◆ツーソンの日々・第九回
                 
「メイデー


<前編> 

 三年ほど前まで、私は一介の軍曹に過ぎなかった。
 しかも最下層の軍曹、掃いて捨てるほど居る、「山三つ」のただのサージャント(たぶん、日本語で言うと三等軍曹)である。
 しかしそれでも、前途は比較的、明るかった。ブーツ・キャンプ(新兵適応訓練センター)では優秀候補生としてマムルーク・ソード(下士官用指揮刀)を授与され、とある事件(というか、偶発的事故と言うか……)に遭遇した結果としてブロンズ・スター戦功章を授与されてもいた。
 昇進も、ただの志願兵にしては非常に早く、生涯に一度しか受講することの出来ない陸軍のレインジャー・スクール(山岳歩兵学校)を辛うじて卒業し、二つの艦隊勤務経験(エンタープライズとカール・ヴィンソン)を経て、海兵隊の精鋭部隊と考えられている強行偵察部隊に、前哨偵察員として籍を置いていた。
 ところが、強襲空挺降下訓練で事故に遭い、背骨と頚骨を痛めてしまった。後遺症はほとんどなかったが、腰骨の一部には軽い障害が残った。出来なくはないが、失敗を許されないパラ・マリーン(空挺海兵隊員)として任務を続行することは難しくなった。傷痍除隊になるほどの負傷ではなかったものの、先行きは一気に暗くなってしまった。
 そんなある日、スタッフ・サージャント(たぶん、二等軍曹)に昇進した三日後、中隊長の推薦によって、尉官としては最下層に当たるヴァラント・オフィサーWO−1(たぶん、四等准尉)への八階級特進という破格の待遇(ただし臨時仮任命だったが)で、強行捜索救難部隊のパイロットに転属となった。しかも、非公式に設立された、全天候戦闘強行捜索救難ヘリコプター試験飛行隊だった。
 たぶん、体を壊した私のことを気遣って、中隊長が気を利かせてくれたのだろう。

 この「強行捜索救難飛行隊」は、普通は略して「コンバット・サー(Combat SAR)」とか「シー・サー(C-SAR)」と呼ばれている。「サー」とは、「捜索及び救難(サーチ・アンド・レスキュー)」の頭文字である。
 ヘリコプターに乗って移動するため、以前に所属していた強行偵察部隊の時のような苦労───ヒルに食われた場所が腐って治らなくなるとか、足の爪が剥げたことに気付かないまま歩き続けた結果ブーツの水抜き穴から赤い液体が流れ出すとか、肩が痣だらけになった挙げ句に完全な内出血になるとか───はないのだが、ある意味では、もっと苦労の多い職場だった。
 まず、ヘリコプターである。ヘリコプターというものは、一般に考えられているほど万能ではない。燃料は食うし、速度は遅いし、高くは飛べないし、大きさの割にはペイ・ロードが低い(=あんまり物が積めない)。そういう「目標」は、戦闘機パイロットや対空砲手からは「カモ」であると考えられている。
 極めて脆弱な機械であるヘリコプターは、ライフルの弾丸一発で撃墜されかねないほど弱い。飛行機と違って滑空出来ない(ある程度の高度と機速を稼いだ状態でなら出来なくはないが、だいたい軍用ヘリというのは超低空で飛ばすものなので、非実用的である)から、エンジンが止まったら一巻の終わりである。テール・ローターが故障しただけでも、物理法則に従って、間抜けにもぐるぐる回り、墜落してしまう。
 そんなヘリコプターに、武器弾薬を積めるだけ積んで、敵地へと突っ込むのがコンバットSARである。ヘリコプターでは隠れることも出来ないから、もう勢いに任せて突っ込み、敵と交戦しながら行方不明者を探し出す。場合によっては搭乗員を降ろして捜索させたりもする。
 行方不明者を発見し、クレーンで吊り上げたり着地したりして収容したら、あとは全速力で逃げ帰る。敵の対空砲陣地や戦闘機の攻撃を受けたら、ほとんど応戦しようもないから、本当に文字どおり、「遭難者をかっさらったて、一目散に逃げ帰る」しかない。
 強行捜索救難機には、最低でも六人が乗り込む。パイロット(操縦士)、コ・パイロット兼ナビゲーター(副操縦士・航法士)、ペイロード・マスターあるいはクルー・チーフ(搭載担当または下士官主任)、ウィンチ・オペレーター(吊り上げ機担当)、コースマン(衛生担当)、パラシュート・ジャンパー(降下救難担当)の六人である。特殊な作戦の場合には、専門のナビゲーターとEWSオペレーター(電子戦機器操作員)も同乗する。恐らく、一機のヘリコプターを飛ばすのに必要な人数としては、世界最大であろう。
 操縦士二名、ナビとEWOを除く四名は、全員が機銃手でもあり、いざという時にはヘリから下りて歩兵戦闘も行うライフル兵でもある(まあ、全員が海兵隊員だから、パイロットやナビもライフル兵ではあるのだが)。訓練は最悪の状況まで想定して行われ、自分たちの乗ったヘリコプターが敵地で墜落して、六人の搭乗員が、二名の負傷者を担いで徒歩で脱出する、などというものもある。ここまで来ると、どう考えても、航空隊の訓練ではなく、歩兵部隊の訓練である(しかし実際、そういう例が非常に多い。特に、ヴェトナム戦争では、そういう例が多発した)。
 しかしそれでも、それほどいい加減で行き当たりばったりで、成功が危ぶまれる仕事でも、我々は強行捜索救難部隊に誇りを持っている。
 モットーである『我々は行く、そこで誰かが待っている限り』を常に実践しようと努力している。

