マーブルジュース
                   雨宮実久

「……何だこれは……」
 大地を這うような呻き声が、食卓へとこぼれる。声を発した青年は、その声の調子を裏切らな
い暗く渋い顔をして、卓上のある一点を見つめている。
 そこには奇妙な液体の入った透明なグラスが置かれていた。
 卓上には他にも湯気をたてているスープや、オムレツや、新鮮なサラダや、こんがり焼けたパ
ンなどの盛られた皿が幾つも並べられている。なのに彼の視線は、本来魅力的なはずのそれらの
料理へは向かず、ただその液体の所で止まってしまっていた。
 何故なら───その液体は尋常ならざる色をしていたのだ。
 少しクリーム調のパステルカラーとでも言うべきか。これこそ水色やピンクやエメラルドグリ
ーンなどといった奇抜な色が六、七種類、不完全に混ざりあい、見事なマーブル模様を描いてい
たのである。
 少しでも普通の感覚がある者なら、こんな奇抜な色の液体を飲み物だとは、まず思わないだろ
う。単色ならともかく。
 だが…。
「エリスシュリアン。もう一度聞く。……これは何だ?」
 彼は深い藍色の瞳を斜めに上げ、それらを用意した主に尋ねた。同じ食卓につき、こちらを見
つめている十二才の少女に。
「何って、飲み物に決まってるです。フェイのために作った私のスペシャル・ジュース! 体に
いいし、美味しいのです!」
 言って少女は胸を反らす。得意気に瞬く紫の大きな瞳が愛らしい。だがその愛らしさが今回は、
大きな仇になったようだ。
 フェイと呼ばれた彼が、不機嫌な顔で立ち上がる。そのままその骨張った手でグラスをつかむ
と、少女の前の卓上に乱暴に置いた。
 中身は零れなかったものの、その音はかなり大きく響いた。
「何度言ったらわかる。魔法の産物を不用意に食事に出すなと言ったはずだぞ! ましてやこん
な毒々しい色の物を……。とにかく、俺にはこれは飲めん。代わりの用意を頼む」
 少女、エリスシュリアンはひどく驚いたようだった。まさか叱られるとは思ってもみなかった
に違いない。彼女は青年の秀麗な顔をまじまじと見つめ、彼が本気なのを悟るや否や、椅子を蹴
って立ち上がる。
 その可愛らしい顔が見る間に歪み、紫の瞳に涙が滲んだ。
「フェイの馬鹿! 私の気も知らないで! いいです、もう飲ませてなんかあげないから! フ
ェイなんか大嫌いですっ!」
 叫ぶなり目の前のグラスをつかみ、少女は長い黒髪を翻して駆け出す。流石に慌てて、青年は
呼び止めようと声を上げた。
「待てエリン! 師匠の言う事が聞けないか!?」
「知らないですっ!」
「エリスシュリアン!!」
 しかし声は虚しく、音高く閉じられた扉に跳ね返された。
「……やれやれ、まいったな……」
 少々やり過ぎたらしい。疲れ切っている上に空腹で気が立っていたせいだろうか。彼は、少女
の魔法の師匠である青年フェイリーグは、己れの所業を反省しつつ深い溜息をついた。
 それから自分の居た席を振り返る。そこにはまだ、弟子のエリスシュリアンの用意してくれた
昼食が、か細く湯気を立てながら彼を待っていた。
 勝手に食べるのも部屋を飛び出していった弟子に悪いような気がしたが、折角の料理だ。冷め
てしまっては勿体ないし、無駄になるよりはいいだろう。そう思い、フェイリーグは食事に手を
つけることにした。彼自身が空腹で倒れそうになっていたということもあるが。
 料理は美味しかった。まだ十二才だというのに、エリスシュリアンの料理の腕と味覚は確かな
ものなのだ。この分ならあの飲み物もまあ、不味くはなかったのかもしれない。……などと考え
つつも、彼は夢中で食事を続ける。
 結局、彼が全ての皿をきれいに片付けるまで、二十分はかからなかった……。


