partita~世界演武
                         熾戒

第三章 忘却の花咲く庭(6)

次の町に着いたのは、西の空に茜色が滲み始めた頃だった。陽が沈みかけているにも 関わらず、この町もにわかに活気づいている。収穫祭が近いせいだろう。町中に地王を 讃える、小枝をあしらったリースが掛けられている。一行は宿を決めて荷物を置くと、 パレッティの要望で町の様子を見て回ることになった。
「ミサキ!あっちあっち!おいしそうだよ!」
パレッティははしゃいで、人混みを縫うように走っていく。手を引かれているミサキ は、やや困った顔をしている。
「おい、パレッティ。みんなとはぐれちまうぞっ」
彼女が声を掛けると同時に、少女は唐突に立ち止まった。ミサキは、勢い余ってぶつ かりそうになるのを何とか堪えた。
「何も、そんな急に立ち止まらねぇでもよ……」
パレッティを見下ろすと、彼女はしぃっと人差し指を立てる。ミサキが首を傾げると、 パレッティは「美味しそうなもの」とは別の方へ走り出した。
「パレッティ?」
後ろからついてきたシャンレイが問いかける。パレッティは一直線に目的のものへと 走っていく。すると、美しいリュートの音色が聞こえてきた。澄んだ幻想的な旋律に、 足を止めて拝聴する者が幾重にも輪を作っていた。一生懸命に背伸びしたり、ジャンプ したりするパレッティを、ミサキが抱え上げて肩の上に座らせた。演奏者は、ソルティ と同じ位の年頃の青年だった。少し伸びた金色の髪が風に吹かれ、音楽にあわせるかの ように揺れている。何故か、そこだけが神秘的な空間と化していた。曲が終わると彼は 一礼した。どっと拍手が湧き、銀貨や銅貨が投げられる。すると、彼はその場を離れよ うとした。人々が散り散りになっていく。ミサキの肩から降ろされたパレッティは、残 念そうに肩を落とす。
「もうちょっと、早く来れば良かったな……」
その呟きに、シェーンがいち早く反応した。彼女は青年の方へ歩いていった。
「お兄さん!一曲弾いてくれませんか?」
「え、あ、はい。構いませんが。……何を弾きましょうか?」
リュート弾きは戸惑って、どもってしまっている。
「じゃあ、[陽の落ちる時、闇は夜空を舞う]はどうですか?」
シェーンの提案に、彼はニコリと微笑みを浮かべた。
「わかりました。それじゃあ、いきます」
リュートが静かな音を奏でる。それに呼応するかのように、シェーンの手が動き始め る。流れる旋律。しなやかに舞う腕。それは闇。夜の訪れそのものだった。穏やかな曲 調に、まるですべてを呑み込んでしまいそうな舞踏を踊るシェーン。その場所だけが隔 離された空間なのでは、と錯覚を起こす。消えゆくような曲の終わり。シェーンの腕が 静かに落ちる。一同は瞬きを忘れるほどに見入っていた。
「―――凄いよ、シェーン!それにお兄さんも!」
興奮醒めやらぬパレッティは、目を輝かせて拍手を贈る。シェーンは照れくさそうに 笑うと、演奏をしてくれた青年に手を差し出した。
「ありがとう。凄く踊りやすかったよ。あたしはシェーン。お兄さんは?」
「エルディスです。驚きましたよ。シェーンはとても素敵な舞をするんですね」
青年はその手を取り、握手を交わした。すっかり和んでいる二人に、パレッティは一 つの提案をした。
「ねぇ、これからみんなで食事をしない?」
「エルディス。みんな、あたしの仲間なの。一緒にどう?」
シェーンは首を傾げ、彼の顔をのぞき込む。エルディスは笑顔を見せた。
「えぇ。ご一緒させていただきます。大勢で食事することも、なかなかないですからね」
一行は宿に戻ることになった。その下の階にある酒場で、晩餐が始まった。自己紹介 を交え、話は次第に盛り上がってきた。
「それにしてもさぁ。エルディスの演奏、凄いよねぇ。宮廷楽師よりも上手だよ。何処 で習ったの?」
何気ないパレッティの質問ではあった。しかし、エルディスは少しばかり困ったよう な顔をして微笑む。
「わからないんですよ」
あっさりとした返答に、パレッティはきょとんとした。
「憶えてないの?」
「いえ、憶えていないのではなく、何処で誰が教えてくれたのか・・・・・わからないんです」
パレッティにはどう違うのか、よくわからなかった。すると、その横に座っていたシ ャンレイが、真剣な目をエルディスに向ける。