 私が捜索救難飛行隊へ行ったのは、まったくの偶然から、というわけでもない。
 昔、その真似事のようなことをした経験があったためである。
 その時から、捜索・救難任務というものを知り、無意識下に「何か」を感じていたのだろう。
 何しろ、「捜索救難部隊へ行かないか?」と言われた時に、あれほど優柔不断な私が「行きます」と即答したのだから。

 それもまた、十一歳の夏のことであった。
 学校は夏休みになったが、それでも毎日登校していたのは、単にクラブ活動があったから、というだけである。勉強は嫌いではなかったが、せっかくの休みを返上してまで勉強する気は毛頭なかった(ちなみに、今は大嫌いだ。どうして三つもの大学へ行ったのか、今ではさっぱり判らない)。
 午前中の授業が全てなくなって、一日中、クラブ活動をしたり、アルバイトをしたり、遊び回っていられる、しあわせな時間。それが夏休みである。
 あの頃は良かった。それなりに忙しかったが、「長期休暇」には違いなかった。
 ここ数年は、「……夏休み? なにそれ、食えるの?」というような状況が続いている。
 現役の下士官だった頃には、「ユウ軍曹、休暇を取れ! このままでは連邦法にひっかかる!」と上官に言われてR&R(レスト・アンド・レクリエーション。有給休暇のようなもの)を取るほどだったが、それでも、一応、休みは取れた。
 恐らく今の方が、複数の仕事を抱えている分だけ忙しいが、誰も「青木君、休暇を取りなさい」とは言ってくれないので、延々と「忙しい」が続いている。

 まあ、とにかく、私が十一歳だった年の夏は、一日を四分割したとすれば、25パーセント遊び、25パーセント学校、25パーセント仕事、25パーセント家で雑用、というような感じで過ごしていた。

 そんなある日、JROTCで「装備点検」の日があった。日頃酷使している各種装備を手入れするのである。翌日には「閲兵」があり、つまり全ての装備(自分も含む)が完璧に整備されているかをガーフィールド隊長が確認することになっていた。
 というわけで、各自、ウェス(ボロ布)を多量に持参して、ライフルやらフレーム・ザックやらを磨いたり、再塗装したりしていた。
 私は全員分のライフルを整備する係になったので、バラック(JROTC用の兵舎)の日陰のアスファルトの地面に古い毛布を敷いて、そこにライフル四十七丁を山積みにして、一丁ずつ整備していた。
 種類はバラバラ(基本的に、近所の人たちから寄付されたものなので、全てタイプが違う)で、自前のライフルを持っていない者に貸与するために用意されたものなのだが、今では誰にも使われずに、ラックに並べているだけとなっていたものである。錆こそないが、オイルが蒸発して動かなくなっているものが大半だった。
 それぞれのライフルは、完全に分解したら、必要な部品はオイルを満たしたパン(トレー)に突っ込んで放置し、その間に木製ストックをリンシード・オイルで磨き込み、それが終わったらオイル漬けにしていた部品も磨き、最後に組み直して動作確認する。私がライフル整備係になったのは、そこにある四十七種類のライフル全てを整備出来る人間が、私しか居なかったからである。
 他も似たり寄ったりで、水筒(ポリ・ビニール製で、お湯を入れるとダイオキシンを発生させるという代物)を百本まとめて洗っているトッティとか、ポンチョ四十枚を洗うクールなどが、日陰に沿ってごろごろ車座を組んでいた。
 責任者であるガーフィールド隊長は、余所のJROTCの総会か何かに出掛けていて居なかったので、実に和やかな雰囲気であった。みんなで鼻歌なぞ歌いながら、チンタラ仕事をしていた。

