『腐蝕』

(桂)

 

禁城の奥、薄暗い地下室。
牢獄とは違い王しかその存在を知らない秘密の抜け道をかねてあるその部屋に、
禁城の主紂王 は一人たたずんでいた。
目の前にあるのは棺。
小ぶりな大きさのそれは女性用であることを示していた。

紂王 はじっと中に眠る人を見つめつづけた。
瞳で愛撫しているかのように・・・。
そして、ゆっくりゆっくりとささやきかける。
「余のことを想ってくれているか?」
目は妖しくうつろで棺にかけた手は小刻みに震えている。
「・・・そうか。想ってくれているのか。其方はここにいてくれるものな。」
紂王 はゆっくりと微笑む。満足そうな笑み。
決して言葉が返ってこない相手からの返事が聞こえているかのようなそぶりであ
る。
「妲己 ものう、余を見捨ておった。以前のようにそばにいてくれぬ。」
哀愁の漂った目。淋しさより悲しみがやどったその目は捨てられたかのような認
識が宿っていた。
「聞仲も心ここにあらずじゃ。仙人界のことを思っておるのか、それとも・・・

不意にやさしく微笑む。
「それとも、其方の夫の出奔をなげいておるのかの・・・賈氏?」
長く美しい黒髪。閉じられた大きな瞳。
ただそこに横たわって眠っているかのような、棺の中の住人。
それは誰あろう元鎮国武成王の最愛の妻、賈氏だった。
夫に返されぬままの遺体はひそかに紂王 が命じて処理され、妲己 さえ知らない
この室に安置されていた。

「誰も余のそばにいてくれぬ。愛する妻もいとしい子らも。もう何も・・・。」
紂王 はそっと体温のない賈氏の手を取る。
そしてゆっくりとその手に口付けた。
「ずっと、共にあろう。いつか、いつの日か終わりがくるまで・・・。その時は
其方を夫に返してあげるから。」
棺の賈氏をじっと見つめると、近くの食台より美しい花を手折り賈氏の髪に飾る

愛しく愛しく髪をなでる。
それは死者への愛の証のようにも見えた。
「その時まで余と一緒にいてくれ・・・。余の妃として。賈貴妃・・・」
重なる手と手。
その冷たい手にすがりながら紂王 は己を見失っていった。自らの痛みを、すべ
てを、その心さえも腐らせていくかのように・・・。

 

<終わり>

 


なんか、いつもと違う話を書いてしまいました・・・。ラルク(アン シエル)の花葬を聞いていたときに思いついた曲で2時間くらいで書き上げてしまいました。
この小説に関する感想(ってか論文?)を哉牙 にもらったのですが
そっちのほうがすごかったです。感動です。
おおっ!こんな分析が〜〜〜!
っとただびっくりでした。深層心理を読まれてますね(苦笑)
もしかしたらその感想も載せてくれてるかもしれないので良かったら読んで下さい。オススメです。では〜☆

(桂)

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【哉牙的こめんと】
と、いうコメントを桂からいただいたので、ずうずうしくも私の感想を載せさせていただきます。

 死体愛好者を取り扱う場合、多くは性的交渉まで書かれることが多いのだが、この『腐食』では、手に口付けたり、髪を撫でる以上の交渉はなされない。それは、作者が賈氏に愛情があるため、そういうことは書きたくないという理由もあるだろうが(そうだよね?)、性的交渉を持たさないことによって、紂王から賈氏への愛(彼の想いをそう呼んで差し支えないなら)の純化がはかられているように思える。
 純愛のように見えなくもない彼(紂王)の行為。しかし、その精神は狂気に侵されている。自分をかえりみない人々(妲己や聞仲)から、愛情を得られない空虚を埋めるために物言わぬ『賈氏』に愛情を注いでいるようにも見える。その為、彼が賈氏に優しく触れれば触れるほど、彼の哀しさが強調されて痛々しい。
 狂気という感情はしばしば酷く純粋なものであるから、どういう形であれ、純愛とよんで差し支えないのかもしれない。
 ところで、紂王の「その時は其方を夫に返してあげるから」という台詞に作者の賈氏への愛情を垣間見たような気がするのだが、それは私の思い過ごしであろうか。
 個人的には紂王が最後に賈氏のことを「賈貴妃」と呼んでるのが好きである。そう呼ぶことによって、賈氏の存在が自分のものであるとの紂王の独占欲がさりげなくあらわれといる。また、そう口に出して呼ばないではいられないほど、愛に確証が欲しいということであろうか。彼がそれほどまでに愛に飢えていること、また賈氏の愛情に縋らなくてはならないほどの彼の弱さが愛しく思えないでもない。
 死体愛好症に話を戻そう。性愛異常は、愛する対象異常と、愛し方の異常と二つに分類できる。死体愛交渉は前者の「対象異常」である。そもそも性愛と種の保存の本能は切って考えられない関係にあるので、子孫を作ることのできない死体愛好症が『異常性愛』とみなされるのは無理からぬことであろう。その死体愛好者を書く場合、2通りの扱い方がある。ひとつは、愛する人の心を手に入れることができない為に、「ではいっそのいこと、殺してしまおう」という心境のもと、相手を殺害し、その後、自分を拒否することのなくなった相手に愛情を注ぐという形での死体愛好症。もうひとつは、純粋に『死体』が好きな場合。この場合は、『生きた人間』を嫌悪する反動だと思われる。感情のある人間とのコミュニケーションが上手く取れない人間が、物言わぬ『死体』に愛着を持つのではないのだろうか。類似の話に、恋愛対象が人形であるというのもある。
 『腐食』では、前者の死体愛好症に分類できそうであるが、後者の要素も含まれているのではないだろうか。
 紂王は賈氏に求愛し、拒否されている。この点から前者に分類してもいいように思われるが、ここで注目したいのは紂王の「妲己ものう、余を見捨ておった。以前のようにそばにいてくれぬ。」という台詞である。よもや、紂王が死体にしか愛着を持たないとは思えないが、自分にかまってくれない生者に嫌気がさしたという心境もあるのだろう。
 先に紂王の想いは純愛であると述べたが、私には、ここでの紂王の賈氏への愛情は自分を愛してくれない生者へ憤り(もしくは寂しさ)の反動であるように思える。(哉牙)

良いのかな? こんなん載せちゃって。死体愛好症云々のところ、いい加減です。資料に当たり直していません;
これは桂が感想を要求してきたとき、簡単に感想を送ったら、もっと詳しい感想が欲しいと、言ってきたので無理やりひねり出したものなんです。ちょっといい加減なところが……。(汗)

(哉牙)