人工楽園(7):黒い分度器

 塔の一室。そこには先ほどエヴスリンと面談した応接間より、多少押さえた色調の調度品がそろえられている。

 リューネは眠れぬ夜を過ごしていた。灯りのすっかり落ちた部屋の隅。清潔なベッドの上で気だるそうに身を捩る。

 この街で唯一面識のあるゴードンはあの時、塔の応接室で姿を消してから現れない。

 エヴスリンとの面談の後、案内されたのは塔の中の一室。そこで入学までの数日間を過ごせと言われたのだが、知る顔とてなく、心細いことこの上ない。

 そっと自分の左目にふれてみる。堅い感触。痛みはない。自分の目にそんな秘密があるなんて今まで気づきもしなかった。

 リューネは灯りを求めてベッドの周囲を探った。灯り…灯り…と呟きながら手さぐりをしているうちに何か丸い物に手が触れる。と、同時にぼんやりと光が点った。

 リューネは驚いて素早く手を引っ込めて、輝く球体をしげしげと見つめる。そこにはぼんやりとなにかの紋様が浮き上がるのが見えた。

 そのとき、部屋の扉が開く音がした。廊下の光が部屋に差し込む。

「なんだ、起きていたのか。そこを通りかかったら、灯りがついていたのでな。」

 現れたのはゆったりとした貫頭衣を身に纏ったゴードンだった。村で会った時とはまた違った人物に見える。ゴードンはリューネが腰掛けるベッドのすぐ隣の椅子に腰掛けた。

「眠れないのか。…すまなかったな、放っっぽりだして。」

「いえ、いいんです。」

 リューネは光る球体から目を離さずに言った。寂しがっていた心の中を見透かされるのが嫌だった。目に映るぼんやりとした光はどこか暖かい。

「不思議か?」

「あ、はい」

 リューネは照れたような笑みを浮かべる。

「学長から聞いたと思うが、君は砂の学院に入学することになる。そこで学べば、そんなもの、すぐに作れるようになるぞ。」

 リューネには何も答えることができなかった。確かにこの町は素晴らしいし、彼女の好奇心を刺激しつづけて止まない。学長やこの男も決して悪人ではないと分かってはいるのだが、死ぬのだと思いつづけていたことによって押さえられていた望郷の念は今彼女の心の中で強暴な牙をむき出して渦巻いている。

「不安か?」

 ゴードンはリューネの顔を覗きこむ。

 確かにそれもある。これから見知らぬ場所で生きていかねばならないのだから。しかし、本当は…帰りたい……集落の楽園なんて関係ないあそこの誰の幸せも関係ない。ただ…帰りたい…。

「そうか。無理もない。明日、街を案内しよう。そうすれば知り合いも増える。」

 ゴードンは少女の気持ちを察していながらあえて核心には触れないでいた。ここで彼が理解を示しても、結局帰れないことには違いは無いのだ。深い悲しみと少しの罪の意識そして、過去の自分を重ね合わせるようなとても深い左右色違いの瞳。

「はい。」

 リューネは不器用な優しさに心が救われたような気がした。安堵の笑みが零れる。

「実は、俺もここに来た時はもっと酷かった。初日なんか、泣き明かして翌日できた友達に大笑いされたもんだ」

 ゴードンは懐かしむような、それでいてはにかむような苦笑いを顔に浮かべた。

「本当に?」

 リューネがクスクスと笑う。本人は堪えているつもりなのだ。そして、この強面の知人に可愛いところもあるものだと思っていた。

 ゴードンはそれを見て、すこし憮然としたような顔を作り、「大昔の話しだがな」と付け加えた。

「どのくらい?」

 もう、不安や寂しさはどこかに飛んで行ってしまった。逞しくもどこか子供っぽいゴードンをまるで生まれたときから知っていたかのような錯覚さえ覚える。リューネは生贄に選ばれる前の活発な少女に戻っていた。

 ゴードンはリューネの気持ちがほぐれたのを感じ、あえておどけたように悩むふりをしてから言った。

「ん百年前。」

 一瞬時が止まる。リューネは鳶色の大きな目を見開いたまましばし硬直する。それを見てゴードンは口の端を吊り上げてにやりと笑った。

「またぁ」

 呪縛から解き放たれた瞬間、リューネはケラケラと可笑しそうに笑った。その顔をみて安心したのか、ゴードンは「寝ろよ」と言って灯りを消す。

そして、ゴードンが扉の辺りに辿りついた時。

「おやすみなさい」

 彼の耳にリューネの小さな声が届く。彼は扉を押しあけながら一度リューネの方に向き直って

「ああ、お休み。工房の朝は早いぞ。覚悟しておけ。」

 そう言い残して扉の向こうに姿を消した。

 それからリューネの安らかな寝息が聞こえるまで、それほど時間はかからなかった。





□もういちど聞かせて! ☆もう、眠いや…。 △もっと聞かせて!