partita~世界演武
                         熾戒

第六章 汝を守るための剣(6)

 エルディスが集中すると、門に黒い皮膜のようなものがまとわりついた。エルディスがセルリオスに視線を向ける。セルリオスはその意図を理解し、門を開けた。驚くことに、金属の擦り合う音どころか接触している草の音もしなかった。人一人が通れるスペースができると、伯爵が真っ先に中へ入る。それにシェーン、グレイス、シャンレイ、ミサキと続き、最後にエルディスが通った。

「……それでは、シャンレイ、ミサキ、よろしくお願いします」

 エルディスが小声で言う。シャンレイは頷くと、正面に向かって走り出した。ミサキもそれに続く。しばらくすると、ガンッという大きな音が鳴り響き、バタバタと何人かがそちらに向かう足音がした。

「―――行きましょう」

 エルディスは壁伝いに移動する。そして、隠し扉のある場所へ来ると、一つのブロックに手をかけた。グッと引くと、扉は容易く開いた。予想とは裏腹に、敵の待ち伏せはなかった。どうやら、ほとんどの者が正面に向かってしまったようだ。皆がそこから忍び込むと、グレイスが机の上に乗る。天井を叩くと、振動で一部が少しだけ下がってきた。そこに手をかけて引っ張る。すると、蓋が開いたようになり、その蓋の部分には折り畳み式の梯子がついていた。

「グレイス、それを下へ」

 エルディスの指示で、グレイスは梯子を下まで伸ばした。そしてそれを昇り、まわりの様子を確認する。……部屋の中。見張りはいない。グレイスは皆に安全のサインを出すと二階へ移動した。全員が登り切ると、エルディスは一つしかない扉に耳を当てた。向こう側から、誰かの声がする。

「―――……まさか、干渉しているのか……?ガキが……、味な真似を……!」

 エルディスの目が厳しくなる。そして、彼はドアから離れた。

(……エルディス?)

 グレイスがその奇妙な行動に険しい表情をする。

(……影になるつもりか?)

 セルリオスは次の行動に見当がついていた。おそらく幻術を使い、影のようになって敵の不意をつくつもりだ。その後にドアから三人が入ることで、二重に不意をつく。セルリオスはエルディスに合図する。二人は互いの意図を汲んでいた。エルディスは躊躇わず、術を発動させた。そして、壁に一歩踏み出して溶け込むかのように姿を消す。

(……冷静に行きましょう)

 エルディスは息を殺し、敵の背後に回ろうとする。こちらから見て左奥。アリア姫を捕らえ、何かしようとしている者が一人。廊下に通じるドアの横に立つ者が一人。窓の横で外を警戒する者が一人。……エルディスの狙う敵は姫の側にいる者だ。背後まで回る。

(……うまく、いくだろうか……?)

 エルディスが、彼の背後を録った瞬間に姿を現す。相手に行動させる隙を与えず、ウィップで右手を狙う。が、それは甘かった。

「―――!」

 敵は左手に持ったナイフで、エルディスに斬りかかる。その一閃は彼の頬をかすめる。

「……エルディスっ!」

 敵は彼の名を叫んだ。そして、二人の仲間が彼を援護すべく、エルディスに斬りかかる。そこへ、タイミングを計ったセルリオスたちが入り込む。

「何!?」

 援護しようとした二人は不意をつかれ、三人にあっさりと倒された。残るはナイフを持った男、ただ一人だった。

「……ケヴィン!何故こんな事をするの!?」

 グレイスが声を上げる。彼、ケヴィンは何も答えない。多勢に無勢だと思ったのか姫を抱え込み、その首筋にナイフを当てる。

「……術をかけられなかったのは、貴様の干渉のせいだな、エルディス。だが、計画はまだ終わっていない。陽動を起こしたようだが、残念だったな。二階には、まだ仲間がいるんだよ」

