◆ツーソンの手を休めて
               
「…の基礎はまず…」


なかがき・その1

 どんなに簡単な文章であったとしても、週に一本のペースで何かを書くというのは、ものすごく大変な作業である。しかも最近、私のマッキントッシュのキーボードはすこぶる不調で、「と」と「ね」が打てない場合が多く、非常に難儀している。
 今回のネタは自分の過去の話だから、別に頭を使わなくても楽に書けるんじゃないかなー、などと甘いことを考えていたのだが、毎週毎週、ある題材について定期的に書き続ける、というのは、キーボードの不調は別にしても、やっぱり大変な作業だ。……キーボードよ、早く機嫌を直してくれ。
 仕事から帰ってきて、へにょへにょになった脳味噌で原稿を書いても、面白いものが出来上がる筈がない。せいぜい、変な文章が出来上がって、後から読み直した時に、書いた本人が「おいおい、大丈夫なのか、俺?」と一人で笑うくらいのものだ。

 いまさら隠しだてしてもどーなるものでもないからハッキリ書くが、私はハイ・スクール卒業と同時に、海兵隊の初等適応訓練課程に入った。その時に、密かに日記を付けていた。その動機は、およそ模範的な海兵隊員らしからぬもので、後々、何かの小説でも書く時に、ネタになるんじゃないかと考えてのものであった。ただし、就寝時間中に、ベッドの鉄柱に反射する月明かりを頼りに書いていたような代物なので、内容はごく簡単なものだ。
 当然、新兵訓練期間は毎日が滅茶苦茶に苦しいから、夜になった頃には、日記をつける気力もほとんど残っていない。それでも無理矢理に書いていた「極限状態の十一週間」の原稿が、どんなものだったかと言うと、以下のようなものだった。
 さすがに、まともな神経の時には、とてもじゃないが書けないような状態である(以下、その日記より抜粋・翻訳)。

○月×日
 第二課程初日。ライフル。DIに言われて、私だけM14を使う。DIによれば、『七月四日に生まれて』のロン・コビックは、M14をジャムらせた最低の海兵だという。異議なし。ボビーが手榴弾で気絶。チャーリーが洗濯場で転んだ罪により班長をクビになり、シャワー・ルームで便器と仲良し。その後ニワトリ係にされたらしい。トーラスが新たにゼリー製造担当下士官に任命される。午後、M16の弾道特性についてDIと意見が対立し、プッシュアップ百回を言い渡されるが、後に私の意見の方が正しいことが判明し、二百回に増やされた。何故だ。
 朝食抜き、昼食トースト。夕食は私だけ、完全武装で全力疾走しながらチョコレート・ケーキをワン・ラウンド食わされた。鼻の皮膚が剥けて痛い。ちくしょう。甘くて、おなかいっぱい。ねむいけど、気持ち悪い。

○月△日
 第二/二日目。ライフル。『貴様らのケツは大統領の所有物、合衆国の資産』。なんのこっちゃ。自主的に目隠しをしたら、何故かトゥビーが殴られた。理解不能。ジェイが『崩れることなき城壁』理論を確立し、私の『バリケードの中でしか歌えない民衆』理論に同調する。ボビーが医務室から帰還。軍医恐怖症に罹っている。
 朝食はトーストとオレンジ・ジュース、昼食抜き、夕食抜き。深夜、みんなで食料貯蔵庫の衛兵を殴り倒して、冷凍牛肉の固まりを強奪するも、調理不能。しかも脂身ばっかり。ミスった。生で食ったが、なんだか味が判らない。リックスが歯磨き粉による味付けを提案するも、却下され、結局、浄水剤で塩味をつけるに止まる。

