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■ツーソンの日々・アリゾナ小史■
ツーソンの歴史は古い。
アリゾナ州内の都市としては、最初に建設された街である。それまで、現在アリゾナ州と呼ばれている地域には、白人は一人も居なかった。
アメリカが独立を達成した1776年に、スペイン系植民団が入植したこの土地は、周辺のインディアンたちがパパゴ語で「アリ・ショナック(小さな泉:湖が小さくなってしまうほど暑い、あるいは、小さな湖しかない場所という、やや否定的な意味あいを持つ)」と呼んでいた場所であり、その移民団が最初の開拓村を建設した場所は、同様に「ツー・ソン(黒い山脈)」と呼ばれていた場所だった。
こういう言い伝えがある───1775年の夏、スペイン人の偵察部隊(軍隊の偵察部隊ではなく、植民可能な土地を探すためのものである)がこの地にたどり着いたときには、水も食料も底を突きかけており、隊員たちは疲れ切っていた。何しろ西海岸から峻険なシェラ・ネヴァダ山脈を越え、砂漠の中を歩いてきたのである。砂漠地帯に入ってからは、特に水の補充が難しく、彼らは飢え、乾き切っていた。
彼らは「黒い山脈」の麓に小さな泉を見つけ、そこでしばらくの間、休んで疲れを取ることにした。食料を調達するために数人が狩りに出掛けたが、疲れていたこともあってか、何も取ることが出来なかった。その上、残っていた火薬を全て使ってしまった。ライフルは無用の長物と化し、彼らは野草を煮て糊口をしのいだ。
偵察隊の全員が絶望的になっていた時に、「黒い山脈」を越えて、この地方を治める酋長の率いるインディアンの一隊がやってきた。本来なら、いきなり一戦構えるころだが、疲れ切っていたこともあって、隊長はインディアンたちの代表と話し合うことにした。
インディアンたちは非常に友好的で、スペイン人偵察隊がシェラ・ネヴァダ山脈を越えてきたという話を聞くと、彼らを賞賛した。彼らの部族の中にも、「神の山」シェラ・ネヴァダを越えて「大きな泉(太平洋)」を見た者は僅かしか居なかったからである。
インディアンたちは「白い友人」がこの地を訪れたことを喜び、彼らが狩ったばかりの大きなバッファローを一頭、偵察隊に進呈することを申し出た。偵察隊はその礼として、火薬も弾丸もないので使いものにならないマスケット銃を進呈した。使いものにならないとはいえ、これは隊長が愛用していたもので、彫刻の施された素晴らしい品だった。自らの愛用する武器を交換することは、最高の友情の明かしであるため、酋長は喜んだ。
さっそく、バッファローを調理して、祝いの席を設けることとなったのだが、あいにく砂漠では薪が乏しく、合計三十人分の調理が出来るほどの火を起こすために必要なだけの薪がなかった。このままでは、せっかくのバッファローも食べるこが出来ない。
そこで隊長は、自分たちの馬車の一台を解体して、その材木を薪とした。自分たちの重要な「乗り物」を破壊してまで宴を設けようとした偵察隊長に対して、酋長はいたく感激した。そして、この地に「白い友人」たちが村を作ることを許し、自分の使っている立派な弓を彼らに贈った。
偵察隊長は、こんな何もない場所に植民しても、食べていくことすら出来そうにないと思ったが、自分たちのすぐ前にある「黒い山脈」からは、様々な鉱物資源が産出するという話を聞いて、考えを改めた。
数人の偵察隊員は、この情報を仲間に知らせるために、再びシェラ・ネヴァダを越えた。隊長以下の残った十数名は、酋長の案内で周辺を巡り、村を建設するのに最適な場所を探した。その結果、水も材木も、ある程度までなら入手可能であることが判った。農耕も、大々的には不可能かも知れないが、何とかなりそうだった。バッファローやアンテロープが豊富に生息しているため、狩猟には何の問題もなかった。やがて後続の植民団が訪れ、「黒い山脈」の麓に村を建設した。村の名前はツーソン、「黒い山脈」の名前から取られた。
