『或日常的情景〜武成王府修練場にて〜』

(哉牙)


「よぉ。太師殿、手合わせしてくれないか?」

 禁城での仕事を終え、太師府に戻ろうとしたところで、声をかけられた。
 振り向かずとも誰か分かっていた。
 先日、旅から帰ってきた黄家の長子だ。
「なぁ。いいだろ?」
 軽々しく云う男に、聞仲は小さく嘆息する。

「・・・・お前は、武官。私は文官だ。相手をできるわけがないだろう?」
「そうは云うが、お前がそこらの武官より腕が立つというのは有名だぜ?
 太師殿は宝貝を使わなくとも、人間では歯がたたない、とな」
 飛虎は挑発するような笑みを浮かべる。

「それに、もう朝歌には相手がいなくてね」
「……分かった。お前のその思いあがりを正してやろう」




 上手くのせられた気もしないでもないが、聞仲は飛虎とともに武成王府の修練場に来た。

「得物はどうする?」
 そう飛虎が尋ねたので、剣を所望する。飛虎は、聞仲に待っているように告げると、武器庫に入っていった。直に出てきた飛虎の手には、兵士が訓練の時に使う剣が二振り握られている。
 飛虎が片方の剣を聞仲に差し出す。質素で頑丈なそれは刃は鋭く削られていないが厚く、ずしりと重い。物を切ることはできないが、扱いを誤れば人を傷つけることができる代物である。
 柄を握り、軽く振ってみる。使いこなされたものであるせいか、手になじんだ。
 剣で戦うのは久しぶりである。しかし剣を握った瞬間、不安はなくなり、代わりに自信が湧いてきた。長年鍛えてきたという自負もある。負ける気はなかった。

「では、はじめようか」

 最初に切りかかってきたのは飛虎だった。
 聞仲の剣がそれを受けとめる。そのまま押し返そうとしたが、想像していたよりも重いそれに、押し返すことを諦め、流すように剣をずらす。
 力をずらされれ、勢いが余った飛虎の体が、大きく揺らぐ。
 その隙を見逃さない聞仲は上段から剣を振り下ろすが、あっさりと、飛虎の剣に止められた。
 押しきろうとしても、飛虎の剣はびくりとも動かない。力比べでは適わぬと悟り、聞仲は剣を引く。
 間を置かず、飛虎が聞仲に切りかかる。そのまま数回剣が交わる。
 幾度も切り結んで行くうちに、聞仲の剣から精彩さが欠けてくる。基本的に体力に差があるのだ。このまま長引けば不利だと判断し、聞仲は一気に片をつけようと剣のスピードを上げる。
 相手を翻弄する素早い剣も、この男には効かないらしい。見かけから想像していた以上に、飛虎の動きは素早い。
 思わず躍起になって剣を振るう。

 がむしゃらに切りかかったせいか、それとも疲労の為か、聞仲の足が前につんのめる。そのまま、飛虎の方に倒れかかった。さすがに飛虎もそれには対処できず、もつれる様にして共にこける。
 聞仲は下敷きにしてしまった飛虎の上から退いても、立ち上がる気がおきず、そのまま地面に座りこむ。

 いつの間にか、空は茜色に染まっていた。吹き渡る風が心地よい。

 後頭部を打ちつけたらしい飛虎が頭を押さえながら、上体を起こした。
「大丈夫か?」
 それは私が云うべき台詞だろう。
「お前こそ……」
「俺は平気だ。頑丈だからな」
 本気で私を気づかっているらしい。こけたぐらいで、どうともなるわけがなかろうに。
 神妙な顔つきで云う飛虎が可笑しくて。
 聞仲は笑い出した。悪いと思って口を押さえるが、喉から漏れる笑いを隠しきれない。

 何もかもが久し振りだった。屈託なく笑うのも、躍起になって剣を振るったのも。そして、こんなに楽しい気分を味わったのも。

 突然笑い出した聞仲を、飛虎はきょとんと見つめていたが、聞仲の笑いが伝染したのか、声をあげて笑い出した。

 しばらくたって、ようやく笑みが収まってから、飛虎は顔を改めると、聞仲に手を差し出した。聞仲もその意を悟って、自分の手をその手にぶつける。
 小気味良い音がなって、二人は堅く手を結んだ。
「これからもよろしく頼む。太師殿」
「こちらこそ。未来の武成王」
 飛虎は自分が立ち上がるついでに、つないだままの聞仲の手を引っ張って立ち上がらせた。

「なぁ、今日、家に来ねぇか? 上手い酒があるんだ」
 並んで修練場を後にしながら、飛虎が誘った。
「ああ。いいな」
 未来の武成王としてでなく、飛虎という男と酒が飲みたかった。この男となら、上手い酒が飲めるだろう。
 そう自然に思える自分が意外で可笑しくて、またくすくすと笑みを漏らす。
 





<終幕>


哉牙の個人誌『いつか。』より再録。

はじめ、聞仲が大口を開けて笑っていたのだが、師匠に止められたので、やめたという裏話あり。
とても爽やかで、自分で驚いている。

(哉牙)

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