○月□日
 第二/三日目。ライフル。トーラスがライフルを泥の中に落とした罪により、ゼリー下士官からジャガイモ下士官に降格され、『僕のライフルちゃんはどこ?』の刑に処される。代わりに私がゼリー下士官に昇格し、どうしてゼリーは六色なのか、その秘密を解明するように命令される。調理担当班は国家資産を不必要に減損しているとして、DIの命令により、何故か私が『コンバット・ナイフによるジャガイモ剥き講習会』をやらされる。私はカミラスやユナイテッドよりもケイ・バーを推奨し、途中から投げナイフの講習会になる。午後、隣の中隊で自殺未遂。DIがその根性を誉めるが、自殺方法がなっていないとして、急遽『ナイフによる海兵隊公認自殺法勉強会』になる。動脈を縦に切り裂くのがベストだそうだ。これには二百年の伝統があるとのこと。今日はナイフの日なのだろうか。
 朝食トースト、昼食抜き、夕食は山盛りのベイクド・ポテト。私のやつにはベーコンが入ってなかった。残念。

 ───後から読んでも、一瞬、何が書いてあるのか理解出来ない。と言うか、なんか精神的にヤバいやつが書いた文章にしか見えない。
 ここまで酷くはならないにしても、限りなく、これに近い原稿を、何の疑問も持たずに書いている時がある。まともな言語にトランスレートしないと、自分以外の人間が読んでも判らないような(あるいは自分でも理解不能な)、どうしようもない文章だ。
 こういうものを書かないように心がけてはいるのだが、時々、無意識に、ブチ切れた文章を書いている自分に気付いて、慌てて書き直したりしている。

 日本語の文章を書くのには慣れた。今ではほとんど違和感なく文章を組み立てる作業が出来る。しかし、アメリカについての話を書こうとすると、いつでも問題がある。
 英語の会話を、どんな風に書き換えればいいのかは、だいたい判ってきたのだが、それでも、時々悩まされるのが、部分的な言い替えの難しさである。
 明確な訳語としては調べがつかない単語については、何とか別の単語を当てたり、何となくそれっぽい名前をでっち上げたりするしかないが、最後まで違和感が残り続ける。どうしようもなくなると、アルファベットやカタカナで、そのまま書くしかない───「カミカーゼ」や「ミソ」が英単語になったのも、言い替えが難しいせいである。はじめのうちは「スイサイド・アタック(自殺攻撃)」「ソィビーンズ・ペースト(大豆のペースト)」という訳がなされていたが、実体を言い表しているとは言いがたい。結局、発音をそのまま綴るようになったのだ。
 それらと同じ問題を、私もクリアしなければならなくなる。
 私の場合、「JROTCヤング・マリーンズ」という単語に対して、カッコ書きで一度「幼年海兵隊」と説明を加えただけで、後はずーっと「JROTCマリーンズ」とだけ表記している。しかしJROTCという単語は、無理矢理に直訳すると「年少予備役士官訓練課程」となる(JROTC/ROTCという単語は、辞書には載っていなかった)。
 しかし実体は、予備役士官養成課程でも何でもない、野外活動の団体(ボーイ・スカウトと救世軍と実物の軍隊を足して三で割ったような組織)である。JROTCというのは、ROTC(これは大学に併設される、文字どおりの予備役士官養成課程)のジュニア版みたいなものだから、取りあえずJを一文字追加しておこう、というだけで付けられた名称なのである。結局、JROTCとは何ぞや、という長ったらしい説明をしなければならなかった。
 実際の名称を直訳すると、実体とかけ離れてしまう場合は、何らかの妥当な日本名を付けなければならない。形容詞なら何とか置き換えが利くが、名詞はどうしようもない。
 また、類似した形容詞でも、優劣の順位がある場合は、その差を付けるのにも困る。例えば「優秀な」というような意味のある単語が、英語には極めて多いのだが、その優劣を順番に分けて意訳するのは極めて困難だ(日本語では明確な優劣が定められていないが、英語にはそれがある)。英和・和英辞書を引いても、妥当な訳は見つからない。
 数年前に、初めてこういう問題にぶち当たった時には、ひどくショックを受けた。これほど辞書が無力なものとは思わなかったのだ。それまでの私にとって、辞書・辞典は最大の武器だった。載っていないものはなく、文章を書くときに、これほど頼もしい相棒はない。敵と直接相対した時でさえ、角で殴ればいいのだから(笑)。
 例えば、「ディスティングイシュッド(Distingihed)」「スーペリアル(Superior)」「メリトーリアス(Meritorious)」の三語の差を、日本語でどう出せばいいのか判らない。日本語の場合、複数の単語を使うことで差を付けられる(例えば「非常に−優秀な」などという風に)が、それでも本来の意味を出すことか出来ない。
 私のイメージでは、それぞれ「並ぶ者がないほどずば抜けて優れた」「他に類を見ないほど非常に優れた」「特別な賞賛に値するほど優れた」というような訳になるのだが、こんな訳ではスマートとは言えない。何か一語でうまく表現出来ないものだろうか。
 その解決法は、いまだに発見出来ていない。