「―――記憶・にないのではなく、記憶・がないということか?」
「えぇ。先日、頭を打ってさっぱりと記憶を失いました。自分の名前はかろうじて覚え ていたんですが、あとはどうも……」
彼は頷いて、肩をすくめる。シェーンはあまりにあっさりと言われてしまったので、 大きな瞳を何度も瞬かせた。皆がそれぞれ絶句しているのに、パレッティだけが違う反 応を示した。
「かっこいー!記憶喪失って、どんな感じなの?」
目を輝かせて好奇心の向くまま、エルディスに質問をぶつける。その言葉にソルティ は額に手をやって天を仰ぎ、シャンレイは眉間を押さえてうつむいた。
「そうですねぇ。ただ頭の中がすっきりしていて、どうしたのかなと思いました。でも、 焦ったり、悲観的になったりとか、そういうことはなかったですね」
エルディスの方も、気に留めていないかのように微笑む。シャンレイは苦笑して、エ ルディスに言う。
「すまない。パレッティは、良くも悪くも無垢なのだ」
「いえ。本当に気にしていませんから、いいんですよ。それに、頭を打ったくらいで忘 れると言うことは、忘れたかったのかもしれませんし」
彼は苦笑を返す。その言葉には、裏の意味があるように思えた。シャンレイは立ち上 がり、エルディスに一言残す。
「思い出さなければと、気負いすぎぬよう気をつけることを勧める」
彼女はそのままカウンターの方へ行ってしまった。エルディスは真剣な顔になった。
「どうしたんだ?」
変化に気付いたミサキが、目を向ける。
「シャンレイ、苦労していらっしゃるように見えたので」
エルディスはそっと苦笑を見せた。それに対し、ミサキは肩をすくめる。
「あぁ、そうだな。シャンレイは過去に縛られてるとこ、あるからな」
もっと気楽に生きりゃいいのによ、と呟きながらグラスの酒を飲み干した。エルディ スは相づちを打つと、不意にパレッティの頭の上にいるパズズと目が合った。パズズは ハッとして隠れた。意外な行動をとられて、彼は驚いた。その時、彼の頭の中に電流が 走った。
(―――疾く来たれ。そして我を解放せよ……)
「!?」
エルディスは、自分の中にいるどす黒いものの存在に気付いた。蠢くそれは、身震い するほどに邪悪であった。エルディスは、動悸が激しくなっていくのを感じる。
「……エルディス?」
異変に気付いたソルティが訝しげな表情を向ける。エルディスはその声に反応しない。 その時、外から悲鳴が上がった。ソルティは舌打ちした。
「こんな時に……!シェーン、パレッティ、エルディスを見ていてくれ。何かあったら 俺たちに知らせるんだ!」
ソルティは飛び出していく。それにミサキとゲオルグが続く。シャンレイの姿は既に ない。真っ先に飛び出していったようだ。
外へ出ると、馬に乗った男たちが二人の子供をさらって行くところだった。母親らし き女性が張り倒されている。男たちはこちらに気付いたようだ。一人の男が、凄まじい 形相でこちらを見る。
「お前らだな。[ミサキ]とかいう奴がいるだろう!」
ミサキはその声に、片眉を跳ね上げた。
「俺に何か用かよ、てめぇら」
「フン![地走り]をこけにしたツケは高いぜ!この先の砦へ来い!ガキは人質だ。二 日以内に来なかったら、殺す!」
そう叫ぶと、男は何人かと共に走り去る。シャンレイがすかさず走り込む。しかし、 残った者たちが壁を作る。シャンレイはそれを飛び越えようとするが、見えない壁が彼 女を阻んだ。シャンレイはそのまま弾き返される。
「シャンレイ!」
ミサキが着地地点に走り込んだ。シャンレイは体勢を立て直すと、ミサキの前に舞い 降りる。そして勢い余った形で、後ろのミサキに寄りかかった。
「すまない、早まった」
シャンレイはミサキに礼を言うと、再び向かっていく。
「お、おい!」
ミサキが止めるまもなく、シャンレイは走り込んで跳び上がる。
「二度も同じ事を!」
せせら笑う男を尻目に、彼女は気合いを入れた。
「まさか、撃ち破る気か!?あれは魔法の壁だぞ!」
ゲオルグが驚いて声をあげる。
「勢っ!!」
シャンレイは渾身の力を込め、蹴りを繰り出す。彼女の蹴りと、魔法の壁が衝突する。 シャンレイは、すかさず気合いを放つ。
「破ぁぁぁぁぁぁっ!!」
激風が巻き起こり、魔法の壁が割れるように消滅する。
