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| 夢のあとさき・番外編 ツーソンの日々 まえがき 最近、友人に「浅田次郎に似ている」と言われた。 どこが似てるんだか、はじめはサッパリ判らなかったが、彼女が、私と浅田次郎の類似点として挙げたのは、以下のような点だった。 曰く、 ○およそ小説家らしくない ○およそカタギの人間には見えない ○双方とも軍務経験者である ○創作した小説よりも、実体験に基づくエッセイの方が面白い という四つの点で似ているという。 まったく失礼な話である。いや、私に対して失礼だというのではない、先方の浅田氏に対して失礼である。 だいたい、私は小説家ではない。その真似事をしているに過ぎない。そんな私と並べられても、浅田氏も迷惑だろう。それに、カタギの人間には見えない、と言われても、そもそも小説家という職業自体が、はっきり言ってカタギの商売じゃないと私は考えているから、別に外見がカタギっぽくなくても問題はないような気がするし、浅田氏の顔については書籍カバーの折り返しでしか知らないから、何とも言えない。自分の顔については───眉間にしわを寄せる癖が付いたのは、確か十五歳の頃だったか。まあいい、いいんだそんなことは。 確かに二人とも、軍務経験者ではある。かつて浅田氏は二等陸士だったと聞いた。私は少尉だ。一兵卒だった時代はあるが、初等訓練課程でのことで、訓練課程終了時に「訓練開始時に遡って伍長に昇進」したので、二等兵の経験もない。この点では勝っている。だからどうした、という程度のことではあるが。 それにしても、最後の言い様は、双方にとって不愉快なことだろう。小説よりも実体験の方が面白いだと? 悪かったな、小説よりも面白い経験してて、誰も好きでやってたわけじゃねーや、と言いたくなる。だが情けないことに、事実なんだからしょうがない。私が書く小説が面白いなら、今頃は印税で左団扇の生活をしながら、税務署を敵に回している筈である。複数のアルバイトや仕事を抱えつつ、月に一週間ほど基地に勤務して、日本とアメリカの両方に対して真面目に税金を納めたりはしなくても良くなっているだろう。ああ天引きとはげに恐ろしきかな、私は真面目な国民だ。 とにかく、この友人の勧めで、浅田次郎の『勇気凛凛ルリの色』というエッセイ集を買ってみた。題名を聞いて最初に思ったことは、「まさかルリルリとか関係ねぇだろうなぁ、浅田次郎なんだから関係ないよなー、ふつう」という懸念であったが、この題名は『少年探偵団』のオープニング・テーマからの引用であるとのことだったので、安心した───言うまでもなく、私は『少年探偵団』なんて知らない。世代と育った場所が合わないという二つの理由による。江戸川乱歩は二十歳を越えてから読んだくらいだ。 私が観ていたテレビ・シリーズと言えば『ジ・Aチーム』とか『エア・ウルフ』、『NYPDブルー』、『ガンスモーク』なんかであった。子供の頃には『フィジティヴ』とか『コンバット』か。やはり『コンバット』の影響は計り知れない。同世代でトンプソン短機関銃の悪口を言う奴が居ないとか、「軍曹」と言われると、今や存在しないテクニカル・サージャントを指していたり、その名前は自動的に「サンダース」になっているとか、ビッグ・モローの事故死を惜しむ声が高いのは、主にこのテレビ番組に由来するのだろう。私などは、心の片隅で「毎回一人ずつピンチに陥っても、作戦方針を変えない部隊って、けっこう問題があるんじゃないか」などと思っていたが。 閑話休題。 そんなわけで、『勇気凛凛ルリの色』を読んだ。 ぐは、負けた(笑)。面白過ぎるぞ浅田次郎。 で、このエッセイである。 この『ツーソンの日々』は、今から十数年前のアリゾナ州サウス・ツーソンにおける、私の日常生活について綴られたものである。───過去形で書いているが、実のところ二回分しかまだ書けてないから、「綴られる予定である」と書くべきか。内容的には、私が数年前まで書いていた『夢のあとさき』という連続エッセイの続編に当たる。もはや幻の作品と言っても差し支えないほどに、読者の限られたエッセイだ。知ってる人だけ笑ってくれ。 この企画は、当初の予定では、私の軍務経験について、面白おかしく綴ったものになる予定だったのだが、それではあまりにも荒んだ内容になりそうだったので(実際、以前にそういうものを書いて、自己嫌悪に陥ったことがある)、まだ自分が「子供っぽい」部分を残していた、古き良き時代について書くことにした。ただし、その内容は、やはり微笑ましいものとは言えないだろう。地域的特殊性と、不運にも私の「家族」がちょいとイッちまった連中であったことにより、私の人生は冗談みたいな状態にある。現在進行形なのが寂しい。他人はそれを見て笑うだろう。私は、笑う他人を見て泣くだろう。───笑いの取り方なんて、そんなものか(笑)。 最初に断っておくべきは、アリゾナ州民の名誉のために、全ての家庭が、私の家庭のごとき様相を呈しているわけではない、ということである。たぶん、ここまで酷いところはないんじゃないかな、おそらくは、きっと。ちょっと弱気だけど。 もしも、うちみたいな家庭がゴロゴロしていたとしたら、うちも「平均的家庭」の仲間入りをして、人々の話題にのぼることもなかっただろうし、何よりもアリゾナは既に崩壊しているだろう。不幸な人間は少ない方が世のため人のためである。近年とみに、そう思えてならない。 そういうわけで、この物語はフィクションではない。 |