 ケヴィンは壁をガンッと強く叩いた。すると、ドアから八人の男たちが入ってきた。ケヴィンは四人を警戒しながらドアの側へ向かう。そして、一人に姫を渡す。

「一歩でも動いてみろ!アリア姫の首が飛ぶぞ。……もっとも、その方が都合がいいのだがな」

 ケヴィンは不敵な笑みを見せた。姫の首筋に再び剣が突きつけられる。

「……そういうことか、ケヴィン。よもや、貴方の仕業とは思わなかった」

 セルリオスが呟いた。

「フォートエイル伯爵がいらっしゃるとは思いませんでしたよ。ここへ来るのはグレイスだけだと思っていた私が浅はかだったか」

 自嘲の笑みを零すと、腰のブロードソードを抜く。

「―――……兄さん。目的は何なのです?」

 エルディスが低い声で呟いた。シェーンはその言葉に息を呑んだ。―――エルディスの兄。このケヴィンという男は、彼の兄だった。

「そんなことはお前には関係ないな。ここで姫を殺すか、あるいはお前たちを殺すか。私にはどちらも同じ結末だからな」

 ケヴィンは見下すような目をエルディスに向けた。

「武器を捨てろ。……グレイス、[クリスティア]は鞘ごと外せ。抜いた瞬間、姫を切り捨てるぞ」

 彼は[クリスティア]の特徴もお見通しだった。意志を持つこの神剣は抜いた瞬間に主の代わりに行動を起こす。……グレイスは奥の手を封じられてしまった。仕方なく、剣を鞘ごと床に捨てる。他の者たちも武器を床に捨てた。

「……結構。魔法も唱えた瞬間に姫に手をかけるからな」

 万事休す。エルディスたちにはどうすることもできなかった。その時。

「破ぁぁぁっ!!」

 ドアの外から、気合いの声が響いた。するとドアが壊れ、内側に倒れ込む。それに何人かが下敷きになり、部屋の中には強風が吹き荒れた。

「何だと!?」

 ケヴィンは背後を振り返った。その瞬間、皆は床の武器を手に取り、交戦体勢になった。

「シャンレイ!姫を!」

 グレイスの声で、ドアの外にいたシャンレイは、素早く姫を捕らえている男の手にした剣を叩き落とした。一発、鳩尾に蹴りを入れると敵は簡単に倒れてしまった。そして姫を背後に庇う。

「―――姫、お怪我は?」

 背後の少女に尋ねる。

「……は、はい。大丈夫です」

 驚いたような顔でアリアは答える。

「―――おのれ、小僧がっ!!」

 ケヴィンは乱入してきたシャンレイに向かって、剣を振り下ろす。

「!いけない、シャンレイ!」

 エルディスは予想外の行動にでられ、思わず叫ぶ。兄の得意技は、幻術を組み合わせた剣技だ。その太刀筋を見極めるのはかなり難しい。

(……刃が、揺らぐ……?)

 シャンレイには向かってくる剣が、まるで陽炎のように揺らいで見えた。思わず避けの姿勢をとる。何故か右肩が熱い。灼けるような痛みが走り、彼女は片膝をついた。見えていたのは幻影に過ぎなかった。肩から血が流れる。

「きゃっ……」

 アリアが小さな悲鳴を上げた。シャンレイはそちらりと背後を見る。この少女を守りきれば勝ちだ。この男の剣に惑わされるわけにはいかない。周囲に目を配る。今のところ、姫に手出しのできる者はいない。

「……今度はこちらから行くぞ!」

 シャンレイは攻撃の構えを取る。そして、間合いを取っているケヴィンに向かって二段蹴りを繰り出す。足は空を切る。風がかまいたちのようになり、彼に向かう。彼は剣を構え、集中する。かまいたちは剣に当たると相殺された。しかし、次があった。シャンレイは瞬時に懐に飛び込み、その剣を折った。そして、掌底を顎に喰らわせる。ケヴィンはエルディスの目の前まで吹っ飛ばされた。―――その時、アリア姫に向かって敵の一人が剣を振りかざす。

「―――!!」

 剣が姫に迫る。一閃。派手に飛び散る鮮血。切り裂いたのは、―――駆け込んできたシャンレイの背中だった。

「シャンレイ!!」

 シェーンが叫んだ。シャンレイはアリアの方を向いたまま動かない。

「……あ、あ……」

 アリアは恐怖のあまり、言葉が出てこなかった。

「……無事で、何より」

 シャンレイは姫に向かって微笑んだ。深手を負ったにもかかわらず、彼女は勢いよく振り向き、男の顔面に裏拳を叩き込んだ。男は倒れる。

「……兄さん。悪あがきはこのくらいにした方がいいですよ」

 エルディスはケヴィンに向かって、悲しげに微笑んだ。ケヴィンは身体を起こし、ニヤリと笑う。

「私はお前ほど甘くないんだよ、エルディス!」

 ケヴィンのまわりにどす黒い靄が現れる。エルディスはハッとして兄の顔を見た。不気味ささえ感じる笑顔をこちらに向ける。

「我々[幻術の一族]の中で、禁呪とされた術があったな。死を呼び、死を喰らう術……。お前が嫌悪したそれを、私は手中に収めた」

 グレイスもあまりにも暗い、淀んだ空気に口元を押さえた。エルディスは焦りを覚える。

「……『死霊術』に、手を出したんですね……」

 死の淵からその魂を呼び寄せる術。淀んだ空気を身に纏い、それを媒介に死者の魂を召喚する。安らかに眠れない者たちを呼び覚ます。……危険だ。セルリオスもそれを感じていた。