こうしてアリゾナのインディアンと白人は、非常に友好的な関係を築いてきた───という話である。ツーソンの郷土資料館(ツーソンの子供なら、好むと好まざるとに関わらず、一度は見学に行かされている)には、酋長と隊長が交換したというマスケットと弓が展示されている。
話のほどは疑わしいが、そんな言い伝えが残るほど、アリゾナではインディアンと植民者の関係は友好的だったらしい。アメリカ=メキシコ戦争の際に、アリゾナ方面戦線では、アメリカ人とインディアンが連合部隊を設立し、団結してメキシコ人と戦ったのは事実であり、このような例は他に見ることが出来ない。西部劇で多くの人が見知っているように、インディアンというのは、普通は敵役である。しかし、アリゾナでは味方同士だったのである。
そのため、アリゾナのインディアン───パパゴ、ナヴァホ、ピマ、ユマ、マリコパなどの部族───は、極めて早い時期、十八世紀末期からマスケット銃で武装するようになった。リトル・ビッグ・ホーンでカスター隊長の騎馬隊が全滅した時、インディアンたちが取った奇襲戦法と射撃技能は、アリゾナ・インディアンのそれと酷似している。アリゾナ・インディアンは、全米でも希にみるほどライフル歩兵戦術に秀でた民族である。
言うまでもないが、現在はそうではない。
インディアンとは仲が良かったが、アリゾナはそれほど発展しなかった。やはり気候のためである。アリゾナがアメリカの正式な州として承認されたのは今世紀初頭の1912年になってからで、それまでの百年以上の間は準州のままだった。
都市と呼べるほどまでに成長したのはツーソン市と州都フェニックス市、それにフェニックスのベッド・タウン的な性格を持つ二つの都市、テンペとメサぐらいなものである。アリゾナ州民が良く使う表現に、「ニュー・メキシコよりはまし」という表現があるが、まさにその通りなのである(ニュー・メキシコ州はアリゾナと同じくらいの大きさで、気候条件も似たり寄ったりだが、大都市はアルバカーキしかない)。
ツーソンが一気に成長したのは、北アメリカ大陸を横断するサウザン・パシフィック鉄道が開通してからである。それまでは、コンボイ・マスター(幌馬車隊長)の指揮する大きなワゴン・トレイル(幌馬車隊)でカリフォルニアへ持っていき、細々と売りに出していた鉄鉱石やバッファローが、百輌もの貨車に満載して、東西の大都市に向けていっぺんに売れるようになった。幾つかの大企業も進出し、巨大な工場が作られた。
その大企業の中のひとつの社主だったハワード・ヒューズが、ここに巨大な飛行機工場と研究所を建設したことが、ツーソンにとって二度目の転機だった。
あいにく、ヒューズ社の航空機産業は衰退し、ハワード・ヒューズ本人は中南米で地震に巻き込まれて死んでしまい、会社はマグダネル・ダグラス社に買収されてしまったが、ツーソンが、航空機の試験には最適な環境であることは広く知れ渡った。気候が一定しており(いつでも晴天)、精密機械や鋼材の天敵である湿気とは無縁で(湿度0パーセント)、土地がタダ同然でいくらでもある(ただし岩石砂漠だが、工場を建てるぶんには関係ない)上に、原材料がすぐに入手出来る(ツーソン鉱山から)。
かくしてツーソンは、一大航空産業都市となった。空軍基地が建設され、その基地のお陰で地元産業が発展した。典型的な基地城下町・企業城下町となったわけである。
第二次大戦時には、「作ってないのは戦艦と水兵だけ」というほど、あらゆるものが製造された。戦闘機などの航空機はもちろん、戦車やトラック、海もないのに揚陸艇まで作った。揚陸艇はサウザン・パシフィック鉄道の貨車でカリフォルニアに送られて、それから初めて海に浮かべられたが、浸水してしまうような欠陥品はなかったという。アリゾナの臨時造船所では、揚陸艇に砂を流し込んで、浸水しないかどうかをテストしていたのである。この揚陸艇、ヒギンズ・ボートは、太平洋戦線ではなくてはならないものだった。
また、第二次大戦に於いて、アリゾナは二人の英雄を生んだ。この二人のアリゾナ人は二人とも海兵隊員で、二人とも太平洋戦線に従軍し、二人とも硫黄島で戦い、一人は海軍十字章を、もう一人は議会栄誉章を授与された。
