人工楽園(5):黒い分度器

 グードは一際大きな塔の前に音もなく停止した。その塔はこの町に入った時に最初に目に入っってきたあの中央の塔だ。その頂上のたかさたるや、もう想像もつかないほどだ。

 塔の大きさに比例するかのような扉。その向こうに通されてから既に2時間は経っていた。

 応接間には見たこともない材質の調度品に溢れており、そのどれもが息を飲むような美しさを持っていた。なかでも、ソファと呼ばれる柔らかい数人掛けの椅子は快適で、それまで自分が寝ていたベッドよりも居心地が良かった。ソファの前には透き通る材質のテーブルが置いてあり、その上には湯気をたてた上品なティーカップが映っている。

 通された直後は何が起こるかと緊張していたが、結局今は通された応接間で無駄に時間をつぶしているだけだ。

 一時間ほど経った時には最初の頃の緊張感もすでに失われていた。そのころは好奇心を満足させるのに夢中で退屈しなかったものだ。戸棚を覗き込み、初めて見る飲み物を楽しみ、ソファの上で軽く弾んでみたりもした。しかし、それが2時間ともなると流石に別の話だ。

 同伴者のゴードンは少し前にふらりと出て行ったきり戻らない。

 リューネは居心地悪そうに身をよじると、透明なテーブルに突っ伏した。

「なんだって、私はこんな所にいるんだろう…今ごろとっくに殺されて、なにかの捧げものになっているはずだったのに…。この平和さはなによ…。まるで私だけ楽園に来てるみたいじゃない…。」

 テーブルの表面に映る自分の顔を指でなぞりながら、誰にいうともなく一人ごちた。

「その感想は当たらずとも遠からずじゃな。 砂のだけ世界よりは確かにいいじゃろう。」

 すぐ近くで聞きなれない声が笑った。反射的にリューネはお気に入りのソファから飛び上がるようにして立ちあがった。

 と、同時になにやら恥かしさが込み上げて来て顔が一気に赤く染まったのを感じた。

「そう堅くならずともよい。君がリューネだね。先ずはおかけなさい。」

 そう優しい声をかけたのは、穏やかな老人だった。その老人は体中に大きな皺を刻み、相当な老齢に見えたが活舌は達者であった。

 頭にはなにかの編物の帽子。体にはそこはかとなく格を感じさせる上品な貫頭衣を纏い、足には籐のサンダルを履いていた。その口元から伸びる髭は長く白い。誰もが憧れるような美髯であった。

 なにか威厳を感じさせるその雰囲気にリューネは圧倒されていた。

 老人はリューネに座るように勧めた後、自分も向いのソファに腰掛けた。

 リューネもそれにならって腰を下ろす。

「私はエヴスリン。ここの学長をつとめておる。ここがどんな所かは聞いておるかね?」

 リューネの喉はカラカラにかわき、首を横に振るので精一杯だった。

「そうか…。いかにもあやつらしいな」

 エヴスリンはさも愉快そうに笑った。その闊達な笑い方にリューネはやっと呪縛から開放されたような気になった。やっと肺に空気が入って来るのが感じられる。

 呼吸がこんなにありがたいと思ったのは初めてだった。

 エヴスリンはやおら深呼吸を始めた哀れな少女に目を細めた後、それでは警戒するのも当然であろうとまた愉快そうに笑った。そして、悪戯子のような笑みを浮かべながら自慢の美髯をさすって言った。

「それでは、疑問だらけじゃろう。さて、何からお答えしようかな?」

 質問は自然に出てきた。と、いうよりも他には思いつかなかった。

「私はなんのためにここに連れてこられてのですか」

「ふぅむ。それはな、君をこの”砂の学院”に入れるためじゃよ」

 エヴスリンは髭をさするのを止め、両手を組んでテーブルの上に乗せた。

「砂の学院…?」

「左様。砂の学院とは、砂の賢者の下で、この世の真理を学ぶ場所じゃ。」

 リューネは、先程この人物が学長となのっていたのを思いだした。

 そして同時に彼女の育った砂の部族にはこんな伝承があったのを思い出した。それは、世界には10人の賢者が住まい、それぞれの賢者は限りなく高い塔に住まい世界を見つめている。と、いうものだった。

 まさかとは思いつつもしらぬうちに口をついてその言葉がつむぎだされる。

「では、貴方が”砂の賢者”…」

「左様。そう呼ばれる事もある。どうだね。想像と違っていたかね」

 今までリューネが何度となく聞かされた御伽噺や神話の類に登場した、この世に住まうという10人の賢者。そのうちの一人”砂の賢者ディーザリル”が目の前にいる。

 余りの衝撃に自分は夢を見ているのか、それともこれが死後の世界なのかという疑念がまた頭をもたげてきた。

「まあ、驚くのも無理はない。世間一般では私の存在は御伽噺や神話の中の住人だと認知されているであろうからな。しかし、賢者は実在するし、賢者が住まうという”塔”も実在する。そして、その”塔”の一つがこの”砂の学院”なのじゃよ」

 リューネはただ呆然とするしかなかった。生贄として固めてきた覚悟はなんだったのだろう。連れてこられて、死ぬのだと思っていたのに。砂の学院。伝説の賢者の弟子に…。

 リューネの次の質問は自然に出て来た。

「どうして、私なんですか。」

「それはの」

 エヴスリンはそこで一旦言葉をきり、リューネの顔に右手を近づけて、彼女の左目に触れた。リューネは金縛りにでもあったかのように指一本動かす事ができなかった。

 …コツン…

 エヴスリンの爪の先になにか硬質的なものがあたる音がした。

「君がいい目を持って生まれたからじゃよ。特別の……な





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