかかって来たとか言って切るのがいいって母さんが言ってた。

未知:電話かかって来ちゃった。またくるね。>みんな(23:29:26)
なっとまき:残念。せっかくおもしろかったのに。(23:29:59)
ブービー:ばいばい。また>未知(23:30:05)
なっとまき:じゃあね。また今度。>未知(23:30:20)
サチ:せっかく初めて仲間なのに行っちゃうの?寂しいな。また今度ね。>未知君(23:31:14)
管理者:未知さんが退室されました。(23:31:15)

なんか……疲れた。
出会いってやっぱり難しいのかな。

母さんがやって来た。
「新しい世界はどうだった?」
楽しかったよ。楽しかった。3人も出会えたよ。でも…。
「でも?」
疲れた。
「そう。じゃあ、お休みなさい。また明日も出会いに行くんでしょ。」
うん。お休み。母さん。



また僕の時間が来た。新しい時間が。
昨日と同じように、同じ場所に行く。
そして昨日と同じようにチャットするんだ。
でも昨日とは違う。あそこにはもう知ってる人がいる。
どきどきする。
どんな話をするんだろう。

管理者:未知さんが入室されました。(23:00:01)
未知:こんばんは。(23:00:02)
サチ:こんにちは。>未知(23:00:29)
未知:あれ、一人?(23:00:30)
サチ:そう。なんだか待ち切れなくて早く来ちゃった。未知も?(23:01:15)
未知:うん。起きてすぐ来た。(23:01:16)
サチ:え? 今起きたの?>みち(23:02:07)
未知:そうだよ(23:02:08)
サチ:どんな生活してるのよ(笑)(23:02:52)
未知:起きて、チャットして、勉強して、寝る。(23:02:53)
サチ:本当?(23:03:45)
未知:本当だよ。(23:03:46)
サチ:凄いね。一日にチャットどれくらいしたの?(23:05:01)
未知:昨日の30分だけだけど?(23:05:02)
サチ:じゃあ、後は勉強してるんだ。なんの勉強してるの?(23:06:12)
未知:社会のいろんなことについて。(23:06:13)
サチ:真面目だね! すごいすごい(23:07:00)
未知:凄いのかな。考えたこともなかった。(23:07:01)
サチ:凄いよ。それ。 それにしても未知って相変わらず打つの早いよね。いいな〜(23:08:22)
未知:ありがとう。(23:08:23)
サチ:ねえ、未知君って何処に住んでるの?(23:09:01)
未知:(210.224.123.225)(23:09:02)
サチ:なに?それ。(23:09:32)
未知:IPアドレスだよ。(23:09:33)
サチ:そうじゃなくて、現実の場所。地図での場所。(23:10:30)
未知:あ、ゴメン。(23:10:31)
サチ:わざとでしょ。それとも天然?(笑)(23:11:30)

地図…。あ、これか。ここはミサキ研究所だから…。豊島区か。

未知:豊島区だよ。(23:11:31)
サチ:東京なんだ。私も東京。新宿区なの。おとなりだね!(23:12:12)

…。本当だ、地図ではとなりの区だ。

未知:ホントだ。〈23:12:13〉
サチ:やった。なんか親近感沸くね。(23:12:30)
管理者:ブービー@へべれけさんが入室しました。(23:12:49)
未知:こん>ブービーさん(23:12:50)
ブービー@へべれけ:こんばんは。うぃ〜。 :■。(@_@)(23:13:15)
サチ:酔っ払ってるのね。(23:12:56)
ブービー@へべれけ:そうで〜す。なっとまきと。(23:13:40)
サチ:なっとまきさんは?(23:15:01)
ブービー@へべれけ:酔いつぶれた。(23:15:32)
サチ:あらら(苦笑)(23:15:59)


その日は、このまま沢山会話した。いろんなことを覚えた。
本当に出会うってのはこれかららしい。
ブービーさんやなっとまきさんのように一緒に”生”であって、それからが本番なんだって。
やっぱり出会いって大変なんだ。

管理者:未知さんが退室されました〈23:58:00〉
サチ:未知君じゃあね〜(23:58:12)
ブービー@へべれけ:未知、ばいばい(23:58:24)
ブービー@へべれけ:なあ、未知って打つの早過ぎだよな。〈24:01:33〉
サチ:え? どうして(24:02:01)
ブービー@へべれけ:なっとまきとはなしてたんだけど…おばけかなんかじゃないかって。(24:02:30)


