僕は静かにキスをする。












 レンズから覗いた君はぎこちない表情を浮かべ、少し居心地が悪そうにしていた。
 笑って、と云うと眉を顰める。
「笑ってよ、いつもみたく」
 無理、と返された。
 確かに、笑えと云われて笑えるようなひとではないけれど。
 あまりにも辟易した様子を見せるので遂に僕はカメラを構えるのを止めた。
 ――リアルな君は、少しだけほっとしたようだった。



「そんな身構えなくていいよ。自然にしてれば」
 内緒で持ってきた父のお気に入りのカメラ。いかにも高価そうに艶やかな光を放っている。
 黙ったまま英士は優美さすら漂わす動作で珈琲を入れる。
 つう、とカップから湯気が昇った。
「そんな困った顔するなよ。なんか僕が物凄く悪いことしてるみたいだ」
 今度は苦笑い。
 英士が熱いカップをゆっくりと手渡す。
「俺が写真とか嫌いなの知ってるでしょ」
 知ってる。
 でも久しぶりの再会だ。思い出を形に残したい。自分の手で形に残したいのだ。
 ここへ来てから撮った写真は僅か五枚にも満たない。 更にその殆どが不意を突いて撮ったものだった。
 もっと普段のような――自分の名を愛しそうに呼ぶ瞬間を写真に止めたいのだが。
 珈琲は舌が麻痺しそうに熱かった。
「よりによってカメラなんかに懲りだすなんて」
「面白いよ、写真撮るの」
 どうせなら撮られるのが好きな被写体を選んでよ、と云われた。英士でないと意味がないのに。

 白いカップを傾ける仕草はとても絵になると思った。
 レンズを向けると、途端その絵は破れる。
「止めろよ潤慶」
 光は手で遮られた。



 眠る直前にまでカメラに触っていると、英士は呆れたように溜息をついた。
 今日が終わる前にもう一枚だけでも撮りたかったのだが――仕方なくそれを放り出す。

「英士」
 唇を寄せると英士はごく自然に目を閉じる。
 ――これを写真に残したら面白いかもしれない。
 毎日毎日眺めて、僕はキスの瞬間を思い出すだろう。

 レンズがこちらを向いているのが気になり、上から英士の服を投げて掛ける。
 相手はカメラだが他の何者にも英士を見せたくない気がした。
 こういうことは刹那的でいいんじゃないか、と僕は思う。



 英士が眠っている間にこっそりと一枚だけ写真を撮った。
 少しだけ狡い気もしたが、その寝顔があまりにも可愛くて。
 睫の淡い影は僕達の幸せの象徴のようで。
 甘い気持ちに至極優しい気分になった。







 日本語も韓国語もない国では、ただ激しく流れるように毎日は移ろう。
 碧落の地にいる君は元気だろうか。

 あの日のことを思い出す。
 フィルムには、英士の寝顔の他に自分の寝顔まで写っていた。
 我ながらこの上なく幸せそうに眠っていて。
 自分自身知らない表情を英士には見られていると思うと、少し恥ずかしくもある。
 でもそれはお互い様。

 あの夜のあの幸福感を忘れないでおこう。
 写真とは本来、そういうものなのではないだろうか。

 ――写真の中で眠る君に、僕は静かにキスをする。










END