「フェイったらひどい! 折角作ってあげたのに!」
 こぢんまりとした木造りの部屋の中を、少女は怒って歩き回っていた。長くて光沢やかな黒髪
が、その動きに合わせていささか大袈裟に揺れている。その前髪の一房だけが金色だ。
 自室に籠もってはや十分。エリスシュリアンは未だ思い出しても腹が立つ状態らしく、檻の中
の熊のように室内をうろうろし続けているのだった。だが、それもそろそろ限界である。
「あ〜!! 腹立つっ! 疲れてると思って特別に作ってあげたのに……そりゃ、言いつけは破
ったけど……」
 ぶつぶつ言いながらも彼女は、部屋に散乱している本の山の陰から何かを取り出す。
 それは先端に房のついた、おしゃれな小型の杖だった。
 俗に「魔女の箒」と呼ばれる、魔法使い達の必需品だ。彼らの魔法は、生き物の持つさまざま
な「気」の力を取りこみ、それを組替え、混合することで力を発する。この箒の形の杖には生物
の持つ「気」を取り込み、貯える力があるのだ。
 エリスシュリアンは金属の装飾のある柄を片手に、精神を集中させた。
 淡い光が杖を包み込む。細い柄に空いた方の手を添え、額をそれに触れさせる。と、一層強い
光が辺りを照らし出し、しばらくして杖に吸い込まれるように消えた。
「ふぅっ。これでちょっとすっきり。……でも、『怒った』ばっかり溜まってく……。困ったな」
 杖をしげしげと眺め、彼女は呟く。彼女の眼には、杖が炎のオーラで満たされつつあるのが見
えていた。
 彼女達は魔法を使うために生き物の「気」を利用するわけだが、その「気」の属性によって、
持ち得る力の要素は全く違うものになる。樹水火風の気の属性は生物の種類や生きている場所、
あるいは感情の影響を受けて変化するため、ある一定の種類の魔法を行使したい時に、それを引
き出す源が手に入らない場合がありうるのだ。そんな時のために、魔法使い達は、採取した「気」
をあらかじめ箒杖の中に溜めておく方法を採っている。
 エリスシュリアンも今その方法を使い、自分の『怒り=火』の気を杖に吸い取らせたのだ。し
かし、すでに同じことを何回もやっているため、杖の容量は一杯になりつつあった。
「それもこれもぜ〜んぶ、フェイのせいなんだから! あああ〜、またイライラする〜」
 まだ幼さの残る仕草で彼女は頭を抱える。こんなに気が滅入る日は、外に出るのが一番だ。幸
いとてもいい天気だし。ついでに杖の中身も少し入れ替えてこようか。
「よし、思い立ったら即実行! 行こっと!」
 気合いを入れると、先程師から奪ったままのグラスを手に、アリスシュリアンは部屋を飛び出
す。
 ……液体が零れないのが、不思議な位の勢いで。



 薄暗い病室。激しい息遣いと、切羽詰った声がそこを支配していた。加えて、悲痛な祈りも。
「先生! なんとかなりませんか!?」
「くそ、ここにきて薬が効いてないとなると……危険だ」
 冷静に判断しつつも、頭の中は焦りで破裂しそうになっている。目の前の患者は、三種類の発
作を同時に起こし、昏睡状態に陥っていた。美しかった頬は痩け、髪は乱れ、体も枯れ木の様に
と表現できるほどに痩せ、見る影もない。
 彼女は新種の疫病を患っていた。隣の国から渡ってきたそれは、ゆっくりとだが確実にこの国
を蝕んでいる。はじめは軽い風邪のようだが、やがて高熱や、部分的な麻痺、嘔吐、呼吸困難な
ど様々な症状を併発して死に至る。感染力が比較的弱いのが救いだが、効果的な治療薬は未だ開
発されていない。
 ついた病名は「死神の手」。
 この地域で一番の魔法医と噂される自分さえ、このざまである。新しく何種か魔法薬を開発し
たものの、どれも効かずに終わった。最後に試した薬はかなりの効果を見せ、一時症状をかなり
押さえることに成功していたのだが……ここにきて発作が再発してしまったのだ。
 再度薬を飲ませるが、まるで効果はない。
「くっ……! 死ぬな、死ぬなよリーシア!」
 患者の息遣いが途切れがちになっている。絶望的な状況だ。それでも……あきらめられはしな
い。
 自分は、約束したのだ!
 箒杖から、残った総ての力を導きだす。すべては彼女を救うために集めた力。そこに、自分の
祈りと、心を乗せる。
─── 生きてくれ!                                  
 彼女の胸に手を置き、力を編み上げ注ぎ込む。
 眼を閉じ、ただ一心に魔法を紡ぐ。そうしているうち、ふとあれほど乱れていた呼吸音が聞こ
えなくなったのに気付いた。
 同時に、手に何かが触れる。細い、でも暖かい、指先。
「リーシア……」
 眼を開けると、彼女がこちらを見ていた。
「……ありがとう……。でも、もういいわ……。貴方は、本当に立派な医者よ……」
 苦しげな声も、やつれた笑顔も、なぜか澄み切った美
しさをそこに含んでいた。───絶望的で透明な美を。    
「馬鹿言うな! おい! リーシア!」
 呼び掛けた声は、ただひたすら虚しく響く。
「……さよなら。私のフェイ……」
 最後の言葉。そして。
 すうっと波が引くように、愛する人の命は終わった───。



