秋の夜長に
秋の夜長に

 月の光が綺麗だった。
 それだけは覚えている。
 でも、それだけでしかない。
 あの日もこんな満月の日だったはずだ……。
 私は、あの友人を今日もまた待っている。

 その日は別になんでもない日で終わるはずだった。
 確かに、月1のアレでイライラしていたけど。
 布団をかぶっても眠れない。
 このままだと、朝起きるのが辛くなる。
 いや、それどころか、数学の時間に居眠りして、山ちゃんの嫌み連呼だ。
 「まずいなぁ」
 眠りたい。
 それでも、身体は睡眠を欲していないかのように、目が冴えてしまっている。
 ふと、外を見る。
 少しの欠けもな丸い月。
 街の光は、こんな時間でもまだ淡い光を灯し続けている。
 時折聞こえてくる車の音。
 ……夜風にでも当たろう。
 ベッドから起きあがって、窓を少し開いた。
 夜風が柔らかく頬を撫でていく。
 「んー。気持ちいい」
 包み込まれるような不思議な感触。
 秋も深まって、五月蠅い蚊もいない。
 夜の空には無数の星と丸い月。
 「そういえば、星なんか見てなかったなぁ」
 星空を見上げて、苦笑。
 余裕がなかった訳ではない。
 ただ、見なくなっていただけだろう。
 面白いモノは他に無数にある。
 「あのー、すみませーん」
 突然、下から声が聞こえてきた。
 空耳だろうか?
 こんな時間に誰が……。
 「すみませーん」
 声はまた聞こえてくる。
 下の方から。
 誰だろうと、下を向く。
 ……誰もいない。
 「むー。眠くなってるのかなぁ?」
 空を見上げて、深呼吸を一つ。
 眠くなった気はしないけど、頭は眠いのかもしれない。
 「ま、待って下さい。私はココです!ココですよー」
 窓を閉めようとしている私に、またしても声が聞こえる。
 下を向く。
 誰もいない。
 本格的にヤバイかな?これ。
 額に手を当てる。
 「もっと左ですよぉ」
 下を向いたまま、少し左に視線を合わせる。
 見えるのは、我が家の愛犬、ペスの家のみ。
 やっぱ、疲れてる。
 寝てしまおう。うん。それがいい。
 頭痛がする前に。
 振り返り、一歩離れる。
 「あー、ストップ!ストップぅぅぅ」
 声がまた聞こえた。
 本格的に、まずいぞ!私っっ。
 恐る恐る振り返る。
 「やっほー」
 それはいた。
 窓の桟に腰を掛けながら。
 体長15cmほどの身体に、透明な昆虫に似た羽根を持ったモノ。
 にこにこ笑いながら、私に手を振っている。
 ゆっくりと、視線をベッドに戻す。
 「あー何も見てない見てない。疲れてる疲れてるんだ」
 全否定して、そのままよろけながらベッドへ。
 幻影と幻聴が聞こえるようになった。
 うー。まずい。
 確かに、月1のアレで高ぶっている気もする。
 今日から変えた生理薬がまずかったかも。
 あの製薬会社の商品は今後、買わないようにしておこう。
 それにしても、明日の数学の授業が大変そうだ。
 明後日の方向を向いて、嘆息。
 「あーちょっと!現実逃避しないでくださいよー」
 「どこが現実よ!?非常識なっっ」
 振り返って、びしっとそのヘンテコなモノを指さす。
 「非常識って……そう言われると、言い返す言葉はないんですけど」
 そのヘンテコなモノは気まずそうに頬を掻いた。
 あぁっ、関わってしまった。
 このまま眠るつもりだったのに、関わってしまった。
 しかし、今なら間に合う。
 ベッドに潜り込もう。
 「あーだから、待ってくださいよー。私なんの為に来たのか分からなくなるじゃないですか」
 身勝手な。
 私は多分、眠いんだ。
 目は冴えきってるけど、布団が私を待っている。
 あんな非常識な幻影と遊んでいる暇はない。
 「お水を1杯くれればいいんですよー。本当、それだけでいいんですから」
 「庭のホースでかってに飲んで」
 ベッドに倒れる。
 布団の柔らかな感触。
 「あのー、蛇口が捻れないんですけど」
 「…………」
 「死んじゃいますよー」