「エルディス、グレイスの任務達成が先だ。死者にまで構っている暇はない」

「―――わかっています」

 エルディスはゴクリと唾を飲み込んだ。ケヴィンの傭兵は数人残っている。アリア姫はシャンレイに守られているが、この部屋を突破するにはその数人を何とかしなければならない。

「―――グレイス」

 エルディスは女騎士の方を見た。それだけで、彼女は作戦内容を理解した。[クリスティア]を掲げる。

「[クリスティア]、行くわよ。貴方の力、存分に発揮して頂戴!ただし、殺しては駄目よ!」

 グレイスは神剣で空を切った。冷気が放出される。ケヴィンのまわりに天井まで届くほどの氷の壁が出来上がった。

「な、何だと……!?」

 ケヴィンは自分の周りを取りまいていた淀んだ空気が、一時的に氷付けにされたことに気付いた。

「エルディス!次!」

 エルディスは集中を始めると、目の前に闇を形成した。その中に手を入れると、馬のところに置いてきたリュートが姿を現す。すかさずそれをかき鳴らし、歌い始める。呪歌[立ち竦み]である。例によって目標は部屋の中にいる敵のみだ。

「走るわよ!」

 グレイスは先頭を切ってドアへ向かい、立ちふさがる敵たちを押しのけた。それにシェーンが続く。

「姫、失礼します」

 シャンレイは膝が笑っているアリア姫を抱え上げると、その後に続いた。そして、その後からセルリオスが行く。エルディスはゆっくり歩いてドアの外に出ると、歌を止めてドアを閉めた。そして走る。

「グレイス、ウェナーたちに合図を!」

 グレイスは指笛を吹いた。その音は遠くまで響く。自分の馬は一頭で走って来て、ウェナーとミサキが他の馬を連れてくる。

「シャンレイ!姫は私が預かるわ!シェーン、右に厩があるから一頭調達してシャンレイと乗って!」

 シェーンはコクリと頷くと、厩に向かい足の速そうな馬を一頭連れてくる。

「シャンレイ!」

 シャンレイはアリア姫をグレイスに任せると、シェーンの連れてきた馬に飛び乗る。その後ろにシェーンが乗り、彼女はそのまま肩と背中の傷を癒しはじめた。セルリオスはエルディスが来たのを確認すると、彼の下まで馬を連れていく。

「足止めはしました!行きましょう!」

 エルディスはセルリオスにそう言い、馬に乗ろうとした。―――が、しかし。彼は馬に乗ることができなかった。突然膝を折り、その場にうずくまる。

「―――エルディス!?」

 セルリオスは驚いて、彼のもとに駆け寄る。小刻みに震える身体。まさか、という思いがセルリオスの中で膨らんだ。

(死霊術の淀んだ気に当てられたのか……?)

 かつて一度だけ見たことがある。突然うずくまり、真っ青な顔になったかと思うと、次の瞬間に別人のようになる彼の姿を。足止めを喰っていた敵が追いかけてくる。

「何してるの!?早くして、エルディス!セルリオス!」

 グレイスの声が響き渡る。セルリオスはそちらを見て叫ぶ。

「先に行け!後から追いつく!心配は無用だ!行け!」

 離れていても、緊迫している状況を肌で感じる。ピリピリと刺激するその雰囲気に、グレイスは戻りたい衝動に駆られた。しかし、セルリオスの厳しい表情がそれを拒んでいた。グレイスは吹っ切るように馬に鞭を入れ、走り出した。

「……さて、どうする?」

 セルリオスは自分に言い聞かせるように呟いた。数人の兵士に混じって、死霊がこちらに向かってきている。階段の上には氷の中からでてきたケヴィンの姿もある。

「―――笑止、ですね」

 不意に耳に流れ込んできた。ハッとしてエルディスに目をやる。彼はゆっくりと立ち上がり、悠然として向かってくる敵を見つめた。

「エルディス……」

 セルリオスは息を呑む。エルディスを取りまくのは、危険な香りのするオーラだった。昔見た光景がフラッシュバックし、セルリオスは苦々しい顔になる。

(……もう一人の彼か……。どうすれば、止められる……?)