 フェイリーグは一人外へ出ていた。小さな木造りの住まいの周りは、深い森に覆われている。
その緑の中に踏み出しつつ、彼は空を見上げる。今日の彼にはあまりに眩しすぎる、木漏れ日の
降る空を。
 穏やかな風が彼の、束ねた長い銀髪を揺らして渡ってゆく。
 ───腹立たしいほど、平和でのどかな空間だった。    
「……くそ!」
 家が見えなくなる辺りまで進むと、突如フェイリーグは目の前の巨木に拳を叩き込んだ。その
まま鋭い瞳を閉じ、顔を歪める。疲れと苦悩が、彼の秀麗な顔に影を落としていた。
「また……救えなかった……」
 呻き、残った片手を顔にあてる。
 脳裏をよぎるのは、彼が看てきた沢山の患者達の姿だ。
 この手を零れていった、いくつもの、命。
 目の前に立ちはだかるのは「死神の手」の名を持つ病魔だ。
 最初の患者はリーシア。フェイリーグの最愛にして、婚約者だった女性である。彼女を治そう
とこの病に取り組み、失敗し……それから三年間、幾人もの患者を看た。しかし、一人として助
かった患者はいない。
 そして、昨夜もまた一つ。幼い命が失われた。
 今度こそは、成功すると思っていた。実際幾度も改良を重ねた治療薬は、今までにない効果を
示し、患者であった少年は順調に回復しているかに見えたのだ。だが昨夜遅く、突然発作を起こ
した少年は、母親の祈りも、駆け付けたフェイリーグの必死の治療も虚しく、そのまま逝ってし
まったのである。
「何がいけないんだ!? どうして治らない! ……何故……」
 樹の幹に拳を何度も打ち付け、虚空に問う。しかし、答は返らない。辺境一の魔法医と呼ばれ
ながら、この病にだけは決して敵わないのだ。自らの不甲斐なさが悔しくてたまらず、彼は呻き、
そのままずり落ちるように膝をつく。

 どのくらいそうしていただろうか。ふと、何故か弟子の少女の面影が頭を掠めた。
 昨夜遅く、真夜中をもうとっくに過ぎた頃、悲嘆に暮れ疲れ果てて帰った彼を出迎えた、彼女
のそのまなざしを。
 翳りを帯びた紫の瞳を。
 少女の後ろの食卓の上に、彼の分の夕食が並んでいたのが目に入った。彼女は待っていたのだ。
彼女の年齢には相当辛いであろうあの時間まで。彼の帰りを。
 だが彼は、そんな弟子ともほとんど言葉を交わすことすらせず、夕食にも手をつけようとしな
かったのだった。

「そういえば、まだあいつに礼も何も言ってなかったんだな」
 先程の仕打ちといい、昨夜といい、欠片の余裕もなかったとはいえ、師匠としてあるまじき無
情さである。
 彼は顔を上げ、思わず苦笑した。これで師匠風を吹かせたとあっては、さすがに相手も怒るに
決まっている。
「……そろそろ、エリンに謝りに行かないとな」
 口の端を上げて呟くと、エリスシュリアンを探すために、フェイリーグは立ち上がった。