 勝手にして。
 私は、何にも知らないし、何も聞いてないし、見てもない。
 普通のどこにでもいるような人間なんだから。
 こんな非常識な事、関わってられない。
 「…………」
 「………えへ」
 「えへじゃないでしょーがっっ」
 飛び起きた。
 寝られるわけがない。
 「本当に、水の1杯でいいのね!」
 「わぁ!恩人です!」
 目をきらきら輝かせながら、私の目の前に飛んできた。
 小さなソレの顔はなかなか整った顔立ちをしている。
 形いい眉の下にぱっちりとした目。
 悔しいけど、私より数段美人だった。
 「ちょっと待ってなさいよ」
 ため息を一つ。
 なんか人がいいな。私。
 重い足取りで、階段を下りて、キッチンへ。
 こんな時間、誰もいない。
 コップを1つ手に取って、蛇口を捻った。
 「はぁ…なんだってのよ」
 重い足取りで階段を再び移動する。
 自分の部屋へ。
 「あーお帰りなさい」
 机の上で足をぶらぶらさせながら、ソレは私に手を振っていた。
 「はい」
 「わぁっ、お風呂みたいです」
 「…………」
 確かに、あの体長からすれば、コップ1杯の水はお風呂に見えるかもしれない。
 次元が違いすぎる。
 「わわわっ…落ちるっ」
 コップの端で、バランスを崩したのか、ばたばたと手を振っている。
 私はため息を一つ吐いて、彼女の背中を持った。
 「あ、すみませーん」
 ため息しか出ない。
 何が哀しくて、コップでおぼれそうになっているやつを助けなきゃいけないのか。
 非常識だ。
 非常識すぎる。
 「アンタ、何者!?」
 「えーっとですねー。平たく言うと、そちらの方では妖精とか言われてますけど」
 さらりと凄い事を言ってくれる。
 まったく。
 頭が痛くなってきそうだ。
 「妖精ねぇ……あながち間違いじゃなさそうだけど」
 「あはー。だって本物ですもん」
 「いるもんなのね。実際」
 「ええ。結構、いますよー」
 コップの端でばたばたしながら、そう答えた。
 なんだか、水を飲んでいる姿が滑稽に見える。
 「飲みにくいんじゃない?」
 「あーいえいえ。こうやって顔を突っ込めば……なんとかー」
 飲みにくいなら飲みにくいと言えばいいと思うのだが。
 嘆息をして、コップを少し傾ける。
 「あーどもー」
 「非常識」
 「あははは」
 「ったく。アンタ見てると、なんだか何にも考えたくなくなるわ」
 「誉めてます?」
 「全然」
 「あ、やっぱり」
 乾いた笑いを浮かべて、コップの端に口を付ける。
 ゆっくり、ゆっくりと喉を動かしていく。
 「ふぅ。助かりました。ありがとうございます」
 口を離すと、水はほんの少しだけ減っただけ。
 やっぱ次元が違う。
 「アンタさぁ……ってやっぱいいや。あんまり詮索しないでおく。なんか私が変になりそうだから」
 「なんか酷い言われようですねー」
 あははーと笑っているソレ。
 「あ、でも恩人の方の名前くらいは覚えておきたいです。私は、クゥと言います。よろしくお願いしますね」
 「私は琴美。よろしくしたくないけどね」
 「うー」
 睨らまれる。
 あんまり迫力はなかったけど。
 「でも、本当に助かったんですよ。毎日の通り道で空いているお家があって」
 「私は大迷惑よ」
 「いいじゃないですかぁ。ちょうど、眠れなかったんでしょ?ね?」
 「迷惑を掛けてるやつの台詞じゃないわね」
 「うー」
 さらに睨まれる。
 全然怖くない。
 人差し指で、うりうりと突いてみる。
 バタバタもがくものの、その手は短くて私には当たらない。
 「リ、リーチの差がっ」
 「当然ね」
 にやりと笑った。
 まぁ、非常識なやつだけど、退屈はしない。
 「んで、アンタ…クゥだっけ?何してるの?」
 「何って?」
 「仕事よ仕事。遊んでる訳じゃないんでしょ?」
 「あ、私、季節を運んでるんですよ」
 「はぁ?」
 素っ頓狂な声を出してしまった。
 季節を運ぶ?
 何ソレ?