 また、文化的な差異も、文章を書く時には色々と困る。
 実際の事象をそのまま書いて、違和感を残すべきなのか、違和感を感じない程度まで意訳してしまってもいいのか、その判断基準が、私の頭の中では、いまだに確定されていない。
 例えば、当時の私の典型的な一日について書いた文章中に、以下のようなくだりがある。

 「でも、僕にその片棒担がせるのは、いい加減にやめてよね」
 最後にブッシュミルズを一気のみして、朝食は締めくくられる。最後の一気飲みが、言ってみれば「ごちそうさま」に相当する。

この文章は、最初は、こう書いただけだった。

 「でも、僕にその片棒担がせるのは、いい加減にやめてよね。ごちそうさま」

 こっちの方が、日本語としてはスマートなような気がしたし、台詞回しとしても、いかにも子供っぽいんじゃないかと思うのだが、英語には「ごちそうさま」という単語がないし、言う習慣もない。しいて言えば、料理を作ってくれた者に対して、「おいしい食事でした」と礼を言うくらいだ。
 結局、実際の台詞回しに合わせ、「ごちそうさま」という台詞は削ることにして、代わりに一行、説明を加えた。
 どうでもいいようなことかも知れないが、こういう点では、しばしば悩まされる。

 これは、著述作業そのものについての苦労ではないが、自分の情けない過去をほちくり返して、文章化しなければならないという作業も、精神衛生上、決して健康的な作業とは言えない。
 その過去が栄光に彩られたものならまだしも、私の過去と栄光の二文字ほどかけ離れたものはない。現段階で、既に自分で没にした原稿が十本ほどある。大半は書きかけだが、どうして中途で投げ出したのかいうと、それらの原稿を書いている間に、「ああ、俺ってどうして、子供時代を、もっと有意義に過ごせなかったんだろう」と悔やまれて悔やまれて、悔やみきれずに原稿が止まったからだ(笑)。しかも一人称文体だから、それがなおさら強く感じられるのだ。
 または、インターネットという公共の場にはそぐわない話だから載せられない、という場合もある。
 私個人には、それほど下品な話も、合法の範囲内なのかどうか判らないような話も、明らかに非合法な話もさほどない(絶無とは言わないが)から関係ないのだが、マージやジョンジー、特にファーザーの武勇伝の類には、軍事機密に指定されたままなのか、情報公開されたのか判らない話や、あるいは機密指定を受けていて、関係者の間でしか知られていない事柄などが多く含まれる場合がある。そういうのに限って、ものすごく面白かったりするのだから、まったく困ったものである。
 以前に、ある話についてノン・フィクション小説を書いてみようと思ったことがあるのだが、国防総省と公文書館に問い合わせてみると、その話は2039年までは「存在しない」ことになっている、という返答があり、なおかつ、その情報の出所だの私の身分だのについて、しつこく質問されて、断念した。
 2039年開示という設定は、恐らく、その事件の関係者の全員が、その頃になったら何らかの形で死亡しているであろう、という推測の元に定められた年数なのだろう。二つの意味で、死人に口なし。死んだ人間は意見も証言も出来ないし、死んだ人間に文句を言っても始まらない。取りあえずその話については、2039年には私も軍を除隊している筈だから、もしもその時まで生きながらえていたら、開示と同時に出版してやるぞ、と心に固く決めている(基本的に、現役軍属は個人的な出版活動を禁止されている)。
 そこまで極端な話ではないにしても、その種の話を書こうとすると、その背景についても説明しなければならなくなって、結局、非常に長ったらしい上に複雑で、なおかつ、利益があがったわけでもないのに、私の家に黒服の男たちが大挙してやってくるような事態にもなりかねないのだ(笑)。

