窓の下
窓の下

「ん?どこ行くの?」
「図書室。この前の課題の奴、返してないんだ」
「あーんじゃついでに俺のも」
「自分で行けよなぁ。ったく」
「まぁまぁ、そう堅いこと言うなよ」
 なんだかんだ言いながらも、その本を受け取ってしまう俺。相手もそれが分かっているのかにやにやと笑みを浮かべる。
「まぁ、ついでだし、いいか」
 自分に言い聞かせるように呟いて、図書室へと足を向けた。
 図書室は4階というか、最上階。俺のクラスは3階。そんなに遠くはない。それでも図書室のドアを開ける前に、俺は深呼吸を1つ。
 苦手なんだよな。この堅苦しい空気ってのは。
 中にお勉強に忙しい受験生や、優等生の姿を想像して、大きく息を吐く。勉強という言葉から遠い俺には別世界に思える場所だった。
 ドアを開く。
 中はやはり静まりかえっていた。居心地の悪い気がする。
「さっさと返して帰るか」
 本をカウンターまで持っていく。図書委員の当番がいるはずなんだが……あーいたいた。
 知り合いがいないか部屋を見渡すが、利用者の姿はない。つまり、誰もこの部屋にはいなかった。俺と図書委員の当番を除いて。
 ちょうど、利用者と利用者の隙間にでもはいったのだろう。
「あの、いいかな?」
 カウンターの前に立って、必死に本を読んでいる図書委員に声をかける。
「ちょっと待ってください! 今、いいトコなんです!」
「は?」
 当番の娘の台詞に思わず、間抜けな返答の声を出してしまう。待てと言われもなぁ。
 俺が困っていても当番の娘は本に集中したまま。俺のことなんか一向にお構いなしだ。
「本を返したいんだけどなぁ」
「うー! もう! 人の読書を邪魔して…ってあぁぁぁぁぁっっっ!」
 眉間に皺を寄せて、「怒ってます」という表情で俺を見た当番の娘は、絶叫して慌てて後ろを向く。
「や、 ヤダ。な、な、なんで先輩がっ!? あーもうヤダぁ。髪の毛ぐしゃぐしゃ」
 なにやら小さな鏡を覗き込んで、慌てて髪の毛を手櫛で整えているようだ。
「今日はお肌の調子も悪いのにーって何見てるんですか! カメラ止めてください。止めてください。撮っちゃだめだめー」
「誰がカメラ回してるんだよ」
 思わずツッコミをいれてしまう。テンションの高い図書委員だ。これで利用者がいれば、にらまれているに違いあるまい。いや、誰もいなくてよかった。
 しかし、なんだよ。カメラって。
「ううっ。来るならもっとお肌の調子の良い時に来てくれれば。ほら、鼻のトコにこんなおっきなニキビが」
 振り返って、自分の鼻を指さす彼女。確かにその先には大きなニキビが出来ていた。
 が、刹那、彼女は顔を真っ赤にして後ずさる。
「そんな近くで見ないでください。は、恥ずかしいじゃないですか。いくら先輩だってだめですダメ。オトメの柔肌を」
 見せたのは彼女のような気がするんだが。
 ツッコむ気力もなく、彼女を眺める。
 っていうか、コイツ……。
「西沢、お前図書委員だったのか」
「え? えええっ!? し、知らなかったんですかぁ」
 仰々しく驚くコイツは1年の西沢優美音。1ヶ月前くらにコクられた相手である。いや、そのお誘いは断ってしまったのだが……
「先輩、本当に私のこと何も知らないんですね」
 項垂れた彼女はか細くそう俺に言った。
 そう、俺は彼女の事をまったく知らないのである。名前は元より、存在自体知らなかった。
 そんなヤツと付き合うなんて全然実感が出ず、彼女をフッたのだ。
 いろんなヤツから「そんなの付き合ってから知ればいいんでない?」と言われたが、もう答えを出してしまっているのだ。なんとなく、その断りを訂正するのは恥ずかしく感じて、そのまま。
 嫌いでもないし、好きでもない。告白されるまで、なにも知らなかった後輩。
「まぁ、いいです。そんなトコも合わせて好きなんですから」
「ありがとさん」
「心がこもってません。こんな可愛い後輩が告白してるのに。先輩は淡泊ですねー。モテませんよ。ってか、やっぱモテなくていいです。いいです。ライバルが増えるのは感心できません。私の先輩でいてください」
 暴走したトラックを彷彿とさせるマシンガントーク。入る隙なんかありゃしねぇ。ツッコむとか無理また無理。
「ということで、やはり先輩は私と付き合いましょう。付き合うべきです。西沢優美音、可愛いし気が利くし明るいし、お買い得ですよー。先輩」
 お買い得ってなぁ。
 もう俺は苦笑を浮かべるしかない。
「それよりも、借りてた本を返却したいんだけど」
「はいはい。そちらの本でよろしいですか?」
「ほい」
 カウンターに本を出す。
 彼女はその本を珍しそうに見ている。
「あ、それ1冊は友達のね。名前は……」
「先輩って見かけによらず、難しい本とか読むんですね」
「見かけは余分。まぁ、宿題のヤツだからねぇ」
「あ、やっぱり」
 小さく笑う彼女。まぁ、確かに俺は勉強とか読書とかするタイプではない。むしろ、勉強が嫌いな方だ。
「先輩はやっぱり走ってた方が格好いいですよ」
 にっこり笑う彼女。その顔を見てなんだか顔が熱くったような気がする。その、なんていうか、その笑う彼女の表情は魅力的だった。すごく。
「俺は、西沢の事、何も知らないのに、西沢は俺の事良く知ってるな」
 なんだか恥ずかしくなって、そんな言葉が口に出た。