「す、凄ぇ……!」
ソルティは目を見張った。しかし、既に男は見えなくなっていた。シャンレイは舌打 ちすると、すぐさま攻撃を開始する。
「……これはまた、大勢ですね」
皆の背後から声が響く。
「エ、エルディス!」
ミサキが驚いて目をまるくする。シェーンやパレッティも一緒だ。
「だ、大丈夫なのか?エルディスは」
ソルティが尋ねると、二人はわからないと言うように首を傾げる。エルディスは、突 然リュートを奏で始めた。そして、太古の言葉で歌い出す。
「!……呪歌[誘眠]!」
パズズは咄嗟に耳を塞いで言う。皆がハッとして耳を塞ごうとする。それをシェーン が制した。
「待って。この歌、[地走り]にしか効いてないみたい」
シェーンの言葉通り、バタバタと男たちが倒れていく。しかし一行はもちろん、一般 人すら誰も眠っていない。
「目標指定できる呪歌だと……?なんちゅう奴だ」
ゲオルグは呆気にとられて、次々に倒れていく男たちを見ていた。数人がその状況に あたふたしている。残った者たちに、シャンレイとミサキ、そしてソルティが向かって いく。そして、エルディスは歌をとめ、リュートをその場に置いた。
「ここにいて下さい」
そう言うと、彼はその場からフッと消えた。何が起きたかわからない一同は、目をま るくした。
「き、消えやがった……」
ゲオルグは冷や汗をたらしながら、エルディスのいたはずの場所を見つめた。しかし、 パズズにはわかっていた。彼が何をしたのか、そして何処へ向かったのか。ただ、高慢 な使者様らしくもなく、畏怖の感情が表面に出ている。
「うぐっ」
突然、男たちの一人から呻き声が上がった。ハッとして目を向けると、彼はエルディ スにウィップで首を絞められていた。エルディスは目を細めた。
「大人しくしていて下さいね」
エルディスは右手を自由にすると、男の前にかざした。その手が、漆黒の闇を纏う。 男の顔は恐怖に歪む。闇は男の顔を呑み込む。エルディスが手を離すと、男はガクンと 膝をついた。彼は気絶していた。その間に、シャンレイたちが残りをすべて気絶させた。 エルディスは、冷ややかに目の前の男を見下ろした。
「……エ、エルディス。……今のは、何?」
シェーンが恐る恐る訊いた。エルディスはハッとして、皆を振り返る。
「……私にも、わかりません。何が起こったのか、把握しかねているんです……」
「何か、エルディス、違う人みたいだったよ」
パレッティは遠慮するように、もごもごと言う。シャンレイは動き回っていたので、 彼の行動に気を留めていなかったようだ。
「何かあったのか?」
「うん。目が、ね……。何だか怖かったの……」
パレッティは上目遣いに、エルディスを見上げる。もう元に戻っているようで、安心 したのか溜息をもらす。
「おい、こいつら縛っとくぞ」
ゲオルグの呼びかけに、シャンレイは頼む、とだけ返事を返した。ミサキとソルティ が手伝いにはいる。
「エルディス、何をしたのかは憶えてるの?」
シェーンは、風でふわりと舞う髪の向こうにある横顔をのぞき込んだ。
「それは憶えています。でも、どうしてあんな事ができたのか、よくわかりません。そ れにあんな技を使えるなんて、今の今まで知りませんでしたよ」
困ったように肩をすくめたエルディスは、置き去りにした相棒を拾い上げて背負う。 「わからないなら、教えてやろう」
何処からか、声が降ってきた。シャンレイとエルディスは、同時に道のわきに植えら れている高い木の枝を見た。そこには黒い影があった。影はふわりと舞うと、軽々と着 地する。常人がやれば、確実に骨を折る高さだ。
「……一度は撤退したと思ったが、まだつけていたのか」
シャンレイの目が鋭くなった。
「ふっ、成程。思った通り、ただ者ではないな」
現れた男は、淡泊で冷ややかなマスクにかけられた眼鏡の位置を直す。背中まで伸び た漆黒の髪が、この非凡そうな男に誰にも干渉させないイメージを植えつけている。
「奴らを手引きしたのは、お前か?」
シャンレイは警戒して、一歩退いた。
「それは後だ。お前が使ったのは、失われたはずの[幻術]。闇を媒体として、幻を創 り出す秘術だ」
眼鏡の奥の赤い瞳が鈍く光る。エルディスはすっと目を細めた。
「自己紹介がまだでしたね。私はエルディス。あなたの名前を教えて下さい」