 いつもの仲間で輪を作って馬鹿な話をしていた時に、不意にヤーヴァが、錆びたライトウェイト・フレーム(リュック・サックのフレーム)に緑色のペンキを塗る手を休めて、鋭い眼差しで空を見上げた。誰かが持ってきたラジオからは、ジョン・メレンキャンプの『R・O・C・K・イン・ザ・U・S・A』が流れていた。この年のヒット曲のひとつである。
「───どうした、ヤーヴァ?」
 私は、磨き上げたミニ14ライフル(軍用M14ライフルを小型化したもの)のボルトを組み上げながら、ヤーヴァに訊ねた。
「……奇妙な音が来る」
 ヤーヴァはインディアン特有の目(何か、とんでもなく遠いものを見ているような目)で、空を見上げたまま言った。しかし周囲では、校庭で練習しているフットボール部員のかけ声やら、スプレー用のコンプレッサーが回る音やら、不要になった木箱をマシェット(鉈)で叩き割ったりしている音がうるさくて、それ以外の音は何も聞き取れなかった。
「奇妙な音が、来る? 何の音だよ、奇妙な音って」
 クールも、ポンチョを洗う手を休めて、ヤーヴァに聞いた。
 ヤーヴァはゆっくりと、空を指さした。そこに居た全員が、顔を上げた。
 ただの空だった。バラックの陰に集まっているので、空の半分はバラックの屋根に隠れていたが、なんということはない、いつもの、雲一つない青空だった。
「空だ」
 私は馬鹿みたいに言った。
「空から、その『奇妙な音』が降ってくる、って言うのか? まったく、これだからインディアンってやつは───」
 私が差別発言を口にしかけた直後、いきなり屋根の陰から軽飛行機が飛び出してきた。
 ごくありふれた軽飛行機だった。コンプレッサーの音で、そのエンジン音が聞こえてこなかったらしい。
 一瞬、びっくりした。しかし、見慣れた軽飛行機の類なので、
(なんだ、ただの飛行機か)
 と思いかけた。
 が、「ただの飛行機」ではなかった。
 煙を吹いて飛ぶ飛行機だったのである。

 それは白い軽飛行機だった。胴体の側面は朱色で、メーカーが出荷した時のままの塗装のようだった。
 その軽飛行機は、機首から白煙を吐き出し、ブーン、ブスン、ブーン、ブスンという風に、エンジンを何度も空転させながら飛行して───というか、滑空して行った。それが、ヤーヴァの言う「奇妙な音」の正体だったのだ。
「おい、あれ───」
 トッティが似合わないサン・グラスをずり下げて、良く見ようとしていた頃には、私は分解中のライフルを放り出して、走り出していた。
 大した考えはなかったが、とにかく自分の機まで行かなければ、と思っていた。
 それでどうなるわけでもないのだが、そうしなければと思っていた。

 私は、フェンスをよじ登って、学校の裏のL−4まで走って行った。緊急救難通信を発信しているなら、L−4に積んでいる航空用HF(高周波)無線機で傍受出来る筈である。
 コクピットの左側にロープで縛り付けてある航空無線のスイッチを入れ、ヘッド・ホンを耳に押し当てた。
『メーイ・デーイ、誰でもいいから、応答せよ……』
 いやに間延びした「メイ・デイ」が、いきなりヘッド・ホンから聞こえた。それから、ガリガリという雑音が入って、プツンと途切れた。
 まさか墜落したんじゃ、と思ってもう一度空を見上げると、あの軽飛行機はまだ飛んでいた。小刻みに左右にロールを繰り返しているようにも見えたが、気のせいかも知れなかった。少なくとも、墜落したわけでも、爆発したわけでもなさそうだった。
 途切れる前の救難無線を、私は思い返した。声はゆっくりしており、危機感は感じられなかった。しかし、空電が酷かったが、近距離であることもあって、明瞭だった。まるで今日の天気について話しているみたいな口調だったが、「メイ・デイ」は「メイ・デイ」だ。
 どうやら本当に本物の「メイ・デイ」らしい。