「見てましたから」
「見てた?」
「ええ。見てたんですよ」
「どこから?」
「それは秘密です。乙女には秘密が付き物です。うわっ、なんだか魅惑の美少女って感じしません? ほら、秘密の美少女ですよ」
 苦笑。
 自分で美少女言ってれば苦労はないだろ。
「がんばれ」
「…………」
「…………それだけですか?」
 寂しそうに上目遣いで俺を覗き込む彼女。たじろいてしまう。
「乙女の秘密とか知りたくないんですか?」
「なんかエッチな響きだな。それ」
「な、何考えているんですか! だめですよ。そんなの。付き合ってもないし! そりゃ、先輩とだったら正式にお付き合いしたら、最後まででもOKとは思ってますけど……って何言わせるんですか。もう先輩、セクハラですよ。セクハラ。いやらし系です」
 顔を真っ赤にさせてバタバタ慌てている。まったくもって忙しいヤツ。
 ある意味感心する。
「落ち着け。落ち着け。軽いアメリカンジョークだ」
「今のは右ストレート並の攻撃力があったと思います。清純な私にはキツキツです。でも、こうやって先輩に私は先輩色に染められて行くんですね。これも愛情」
「言っとれ」
「大丈夫です。先輩、私、ちゃんと先輩色に染まります。私、綺麗な白い絹ですから、すぐに馴染むんですよ」
 人の話は聞け。いいから。
 小さなため息を吐く。
「乙女のひーみーつー」
「なんだよ。秘密なんだろ? 秘密は隠してるから秘密だろ」
「それを先輩だけに教えちゃうって言ってるんです。二人で共有する秘密。深まる愛。そして二人は手と手を取って」
「夕日をバックにして殴り合い…と」
「スポ根モノではなくて、恋愛巨編なのです! 先輩。全米No.1の感動ストーリー。脚本、西沢。主演、西沢&先輩。でも、上映は私と先輩のハートだけ」
「絶対全米で放映されないだろ。それ」
「細かい事、気にしますねー先輩は」
 細かいか?
 なんだか、彼女と俺とはものすごい隔たりがある気がする。
 呆れるべきか。それとも悲しむべきなのか。
「まぁ、いいです。先輩、ちょっとこっちに来て下さい」
 彼女は俺を図書準備室に手招きする。
 こういうのは委員以外が入って良いものか少し躊躇してしまうが、彼女はお構いなしに俺を引っ張り込んだ。
「なにをする気だ?」
「ここの景色でも見てもらおうかなぁと」
 そこはグランドが一望出来る景色だった。俺が良く走っているトラックが良く見える。
「ここで、先輩の姿を初めてみました」
「え?」
「凄く一生懸命に入って、前しか見てなくて。その先に何が見えているのか凄く知りたい気分になりました」
 彼女は窓ガラスをゆっくりと撫でる。大切なモノを触るかのように。
「それから小さくて、手が届く訳ないのに、私はその先輩をずっと追いかけてました。タイムを更新して喜ぶ姿も、悔しがる姿も。ここから小さな先輩を見つめてました。クラスの陸上部の娘とかにいろいろ聞き出して、先輩の事たくさん知りました」
「近くで見ればいいだろ」
「そんなの出来ませんよ。怖くて」
 苦笑いを浮かべる彼女。それが何を意味するのか俺には分かりかねた。
「怖い?」
「だって邪魔者になったらイヤじゃないですか」
「告白したヤツが良く言うよ」
「だって、もう抑えられないですもん! 臨界点とっぱしちゃったんですもん! 見てるだけじゃ我慢できないです。こうやってお話して楽しく笑いたかったんですもん」
 睨み付けられる。その瞳にはいろんな感情が渦巻いているようで、俺は少したじろいた。
 簡単に言えば、迫力負けしてたんだろう。情けない話であるが。
「ふられたくらいで諦められるくらい私の気持ち弱くないですから。私、まだ諦めません。しつこい女だって思われても、何もしないよりマシですから」
 彼女はなぜか微笑んだ。
 なんだか頭が混乱してくる。
 俺のした事は? 何を考えて?
 窓の外を見る。見慣れたグラウンド。走り込んだトラック。
「あそこから始まった訳だ」
「はい」
「戻れないかな?」
「え?」
「今度は、俺、西沢優美音って女の子がどんな娘か多少は知ってるぜ」
 なんだか恥ずかしいが、今言わなきゃいけない台詞に思えた。
「戻れませんよ」
「え?」
 しっかりとした彼女の口調に、俺は彼女を見つめた。冗談を言っているような台詞ではない。
「戻れません。だって、時間は逆回しできませんもん。もし戻れても、先輩は、私の事何も知りません」
「そうじゃなくてだなぁ」
「女の子から2度も告白されようなんて都合が良すぎますよ。先輩」
 悪戯そうな笑みを浮かべる彼女。
 そういうことか。思わず口から苦笑いがこぼれる。
 期待している彼女の視線。これから言わなきゃいけない言葉。それらを反芻。
「西沢優美音、俺と付き合わないか? 俺は西沢優美音って娘の事、もっと色々教えて欲しいんだけどな」
「喜んでっ」
 いつものにっこり微笑む彼女の笑顔が見えた。
 これから、俺は彼女のいろんな顔を見るだろう。そして、彼女もいろんな俺の表情を見るんだろうか?
 グラウンドを見下ろす。いつも走り込むトラック。
 そして次には彼女が隣で笑っていることを予想しながら。

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