 「だから、季節を感じるモノの手助けをするんです。今の時期だったら、スズムシとかコオロギに鳴くように言い聞かせるとか、植物に紅葉の手助けをするとか……」
 えっへんと胸を張って答えられた。
 なんだか科学の世界が崩れていくような発言。
 非常識だ。
 でも、目の前で胸を張っている奴が、非常識なんだから、その言葉はある程度の説得力がある。
 「季節を作り上げるのは確かに、地球全体です。でも、そのアシストをしてるのが私達なんですよー」
 「はぁ……」
 「むー信じてませんね?」
 100%信じる方がばかげている。
 そんな話。
 「証明してみせます!」
 そう言うなり、クゥは外へと飛び出した。
 数分後。
 クゥは一枚の青々とした葉っぱを持って戻ってくる。
 「今から、この葉を紅葉させます」
 「出来るの?」
 「出来なきゃ、持ってきません」
 「そう」
 あまり信じていない。
 が、彼女は真剣だった。
 ゆっくりと目を閉じて、そっと葉にさわる。
 柔らかそうな彼女の手がゆっくりと落ち着かせるように葉の上を動いた。
 「秋になったよー」
 柔らかな声。
 落ち着くような声。
 ふわりと空気が動いたような気がする。
 頭がぽーっとしていた。
 「出来ましたよー」
 はっとする。
 クゥの前には青々とした葉が赤く変色していた。
 「……マジ?」
 「マジです」
 科学の敗退。
 その後、クゥを疑う事はしなかった。
 目の前で起きた事が現実なら、それはちゃんと受け止めなきゃいけない。
 いやだけど。
 他の人に話せば、笑われるだろうけど、これが現実なら。
 「そんな凄い事してるクゥが、なんで私の所なんかに?」
 「だからお水をもらおうとしてふらふらしてたら、ちょうどこの部屋が空いてたもので」
 「私が、クゥを捕まえて、解剖するかもしれないのに?」
 「そ、そんな事しませんよね?た、食べても美味しくないですよっ。私なんかっ」
 そういう事は全然考えてなかったのね。
 お気楽な奴……。
 「でもでも、結果的には琴美さん、優しい人でしたし!」
 「ほう、誉め殺し?」
 「あうー違います違います!本当に私、美味しくないです!お肉もそんなないし、スジっぽいですよぉぉっ」
 慌てふためく姿を見ていると、笑いがこみ上げてくる。
 「大丈夫大丈夫。こんな面白い奴、解剖するもんですか」
 「はぁ……よかったぁ」
 「でも、私みたいな奴ばっかじゃないと思うよ」
 にやりと笑ってクゥの恐怖心をあおる。
 びくりと震え、情けないような表情を浮かべるクゥ。
 「こ、これからお水は琴美さんにもらう事にします!」
 「え?」
 「私、ココ周辺の担当なんです!琴美さん!私を助けると思って!」
 凄い事になってきた気がする。
 泣きべそをかきながら、私に身体を擦り寄せるクゥ。
 なんだか、小動物が哀願しているようにも見える。
 まぁ、確かに退屈はしないだろうけど。
 「分かったわよ。ったくもー」
 「ほ、本当ですか!?」
 クゥが私を見つめる。
 目をきらきらと輝かせながら。
 「優しいです!琴美さん、凄く優しいです!」
 「はいはい」
 本当に小動物を飼っている気分だ。
 「でも、その変わり、面白い話とか聞かせてくれる?クゥの仕事とか、私達じゃ理解出来ないような事」
 「そんなので良かったらいつでも!」
 「んじゃ交渉成立」
 「はい!」

 あれから、夜になると、ちょくちょくクゥは私の元にやってくる。
 最近お菓子を上げるようになってからは、毎日のように私の部屋に来るようになった。
 現金な奴。
 「あー琴美さーん。今日もくっきーありますかぁ?」
 笑顔で入ってくる。
 さぁ、夜の座談会の始まりだ。
 すっかり慣れた光景。
 私とクゥだけの秘密の空間。
 私はそれを楽しみにしている。
 クゥは食べ物の事しか頭にないかもしれないけど。
 「琴美さん、琴美さん」
 「はいはい。ちょっと待って。食いしん坊」
 私は笑いながら、準備を始めた。
 さぁ、今日はどんな話が聞けるんだろう?
 その答えは目の前にいる食いしん坊だけが知っている。
 今日も月が綺麗だった。

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