 迫り来る敵を見据えつつ、そんなことを考える。―――いや、今は敵の方に集中すべきだ。セルリオスはレイピアを抜いた。エルディスはその場にリュートを置き、ウィップを構える。死霊たちが、何故か彼の方に集まってくる。彼を襲わんと、手を振り上げて迫り来る。しかし、エルディスには余裕すら窺えた。彼は空いている左の手を死霊にかざした。

「……!?」

 その手に死霊が触れるか触れないかという瞬間、エルディスの手の中に闇が生まれた。そして、死霊はその中に吸い込まれるかのように消滅した。

「―――なん、だと……?」

 ケヴィンはその光景が信じられなかった。幻術の応用だ。しかし、術を発動させる前触れは何もなかった。ケヴィンは幻術の発動なら、瞬間的にそれを察知できるはずだった。幻術は前触れもなく発動させることなどできない。

「私に死霊などを差し向けてもまったくの無意味ですよ、兄さん」

 エルディスは少しずつ階上にいる兄に向かって歩き始めた。

「……目覚めたのか、裏の人格が」

 ケヴィンは愕然として呟いた。

「裏の人格ではありません。さっきまでの私も今の私も共に『エルディス』なのですから。……ただ、少しだけ行動パターンが違うだけですよ」

 エルディスはニコリと微笑んだ。心臓まで凍るような笑みだった。セルリオスは目の前の敵をあっさりと気絶させ、二階で対峙する兄弟に目を向けた。その間も死霊たちはエルディスのもとに集まってくる。しかし、片っ端から彼に触れることなく消滅していった。

「クリストリコを裏で牛耳ろうとしているのか、それとも私を蹴落とそうとしているのか。私にはどうでもいいことですが、私を敵に回したことは後悔なさった方がいいですよ」

 エルディスの気が一気に膨れ上がる。このままではケヴィンを殺しかねない。セルリオスは階段を駆け上がる。

『母なる穏やかな海よ、彼方を漂う微かな流れよ。其が力は戒めの雫。我が名は育みし知識の樹。汝が力、我が元に集え』

 呪文を完成させ、最後の一段を蹴る。

『[白き制裁の雫(ティス・ディ・シャール・マザーリ)]!』

 セルリオスの目前に現れた水滴の群はエルディスに向かっていく。しかし、雫はエルディスが手をかざすと消滅してしまった。

(……返還の魔術が強制的に排除された……?)

「―――邪魔をしないで下さい、セルリオス」

 エルディスは低い声で呟いた。セルリオスは目を細める。彼を止める手だては思いつかない。

「……安心して下さい。もとより殺すつもりなどありませんよ」

 にこやかに告げるエルディス。背筋に冷たいものが通り抜ける。―――恐怖に近い感覚。それはケヴィンも感じていた。深く、深く堕ちて行くような空気。エルディスを取りまく空気は徐々にケヴィンのまわりも浸食し始めていた。

「……何をするつもりだ?」

 ケヴィンは変貌した弟の顔を見据えた。徐々にまとわりついてくる重い空気が、彼の行動を制限している。

「ちょっと普通ではなくなってもらうだけです。幻術には表の顔と裏の顔があるのはご存じですよね」

 エルディスはすっと両手を彼に向かって突き出した。

「―――……ふっ、あははははっ!そういうことか!あぁ、好きにするがいいさ!もとより、この計画が成功しなければ消滅するつもりだったのだからな!」

 自暴自棄に陥ったかのようなやけを起こした笑いに、セルリオスが眉をひそめた。それはまるで、天罰を待つ罪人のようであった。殺すなら一瞬で殺してくれ。……そう願っているようにしか見えなかった。

「ケヴィン殿……」

 セルリオスの声は彼の耳に届いた。

「……真実は、闇の中だ。私さえ口を割らなければな」

 エルディスの手から、闇の塊が放たれた。強い衝撃と共に、ケヴィンは後方に吹っ飛ばされた。エルディスは薄く笑みを浮かべている。

「―――エルディス……」

 セルリオスは何もできなかった歯がゆさで、その唇を噛みしめた。口の中は鉄の味が広がる。―――まだだ。まだ終わっていない。

(エルディスを、元に戻さねば……)