 メイ・デイというのは、「救援を求める」という意味の無線用語である。英語では「五月の日(May−Day)」と当て字で綴る(元はフランス語らしいのだが、詳しいことは忘れた)。SOS(モールス信号だとトトト・ツーツーツー・トトトという三つの信号で送信可能な、最も単純な救難信号。「我々の生命を救ってくれ(セーブ・アワー・ソルヴス)」の頭文字を取ったもの)よりも専門的な通信用語である。
 だから、変な言い方になるが、「メイ・デイ」を宣言した者は、自分の救難信号に責任を持たなければならない。メイ・デイの宣言は、911番に電話して「今すぐ助けて下さい! 早く助けてくれないと、死んじゃいます!」と言うことと同じなのである。
 相手が警察署や消防署なら、パトカーなりなんなりが到着した段階で「ごめなんさい、誤報でした」と謝っても、何とかなるかも知れない。だが、こと航空事故となると、やってくるのはパトカーやアンビュランスではなく、捜索機と救難ヘリコプターである。場合によっては、軍用機が訓練飛行を中止して救難活動に出てくることもある。大型機がメイ・デイを発信した場合には、空軍基地でアラート・ファイフ(五分待機)に就いている戦術偵察機が緊急発進するだろう。
 同じ乗り物でも、ヘリコプターとパトカーではだいぶ違う。陸軍の、レッド・クロス(赤十字)を付けたヘリコプターがやって来たのに、「ごめんなさい、誤報でした。帰っていいです」などと言ったら、パイロットに殴られかねない。
 しかも、メイ・デイ宣言は、警察や消防、航空局や軍隊に対してだけでなく、付近を飛行中の全ての航空機に対しても適用される。メイ・デイ宣言を行った機の近くを飛んでいた航空機は、直ちにメイ・デイ宣言を行った遭難機に対する援助を行わなければならない。所在の確認は勿論のこと、可能ならば援助物資の投下や救出も行う義務がある。
 もちろん、航空機が着陸不可能な地形や気象条件下では、そこまですることは出来ないが、それでも、自分がメイ・デイを受信したことを付近の管制塔に報告する義務は、最低でも存在する(自分は受信出来ていても、しかるべき機関が受信出来ているとは限らないためである)。
 これは船舶のメイ・デイも同様で、付近を航海中の船は、何をさておいても直ちに遭難船の付近に急行し、救難活動を行わなければならない義務がある。これは海事法の海難事故関係に関する最大原則で、もしも自分のスケジュールのみを優先して、遭難船をほっぽって行ったりしたら、ものすごい重罪に問われることになる(そんな「船乗り」は居ないだろうが)。
 それくらい、メイ・デイ宣言は、重大なことなのである。
 もしもトランスポンダー(識別信号発信機)を搭載しているなら、コード77−00を送信している筈である。トランスポンダーは高出力のビーコン(信号発信機)で、ごく単純なモールス信号のルーチンを発信し続ける。自分が誰で(と言うか、誰の飛行機で)、どういう状況(離陸中・航行中・着陸中など)にあるのかを常時発信している。
 それらの信号設定には、緊急事態を告げるコードもあり、たとえ無線が故障していたり、音声による無線連絡を行う余裕がなくても、直ちに管制塔が非常事態に気づけるようになっている。
 私のボロいL−4にトランスポンダーは搭載されていない(高価な機材なので買うに買えないし、積む場所もない)が、多くの軽飛行機には、「保険」の意味で、たいがいトランスポンダーが搭載されている。また、ある程度の大きさの機体と商用機では、搭載が義務づけられている。連邦航空局は、トランスポンダーの搭載を推奨しているし、トランスポンダーのお陰で大事故を回避出来たり、事故の被害を最小限にくい止めることが出来た例も多い。