議会栄誉賞を受けたのはピマ・インディアンのアイラ・ヘイズ伍長で、彼はマウント・スリバッチー(擂鉢山)に二本目の星条旗を立てた一人である。彼は銅像になり、ワシントンのアーリントン国立墓地で、他の仲間たちと共に、今でも星条旗を守り続けている。
もう一人は、擂鉢山に一本目の星条旗を立てた小隊長、ジョージ・フェントン・世少尉である。彼と彼の部下たちは、擂鉢山陣地に対する第七次攻撃が終わった後で、偵察隊として擂鉢山に登ったのだが、たまたま山頂付近には敵が居なかったので、他の兵士たちに対して景気付けしてやるために、山頂に星条旗をぶっ立てることにした。こういう時のために、フェントン少尉は自前で星条旗を買い込んでいたのである。
しかし、実は山頂のすぐ下には、日本軍陣地がたくさん残っていて、怒った日本兵は星条旗を狙い撃ちにした。十数人の偵察隊は星条旗を守り通し、何人もの犠牲者を出したが、最後には敵兵を撃退した。その星条旗を洋上の旗艦から双眼鏡で見ていたフォレスタル海軍長官は、「あの星条旗は、海兵隊が今後三百年間は無条件に存続することを意味している(=それくらいに素晴らしいことだ)」と語ったという。
初めて星条旗を立てたのだから、彼らの方も議会栄誉章を貰えたかと言うと、一本目の星条旗掲揚時にはジョー・ローゼンタールが居なかったし、見た目もかっこ良くなかったので、貰えなかった(ローゼンタールは二本目の星条旗を撮影し、ピュリッツァー章を貰った。あの有名な「かっこいい」写真である。対して一本目の星条旗は、銃撃の最中に撮影されたものなので、アングルも悪く、かっこわるい)。彼は後に連隊長・大佐となって退役した。そのジョージ・フェントン・世大佐こそ、我らがジョンジーことジョン・ジョージ・フェントン・世の父親である。
ヴェトナム戦争の頃になると、アリゾナは「泣かず飛ばず」という程度の状況に陥った。産業は停滞し、航空機の受注は西海岸と東海岸に取られてしまっていた。しかし、再び英雄が誕生することで、少しだけ活気づいた。
その英雄は五十三歳(当時)の空軍中佐で、アイシール・ハンブルトンという。いい加減退役も近かったこの老航法士は、不運にも南北ヴェトナム国境線の上空で、自分が乗っていたEB−66デストロイヤー偵察機を撃墜され、ただ一人無事に脱出したのだが、敵地のど真ん中にパラシュートで降りてしまい、身動きが取れなくなってしまった。彼が降りた水田の周りには、敵国の村があり、当然、敵国の兵隊もたくさん集まっていた。
彼を救出に行った海兵隊のヘリコプターは撃墜され、救出の手段は見つからず、捕虜になるのは時間の問題と思われた。上級士官である彼が捕虜になったら、ソ連へ送られて酷い目に遭わされることは明白だった。何しろ彼は、電子戦のスペシャリストであり、電子戦のマニュアルまで書いた人物なのである。北ヴェトナム政府は、彼の首に莫大な賞金を掛け、草の根分けても探し出せと厳命した。
ところが彼は、五十三歳という老齢(兵隊としては、五十歳は老人である)にも関わらず、素晴らしいインスピレーションとガッツによって、なんと自力で脱出してしまったのである。無線が敵に傍受されることを知っていた彼は、ある暗号を使って、味方に自分の移動経過を報告した───ゴルフ・コースのデータを使ったのである。
知る限りのゴルフ・コースの方位、距離、障害物などをヴェトナムの地形に当てはめて、自分がどのように歩いたのかを伝え、彼は十四日間で味方の居る地域まで脱出して、海兵隊に保護された。彼は本国へ無事に帰り、銀星章と殊勲航空十字章、航空章、名誉負傷章の四つの勲章を授与された。
その時のことについて訊ねると、彼は決まって、にっこり笑いながら、こう言う。
「なあに、ちょっとゴルフをして帰ってきただけさ。いいクラブとカートがあったんでね」
クラブはコルト・オートマチック、カートとは、彼がソン・ミエン河を流された時に掴まっていた流木のことである。
この話は、彼の友人ウィリアム・アンダーソン大佐によって小説となり、後にハリウッドで映画になった。ジーン・ハックマンとダニー・グロヴァーが出演し、そこそこ売れた(日本では売れなかったらしい。この映画『バット21』を知っている友人は居なかった)。
