泣キ顔
泣キ顔

 その出来事は1本の電話からであった。
 浩介は3回目のコールで、携帯電話を取り出す。
 液晶には「公衆電話」と書かれていた。
「愛理だな」
 一言呟いて通話ボタンを押した。
 5回目のコールが途中で切れる。
「もしもし」
「コウ君?」
「どった? 愛理?」
 電話の向こうから、少し弱々しい声が聞こえる。
 相手は浩介の幼なじみ、愛理だ。
 愛理は生まれつき身体が弱く、今は病院で寝ている。
 病院での携帯電話は使えない。
 だから「公衆電話」からになるのだが。
「ごめん。ごめんね」
「はぁ?」
「コウ君、私、もう……」
 苦しそうに途切れ途切れの声が携帯電話のスピーカーを通して聞こえた。
 嫌な予感が浩介に走る。
「しっかりしろ! 俺のトコに電話なんかしてる暇ねぇだろ!」
「最後にね、コウ君の声が聞きたくて」
「馬鹿! 今すぐ向かうから看護婦さん呼べ!」
 電話の向こうで愛理がまだ何か喋っていたようだが、浩介はそのまま通話を切った。
 のんびりしてはいられないのだろう。
 慌てて浩介は病院に向かった。

 見慣れた病室のドア。
 プレートには愛理の名前が小さく書いてある。
 息を切らせながら、浩介はそのドアを開く。
「愛理!」
「あ、コウ君。こっちだよー」
 ドアの向こうには、浩介が想像したような今にも死にそうな愛理の姿などなかった。
 いたのは嬉しそうに微笑みを浮かべている愛理の姿。
 浩介はしばらく呆然としてしまう。
「ど、どういう事だ?」
「ん? どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ! 死にそうな声で電話してきたヤツがどうしてピンピンしてるんだ!」
「死にそうだった方が良かった?」
「そういう事でもないが……」
 言葉が続かない浩介。
「今日ね、今日ね、婦長さんが」
 反論を浩介がしてくる前に、嬉々と話を始める愛理。
 浩介はそれに流される程甘くはないようだが。
「説明してもらおうか?」
「え?」
「どうしてこんな事したんだ?」
「えっと…えっと…」
 叱られている子犬のような視線を向ける愛理。
 怒られると判断すると、こういう仕草をする。
 大抵の人は、これで弱気になるが、小さい頃から一緒だった浩介には全く通じない。
 浩介は少し愛理を睨み付けた。
「で?」
「……寂しかったの」
「はぁ?」
「最近、私の所に来てくれないし、ちょっと心配させてやろうかなぁって思って」
 小さくなりながら話す愛理に、浩介は大きなため息を一つ。
 怒るに怒れないという表情をしている。
「あのなぁ、大学のテストが近付いているから、ちょっと来れなくなるぞって言っておいただろ」
「でもでも!」
「ったく」
 大げさにため息を吐いて、浩介は愛理の髪を少し乱暴に撫でた。
「普通に言ってくれりゃ見舞いくらい幾らでも来るから」
「ホント?」
「あぁ。だから、こんな心臓に悪い冗談はやめてくれ」
「そんな心配だった?」
「当たり前だ」
 不器用に口の端を上げる浩介。
 愛理はそれが、浩介の苦笑だと解った。
 自然に愛理の笑みがこぼれる。
「心配されるのもいいね」
「アホ。心配する身にもなってみろ。その…好きな奴が死にそうになってるなんて馬鹿みたいな事」
「え!?」
 愛理は浩介の顔をまじまじと見つめた。
 今までお見舞いに来てくれた幼なじみ。
 愛理はそれを、同情とか幼なじみだからとか思っていた。
 無論、愛理にも浩介に対する愛情というか異性への思いというものを持っていたが。
「それってあの……コクったと言うヤツ?」
「わ、忘れていいぞ。やっぱ、今のナシだ。ナシ」
「ナシなの?」
「あーいや、その…畜生! あぁ、好きだよ! 愛理の事好きだ!」
 半ばやけくそになっている浩介。
 愛理は自分の顔が熱くなっていくのが解った。
 浩介など、顔は真っ赤だ。
「私でいいの? 迷惑かけるよ? 私」
「これだけ見舞いに来たり世話してたりしてるヤツに言う台詞か」
「私寂しがりだから、毎日来てくれないと怒るよ?」
「なんだよ。俺の事嫌いなら嫌いってフレっつぅの!」
「ち、違う! 私もコウ君の事好きだよ! 大好きだよ! ずっと一緒にいたいよ! でも迷惑一杯かけちゃ…」
 愛理の目には涙が溜まっている。
 それがうれし泣きなのか、悲しんでいるのか浩介には解りかねたが。
 それでも、浩介は愛理を抱きしめた。
 弱々しい愛理の身体は、少しでも力を強めたら壊れそうなくらいだ。
「ひゃうっ」
「俺を頼れ。迷惑も一杯かけろ。それでもいい」
「コウ君」
 そっと愛理は浩介の背に手を回した。
 自分の身体とは違って、どれだけ力を込めて抱きしめても大丈夫な身体。
 好きな人の体温。
 強く強く抱きしめた。
 その体温を、暖かさを忘れないように、愛理は強く抱きしめた。

「それじゃぁ、ちゃんと大人しくしてろよ」
「うん。大丈夫! こんな元気なんだもん」
 ガッツポーズをして、浩介を見送る。
 名残惜しそうに二人の視線が合って、ドアが閉められた。
 浩介がいなくなって、愛理の限界の糸が切れる。
「嘘吐くって難しいね」
 愛理の視点は定まらない。
 立っている足に力が入らなくなっている。
「あぁ、神様も意地悪だなぁ。こんな時にコウ君と両思いになるなんて」
 するりと床に倒れ込む。
 床の冷たさが身体の体温を奪っていくかのようだ。
 痛いとかそういう感覚を通り越してしまうような感覚。
「それとも、嘘を吐いてた代償かなぁ……元気なフリしてた罰かなぁ」
 ナースコールまで手は届かない。
 ゆっくりと幕が下りるように視界が狭くなる。
 そして、身体の力も。
 前にかけた浩介の電話の内容に嘘はなかった。
 病室で話した事が嘘だっただけで。
 どれだけ無茶をしたのか、愛理自身良く解っている。
「それとも神様が最後にいい夢見せてくれたのかなぁ」
 もう視界はほとんどない。
 変な眠気が愛理を包み込む。
「ずっと一緒にいたいかぁ。無理かなぁ……ごめんね。コウ君」
 告白されて、1日も経たずに無効になっちゃうや。
 コウ君には泣いて欲しくないから、最期は笑っていようかな?
 そう愛理は思ったが、表情を確認する前に、意識が途絶えた。

 ナノニ何故カ最期ノ最期ニ彼ノ泣キ顔ガ見エタノハ、幻覚ダトイイナァ。

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