 草原の上を一つの影が流れてゆく。
 エリスシュリアンは杖の上に腰掛け、宙を滑っていた。
 片手に例の液体が入ったグラスを、もう一方の手には花束を握っている。ここに咲いていた花
で作ったらしい。
「あ〜あ。こんなにおいしいのに、どうしてフェイはわかってくれないの〜?」
 そんなことをぼやきつつ、少女はグラスの中の飲物を一口飲んだ。彼女はただ純粋に、師の心
配をしただけなのに、それがわかってもらえない。先程までの怒りも薄れ、こうして風に吹かれ
ていると、何だか逆に悲しくなってくる。
 師、フェイリーグの疲れた顔を、その背中を思い出す。
 夜遅くまで資料を読んでいる姿を。朝、机に伏せて眠っている、その横顔を。診察に出る彼の
背中を。そして帰って来た時まれに見せる、疲れ果てた姿を。悲しみと苦悩に満ちたその表情を。
 少女の頭の中には、いつもの優しい師の姿より、痛々しいそれらの方がより鮮明に浮かんでく
るのだ。
 エリスシュリアンはいつも、そんな彼を見ていた。少しでも助けたいと思い、自分なりに思い
つく限りのことはしてみた。禁止されているのは承知の上で今日、魔法のジュースを食事に出し
たのも、昨夜から食事を摂っておらず、いつにも増して暗い顔をして帰ってきた彼に、少しでも
元気を出してもらおうとしてやったことに他ならない。
 だが今回同様、それが上手く行くことはあまりなかった。
 自分の差し伸べる手は、小さすぎて師には見えていないのだろうか。
 何となく絶望的な気分になって、エリスシュリアンはふと、まわりの森へと視線をめぐらせる。
すると、見慣れた人影が目に入った。木漏れ日を浴びて輝く銀髪。木々の合間に、紛れもなくフ
ェイリーグが歩いているのが見える。
「……フェイ……?」
 呟くのとほぼ同時に、フェイリーグはこちらを見付けたようだ。すぐに彼女の方へと木々を縫
って近付いてくる。エリスシュリアンは慌てて、とっさに宙に浮いたまま後ろを向いた。
「エリン、こんな所にいたのか。……一体何してるんだ?」
「知らないですっ!」
 怒っているふりをしながら、少女は口をへの字に曲げた。今にも泣きそうな顔だ。だがそれは
フェイリーグには見えていない。しかし彼はその代わりに、色とりどりの液体が入っているグラ
スが、少女の手にあるのには気付く。
 その色の混ざり具合の不完全さからは、相変わらず何とも奇妙な印象を受ける。だが先程より
は、その液体は飲物に見えるような気がした。
 たいしたものだ、と彼は思う。魔法の力を物質化するのは、普通に魔法を使うよりずっと難し
い。別に熱心に教えたわけでもないのに、エリスシュリアンは一ヶ月も経たないうちに、それを
操れるようになってしまったのだ。
 こういうのを、本当の天才というのかもしれない。
 ただ、自分の後継として育てるには、その気性の激しさが魔法医には向いていないというのが
残念なのだが。
「エリン」
 声をかけつつ、フェイリーグはエリスシュリアンの頭に片手を乗せた。
「さっきは済まなかったな。……悪かった」
 少女は振り向かない。俯き、じっと体を強ばらせている。
「……それから……いつも、ありがとうな」
 掌から、一瞬少女の震えが伝わる。
「先生っ!」
 勢いよく少女はこちらを向いた。いきなりのその動きに、思わず彼女は浮かぶ杖の上でバラン
スを崩す。慌てて手を差し伸べるフェイリーグ。少女の手からグラスが離れ、地面に落下する。
 危ないところだった。だがなんとか彼は無事にエリスシュリアンを抱え上げ、地上へと降ろす。
正直、彼は少し戸惑っていた。はっきり言って「先生」などと呼ばれた記憶は一度もないのだ。
まあ別に悪い気もしない。
 ただ、弟子の少女が、おそらく無意識に彼の言葉を求めていたのだろうということだけは、な
んとなく感じられた。
 フェイリーグは密かに反省し、また口を開く。
「エリスシュリアン。危ないから杖で飛ぶときは急な動きをするなといったろう。今はまだいい
が、もっと高いところから落ちたらどうするんだ」
「……ごめんなさい」
 極力穏やかに注意してみると、少女は素直に謝ってきた。そんな彼女の頭にもう一度ぽんと手
を乗せる。その時フェイリーグはあるものに気付いた。
「エリン、それはどこに飾るんだ?」
 彼はエリスシュリアンが持つ花束を指差す。先程の騒ぎで少し乱れたが、そこには相変わらず
可憐な野の花がいくつも咲いていた。ちらりとそれを見、一瞬ためらうような素振りを見せるエ
リスシュリアン。だが、それから彼女はこちらを見上げ、言った。
「お墓。行くんでしょ?」
「え?」
「いつも先生、昨日みたいになったあとはお墓行くから。私……そこにお供えしようと思ったで
す。」
 フェイリーグは呆然とした。確かにこの森の奥には墓があるし、そこに出向くこともたまにあ
る。しかし、それはいつも彼一人で密かにやっていた行動であって、弟子を伴ったことは勿論、
そのことを話したことすらなかったのだ。
 ───隠していたつもりだったんだがな……。          
 思わずフェイリーグは嘆息した。まったく子供というのは侮れない。しかしいつから知られて
いたのだろう。
 いや、そんなことはもはやどうでもよかった。
 重要なのは、これから少女をそこに連れて行かざるを得ないということだけだ。
 彼は一度、大きく息を吸いこむ。そして。
「じゃ、今から行くか?」
 信じられないほどあっさりと、言葉は放たれた。
 思いもかけない彼の言葉に少女は目を見開いた。だが、次の瞬間、その表情は言いようもなく
晴れやかな笑顔に変わる。
「うんっ!」
 元気すぎる返事とともに、二人は歩きはじめた。
 森の奥、秘められた墓のある場所へ。