 ひょっとしたら、管制塔はその信号をキャッチしていないかも知れない、と、私は不安になった。私は知っているのに、管制塔が知らなかったばかりに、この遭難者が助からなかったら……などと考え始めたら、どんどん不安になってきた。
 私は無線機の周波数をデーヴィス・モンサンの連邦航空局管制塔に変更して、呼び出した。
「モンサン・コントロール、こちらはL−4、495号のヤンキー・パーパ・アルファ(YPA:私の頭文字を音標識別符号に置き換えたもの)。フラッシュ(緊急速報の意。ただし民間無線では使わない軍用無線用語)です。メイ・デイの確認を中継転送します。繰り返します、メイ・デイの確認を転送します。確認状況を教えてください、どうぞ」
 二度ほど呼び出した後で、モンサンから返信があった。
『モンサン・コントロールより495号のユウへ。メイ・デイの確認を受領した。繰り返す、メイ・デイの確認を受領した。ただし、お前からの送信を確認したのであって、当該機からの通信は確認出来ない。こちらではメイ・デイの送信を受けていない。少なくとも、確認出来ない。そっちの確認地点を報告してくれ、ユウ。どうぞ』
 私のことを「ユウ」と呼んでいるので、どうやら知り合いらしいが、声の主が誰なのかは判らなかった。
 だが、それをいちいち訊ねている場合ではない。
「モンサン・コントロール、こちらユウ。救難信号を発信している軽飛行機は、地上から、目視で確認しました。繰り返します、目視で確認しました。所在エリアはヴィクター・マイク=エイト・ワン(VM−81)、ロング(緯度)111ミニッツ、ラット(経度)32ミニッツの付近。繰り返します、位置はエリアVM−81、111−032で───」
 早口で報告しながら、後部座席に放り込んであったニー・ボード(太股に縛り付けて使うクリップ・ボード)に挟んでいる航空図を引っぱり出して、細かい所在を確認した。
「───座標、ONCのG−18準拠でキロ・ブラヴォー=ウィスキー・ライマ、ゼロ・ファイフ=ファィフ・ゼロ(KB−WL−05−50)。繰り返します、KB−WL−05−50。495号は、ツーソン・サウス・リヴェリア校の上空を北に向かって滑空中の当該機を目視で確認しました、どうぞ」
『ユウ、こちらモンサン。スクォーク7700は確認出来ない。繰り返す、当該機からのスクォーク7700は確認出来ない。目視で確認した際の当該機の状態を、出来る限り詳しく報告してくれ』
「モンサン・コントロール、当該機は恐らくデ・ハビラントの単発軽飛行機で、えーと、多分、カナディアン・デ・ハビラントのDHC−……何番だっけ? あれ、ユマの方で、メロン畑の農薬散布なんかに良く使ってるやつ、えーと、チップムンクじゃないしビーバーじゃないし……ごめん、訂正、正確な形式は不明です。形式は単発単翼、ショルダー・ウィング・タイプ(翼が胴体の上に付いている)の軽飛行機、色は胴体部が薄い赤、翼の下部は白でした。機体番号も識別出来ませんでした。僕の頭の真上を飛んでったんだけど、煙が凄くて」
 規定を全て破った滅茶苦茶な無線だが、言っていることは通じる。
『ユウ、その煙について説明してくれ。当該機の外見的な問題は発見できたか? どうぞ』
「当該機はエンジン部から白い煙を噴きだしながら滑空中でした。どう考えても、競技用のスモークには見えませんでした。煙が白かったので、恐らく燃料火災だと思います。繰り返します、煙は白かったので、燃料火災の可能性が大きいと思います。機首から煙が出ていたので、キャブレターから燃料が漏れて引火したのかも知れません」
 その飛行機のことについて、出来る限り思いだそうと頑張る。
「エンジンが時々空転する音が聞こえてたけど、まだ回ってるみたいで、出火は確認出来なかったけど、えーと、そうだ、当該機の高度は2000フィート(約六百メートル)前後で、かなり高度を失ってました。この周辺は地形が複雑なので、緊急着陸が可能なのはハイウェイだけだと思います。ちなみに今は、ハイウェイの交通量は、さほどのものではありません。どうぞ」
 そう報告すると、通信相手の声が変わった。
『パイパーL−4グラスホッパー495号、こちらはモンサンAFBコントロール。モンサンFAAコントロールから、救難信号の件を引き継ぐ。当該機のスクォークを探しているが、出力が低いか高度が低すぎるかのどちらかの理由で、レーダーにブリップを捕らえることが出来ない。現在、捜索機が離陸中。どうぞ』
 どうやらメイ・デイの扱いが、FAA(連邦航空局)からUSAF(合衆国空軍)に移されたらしい。
 私もL−4のプロペラを回し、コクピットに飛び乗った。珍しく、エンジンは一発で掛かった。
「モンサンAFBコントロール、こちらも離陸します。可能な限り、当該機の航路をトレースしてみます」
『495号、こちらモンサン・コントロール、出来る限りやってみてくれ。こちらの情報は随時報告する。たった今、捜索機が離陸した。機種はセスナ0−1バード・ドッグ、目撃地点へのETA(推定到達時刻)は三十分後、推定1230。お前の確認した地点を中心軸にしてスクウェア・サーチングする予定。呼び出しコードはエンジェル・オブザーバー03だ。このチャンネルをフィックスして、モニターし続けてくれ。どうぞ』
「495号、フィックス、了解。以上、交信終了」
 私はスロットルを一気に開くと(普段なら、故障を恐れて絶対にしないことだ)、最大出力でL−4を離陸させた。
 学校の部活のことなど、すっかり忘れていた。
 その姿を、後にトッティは、
「第一次大戦のパイロットが出撃するみたいだった」
 と形容した。