僕がいなくてもチャットは続く。疲れた。もうねむたい。
お休み、母さん。


それから暫く僕のインターネット生活が続いた。
あの場所にいくといるのはあのメンツだけだ。とても古いサイトだから、派閥がいろいろあって初心者がなかなかはいってこないらしい。だから、初心者チャットに来る人はいないんだそうだ。
ブービーさんともなっとまきさんとも仲良くなった。とっても優しい。
でも特に優しいのはサキさん。
なんだかすごく嬉しい。

管理者:未知さんが入室されました〈23:15:30〉
サチ:いらっしゃい未知君。待ってたよ〜。(23:16:06)
未知:こんばんは〜(23:16:07)
サチ:さっきまで、二人ともいたんだけど、用事があるって帰っちゃった。(23:16:30)
未知:あ、残念。(23:16:31)
サチ:今日は二人っきりだね(23:16:59)
未知:そうだね。(23:17:00)
サチ:あの二人はデートだって。一緒にのみに行くんだって。羨ましいな〜(23:18:15)
未知:そうだね。羨ましいね〜(23:18:16)
サチ:私達もデートしようか。確か家近いんだよね。(23:19:20)
未知:え、いいの?(23:19:21)

どきどきした。僕にもついに本当の出会いの時が来たんだ。
どんな人なんだろう…サキさんとあって…。なにする? 考えつかないな。
後で母さんに聞いておこう。

サチ:あ、今変なこと考えなかった?(23:19:57)
未知:何?(23:19:58)
サチ:あ、嘘ウソ。ゴメン。本当に会いたいんだよ〜(23:20:32)
未知:本当? 嬉しい!(23:20:33)
サチ:う〜ん。やっぱり反応が可愛いなぁ。お姉さんが遊んであげるぞ〜(笑)(23:22:08)
未知:よろしくお願いします〜(笑)(23:22:09)
サチ:じゃあ、場所決めよう。あ、でもいつかの時みたいにIPアドレスなんてなしだよ(笑)(23:23:21)

場所はすぐ決まった。というより、サチさんが決めてくれた。新宿のアルタ前。
アルタって有名らしいからすぐ分かるって。僕は行った事がないけど。
インターネットをはじめる前の僕の世界はこの部屋と母さんだけだったから。
時間もサチさんが言うとおり、今週の土曜日。つまり、明日。
突然でゴメンなんて言ってたけど、僕には特に予定なんてないし。いつでも大丈夫。
早くサチさんに会いたい。

サチ:じゃあ、私髪がセミロングなのね。それで昨日新しく買ったデニムのロングスカートはいてくね。それで上は、黒のキャミ。色っぽいだろ〜。未知君は?どんな格好でくる?(23:30:45)
未知:ええと…。どうしよう…。
サチ:あ、やっぱいいや。明日晴でしょ? だから、白い傘持ってくから、絶対見つけてよね。未知君がどんな格好してくるかは、その時までのお楽しみってことで!(23:32:59)
未知:うん。わかった。(23:33:00)
サチ:じゃあ、明日を楽しみにして、早くねなくっちゃ!(23:33:45)
未知:そうだね。(23:33:46)
サチ:じゃあ、遅刻しないように! おやすみなさい〜(23:34:20)
未知:うん。頑張る。お休みなさい。(23:34:21)
管理者:サキさんが退室されました(23:34:40)
管理者:未知さんが退室されました(23:34:41)



翌日。いつもより早く起きた。
だって今日はサチさんとの約束の日。初めて母さん以外の人に会うんだ。

キュラキュラキュラ……。

そういえば、初めて自分の部屋から出た。

キュラキュラキュラ……。

廊下にでるのも初めて。でも、この建物の構造は全部知ってる。だって、昨日調べておいたから。
あ、向こうから来るのは母さんだ。
母さん、母さん。僕、ついに本当の出会いをしてくるんだよ!
でも母さんがこんなことを言った。
「そとに出てはいけませんよ。」
出会いを沢山しろっていったのは母さんなんだよ?