「先生、あのお墓には誰が入ってるですか?」
 緑の中を歩くうち、エリスシュリアンが素朴な疑問を口にした。それこそフェイリーグが今ま
で、墓のことを隠していた理由だったのだが。
「……誰もいない。墓の中には、な」
 彼は自嘲の笑みを浮かべ、そう答えるしかなかった。
 ───何故治してくれなかったの? あなたがあの子を殺
したのよ!
 彼の脳裏に遠い記憶が甦る。三年前、婚約者リーシアを看取った後、彼女の家族が放った言葉
だ。
 行き場のない慟哭を、敵意に変えて。
 その言葉はフェイリーグの心を深く抉った。三年経った今ですら、ときおりそれは彼を苛む。
大切な者を失った人々の視線に、それを感じてしまうことがある。
 それが当たり前の反応だというのは解っている。人を救えない医者が、何を求める資格がある
のか、と。
  しかしやはり心は報いを求めてしまうものらしい。結果ではなく、力を尽くしたという事への
報いを。
 無論、結果はどうあれ感謝の意を表してくれる人達の方が多いのだが。
 だがリーシアの家族は違った。フェイリーグとて、家族達と同じ気持ちを味わったはずなのだ
が、しかし彼らは執拗にフェイリーグを拒絶したのだ。彼はリーシアの婚約者でもあったという
のに、葬儀に出席することはおろか、墓参りをすることすら許されなかった。家族達はその上、
魔術師を雇い彼を殺そうとまでしたのである。
 そしてフェイリーグは、失意のうちにその地を離れた。
  幼い弟子に彼は淡々と、リーシアの死とその後起こった事実を語った。だからこそ、彼は主の
いない墓を訪れるのだと。この森に移り住んだ後、自ら造った婚約者の墓を。
「……酷いです。先生はがんばったのに、お墓参りもダメだなんて……」
 エリスシュリアンは納得できないようだった。まるで自分のことのように、悔しげに愛らしい
顔を歪めている。
「そういうものさ。俺は彼女を救えなかった。それだけが結果だ」
「でも、何も悪い事してないです! 追い出されたり、殺されそうになったりするなんておかし
いです!」
 必死に訴える少女を見て、フェイリーグは静かに微笑み、その頭を撫でた。少女の憤りは、お
そらく誰もが昔感じたであろう、子供特有の純粋で真摯な感情だった。何者にもとらわれない心。
ふと彼は、それがいままでの自分を解き放ってくれるような、そんな気がしたのだ。
 どうしてなのか、それは解らないが。
 憤るエリスシュリアンを何故か宥める役に回りながら、フェイリーグは前方を見やる。そろそ
ろ着く頃だ。
「エリン、着いたぞ」
 二人の前には、木々に囲まれた小さな広場が待っていた。そしてその奥に、緑に埋もれるよう
にして、石碑が立っているのが見える。
 彼には、その姿がいつもとは大分違って見えた。
 エリスシュリアンが彼より先に石碑の下へと駆け寄っていく。そして、感慨深げにそれを見上
げた。
「これが……先生の恋人だったひとのお墓ですか?」  
「ああ、そうだ」
 フェイリーグの返事は短い。一呼吸ののち、少女は石碑の前の台座に、静かに花束を供えた。
持っていた空のグラスもそこに置き、祈る形に両手を組む。
「そう言えば。お前のそのジュース、ここで作ってもらえないか? ……飲んでみたいんだが」
 しばらくしてエリスシュリアンが手をほどくと、フェイリーグはそんなことを言い出す。よほ
ど美味しいのか、先程落として零したのを、少女はひどく残念がっていた。そのため、また少し
あの飲み物に興味が湧いたのである。
 それを聞いたエリスシュリアンは驚きのあまり、まだ手にしていた杖すら落としそうになった。
口をぱくぱくさせながら、それでも彼女は言葉を絞り出す。
「だ……だって先生、あれ、あれ飲みたくないって」
「気が変わった。……それに」
 言葉を切り、フェイリーグは眩しげに石碑を見上げる。
「俺の自慢の弟子の作った物を、あいつにも飲ませてやりたくなってな」
 エリスシュリアンは我が耳を疑った。だが彼は今確かに言ったのだ。『自慢の弟子』と。
 舞い上がらんばかりの彼女に、フェイリーグは言葉を重ねる。
「という訳だ。異議はあるか?」
「ない、ないですっ!」
「今からすぐ作れるか?」
「はいっ!」
 思い切り元気のいい返事だった。食事の時の仕打ちを考えれば、彼女の意気込みもわかろうと
いうものだ。フェイリーグは少しほっとしたような心持ちで、先を続ける。
「それじゃ、そのグラスを洗って、後二つ追加で持って来るんだ。三人分だぞ、解ってるな?」
「はい!」
 答えるや否や、少女は文字通り飛ぶような速さで姿を消す。森の木々に激突しないかと、フェ
イリーグが危ぶむほどに。
 少女が居なくなると、墓地は急激に静寂に包まれる。同時に彼がいつも感じている、この地の
雰囲気が戻って来たかに思えた。静寂に支配された、安らぎの空間に。
 しかし彼は何か違和感を感じていた。何かがおかしい。
 先刻までは気付かなかったが、自分の神経が妙に張り詰めているのを感じる。そう、まるで誰
かに監視されているような……。
「誰だ!?」
 声を上げながら、フェイリーグは墓地の中央で足を止めた。