『───395号、こちらモンサン・コントロール。そちらのスクォークが確認出来ない。繰り返す、スクォークが確認出来ない。レーダー上でもブリップを確認出来ない。状況を報告せよ、どうぞ』
 離陸してまもなく、モンサンから通信が入った。
「コントロール、こちらにはスクォークが積まれてません。こちらの機体はL−4、グラスホッパー軽飛行機、旧ANG(州空軍)配備の払い下げ、民間、個人登録です」
 私が言っているのは、「軽飛行機だから機材はぜんぜん積まれていないし、軽飛行機だから低空飛行したら地上のレーダーには映らないよ」という意味である。もちろん、その程度の含みは、航空関係者ならすぐに理解してくれる。
 自分の所属と位置を発信するトランスポンダーがない場合、管制塔はレーダーによって私を捕捉するしかないのだが、L−4やパイパー・カブのような軽飛行機が低空飛行しているのを捕捉可能なレーダーは、空中早期警戒機の上でぐるぐる回っているロート・ドームのような、「お化けレーダー」くらいなものである(そういう哨戒機のレーダーは、地面を走っている自動車まで識別出来る)。
『了解した、495号。今、FAAの職員から確認を取った。この通信以降、そちらの呼び出しコードをグラスホッパー・ゼロ・ワンとする。了承の旨、復唱せよ、どうぞ』
「命令を受領。了解、コントロール。495号は、この通信以降、グラスホッパー01となります、どうぞ」
『グラスホッパー01、規定に従って空域報告せよ』
 厳しい管制員である。彼が言っているのは、軍の規定通りに通信しろ、ということである。民間では、この種の報告をわざわざ行う者は少ない(と言うか、飛行中にコール・サインが変わることもないのだが)。
「了解しました。チャンネルを、一時的にベイカーから切り替えます、待機を願います」
 私は無線機の周波数をスケルチのオープン・チャンネル(ある範囲内の全ての周波数帯に対して送信する)にした。
「───この空域に於いてオープン・バンド・チャネルを利用中の全ての航空機に対して通告します、繰り返します、オープン・チャネルを利用中の全ての航空機に対して通告します、現在よりパイパーL−4グラスホッパー495号、搭乗員ヤンキー・パーパ・アルファ機は、呼び出しコードがグラスホッパー01となります。繰り返します、L−4、ナンバー495号は、ただ今よりグラスホッパー01となります」
 それから、現在の自分の状況について説明する。
「グラスホッパー01は、現在、捜索及び救難に関する任務についての支援活動に当たっています。SAR(捜索及び救難)に当たるエリアはKBWL−0550を中心とする空域です。繰り返します、SARゾーンはKBWL−0550です。プライマリーSAR(主任務捜索機)はUSAFエンジェル・オブザーバー03、セカンダリーSAR(支援捜索機)はグラスホッパー01です。遭難機に関する情報はデーヴィス・モンサン・コントロール、デルタ・チャーリー・コントローラー、またはグラスホッパー01のPRC−77、VHF空対地無線チャネル53−10までお願いします。もう一度、繰り返します……」
 細かい情報についての通信を、私の周囲に『ばらまいた』。もしも無線機を使っていれば、かなりの範囲でこの通信を傍受した筈である。
「コントロール、こちらグラスホッパー01、対空無線にて報告を完了しました、確認願います、どうぞ」 
『コントロール了解、グラスホッパー01。あと二十分ほどで、エンジェル・オブザーバーが、そちらから報告されたポイントを中心軸に取って、スクウェア・サーチングを開始する。グラスホッパー01には、予想される航路を軸線としたトラック・サーチングを行って貰いたい』