彼は今でも、ツーソンのナショナル・ゴルフ・コースの近くに住んでいる。今年で八十歳になる。わが家にもよく遊びに来て、ジョンジーのゴルフの腕をなんとかしようとしているが、ジョンジーはさっぱりゴルフが上手くならない上に、空軍基地のゴルフ・コースに行くと必ず備品をぶち壊すので、危険人物として空軍MPが警戒している。
最大の被害は、ボールをF−16のエンジンに「間違えて」打ち込んでしまった時で、異物吸引でタービンがぶっ飛んだらしいが、本人は知らぬ存ぜぬで通していた。だが私は、彼が打ち込んだのがゴルフ・ボールではなく、同じ大きさのボール・ベアリングだったことを知っている。
現在のアリゾナの主力産業は、航空産業と観光産業である。概して北部では観光、南部では航空産業が営まれている。観光地とは、かのグランド・キャニオンのことである。私は一度しか行ったことがないが、映画『インディペンデンス・デイ』のように、あの大地峡で空中戦などやるのは楽しそうではある(私はやりたくないが)。
転じて南部には、アリゾナ州の別名である「偉大なる太陽の州」の名の通り、太陽以外に売り物がないので観光地はない。あるのは砂だけである。砂が売り出せたら、アリゾナは大金持ちになれるだろう。これで海でもあれば、観光地になったかも知れないが、残念なことに海は隣のカリフォルニア州か、メキシコへ行かないとない。
南部の救われている点は、過激派武装勢力のような狂信的集団が居ないことである。例えば北部には、悪名高い「アリゾナ・インディペンデンツ」という組織があって、彼らはアリゾナ州の独立を叫んで爆弾テロってたりする。果たして独立したアリゾナがどうやって食って行くのかは不明であるが。
他にも、憲法修正第二条の「市民の武装権」を取り違えた私設民兵組織なんかがある。キリスト教原理主義派という、それ本当にキリスト教なのかよと言いたくなる団体も居て、妊娠中絶を行う病院にポンコツのM20バズーカをぶち込んだりする。誰にも間違いはあるんだからいいじゃねえかと思うんだが、彼らは許せないらしい。部分的には、もうわけわからん状態である。少なくとも初期型M20はやめて欲しい。手動で弾頭のケーブルを接続するロケット兵器なんて時代遅れも甚だしい。せめてスーパー・バズーカとか2.75インチ口径ロケットを使ってくれ、危険だから。そういう問題じゃないか。
そういうものは、南部にはない。居るのは穏健派武装組織だけである。例えば、ごくまっとうな全米ライフル協会アリゾナ支部とか、てっぽうの好きなお年寄りが集う退役軍人協会アリゾナ連隊司令部とか、テキサスに対抗して編成されたアリゾナ・レインジャースとか、趣味の軍事組織であるアリゾナ州軍・州空軍とか、そういうものしかない。
アリゾナ州は、全米で最も武器の規制が甘い州である。過激であれ穏健であれ、武装組織が多いのは、武器の普及率が全米一の高さを誇っているためである。逆に言うと、たとえ銃器とか兵器に関係のないサークルを結成しても、潜在的には武装組織になってしまう(典型的なのがアリゾナのパソコン・ユーザーのネットワーク、AMUG:アリゾナ・マルチメディア・ユーザーズ・グループである。AMUGのメンバーには、戦車や戦闘機を持っている者がごろごろしている)。他の州では絶対に買えないようなものが、「頑張れば」何とか買える。マシンガンだのランチャーだのに始まって、大きいものでは戦車とか軍用輸送機なんかも買える。しかも安い。恐ろしく安い。屑鉄扱いの値段で買える。ただし修理は自前でしなければならないが。
全米の戦闘機愛好家が集うキット・ピーク・カップでは、「…これからドイツか日本にでも攻め込むんですか?」というくらいに、第二次大戦中の軍用機が集まってくる。その大半はアリゾナに登録された機体である。私は以前、P−51ムスタング戦闘機の十六機編隊を見て気絶しそうになった。乗っているのは概してお年寄りだが、その腕には目を見張るものがある。映画『エイセス』を地で行くようなのばっかり。