 辺りを注意深く見回していたフェイリーグの視界が、突如閉ざされた。見える限りの全てが黒
一色に染まっているのだ。
「暗闇……? 魔術か!?」 
 全ての光を遮られた暗黒の空間に、彼は居た。風にそよぐ木々の葉ずれの音だけが、彼にとっ
ての拠り所となる。
 「魔術」とは、原理が「魔法」とは異なるもう一つの技である。フェイリーグ達の使う「魔法」
には、光と闇を操る力はない。生物の「気」の持つ属性に、その二種の力は含まれていないため
だ。だが魔術は世界そのものから、「術式」と呼ばれる法則に従って力を導き出すため、それらの
力を使うことが可能なのである。しかし「魔術」は「魔法」のように医術に応用することは出来
ない。そして基本的にこの二つの技には、原理は違うにしろ似通った部分も多く、どちらにもそ
れぞれ長所と短所が存在する。
 即ち、どちらが秀でているという訳でもないという事だ。
 フェイリーグは白の長衣の下、腰のベルトに手をやった。
そこに自分の杖を下げているのだ。そう、いつもならば。
「……しまった!」
 彼は呻いた。いつもならそこにある感触が、今日はない。 魔法使い達の杖には、生物の「気」
を吸い取る力がある。普段は重宝しているその力だが、使い手が弱っている時には話は別である。
杖を制御する力が弱まると、杖は使い手の「気」まで吸い取り、消耗させてしまうことがあるの
だ。
 疲れ切っていたフェイリーグは、さらなる消耗をさけるため、今日は杖を手放していたのであ
る。だがそれが裏目に出たというのは間違いない。そして、杖なしで魔法を扱うほどの余力も、
今の彼は持ち合わせていなかった。
 歯噛みする彼を、突如木々の枝葉が襲った。幹から伸びた枝や根がまるで蔓のように、彼の手
足を絡め取り自由を奪う。
「くっ!」
 全力で引きちぎろうとするが、まるで歯が立たない。身動きがとれない彼を、今度は真空の刃
が切り裂く。かまいたちと呼ばれる現象だ。風の中に生まれる真空は、触れるものを鋭く切り裂
く刃となる。鮮血が闇の中に舞った。
「くそ、一体誰だ! 俺を殺したいならせめて名乗れ!」
 体中に走る痛みを堪え、憤りを叫びに込める。このままでは確実になぶり殺しだ。抵抗も出来
ず、訳も分からず殺されるなど、冗談ではなかった。
「……情けないものね。抵抗もできないの?」
 と、視界を覆う闇の向こうから、女の声が聞こえてきた。フェイリーグは思わず息を飲む。
 その声には聞き覚えがあった。しかも昨日聞いたばかりだ。
 彼女の声が、嘆きが響き渡る小さな部屋に、昨夜彼は居たのだから。そう。彼女は昨夜亡くな
った少年の母親だった。フェイリーグが救おうとして手を尽くし、だが結局死なせてしまった幼
い少年の。
「……貴女なのか? アル君の母親か!?」
「そう。私はアルの母、サラサ・ベルシア」
 信じ難さに思わず問うと、すぐさま肯定の返事が返ってくる。その声は、以前とは比べものに
ならないほど冷たい。
「何故だ、何故貴女がこんな真似をする!?」
 理由は察しがついた。今日彼女がここに来たことが何を意味するかなど、もう解りすぎるほど
に解っていた。それでも、彼は訊かずにはいられなかったのだ。彼女がここに居る理由を。彼に
危害を加えるそのわけを。
 だがその行為は、自らの精神を打ち砕く行いにも等しい。
「今更そんな解りきったことを訊くのね。───  貴方を殺
す為に決まってるじゃないの! 私の大事な坊やをおまえは殺したのよ! 医者だなんて偉そう
なことを言っテ、お前は私カラあノこヲウバッた!」
  サラサは吼えた。口調は速まり、声は裏返り、やがて言葉を聞き取るのさえ困難になるほどに。
込められた怨念は凄まじい。
 これがあの女性なのか。早くに夫を亡くし、女手一つで幼い息子を育てていた、あの美しく穏
やかな女性の声なのか。
  あまりの変わり様に愕然とするフェイリーグ。そんな彼に、サラサの魔術が容赦なく襲いかか
る。
「奪われた者の恨み、思い知れ!」
「……ぐぁっ!」
 周囲から幾つもの氷の礫や刃が降り注ぎ、彼を打つ。激痛に身を捩るが、それすらもままなら
ない。動きの取れない体は、次々に切り裂かれ、抉られてゆく。
「……どうしてだ!? 何故こんなことが出来る! ……俺はアルを治したかった。全力をもっ
て治そうとした! なのに何故、貴女はそれが解らない! 力を尽くした者への仕打ちがこれ
か!?」
  礫を受けながらも彼は叫んだ。しかし、フェイリーグの悲痛な叫びは、どうしても彼女へは届
かない。
「お黙りなさい!」
 氷の礫はさらに激しく勢いを増し、彼を打ち据える。
 何も見えない視界が揺らぐ。体を伝って流れる生ぬるい液体。口の中に広がる鉄の味。四肢が
力を失っても、腕に巻き付いた蔓のおかげで倒れることもできない。
 遠ざかる意識の中で思い出す。以前にもこんなことはあった。打ちのめされた心に、追い打ち
をかける恨みの声。それを投げかけられる度、医者などやめてしまおうと思った。
 一番大切な人を救えず、努力は報われず、人に恨みを買ってまで、医師を続けることに何の意
味があるのかと。
 しかし─── 救いを求める声は止まない。            
 彼を信じ、一縷の望みを賭けて。彼を求める声は消えはしなかったのだ。
 だからこそフェイリーグは、医者でいられた。いつか、その大勢の声に応えられるように。亡
くなった者達の死を無駄にせぬように。その為に生きてきた。
「……だからこそ、こんなところで死ぬわけには……」
 朦朧となった意識を奮い立たせ、彼は四肢に力を込める。 身を起こし、なんとか自分の足で
体を支える。
 その瞬間だった。視界を埋め尽くしていた闇が晴れたのは。