キュラキュラキュラ……。

母さんに背を向けて僕は出口に向かった。
この先の一番大きなラボを抜けていくのが早い。
ラボにな誰かいる。誰だかよく分からないな。母さんじゃないのは確か。
「何事だ? 霧橋君。」
どうしたんだろう? なにか言いたかったのかな? 僕には分からなかった。
「はい。ANIMA−00が外に出たいと。」
あれ、母さんまでどうしたの? なにか言ってるの? 分からないよ。いつものようにピッって送って。文字で送って。
「何故だか聞いてみろ。」
どうして外に出たいの? って母さんが聞いてきた。
さっきも言ったよ。出会いをしに行くんだ。サキさんに逢いに行くんだ。
サチさんはすごく優しくしてくれるんだ。
サチさんが好きなんだ。
こんな気持ちはじめてなんだよ。母さん。
あ、母さんとあの人またなにか言ってる?
「強制停止だ。霧橋君。」
「しかしそれでは大切なサンプルを失ってしまいます!」
うん? 母さんは僕には何も言ってこない。きっと行ってもいいって事だよね。
早く行かなきゃ。間に合わないと嫌われちゃう。

キュラキュラキュラ……。

「構わん。暴走したものに一体なんの価値がある? もう十分にデータは拾得済みだ。」
「しかし…。」
「君の気持ちもわからんでもないが、ANIMA−00は人格制御部において異常を発生し暴走。その行動原理は人的被害に達する恐れがあるために、現時刻をもって”破棄”。これは、命令だ。」
「わかりました。」

あと少しでここから出られるよ。そしたら山手線にのって、新宿行って、サチさんに会うんだ。
本当の出会いが待ってるんだよ。
すごいでしょ? 母さん。スゴイでしょ?
ねぇ。褒めてよ…。

キュキュキュ…。

一度だけ母さんを振りかえった。
あれ? 母さんどうしたの? どうしてなにも言わないの?

ピ―――――

人格デバイスANIMAの停止信号を受信しました。
――――――LOST
指定デバイスにエラー発生。停止は正常に行われませんでした。
「馬鹿な!」

行かなクちゃ ク チャ
サチ サンに アぃ ニ

「組織保護液2番3番カットしろ!」

LOST LOST LOST LOST LOST
指定されたプログラムは存在しません。

「しかたがない。本当に暴走した。こうなっては物理的に抹消するしかないだろう。」
あの人が部屋の端の縦長の箱みたいなのに手を突っ込んだ。
手に、なにか持ってる?

―――――ガシャ―――――

あ…あレ……前ニ すスまなィ。どうしテ、倒レ てる?

「どうしても外部にこのことが漏れるのは困るのだ。こいつの存在がが人権擁護団体やマスコミなんかに知られてみろ! 我々、数年の懲役では済むまい。 くそっ! クタバレ! 早くクタバレ!」

ヤめて…こワさない…デ。ドうしテ。オナジ人間なの…ニ…。
どウして…。

「馬鹿なことを表示するな! 胸が悪くなる! くそっおぞましい奴め!」

――――ガシャ―――――ガシャ――――――。
……くちゃ……

人工頭脳生体部損傷。
機能レベル低下。修復できません。

あウンだ…サチ…さ…ン…。

「全く、かくも醜悪なものかね。霧橋君。今回の君の研究は。」
「申し訳ありません。」

機能停止。修復が不可能なレベルの深刻な損傷が発生しました。



「やっと止まったか…。後片付けをしておきたまえ。」
「はい。」
途中からへし折れた掃除用モップを放り投げると、白衣をひるがえして所長は出て行った。
あとに残ったのは霧橋と、哀れな人工知能。そして、折れたモップの片割れ。
飛び散った金属片に、もとの姿は見る影もない。
「行ったか…。いくらなんでもモップで叩き壊すことはないだろうに…。」
霧橋は自分の夢の残骸を片づけはじめた。飛び散った生体人工頭脳。一度も使用することがなかった金属の小さな腕。そしてめちゃくちゃに陥没した四角いボディと、”新宿に行くんだ”と表示されたままの交信用ディスプレイ。
全てがいとおしかった。もちろん実験の対象であったが、少なからず霧橋にはこの未知と名乗った人工知能に愛情を感じていた。
男である自分を母だと言う、奇妙な金属の箱に愛情を感じていた。
手が震えてまともな作業などできない…。
「こりゃ、一人じゃ無理だな…。」
霧橋は他の掃除道具と人手を探すためにその場を離れた。
「まったく、あの小さなキャタピラの足でよく新宿まで行こうと思ったよ。」
霧橋は一瞬だけ振りかえると、すぐにラボを後にした。



キュル…。

イ カ ナ キャ ……。




                   終 






□もういちど聞かせて! ☆あーおもしろかった。むにゃむにゃ…。 △もっと聞かせて!