横腹に小さなハーケンクロイツや日の丸が書かれている機体の持ち主が、本物の撃墜王だったりすることはザラである。恐るべきは老人パワー、アリゾナの年寄りは「老衰」という言葉を知らないらしい。
これだけ武器とか兵器に慣れ親しんでいると、逆に武装強盗なんてやろうとする人間は居なくなる。以前に新聞で読んだのだが、ある青年が、父親の狩猟用ライフルで武装して銀行強盗をやろうとしたら、おばさん銀行員たちがショットガンやサブマシンガンで応戦してきたという。圧倒的火力を前にして、不幸な青年は銀行職員たちに対して「降伏」を認めてくれと懇願し、泣きながら命乞いをした。タランティーノの映画みたいな世界である。
サウス・ツーソンでは、犯罪らしい犯罪は、めったに起きない。家に鍵を掛ける習慣も、あまりない。日本の地方の村、例えば私の母方の実家である茨城県玉造郡焼薪村なんかとあまり変わらない。
多いのは、メキシコ国境を目指して逃亡してくる犯罪者である。カリフォルニアあたりで犯罪を犯し、FBIの捜査をまいて、アリゾナのノガレスから国外逃亡しようとする。多分、ペキンパーの映画の見過ぎなのだ、彼らは何故かカナダを目指さずにメキシコを目指してしまう(真面目な犯罪者はカナダを目指し、不真面目な犯罪者はメキシコを目指すという法則がある)。これが犯罪者にとっては最大の致命的ミスとなるのだ。
犯罪者に対して、サウス・ツーソンの市民は一致団結する。一人当たり五秒(聖書に手を乗せて「取りあえず誓うか?」と訊ねられ、「誓います」と答えるだけ)という短時間で、数十人の男たちが「臨時保安官代理」に任命され、各人が自慢の銃器で武装して、それぞれ車や馬に乗って阻止線を張る。
臨時保安官代理には、サウス・ツーソン市民なら誰でもなれる。何しろ保安官自ら「二本足で歩けて、銃が撃てれば」臨時保安官代理になれると言っているのだ(「銃が撃てれば」というのは、「射撃がうまければ」という意味である。射撃がうまいことは、サウス・ツーソンでは別段珍しいことではない。数多くの狙撃手を生み出した土地としては、アパラチア地方と並び称されている)。ちなみに通常の保安官代理になるためには、馬に乗れて、一通りの法律を覚えなければならないらしい。
この「射撃手の壁」を突破できる者はまず居ない。彼ら「保安官代理」は揃って射撃の名手だから、あっと言う間に車だけ蜂の巣にして、犯人は投降せざるを得なくなる。保安官代理たちは弾薬費も装備費も全て自前で、そういうことをやってのける。形式的には「良き市民としての当然の義務」を遂行したに過ぎない。この「善良なる市民」に対する報酬は、一人当たり四本ずつのビールである。保安官事務所に請求すれば弾薬代くらいは出して貰えるが、その弾薬費を請求したのは私くらいなものである。
こうしてサウス・ツーソン保安官事務所は、ノガレス国境警備隊やFBIから何枚もの感謝状を貰っている。FBIやATFのカリフォルニア支局では、「サウス・ツーソン自警団」のことを知らない者は居ない。また、国境警備隊の連中は、我々のことを、国境警備隊の戦力の一部として考えている節がある。概してアリゾナ州の公職に就いている者にはガンマンが多く、パーク・レインジャー(国立公園保護観察官)でさえ、狙撃手並みの腕を持っていたりする。
どうしてアリゾナ州がこういう場所なのかと言うと、州政府がなんにもしないからである。ただし、この姿勢は単純明快、非常に判りやすい理由による。つまり、「州政府はなんにもしないけど、その代わりに州民から収奪もしないよ」ということである。アリゾナ州は全米で唯一、消費税制度がない。無税である。普通の税金は取られるが、それも微々たるものに過ぎない。だから商店のおじさん・おばさんたちは、足し算や引き算は出来ても、掛け算が出来ない。州政府がやっていることは、ライフラインの維持だけと言っても過言ではなかろう。
逆に言うと、それだけ税金が安いからこそ、個人で戦車だの戦闘機だのを買って維持出来るのだ。その手の道楽者にはうってつけの州である。
そういうところなのである。
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