男の眉がぴくんと跳ねる。彼は答えない。シャンレイの目が厳しさを増す。パレッテ ィとシェーンは、エルディスと男の間で精神戦が行われていることに気付いた。パズズ は我関せず、とパレッティの背後に潜んで沈黙している。
「―――名前を、お忘れになったのですか?」
エルディスの一言で、男はふと笑みを零した。参った、と言うような表情に驚いたの はシャンレイ一人であった。
「私よりも魔力の強い者に、初めて出逢った。私はアマネだ。秘術士、ということにし ておいてくれ」
男、アマネは肩をすくめてみせた。その態度に、エルディスは表情を和らげた。
「さっきの答えを聞いていないぞ」
シャンレイは納得がいかないようだ。
「やれやれ、敵わないな。その通りだ、お嬢さん。私があいつらを連れてきた。だが、 誤解するな。私は、お嬢さん方の行き先を教えるのが仕事だった。もう契約は済んでい る。今は手を切っているぞ」
 アマネは肩をすくめて、困ったような顔をする。シャンレイの警戒は、あまり解けて いないようだ。目を外そうとしない。
「お取り込み中で悪いんだがなぁ、シャンレイ」
 そんなやり取りをしていると、ゲオルグが割り込んできた。
「もっと建設的な話をしないか?有効期限は二日だろうが」
 その言葉で我に返ったシャンレイは、難しい顔をして考え込みはじめた。
「ゲオルグ。[地走り]の砦とやらの場所は知っているか?」
「……すまんが、詳しくは知らん」
 ゲオルグは腰のポーチから、おもむろにマッチと葉巻を取り出す。
「砦なら見かけましたよ。東の方でしたから、方向的にはあっていると思います」
 エルディスが呟くと、アマネが頷く。
「あぁ、その通りだ。奴らの砦は、東にあるものだ」
「……知っているのか?」
 シャンレイが、低い声で尋ねた。アマネは鼻先で笑うと、鋭い視線を彼女に向けた。
「当然だろう。雇われていたんだからな。案内するということで、尾行の件はチャラに しないか?」
 シャンレイには、考える余裕もなかった。時間がないのだ。
「わかった。その条件、飲むことにしよう。よろしく頼む」
 アマネは軽く頷くと、考え込んだ。
「……待て。二日と言ったか?」
 真剣な目をシャンレイに向ける。
「あぁ。そう言っていた」
「……まずいな。砦まで、この子たちも連れていくのか?」
「彼女たちも仲間だ。それに、貴重な戦力でもある」
 シャンレイは訝しげな目をアマネに向ける。
「最短ルートを通っても、三日はかかるな。私の足でも、ぎりぎりといったところだ。 どうする?」
 アマネが顔を上げる。シャンレイの頭に浮かんだのは、一つの方法だけだった。
「……馬か」
 しかし、資金がない。馬を数頭借りるにしても、相当の金額が必要のはずだ。
「馬のことなら、俺に任せろ。一応、雇用主だ。馬代くらいは持つ。それに、この町に はいい馬を貸してくれるところがある。五、六頭くらいなら、何とかなるだろう。ま、 大船に乗ったつもりでいろや」
 ゲオルグは、ニヤッと笑みを見せた。シャンレイはその言葉に頷くと、エルディスの 方を見た。
「すまない。手を貸してくれないか?」
「もとより、そのつもりです。出逢ったのも、何かの縁ですからね」
 エルディスはニコリと笑うと、彼女の肩を軽く叩いた。その手は、とても心強い。シ ャンレイの肩の荷は、少し軽くなったようだ。
「ありがとう。明朝、出発する。異論はないか?」
 シャンレイは皆を見渡した。……誰も反論はないようだ。
「決まったな。じゃあ、俺は馬を手配しに行くが……」
 ゲオルグはそう言いかけて、ふとミサキたちの足元を見る。
「詰め所なら、向こうにありますよ」
 エルディスは道の先を指す。
「奇しくも、方向は一緒だな」
 ゲオルグは、冗談のように舌打ちした。シャンレイは、ふと表情を緩める。
「エルディス、アマネ。パレッティとシェーンを頼む」
 そう言うと、彼女はミサキとソルティを促す。そして何本かの縄を取り、数人の男を 抱え上げる。二人もそれに倣い、縄をつかんだ。
「たいしたモンだな」
 ゲオルグは唖然として呟き、三人を手伝って[地走り]の連中を引きずっていった。




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