 そういう面倒な話に及ばないようにするために、私が十一歳の時の、ごく日常的な話に限定することにしたのだが、それはそれで、また色々と苦労がある。
 例えば、私が現在住んでいる東京都練馬区で、セブン・イレブンに缶コーヒーを買いに行くのに、わざわざ武装する必要はない(そもそも武装出来ないが)。しかし、ニュー・ヨーク州ニュー・ヨーク市で、セブン・イレヴンに缶コーヒーを買いに行くには、武装を怠ることは出来ない。何故か?
 その点を説明しなければならなくなると、私の場合、文章がだらだらと長くなってしまう。しかも実のない内容だ。まずニュー・ヨーク市と練馬区の差から説明しなければならない。そんなものは誰も読みたくないだろう。
 私だって、質実剛健のニュー・ヨーク市庁舎と、わけのわからん練馬区役所の比較などやりたくない。無意味に豪華だし書類が出てくるのは遅いし屋上のレストランは高い上に不味いしテレビの映りは悪くなるし───まあいいか(笑)。それにしても税金高いぞ練馬区。あと2メートル南に住んでりゃ中野区民だったのに、惜しいことをした。
 まあ、とにかく、文章が長くなりがちな私にとっては、さらに伸びる要因があるということは、非常に辛いことである。だらだらと伸びて行く文章は、私自身は楽しくても、読者はぜんぜん楽しくないものと相場が決まっている。
 出来るだけ簡潔に纏めようとは思っているのだが、いつも伸びてしまう。環七の渋滞みたいなものである。望んではいないのに伸びて行って、いつまでも進まない。そして時々、調子に乗って飛ばしていると、武蔵大学の脇のあたりに設置された卑怯なオービス探知機とか、脇道に潜んでいるパトカーなんかに引っかかる。何度かレーダー積もうかと考えたが、私のM151ケネディ・ジープにレーダーは似合わない。
 しょうがないから地元の警察署へ出向いて行って、私の身分だの何だのについて説明して、「困りますよー、Yナンバーの人たちはー、元気だからねー」などと言われながらも、任務がどーとか言い訳をして、許して貰わなければならない。挙げ句に、担当のお巡りさんから「あれ、随分いい特警吊り使ってますねー」とか言われてしまい、私は「良かったらどうぞ、僕、あんまりバトン使わないんで」などと言いながら、サファリランド製のASPバトン用ホルダーと、警察の特殊警棒吊りを交換しちゃったりする(どっちも支給装備の筈なのだが、いいのか?)。
 最後には、そのお巡りさんが特練出身だということが判って、一部の県警でやるようになった、かっこ悪いアイソサリーズ・スタンスの両手撃ち姿勢についての話題に流れていたりする。私は「いやー、僕なんかサンパチ片手で撃っても全然当たんないですよー」などと笑いながら、出して貰ったほうじ茶を啜る。いつの間にか、暇そうなお巡りさんたちが周囲に集まってきていて、最後には「君、本当にアメリカ人なの?」などと言われてしまう。そんな感じだ。練馬警察の人たちは良い人ばかりで助かっている。うん、良かった良かった。


 ……なんだか話に取り留めがなくなってきた。疲れてるんだな、俺(笑)。
 というわけで、そろそろおしまいにしよう。