 エリスシュリアンは無我夢中で魔法を放っていた。
 広場に戻ってきた時、まず始めに見えたのは闇の塊。次はその闇の中へ向けて魔術を放ってい
る女性。
 そして、そこに響いた苦しげな師匠の叫び。
 これで事態を把握できないほど彼女は愚かではない。少なくともフェイリーグが攻撃されてい
るということぐらいはわかる。それでエリスシュリアンは師を助けるべく、強力な衝撃波を放っ
たのだ。彼女の方から見れば隔てる物もない、魔術師の女性へ向けて。
 女性はまともにそれを受け、近くの樹に叩きつけられた。その打撃によって術が解け、目の前
の闇がかき消える。
「! 先生!?」
 その場に現れた姿を見て、エリスシュリアンは悲鳴を上げた。そこには、傷つき血にまみれた
師匠の姿があったのだ。
 手足の戒めは解かれていたが、彼はなんとか自力で立ちあがっていた。だが、その顔は苦痛に
歪んでいる。
「……邪魔が入ってしまいましたね。フェイリーグ」
 と、先程の衝撃から立ち直ったサラサが、フェイリーグに
一歩近づく。その指が、魔術を使うため印を組もうとするの
が見える。─── その刹那。                           
 少女の心に何かが吹き上がった!
「よくも先生を!」
 叫ぶなり、エリスシュリアンは信じられない速さでサラサと師の間に走り込む。そして杖を両
手で握りしめると、渾身の力を込めて「気」を編み上げ、放つ!
 間髪入れず、凄まじい熱風の嵐が辺りを巻き込み荒れ狂う。辺りの木の枝が折れ、カラカラに
乾いて舞い上がった。
 しかしサラサは辛うじて直撃を避けたようだった。とは言っても、その場に生えていた低木に
しがみつき、なんとか飛ばされるのを免れた程度だが。そのサラサにエリスシュリアンは、さら
にもう一撃浴びせようと杖を構えた。しかし。
「止せエリン! やめるんだ!」
 背後から鋭い制止の声が飛ぶ。振り向くとそこにはフェイリーグがいた。彼は痛みに顔をしか
めながらも、力強く彼女の肩をつかむ。
「エリスシュリアン。あの人は、昨日俺が治療して、だが助からなかった少年の母親だ。あの人
をよく見ろ。あの姿を見ても、まだお前はあの人に、その杖を振るいたいか?」 
 陽の光の下で見るサラサは、息子が死んだ昨夜よりもさらに輪をかけてやつれた顔をしていた。
目は落ちくぼみ、肌は荒れ、髪は乱れきっており、着物は昨夜と変わっていない。その姿には美
しかった未亡人の面影は見る影もない。本当に、彼女にとって息子はかけがえのない存在だった
のだ。そうでなければ、一晩でこんな風になるはずがない。
 サラサの姿を見た瞬間から、フェイリーグの中にはもう、憤りも悲しみもなくなっていた。た
だ、哀れみだけがそこに残った。失われた命に対する悲しみは、彼もよく知っているものだった
からだろうか。
 一方のエリスシュリアンも、サラサの様子を見てある程度のことは悟ったらしかった。だが、
やはり納得はできないようだ。そんな真っ直ぐな少女の視線の先で、サラサが身を起こそうとし
ている。
「フェイリーグ……坊やを……殺した……」
 うわごとのように呟きながら、サラサは起きあがってくる。
「だから先生を殺そうとしてるの?」
 低い声で問う。少女の眼は限りなく真剣だ。少女の問いにサラサは小さな頷きを返す。
 思わずエリスシュリアンはサラサに詰め寄った。
「だったらそれは間違ってる。だって先生は、がんばったんだから。私知ってるんだから! お
ばさんの子供のために、夜も寝ないでお薬作ってたり、本を山みたいに積んで読んでたり。先生、
一人で遠い山まで薬探しに行ってたこともあったんだよ。それもみんなおばさんの子供を助ける
為じゃない!それなのに、先生が殺したなんておかしいよ! 先生を殺そうとするなんて、そん
なの絶対ひどい!」
 大きな瞳に涙を一杯に溜め、エリスシュリアンは畳み掛けた。その少女の真っ直ぐな瞳が、そ
の涙が、サリサの乾き果てた心を捉える。
 子供の瞳の、その澄んだ輝きに、彼女の心が揺れ動く。
 哀れな未亡人の心に、自ら捨ててしまった記憶が溢れ出す。
 ─── せんせいはいいひとだよ。だから、ぼくもがんば 
らなくっちゃ。ねぇ、おかあさん?
「……アル……」
 息子を見つけ、サリサの眼から止めどなく涙が溢れた。
 自分の未来を信じていた幼い息子。その閉ざされた運命を呪い、ただ憎しみに逃げ出してしま
った母親の、それは悲しく、せつない涙だった……。 