 スクウェア・サーチングとは、予想遭難ポイントを中心軸として、その周囲をぐるぐる回りながら旋回半径を拡げていく捜索飛行パターンである。私に対して指示されたトラック・サーチング(ライン・サーチングとも言う)の場合は、予想遭難ポイントが確定できない場合に、予想される飛行経路のある範囲を軸線として、同様に旋回捜索を行う。スクウェア・サーチングは捜索範囲が正方形に拡がっていくのに対して、トラック・サーチングは長方形(その長さは、予想飛行経路上で仮に規定した予想遭難範囲の長さに比例する)のパターンを描く。
 この二つの捜索パターンは、主に海上で行われる捜索活動で多用される。しかし、高低差の少ないアリゾナの砂漠地帯の場合、海の上での捜索とほとんど差がないため、こういうパターンが使われるらしい。
 何故だか知らないが、十一歳当時の私は、それを実際にやったことはないが、知識としては持っていた。
 だから迷わず、応答した。
「了解、コントロール。予想される航路を軸線としたトラック・サーチングを行います、どうぞ」
 私は航空図を見ながら、予想される航路を割り出そうとしていた。
 両脚の股で操縦管を固定すると、肩口の袖にあるペン・ホルダーからダーマトグラファイト・ペンシル(デルマ鉛筆)を引き抜き、リヴェリア校から南西の方へ向かって、適当に線を引いた。
 取りあえず、そのラインを軸線として、捜索することに決めたのだ。
 それから、自分のベストの胸ポケットから、PRC−90救難無線機を取り出し、アンテナを伸ばしてスイッチを入れてからポケットに戻し、イヤホーンを耳に突っ込んだ。
 PRC−90は米軍の全てのパイロットが携帯を義務づけられている、頑丈で完全防水の小型無線機で、ビデオ・カセットより一回り小さいくらいのサイズの特殊な無線機だ。軍用機材に特有のオリーブ・ドラブに塗装されており、ごく簡単なダイヤルが幾つか付いているだけという簡素なものだ。
 この無線機には三つの固定チャンネルしかなく、そのうち一チャンネルは自己位置発信用ビーコンなので、実質的には二チャンネルしかない。しかし、そのチャンネルのうち片方は、敵に傍受されにくいガード・チャンネルが使用されていた。また、その大きさの割にはかなりの高出力なので、敵中で孤立した場合でも、比較的遠距離まで通信が出来るようになっていた。
 実際には、このPRC−90は軍事機密指定を受けた特殊機材のひとつである。もしも敵に───あるいは将来、敵となりうる勢力に───渡ってしまったら、遭難者の通信が筒抜けになってしまう恐れがあるからである。軍の規定には、もしも遭難時に、敵の捕虜となる危険性が出てきたら、迷わずこの無線機を破壊せよ、と書かれているくらいなのだ。
 私は、ジョンジーから、このPRC−90を貰っていた。つまり、軍事機密機材とは言え、入手はさほど困難ではないのだった。勿論、売っているものではないから、何らかの伝は必要だが、旧型軍用機を趣味で飛ばしているような人たちの中には───旧型軍用機が手に入れられるような伝を持っている人であれば、このPRC−90を非常用無線機として持っている場合が結構多かった。
 その可能性を考慮して、私は無線機のスイッチを入れたのである。PRC−77のVHFバンドでは、PRC−90の通信は傍受出来ないためである。
 今のところは、雑音しか聞こえなかった。しかし、いつ通信が入ってくるか判らない。
 航空無線機、戦術無線機、それに救難無線機の三台をチェックしながら、私は機体をゆっくりと旋回させ、トラック・サーチングを始めた。

(つづく)