 セルリオスは呪文を呟く。

『太古より歴史を刻みし生命の礎よ、天より降り注ぎたる数多の輝きよ、悠久より流れ出たる清き雫たちよ。其は邪を滅する神聖なる刃。我が名は知識を育みし樹。我が元に集いて汝が力、ここに示せ』

 彼の両手に三つの力が収束する。そして、彼は叫んだ。

『[聖煌地流刃(ウィス・レ・ガイン・ティル・フェール)]!』

 その手に集まった光、地、水の力は混ざり合って剣のような形となった。エルディスも呪文が完成するのを待っていたかのように、伯爵の方を振り返った。

「……無駄ですよ、セルリオス。あなたの魔術では、私を倒すことはできない」

 余裕さえ見えるその表情。セルリオスは冷静になって、彼の言葉に頷いた。

「私も殺すつもりなどない。……しかし、お前に勝つ自信くらいはある。舐めてもらっては困るな」

 セルリオスは魔力の剣をエルディスに向ける。シンと静まり返る二人の間で、目には見えない力の抗争があった。

(……よもや、エルディスと本気で戦うことになろうとはな)

 魔力による圧力を発する二人。先ほど作り上げた魔術のせいで、セルリオスの方が不利であるはずだった。しかし、実際には彼の方が押している。確実に魔力ではエルディスを凌いでいることをここに証明する。

「―――行くぞ」

 セルリオスはそう呟くと、間髪入れずにエルディスに向かって走った。エルディスもそれを避ける体勢を作る。セルリオスは魔力の剣を思い切り引き、それを突き出す。その手元は早すぎて見えない。

「!!」

 エルディスは思わず防御の態勢をとる。剣撃が繰り出された、と思った瞬間、衝撃は来なかった。そして思わず気が緩んだところに刃が襲ってきた。完全にフェイントをかけられた。シュッという軽い音でセルリオスが斬りつけたのは、エルディスの頭だった。しかし、彼には傷一つつかなかった。

「う、ぁぁぁあああっ!!」

 エルディスは突然頭を抱え、その場に倒れ込んだ。セルリオスの手に握られた剣が消滅する。セルリオスは切り裂いたのは、エルディスの精神であった。

(……混沌に近い無を欲する力。それを滅する魔術だが、はたして有効なのか……?)

 セルリオスは警戒を解けぬまま、彼を抱き起こした。すると、彼はゆっくりと目を開いた。そして、自分の手のひらを目の前にかざし、じっとそれを見つめる。

「……私はまた、とんでもないことを……」

 目を、向こうに倒れている兄に向ける。動かない。―――死んだわけではない。自分の行使した力のことを、彼はしっかり覚えている。

「……元に戻ったか」

 セルリオスの手から魔力の剣は消えた。しかし彼を斬りつけた時の感覚は、今もなおここに残っている。一応一安心だが、そうも言っていられない。―――ケヴィンは、どうなったのか。彼にはそれがわからない。

「……エルディス、ケヴィン殿は……」

 抱き起こした友人は、ゆっくりと兄の元へ歩いていった。

「……心を、失いました。何を感じることもない、虚無の中に一人で……」

 虚ろな目をしたケヴィンは、ぴくりとも動かない。しかし、その心臓は正確に動いている。

「―――エルディス、自分を追い込むな」

 セルリオスは低く、言葉を投げかけた。エルディスは振り返らない。

「……兄を、クリストリコへ連れていきます。セルリオスはグレイスたちと合流して、王宮に来て下さい」

 その背中に投げかける言葉は見当たらなかった。しかし、このままではエルディス自身が何をするかわからない。―――そんな風に思うと、伯爵はこの場を離れられなかった。しかし、エルディスは顔こそ見せないが、セルリオスに向かって頷いた。

「―――大丈夫です。もう、逃げだそうとは思いません。私は、私自身に勝たなければならないことを、ちゃんと知っていますから」

 固い決意の現れた宣言だった。じんわりと感じる空気の寒さの中、一陣の穏やかな風を受けたような気がした。セルリオスは踵を返した。

「わかった。クリストリコの王宮で再び……」

 セルリオスは振り返らずに階段を下りた。そして、エルディスの耳に馬の嘶く声が届き、その蹄の音が遠ざかっていく。彼はそっとケヴィンの身体を抱き起こし、手を握りしめた。

「―――それでも私は、あなたを尊敬していました……」

 





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