 いつの間にか緑の森にも、オレンジ色の陽が射す時刻になっていた。落ち着きを取り戻したサ
ラサと和解した後、彼女が木々の間に姿を消したのが約一時間前。それからやっとエリスシュリ
アンは、例のジュースの制作に取りかかったのだ。
「できたです! 先生、お待たせでしたっ!」
「……ああ……、やっと出来たか」
 愛用の杖を抱え報告に来た弟子に、フェイリーグは大儀そうに片腕を上げて応えた。まだサラ
サに受けた傷は応急処置のみしかされておらず、その姿は痛々しい限りである。その傷だらけの
体を墓石にもたせかけながら、彼は一時間弟子の作業を眺めていたのだ。 
「先生。……大丈夫ですか?」
 エリスシュリアンは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。だがはっきり言って、どうがんばっても
大丈夫そうには見えない。
しかしフェイリーグは少し引きつり気味の笑みを浮かべつつ、「まぁな。そのジュース、特製品で
体にもいいんだろう? だったら大丈夫さ」
 などと言ってのけた。まあ本人がそう言うなら大丈夫なのだろう。結局そう結論付け、エリス
シュリアンは彼のもたれている墓石の台座にグラスを並べる。
 同じグラスが三つ、綺麗に並んだ。
 そして少女がその前に立つ。その場で瞳を閉じ、杖を頭上で水平に回転させる。すると回転す
るうち、その軌跡が淡い光を帯びて輝き始めた。その光は時々、淡い水色やピンクなどの色を放
つ。それはだんだんと濃くなり、五,六色あるそれらの色が混ざり合いそうになった頃。
「これで完成〜ですっ!」
 少女が杖を大きく振り下ろし、それぞれの光の雫のようなものがグラスへと落ちてゆく。その
光が消えるといつの間にか、パステルカラーのマーブル模様の液体が、グラスの中に現れていた。
 フェイリーグはそのうち一つを手に取り、しげしげと眺める。見事に不完全な混ざり具合と、
派手な色使いだ。もっと最後まで「気」を編み、混ぜ合わせるのがこういった技の基本だと教え
たのに、何故彼女はこんな混ぜ方をするのだろう。
 そう思いエリスシュリアンに訊ねてみる。が。
「それは、飲んでみたらきっと解るです。……と思います」
 という不可解な答えしか返ってこなかった。それなら、腹を括って飲んでみるしかない。
「それでは。乾杯といこうか」
「はいっ! じゃ、私のジュースと先生のお薬の成功を祈って……」
 ジュースと薬を一緒くたにされたことに引っかかりを覚えたが、まあとりあえずフェイリーグ
は三つのグラスの合わさる音に耳を傾けた。この墓地に亡骸はなくとも、リーシアの魂はここに
いて、一緒にその音を聞いていることを願いながら。
 澄んだ音が、夕暮れの森に響いてゆく……。
 そして彼は一口、液体を飲む。─── 美味い。この味は
なんだか白ブドウのジュースに似ている。もう一口飲む。と、今度は木イチゴの味がした。もう
一口。今度もまた別の味がする。しかもそれぞれの味の中に、他の者の味もほのかに混ざり合っ
て存在するのだ。
 彼は驚きを通り越して衝撃を受けた。エリスシュリアンがこのジュースを完全に混合しなかっ
たのは、つまりこういうことだったのだ。完全に混ぜ合わせてしまっては、一つの味しか楽しめ
ない。混ざり合った元の部分の味を生かす為には、こうやって混ぜるのが一番なのだと。。
「……解ったですか? 先生」
 エリスシュリアンが訊ねてくる。こちらの表情を見て手応えを感じたらしい。
「ああ。よく解った。……しかし、なんでこんなやり方を思いついたんだ?」
「だって、ミックスジュースって美味しいですけど、それぞれの味って薄くてよく解らないから
好きじゃないです。でも、沢山ジュース買っても飲みきれないです。で、こうしたら欲張れるか
な……って」
「……エリン、実はお前相当食いしん坊だろう」
 疲れた声でつっこみを入れてやりながら、しかし彼は別のことを考えていた。
 今自分は、物凄いヒントを得たのではないだろうか、と。
彼の今まで開発した薬は、「死神の手」の様々な症状に合わせて作った薬を、その患者の症状によ
って量を変えて混合していた物だった。だがいつも、あと一歩というところで、薬は病魔に押し
切られてしまうのだ。彼は今まで、それは薬の力が弱いのだと思いこんできた。しかし、実はそ
れはただ単に、それぞれの薬の個々の能力を、生かし切れていなかっただけなのではないだろう
か。
 そこまで考えたところでふと視線を感じ、彼は我に返った。
何故か、エリスシュリアンが不安げににこちらを見ている。
「どうかしたか?」
「先生、どうしたですか? やっぱりジュース美味しくないですか?」
 何を言っているのかと思ったが、どうやらあまり難しい顔で考え込んでいたのがいけなかった
らしい。彼はそう察すると、少女の腕をしっかりつかんで引き寄せる。そして、優秀な弟子と視
線を合わせた。
「馬鹿。その逆だ。エリスシュリアン、俺の最高の弟子だよお前は」
 そして、ここ数年来初めてかも知れないような晴れやかな笑顔で、フェイリーグは夕焼けに染
まる空を見上げた……。

                           







                            ◇  ◇  ◇


 その後、フェイリーグは見事、「死神の手」の治療薬を開発することに成功。これによって、多
くの絶望的と思われた人々の命が救われることになる。
 また、その弟子エリスシュリアンは「天才魔法使い」として、広くその腕を世間に知られるこ
ととなるのである……。


                            ◇  ◇  ◇